「それからウィニーとカビーは抱き合って、小さな子供のように相手の腕の中で眠った。」

フランチェスカ・リア・ブロック『Winnie and Cubby』より











『スレイヤ×リレイヤ』
















#1


「素人にもほどがあるあんたには、骨董品の六連発がお似合いよ。」

右目に狼の、左目に子犬のような光を持つ少女は、そう言った。

そのときの俺のヒップホルスターに突っ込まれていた銃は、M19だった。

話はかなり前にさかのぼる。

まだ、俺が・・・俺を生まれ変わらせてくれたメフィストを含む俺たちが、根無し草のようにうろついていたとき・・・。「元いた組織」が完全に風化しちまって、生き残った俺たちは「強制リストラ」されて途方にくれていたとき、俺はそいつに会った。生まれ変わりたての俺は、まだ麻酔が抜け切ってないように夢見心地で、生きてる実感も勘もだいぶぼやけてた。こいつは、今もって馬鹿な俺がますます馬鹿だったころの、今でもたいしていいとはいえないが少しばかりはピントが合うまでの話だ。

 順を追って話そう。

 きっかけは、メフィストが「海の家って知ってる? 」と聞いたことだった。

 世界は春の日差しに包まれていた。というか、あたり一面、春とは思えない、まさに夏のような日差しを反射している海の波だらけだった。

 言い値で買い取らされた、今動いているのも不思議だと思えるくらいの、軍払い下げの潜水艦。陸には俺たちをすんなりと受け入れてくれるところも無く、俺たちはまさに、どこにも地に根を張っていない、宙ぶらりんな根無し草な生活をしていた。

 で、実際、海に潜ったままの生活は、まず暗い、狭い、そしてなんとなく臭い。

 だから、その日も、海の上に浮上。しばし船体を波に預けて、ぶーらぶーらしていた。俺もデッキチェアに身をあずけ、ぶーらぶらだった。

 しかし、実際に、あたり一面、海しかないって場合、すぐに飽きる奴と、いつまでも飽きずに海を見続けられる奴。

 しかし、後者にだって、限界、ってもんがある。一生幸せになりたいのなら、釣りを覚えろ、って話があったが、俺は本格的にその言葉の奥深さを知った。

 しかし、そのぶらぶらさも、いよいよ何とかしなくてはいけないと思っていた。なにせ俺達があんまりにもぶらぶらしていたので。よーするに何もしてなかったんで、一緒についてきた奴はひとり減り、二人減り、そしてしまいには、アジトに火を付けられるシマツ。もちろん全財産持ってかれた。

その中には、メフィストいわく「史上最『狂』の改造人間」のデータも含まれていて、メフィストは三日三晩怒り狂った。

あんまりにも怒り狂ったので、一日中くだらないゲームの中で、100回は世界を救っていたぐらいだ。

金もなく、この潜水艦と、俺に輪をかけて「働いたら負け」と思っている女だけ残された身としては、やはり「震えるぞニート」だな。

 そんなことを考えているうちに、いつの間にかメフィストが近づいてきて、件の台詞を言ったんだ。

「海の家? 新しい遊園地かなんかか? 」

 俺は、焦点の合わない目で、空を見ていた。空はどこまでも深くて、おまけに俺も昼間っから飲んでいて、焦点の合わせようが無かったからだ。

「いい線行ってるわね。だけどはずれ。日本と中国の、ちょうどど真ん中くらいにある人工の島。」

 この暑さにも関わらず、彼女は体にフィットするきわどい黒い衣装を着てやがる。俺は、黙ってメフィストが持っている地図をひったくった。

「残念。地図には載ってない島よ。ま、作られた当初は、アジアの途上国と先進国の調和の協力のシンボルなんて、夢いっぱいなことを考えてたんでしょうけど、あいにくと、今はアジアからはじき出された流民と、それを追う様にやってきたごろつき、ろくでなしの吹き溜まり。どう、面白いところでしょ。」

