#8
異変に気づいたのは、まず通信が返ってこなかったこと。
後十分で、今日廃棄する予定のクソッタレな島にたどり着く。手はずでは・・・いや、予想では、俺たちの朗報を聞いて、無線の向こうが大いに沸く・・・という手はずだったんだが・・・。
ノインは、浮かぬ顔をして、交信を続けている。
「どうした? 」
「島との連絡が取れないの。」
ノインの頬に、脂汗が伝う。俺も、今座っているところが、いきなり、何の脈略もなく、地雷原になった・・・そんな肝が冷えた気分になってきた。
「全員下痢気味で、トイレに入ってるとか・・・。」
「出される食事は、そんなことが無いようにチェックされるし、みんな時間をずらして食べるから、万が一そんなことが起こっても、無事な人が対処するはず! 」
おちゃらけで言った俺の返事に、容赦なく論理的で冷静な答えが返される。面白くねぇ奴だ。
「ま、とにかく後数分で島だろ! キリストも言ってるぜ『虎穴にはいらずんば、虻蜂取らず』ってね。」
かなりまじめに答えたつもりだったが、ノインは露骨に眉をしかめた。なぜだろう。
しかし、そんなことを言っている間に、島はどんどん近づいてくる。
そして・・・
「なんだ! 火の手が! 」
そう、島のあちこちが、まるでボヤでも出したかのように燃えていた。いや、それだけではない。
俺たちの安息の場であった居住区、監視塔、医療施設、島の主要な施設が、あるものは焼け落ち、あるものはくすぶり、あるものは崩れ落ちていた。
「何だってんだ! 畜生! 」
俺は声を荒げた。さすがのノインも息を呑んだ。
地上に降りた俺たちを迎えたのは、今だ何かが燃えている音、どこかから絶え間なく漂ってくる煙の匂い。そして、血とにおい。
早い話が、死のにおい。いや、そんなものではない。連続する断末魔のにおい、こういうことに慣れっこな俺たちも、顔をそむけざらない、一方的虐殺のにおい。
う・・・うぁ・・・。
突然、ノインの方から声がした。
あ・・・あ・・・・う・・・・っ。
それは、声にならない声だった。それは、例えば、ゆりかごを壊された赤ん坊の声。それは、例えば、目の前で母猫を殺された子猫の搾り出すような声。
そして、手には、カジモドがいた・・・。
その顔は、ぞっとなるほど美しい白さをたたえ、そして、ノインの手に抱かれたその体は、神のように軽く・・・。
もう、息をしてねぇ!
奴は、自分の本名も言わずに、天に召されちまった!
俺の脳裏に、まるで映画フィルムが早送りされたかのように、奴が生きていたころの記憶が再生される。
・・・S&Wリボルバーは、ダブルアクションで撃つと、撃鉄が落ちる寸前でシリンダーが止まる。そこで最終的な狙いをつけ、引き金を絞るんや。・・・
短かったが、それは一秒一秒が、止まっているように鮮明に思い出せる。
・・・時代遅れの保安官、なぁ。ただ、ワシが言えるのは、普通の銃なんざ水鉄砲に見える、でかい鉄の重さ。それが、マグナムリボルバーが、ワシの命を守ってくれる保障なんや。・・・
続きをもっとたくさん聞けただろう。でも、奴は伝えるつもりで伝えようとはしなかったろう。おとといも、昨日も、惰性で生き残れた。今日も、明日も、あさっても、とりあえずはなんとなくだけど生き残れる感触。しかし、それを永遠に取り除いてしまう楔は、実にあっけなく・・・。しかも、これが恐ろしいのは、本人だって、その周りの奴だって、決して予想できないこと。
ありがとうは、いつも言い忘れるものだし、さよならは、決して相手には届かない。
続くノインの咽ぶ声。それは、まるで自分の心臓をえぐりだされたかのような・・・命より大切なものを壊されたものの、怒りと悲しみで、身を引き裂かれる声。
それが、ノインの口から出たんだ、と気づいたときには、ノインは身を翻して走り出していた。