 メフィストがさした地図の海の上には、なるほど何も存在していなかった。

「なるほどね。それなりにくだらない島だと言うのは分かった。で、何が言いたいんだい? 」

 俺は体を起こした。

「で、私は、この島に根をはることを決めた。でも、単に根を張るだけじゃだめね。それなりに権力とか、支配力とか、それなりの力を持ってこの島に住みたいの。世界征服、なんて罪深い大それた行為だ、って言うのは分かってる。だからね。この島だけでも征服したいの。」

 俺は驚いた。俺は自堕乗落さでは、ギネスブックに載るくらい自身がある女だが、メフィストはそれに輪をかけて、・・・つまり俺が認めるくらい、自堕落な女だったからだ。

「こいつは驚いた。あなた様がそんな崇高な目的を持って生きている、なんて、信じられねぇ。侮ってた。すまねぇ。」

 メフィストは、小学生の粗相を許す、そんな笑顔で続けた。

「わかっていただければうれしいわ。」

どこかで、海鳥が声を上げた。やはり無職の俺達を軽蔑しているらしかった。

「しっかし、どうやってそんな『海の家』とやらののど仏に食い込むつもりだ。」

「Q.E.P.Dって組織、ご存知? 」

俺が首をふると、彼女はまた、無知な小学生にモノを教える時の優しい笑顔で言った。

「Q.E.P.D・・・安らかに眠れ、って組織は、海の家が誇る暗殺組織よ。で、それは海の家だけじゃなくって、世界からあまたの声がかかるわ。それだけ優秀ってことなのね。で、海の家は、『暗殺』さえも、輸出の目玉商品にしてる。」

「それで? 」

「奴らが狙うのは、政府、金融界、あるいは裏社会に顔が利くやつらばかり。だからね。適当に『権威』ありそうなターゲットのところへ行って、ボディガード。もちろん無償で。で、そいつに恩を売って、あたしたちは海の家デビュー。それに・・・。」

メフィの目尻が、笑い猫の口のように下がった。

「アナタが大好きな、歯ごたえのある奴との戦いがあるかもしれない。」

「あんだって? 」

「さぁ、仕事仕事! 」

俺の言い分は無視して、彼女は数枚の写真、新聞を取り出した。

「で・・・こっちが、『海の家』の権力者の写真。こっちはね、秘密裏に撮った、奴のおうち・・・。」

九割、いや、下手すると99パーセントの気まぐれと、残りかすみたいな野望で始まったこの計画は、聞いてみればみるほど、「計画性」とは反対な「行き当たりばったり」で占められていることがわかった。

 そして、海の家も、俺が思っていたよりすちゃらかなところだということが分かった。

 島の中央にそびえ立つ軌道エレベーターは、不景気のせいか、あるいは、ころころ変わる政治家の政策の変更の前に、忘却の彼方に忘れ去られたのか、さながらバベルの塔のように、その巨大なむくろをさらすだけのものとなっていた。

 そして、それに群がって生える雑草のような、有象無象のビル郡。そして、島の北端には、おそらく生産性とか効率性とか、ましてや環境問題への配慮などとか言うことが、すっぽりと思考から抜け落ちている工場が立ち並ぶ。

 そんなクズ鉄の寄せ集めみたいな地域があるかと思えば、南側にはプール付きの大邸宅とか、ヨーロッパの適当なお城でも、引き抜いて移植したんじゃないか? と思える豪華な屋敷が立ち並んでいる。

 で、俺は、その日、そんな高級住宅地内の、一見の邸宅にいた。

 プールなんぞはついてなかったが、それでもシャンデリアと、そして、100人ぐらいは集まってパーティをやれるような広さは持っていた。

 ビバルディの「四季」が、ホール内に蔓延する中、思い思いに着飾った人々は、思う様テーブルに並んだバイキングと、美少女のメイドから配られる酒を楽しんでいた。

 つまり、パーティだったのだ。この町の「表」と「裏」から支配する実力者、「チンチンチュー」の誕生日・・・しかし、実際にはそれにかこつけて、町中の悪党を牛耳る親玉が、これまでやった悪事へのねぎらいと、これからやる悪事へのモチベーションを上げるためのパーティ。暇な奴らだ。新年でもないのに。

 しかも、こういう「高級」そうなところへ来たからかどうかしらないが、お前ら悪党の癖に「処女のあえぎ声はファンファーレ。特に拉致してきた奴。」とか「おい、ブラックユーモアって、指詰めることじゃねぇぞ。」みたいな下種な台詞は誰もはかない。

 月よりの使者が来るにはまだ早すぎるのに、子宮はがんがんと痛み出す。

 特に、俺は「セロ奏者のピンチヒッターとしても使えるメイド」という役割で、セロケースごとここへ来た。

 つまり、メインの仕事は給仕、だから酒も煙草もやれない、ということだ。

 タダでさえ、俺の気分は今すぐ地獄に落ちたほうがましなくらい最悪なのに、「君、君、カクテルを頼むよ。そうだね。やっぱりカクテルの王様、マティーニで。ステアしないで、うんとジンを多くして」とか言われた日には、ションベンでも飲ませてやろうかという気になる。

俺からマティーニを受け取った後も、こんなことを横の泣きボクロが印象的なパッキン美人に漏らしてやがる。

コンビニ店員を、つり銭を間違えて渡したぐらいで、その家ごと一家離散させそうな勢いで追い込みをかけそうな面構えをしてるくせしてな。

「で、マティーニってものの名前の由来はね、ニューヨークのマルティーニっていうバーテンダーが始めて作ったから。」

 バカ野郎。早く飲め。酒があったまるだろうが。

 俺のいらいらは最高潮に達した。この怒りは、懐に隠したペルメルでも、収まりそうに無かった。

 しかし、それはすぐに終わりを告げることになった。

 いきなり、照明が落ちた。ああ、こりゃ、『オリーブの首飾り』でもやりながら、奇術師が美女の空中浮揚でもやるのかな、と思っていた。

 実際、『ドラグネットのテーマ』が流れ始めたときには、俺も観客も、そうだと思っていたのだった。

 しかし、一向にステージの上にはスポットライトは当たらない。依然として真っ暗なままだ。

 こりゃいいや。俺は嬉々として懐のペルメルを取り出したね。

 観客のブーイングが流れること数秒。突如としてスポットが舞台を照らした。

 果たして、そこに美少女はいたさ。ただし、ただし、ニンジャのメンポみたいなものをつけ、身にフィットした黒いボディスーツ、手足には軽量で簡素な防具をつけていて、懐にナイフと拳銃をぶら下げている奴が、手品師とかアシスタントに見えたら、の話だが。

 俺は、黙って腰を下ろした。というのは、彼女の両端には、痩身の「目がイッテる」狼みたいな男と、ボクシングの神様でも、一発でKOするのは難しい大男が、まるで姫君を守る騎士みたいにそびえたっていたから。それだけじゃ足りないなら、狼みたいな男は、両手にポン刀、大男はバルカン砲を構えていた。

 もちろん、テーブルの影に隠れたとき、テーブルの上にあったロマネコンティをひとつ失敬しておくのは忘れなかった。

 たちまち、ビル解体の工事現場もかくや、という轟音がした。

 カエルが猫がひき殺されるような悲鳴が鳴り渡るのをBGMに、俺はワインをあおろうとした・・・が、コルク抜きの存在のことを忘れていた。

 ためしにテーブルの上に、瓶の首だけ出してみたら、あっという間にジョーズがほお擦りして噛み付いたみたいに、粉砕された。

 ワインをあきらめ、ペルメルに火をつける。相変わらず、頭の上10センチぐらいでは、地獄の花火が猛威を振るっていた。

 テーブルの上に載っていた酒瓶が割れたんだろう。肩口がぬれた感覚がして、思わず身を引く。

 俺は、ポケットの中に突っ込んでいた腕時計・・・、そう、俺はガキのころから腕時計はポケットにしまうモンではなく、手にはめるモンだと言い聞かされてきたが、習慣はなかなか治りそうになかった・・・を取り出し、アンテナを伸ばし、それに向けて怒鳴った。