俺も走り出す。それは怒りによって。悲しみによって。ノインと同じかもしれねぇ。
ノインは、要塞内の階段を上がっていく。まるで、インドの人食い女神のように、獰猛さと優美さを従えて・・・。いや、彼女が凶暴になればなるほど、その狂気じみた美しさが際立ってくる。
右手には、ワルサーを、左手には、カジモドのマグナムがある。
風のように階段を駆け上がるノイン。その先にエレベーターが見える。一瞬、それに乗ろうかどうか躊躇するノイン。動きが取りづらくなるエレベーターは危険と判断する。
しかし・・・。それでも、一刻も早く奴に止めを刺したい。みんなを・・・、そして、カジモドを地獄に送った奴を・・・。
エレベーターが20階に来る。ここは、作戦司令室があるところ・・・。そう、マスターのベッドルームだ。
エレベーターの前に立ちはだかる、制服を着た二人組み。マスターの親衛隊だ。手に手にマシンガンを持ち、上がってくるエレベーターを待ち受ける。
チン、という到着音が、発砲の合図の地面に落ちたコインのように発砲し始める男たち。
しかし、それをかき消すようなマグナムの轟音。カジモドの形見だ。まるで原始分解しようとするような勢いで、穴だらけになるドア。たちまちエレベーター内は、銃声と硝煙のにおいが立ち込める。
そして、エレベーターのドアが開き、二人の兵士が倒れ、そして、エレベーター内に仁王立ちになっていたのは、ノインだった。
しかし、それも一瞬のこと。ドアの外の敵が死んでいるのを確認すると、糸がちぎれたマリオネットのように、その場に崩れ落ちそうになる。
全身の筋肉が、零れ落ちるそうになるのを、残りわずかなありったけの精神のワイヤーで締め上げると、ワルサーを口にくわえる。
腕が痛みが走る・・・。たがが六発の手のひらに隠すことが出来るような、ちっぽけな真鍮と鉛の塊が、バズーカみたいに重く感じられた。
排莢する。耳に心地よい真鍮が転がる音。しかし、額から滲んだ血が、目に滲む。弾丸とシリンダー穴の、ピントがずれる。
畜生! もう少しでいいんだ! せめて弾を入れ替える時間でいいから・・・もってくれ! 私の体。
震える手で、マグナムに弾を入れ替え、ホルスターに入れる。そして、口のワルサーを左手に移し、右手でグリップ下部のマガジン受けを開放し・・・。
しかし、にぎやかな足音と罵声で、エレベーター通路にやってきたのはに押し入ってきたのは、十人以上はいる親衛隊だった。
もちろん、手に手にマシンガンを持っている。
こっちが六発・・・そして左手の八発撃っている間に、相手は何発打ち込めるだろうか。ノインの目に、虚脱感が入り混じった感情が・・・。しかし、それはすぐに怒りで吹き飛んでしまう。
「お前らに・・・屈するぐらいなら・・・。」
ありがとう、カジモド・・・私が暗殺のためのお人形じゃないって・・・言ってたよね・・・。
マグナムの撃鉄が上がる。
「もう再び、翼は戻らず、私の空が永遠の夜に閉じられるというのなら・・・・。」
ありがとう、ノイン。私自身、 その言葉、信じられなかった・・・。だけど・・・。
「私の手で、永遠の夜の幕切れを引いてやるっ! 」
ありがとう、そして・・・マシロ・・・。私は、はじめから私自身だったんだね。今ならよく分かる・・・ありがとう。
マグナムが、自分のあごに押し当てられる。
しかし、響いたのは、銃声の代わりに、オルゴールの音だった。
殺伐とした硝煙と血のにおいしかないこの場に、もっともふさわしくない。はかない、手を触れたら壊れそうなシャボン玉の旋律。
・・・・・でも、私は夢想する。この手が伸びて、この二人をさえぎる壁に触れたとき、この世界が壊れて・・・・
一瞬、兵士たちは躊躇した。きょろきょろと、オルゴールが流れてくる方を探す。
・・・壊れてしまうのは、私、それともあなた?