 「メフィ? 俺、トヴァー。計画だけど。何かダメっぽい。」

 そして、適当にテーブルの上に時計型通信機だけ上げて、銃撃のカルテットを聞かせる。

 シャンデリアが落ちてきて、俺もその破片をよけるために「あちっ」と言ったんで、大体状況は分かるはずだ。

 「この調子じゃ、とっくにちんちん野郎も地獄へまっしぐらだろうさ。奴を守って恩を売る、って当初の目的は無理そう。どーする? 」

 向こうから間延びした声が返ってきた。

「うーんと。そうねぇ。じゃ、計画変更。Q.E.P.Dの皆さんにご挨拶して、奴らの仲間になってください。後は私がプロデュースする。」

 俺は、ため息とともに煙を吐き出す。まぁ、犬にかまれたと思って、とか、ババを引いたと思って、というような台詞が、バシバシと頭を通り過ぎた。

 それらの言葉の渦がやむと同じくらいに、鋼鉄の雨も止んだようだ。

 テーブルの足ごしに見たステージの上には、もう誰もいなかった。

 俺は立ち上がる。とにかく、楽屋のセロケースだ。足を速めた。

 むせるような硝煙と血と、大小便と酒のゲロのようなにおいをかぎながら、カーペットのごとく撒き散らされた死体をよけつつ、走り出す。途中、ハッピーバースディと書かれたケーキを枕に永眠しているチンタマに会う。

 顔ごとケーキを踏み潰して、俺は楽屋に急ぐ。

 マチダ・リュウジ。通称MGは、殺しが好きだった。いや、殺しだけではなく、人に暴力を加えたり、人をいじめるのが好きだった。

 しかし、彼は小心だった。だから、ケンカをするときも、決して強い奴と戦おうとせず、そして、自分からケンカをそそのかすこともなく、常に強い奴に取り入って、そいつをそそのかすようなやり方をした。

 そして、そのやり方は、名うての殺し屋組織「Q.E.P.D」でも続いた。彼自身は、彼が今まで生き残れたのは、臆病なのではなく、それだけ用心深いのだ、と信じていた。

 だから、彼がマシンガンを好んだのは、ある意味当然な話だった。

 HKMP5。「小型」ということでは、ハンドガンやマシンピストルにはさすがに劣るが、この重さと大きさが、射撃時の反動をある程度抑えてくれる。

 それに、一人でたくさんのものを相手にできる、という設計思想は、それだけ人を多く殺せる、という彼の好みとぴったり一致する。

 何より、毎分約800発という連射速度は、彼にとっては「力」の象徴だった。「とにかく撃ってりゃどこかに当たる。」

 MP5は高い命中精度を誇る銃だったが、標的も一般人もタダの的という思想の元行動する彼の前では、無用の長物だった。

 最初にこの銃の威力を試したあの興奮は、忘れられない。

 とりあえずねずみを撃ったのだが、一瞬で「爆死」した。

 そう「射殺」という言葉なぞ生ぬるい。毎秒18発近くの鉛のシャワーは、そのねずみの体を貫通するだけでは足りず、内蔵を引きずり出し、肉や血管をミンチにするのに十二分な威力を発揮した。射精するほど気持ちがよかった。一センチほど指を動かすだけで、相手の生死を左右できる。俺は神だと、そう信じていた。

 だから、目の前にセロケースを両手に持ったメイドが現れても、なんとも思わなかった。それどころか、この女が豚みてぇな悲鳴を上げながら、前身を間接に逆らったように痙攣させながら死んでいく姿を想像して興奮した。

 はじめ、こいつの目が、とんでもないねっとりとした殺気を放ちながら闇で光ったとき、俺は何か闇から出てきた魔物に丸かじりされるような空想が頭をよぎったが、たぶんそれは気のせいだろう。いまどきウサ耳のボンネットって、どんな不思議ちゃんなんだよ。

 何か口ずさみながら、ヘッドバンキングしつつ、巧みに足を動かしているのも、リュウジに安心感を与えた。

 なんだよ、こいつ、飲みすぎたか、あるいはハッパでもキめてるんだろうな。

 「おい、てめぇ。」

 リュウジはマシンガンを構えて言った。

 目的を達成するだけなら、何も言わずに鋼鉄の魔銃の口を奴に合わせ、引き金を引くだけでいい。しかし、リュウジはなるべく楽しみたかったのだった。

 「お前だれだよ・・・。いや、答えなくていいぜー! 俺のこの右手の銃は、てめぇをミンチにしたがってるんでなぁ。ぐへへへへ。悪く思うな。運が悪かっただけだ。さぁ、たっぷりと豚みてぇな悲鳴を上げろ。」

 「・・・MJ、好きか? 」

 しかし、彼女の口から漏れた言葉は、彼の予想から大きく反するものだった。

「シッカし、天才は早死にする。乳首が立つほど感じさせてくれる音楽を作る奴ほど、あっという間に時代を駆け抜けてしまう・・・。ブカレストのライブ、最高だったよな? 」

 今やムーンウォークで重力を無視、いや否定するように、くるくると回っている彼女の、呟くような歌詞に耳を傾けてみると、それは、一番のクライマックスで、一番不吉な下りだった。

「し、死ねぇ! 」

毎分八百発の灼熱の暴力が、彼女に向けて吐き出される。

しかし、彼女がステップを踏むたびに、弾丸はむなしく床をうがつ。壁をうがつ。

あるいは、くるりと回るセロケースに弾丸がはじき返される。

そう、まるで重力を無視しているように、奴は壁を走り、床をすべり、くるくる回ってすべるように滑らかな動きで近づいてくる。

狩るものが、いつの間にか狩られるものに交代している。神から、いきなり神罰を受ける身へ。

確か、山奥にえたいのしれないレストランがあって、そこに迷い込んだ相手は、奴らにうまく乗せられて、最後には頭からマルかじりされてしまう。

なんてことだ。哀れな狩人は俺だ。子どものころ聞いた童話の断片を思い出しながら、リュウジの腕が、神経が焼きついていく。

 必死で奴を追う銃口。神の思いが通じたのか、奴はセロケースの片割れを落とした。

 やった! と思うのもつかの間、自分の間違いに気づく。

 奴は、セロケースを落としたんじゃねぇ。こっちに滑らせたんだ! 

 と、同時に、地を滑るような動きで、奴が俺に、セロケースに迫る。

 そして、リュウジの体のぎりぎり手前で、狂気のウサ耳メイドはセロケースを蹴り上げた。

 ぱっくりと開けて出てきたのは、ホラー映画でも出てこないような、馬鹿でかく強力そうなチェーンソーだった。

 ・・・この曲の歌詞の最後・・・恋人は残虐な殺人者にやられてしまうんだっけ・・・。

 そう思った時には、まるでバタフライナイフを切り返すように、鮮やかに殺人メイドの手にチェーンソーが一回転して収まった。

 チェーンソーの上に、切断されたリュウジの首が乗った。

 続けて、ポン刀男「ZANTETU」にも、危機が迫っていた。

 彼が見たのは、返り血を化粧してるように浴びながら、子どものように無邪気に笑い、チェンソーの上にマシンガン男の首を載せて笑う少女だった。

 狂気だ。ポン刀男は素直にそう思った。可愛らしさの代名詞みたいなメイドが、その手で余るような馬鹿でかいチェーンソーを持って、残虐行為に励んでいるのだ。しかも、悪い冗談のようにウサ耳のカチューシャかなんかが揺れているところが、ますます悪夢の度合いに拍車をかけた。

 これで奴がホッケーマスクでもかぶっていれば、完璧じゃないか。

 しまった。奴と目があった。奴のあまりの狂気っぷりに当てられて、身を隠すのを忘れていた。

 それは、まるで闇の中に浮かぶ、人々を喜んでその歯牙にかける魔竜の目だった。

 闇の中で光る赤い目が、平行にした三日月のようににゅーっとゆがんだ。チェシャ猫のように笑ったその奥には、嬉々とした殺意しかなかった。

 慌てて、身を翻すポン刀男。

 まるで、バイクのエンジンを再始動させるような、威勢のいいエンジンの音が鳴り響く。

 ホラー映画では、頭の軽そうな若者が、つぎつぎと鉈の餌食になる。その悪夢が、フィクションを突き破って、現実に現れたのだ。

 ポン刀男は逃げた。しかし、遠くから近くから、あるいは右から左から、チェーンソーの音はどうしても離れない。まるで、追尾装置の付いたティラノサウルスを相手にしているようだ。

 屋敷の奥へ奥へと走るが、かえって屋敷内にエンジン音が反響して、まるで四方八方から襲いかかってくるように感じる。

 糞! こうなったら! 