私にはよく分からない・・・。
そして、通路の影から、獅子か虎を思わせるウサ耳の少女が出てきた。
別の世界へトリップしそうになった親衛隊の隊長らしき男が、止まっていた時を打破するために「撃て」と叫んだ。
しかし、俺の動きはそれより何倍も早かった。ウサギの・・・しかも、改造人間の速さを、なめてはいけない。
自分で言うのもなんだけど、今時ばかりは、おっそろしく神かがった速さでM29が抜かれ、ほとんど一発に重なる銃声で二発放たれた。
一つはスプリンクラーを、もう一つは天井を張っているコードを撃った。
水にぬれた床、そして電撃。さらに言えば、俺は間髪要れずに、奴らの間で踊った。拳と蹴りを使った踊り・・・。みようみまねジークンドー
電源コードが、俺の手によって引っこ抜かれ、酔っ払いが放り出したネクタイのように床に落ちたときには、数十人の親衛隊が床で「気絶」してた。
「トヴァ! 」
この女が、やっと、初めて、俺の名を呼んでくれたような気がした。
「まったく、一人も殺してねぇぜ? あんたも、こういうのがお好みなんだろ? 真っ正面から二丁拳銃で打ち合う、ってのは、悪ぃが俺の専売特許だ。」
まったく、似合ってねぇぜ。ノインは、ムキになったように、頬を赤らめた。
「それに、ワルサーってのは、両手を使わねぇと再装填できねぇ。当然、その間隙を見せることになる。」
ノインが、さらに紅くなったようだ。俺は続けた。
「だから、そこがいいんじゃねぇか。なぁ。」
ノインの機嫌が、少しよくなったように思えた。
司令室に入った俺たちを迎えたのは、壁一面に生えている、明らかに今は使うことができないであろうモニター。血でところどころまだらになっているコンソール。
そして、この島の最高司令官でもある、マスターの、おそらく死体だった。
「かーわいそーになー。神でも死ぬことって、あるんだねー。」
絶対にのどを掻っ切ってやろう、と思っていた奴なんだが、こうなっちまったら、哀れすぎて、せいぜい頭に小突く程度に蹴りを入れることぐらいしか出来そうに無かった。
ノインは、入ってきた当初は、顔を背けていたんだが、やがて、奴の顔を、万感やるかたない、みたいなやるせない表情で見ていた。
呪われた運命に引き込んだ張本人が、この男でも、やっていたことは虐待でも、奴にとって、この世に登場したときからずっと面倒を見てくれた男なんだ。少なくとも、親がろくでもない奴だった、というのは、この世の不幸でもベストテンに入る。
「でも・・・一体・・・だれが・・・? 」
エレンが、搾り出すように言った。
その時、背後で物音がした。俺もエレンも、とっさに銃を抜いて、その物音を立てた奴に銃を突きつける。
「あ・・・やめて・・・お願い・・・助けて・・・。」
物陰から出てきた女は、ドクター・カリガリにくっついていたナースだった。
「ああ、二人とも、生きてたんですね! よかった! いきなりこの島が襲われて! レーザーが何本も、何本も! ドクターも、カジモドさんも、仲間もみんなやられてしまって・・・。」
ノインに抱きつくナース。
「大丈夫・・・もう大丈夫だよ・・・。」
泣きじゃくる彼女の頭を、雛鳥を抱く親鳥のように、愛しそうに何度もなでるエレン。
「そいつから離れろ。」
俺は、ナースにグロッグを構えた。
ナースは、まるで特撮みたいに急変した。邪悪な表情。
ノインの顔が驚愕に変わる。一瞬の隙をついて、ナースはなれた手つきで、エレンの間接をひねり上げ、こっちへの盾にする。
続きを読む
戻る