 ポン刀男は、異常な跳躍力で、天井の梁へ上った。ここで奴をやり過ごすつもりだった。

 果たして、その殺人メイドは現れた。

 大型肉食獣が、あたりをかぎまわって獲物を探すごとく、奴も、彫刻を蹴り倒したり、椅子を叩き潰したりして、人影を確認していた。

 しかし、それが徒労と分かったらしく。彼女は「ちえっ! 」と舌打ちした。

 そして、ドアを開けて、このフロアから出ていこうとした。

 そうだ・・・。そうだよ・・・。お前のやるべきことは、俺の視界からとっとと消えてくれることだ。

 ポン刀男は、固唾を呑んで見守った。

 そして、奴がドアの向こうに姿を消しそうになったときには、ションベンをちびりそうになるくらい安堵した。

 そのとき、殺人メイドの背中にしょったセロケースから、何かごとごとと落ちた。

 黒いレモンのようなそれは、まごうことなき手榴弾だった。少なく見積もっても10個はあった。もちろんすべて安全ピンは抜かれていた。

 ポン刀男は、怒号のような笑い声を上げた。人間、極限状態に置かれると、笑いがとまらなくなるらしい。

 

 ノイン・・・もちろんこれは本名じゃない・・・誰かがつけてくれた名前なんだけど、もう誰がつけてくれたか忘れた・・・・。

 とにかく「ノイン」と呼ばれる、この暗殺者の少女も、異変に気づいていた。

 まず、先ほどから鳴り響いている、大型排気量のバイクのエンジン音。銃声が支配する会場には、どう考えても不釣合いなシロモノだし、先ほどは手榴弾の破裂した音がした。

 しかも、続けざまに。

 今夜のメンバーには、爆弾専門の奴はいなかったはずだし、第一エレンは、そのような派手な殺しは大嫌いだった。

 殺しというのは、必要最低限のことを行えばいいものだし、そのようなやり方は、殺人を楽しんでいるような気がして、絶対いやなのだった。

 大体、もうそろそろこの館を脱出しなければならない時間なのに、仲間のMGとZANTETUが来ていない。

 歯に仕込まれた無線機を通して、必死に連絡を取ってみるが、やはり何も帰ってこない。

 メンポの裏で、ノインの頬に一筋の冷や汗が流れた。

 そして、食人鬼の化身のような、紅い瞳の少女が、闇の悠然と姿を現した。

 暗い森に住む、人狼のお姫様・・・。

 そいつは、月明かりの中、まだ硝煙とも廃墟の煙ともつかないものが立ち込めている中、に、すっくと立っていた。

 そいつは、氷のような狼の目を左に、雨にぬれた子犬のような瞳を右に持つ少女だった。年は・・・ま、かたぎのレール走っていれば、来年はハイスクールの入学式くらいだろう。

 どこかの童話だろうか? そんな話があったんだろうか。

 太陽の王様の民と、月の女王の民が戦いを始めました。戦いは千一夜続いて、太陽の子どもは命を落とし、月の皇女も命を落とし、それでも大いなる犠牲を払って、太陽の民が勝利を収め、負けた月の民は、魔法狼にされてしまい、氷と闇に閉ざされる暗い森に閉じ込められてしまう。

 しかし、唯一の運命の誤算は、生き残った月の姫君が、戦の時一目見えた太陽の王子の姿が焼きついて離れなくなってしまったこと。

 月の姫は、愛しの人ともう二度と会えないことも知らずに、辺境の地で彼と再び見えることを待ち続ける。子犬のように。

 俺にしてみりゃ、どっちも負けたようにしか思えない、いかにも子どもだましな話だが、それでも、彼女は「人狼の姫」という単語を思い起こさせるのに十分な何かがあった。

 青いダイヤみたいな炎をともす目は、俺の心まで氷つかせようとしている。 

 奴の殺気が、俺の肌を焼く。

 久しぶりに感じる。心地よい痛み。

 先に口を開いたのは、俺だった。

「よぉ。あんたがこのビックリカメラの仕掛け人? 俺さぁ。あんたの組織・・・・Q.E.P.Dだったっけ? ま、そんなものに転職したいんだけど、ま、ひとつよろしく。」

 体の中で、出口を求めて暴れるマグマのガス抜きとしての軽口。

 メンポ何ぞで、顔を隠しても、俺の改造人間としての耳と目は見逃さなかった。

 奴の心音が高まり、瞳孔が開いていくのを。

 へっ、びびってやがる。

 目の前であんな派手な出し物をされたんで、少々びびったけど、所詮ガキはガキ。子犬は子犬らしい。

「俺の新入社員としてのセールスポイントは、そうね。ライバルには絶対負けない自信と、行動力かな。」

 子犬が、一瞬息を止めた。

 俺は、血にまみれたチェーンソーを、子どものように見せびらかした。

「その証拠物件は、これ。おたくらの使えない社員、上司に代わって何人か首にしたから。」

 子犬の目が震えた。瞳がきゅっと細くなり、そして爆発したように大きくなった。

 雄たけびは上げないが、その瞳が、魂が、殺気が叫んでいる。

 こいつを、全身全霊を使って、骨のひとつも残さないくらいにこの世から消してやろう、と。

 面白くなってきやがった。恐怖を怒りで吹き飛ばしやがった。

 まっすぐに飛び込んでくる奴めがけて、思いっきりチェーンソーを振る。いくら早かろうが、ストレートは俺が迎え撃つのにおあつらえ向きの玉だ。

 しかし、奴の姿は突然消えた。チェーンソーは思いっきり空振りした。

 奴は、俺のチェーンソーの上に乗り、その上を転がった。

 そしてそのままの勢いで、俺の肩に全体重を載せたかかと落しを炸裂させる。

「!」

 マグマを流されたような、重い激痛が、俺の肩を貫く。ぱかな。こちとら今はすっかり落ちぶれたとは言え「その名を世界に畏敬の念を持ってしらせた」改造人間のはしくれだ。

 生身の人間の蹴りが、効くはずがねぇ・

 だけど、この痛みは・・・。骨にひびが入っている。

 うああ。うめき声とともに、チェーンソーが地面に落ちた。

 こいつ、まさかとは思うが、体イジってやがんのか!?

 奴は、俺と間合いを取って立ち上がり、構える。面白い! 最高の面白さだ! こんなに興奮する戦いは、一度俺を殺した「セイギノミカタ」と遣り合って以来だ。

 俺の血が、肉と骨を溶かしてしまいそうなほど沸騰する。奴のはちきれんばかりの怒りをむりやり押し込めた無表情さも、その炎をいっそう熱くさせるのに一役買った。

「血反吐ぶちまけなっ! 」

 言いながら俺の右ストレートが、奴のわき腹に吸い込まれる。しかも、俺はれっきとした「改造人間」だ。パンチは音速を超えるし、バイクぐらいのものなら、粉々にする自信はある。

 しかし、奴は違った。紙一重で脇の下にパンチを逃がすと、そのまま回転して、ひじを顔面にぶち込んできた。

 ぶっ。

 生暖かいものが、俺の口とも鼻とも付かないところから流れ出す。俺のパンチが、跳ね返って俺の顔面に飛び込んできた感触。

 意識が飛びそうになるほど、脳みそが揺れた隙を狙い、あっという間にそのまま腕をとられ、頭を下げさされ、間接を決められる。

 立脇逆固、という奴だ。

「う、うおおおっ。」

 右手の骨が悲鳴を上げる。行き場を失った血が慟哭しはじめる。

 まるで大蛇にでも右手に絡みつかれたようなもんだ。

 先ほどの脳が揺れたのと、右手がみしみし言い始める痛みの前に、ふ、と力が抜けそうになる。

 イッてしまう前に、カタをつけねばっ! 

 俺は全体重かけて、奴ごと倒れた。「くっ! 」「うっ! 」俺と奴の苦痛のうめきが重なる。

 肩に異常な、鈍い痛みが走る。

 「悪あがきをっ! 」

 少女は言った。今度は俺の両手を極めたまま立ち上がる。

 そして、俺は首を下に固定されたまま、腕をねじ上げられる。血に飢えた熊が、小鳥の羽をもぐみたいに、俺の腕ももぐつもりか!?

「あたしは、あんたみたいな、チンピラが大嫌いなの。ただ暴力が好きで、血と肉が破裂するところが見たいってだけの、下種なケダモノがねっ。あたしがどんな気持ちで、人を手にかけているか、あんたは分からない! そんな奴にQ.E.P.Dの名前を名乗らせるのも汚らわしいっ! 言ってわからないケダモノは・・・。」

 ごきり、奴はいきなり全体重をかけた。

「体で分からせてやるっ! 」

 俺はなるべく哀れっぽい悲鳴を上げた。ごきり。また嫌な音がした。終わった。奴の力が少し抜ける。

 俺はその隙を待っていたのだ。悲鳴を押し殺しながら右手を引き抜いた。

 奴は仰天した。そう、奴の関節技は完璧だった。抜けられるはずが無い。

 一瞬、俺へ気をやるのを忘れる。一秒にも満たない間でも、奴の体に手を回すのは十分だった。

 奴の体が上へ持ち上がる。腰を使って奴の頭を地面に叩きつける。ジャーマンスープレックス、という奴だ。

「うあ・・・。」

 今度は、奴の脳みそが揺さぶれる番だった。

「おい。生娘扱うように丁寧なアプローチかけた俺に対して、ケダモノやチンピラはねえだろう。」

 言いながら立ち上がり、右肩の間接を思いっきり元に戻す。ぐぎり。嫌な音と痛みは、関節が正常な位置に戻った事を知らせる。

 そう、さっき地面に倒れたときに、思いっきり脱臼させておいたわけだ。

「き・・・貴様。」

 地面に転がったまま、細かく痙攣するそいつ。俺は、無造作にそいつに近づく。

「どっちが血に飢えたケダモノか、分からせてやるよ。」

 と、奴は懐から銃を出した。息も絶え絶えって奴なのに、銃だけはきちんと俺の心臓を狙っていた。

 ワルサーP38。WWUの、時代遅れのオモチャだ。大体9ミリパラベラムで、改造された人間を屠れるわけがない。

 しかも、俺のメイド服の裏には、メフィスト特製の、防弾チョッキまで着込んでいる。

「へぇ。やってみろよ。心臓はここだ・・・。」

 いい終わらないうちに弾が飛んできた。俺は仰向けに倒れた。急所は外してくれたけど、わき腹に焼けるような痛みが。バカな! なぜ、そんな豆鉄砲が俺に通用するんだ! 

「・・・やっぱ・・り。殺されるケダモノは・・・あんた・・・じゃない。」

荒い息をしながら、奴は立ち上がる。

そして、憎しみを込めた瞳と人差し指で、俺の頭に狙いをつけた。

「オヤスミ・・・ケダモノ・・・。もう二度と目覚めるな。」

 そのとき、やつの動きが止まった。

 歯・・・かな? どうもそのあたりから、声が聞こえる。常人の何千倍もの聴力を持つ、俺のウサ耳は、蚊の泣くより小さなその通信を捕らえた。

「なかなか面白い女じゃないか。ぜひ連れてきたまえ。」

「しかし! 」

奴の顔がゆがむ。

「奴は、あまりにも凶暴すぎます! まるで血に飢えたケダモノです。」

「くくっ。いいじゃないか。たまにはお前みたいな人形ではなく、獣の相手をしてみたいものだ・・・。」

一瞬、少女は言葉に詰まった。それでも、彼女は言葉を続けた。

「け・・けど。」

「人形が、面白い口を叩く・・・。」

 低い、独り言ような声だった。だけど、それで目の前の少女は完全に黙った。

 そういう結論に落ち着いたらしい。

 奴は、俺に近づいてきた。バレリーナにでも転職しても十分やってけるだろう、と思うほど足が上がった。それが、銃の撃鉄のように最高値に上がった。かかとが振り下ろされて、俺の意識は、そこでいったん途切れる。

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