映画製作は、フィクションまたはドキュメンタリーのどちらからでも始められるが、どちらでスタートしようとも、必ずもう一方を見つける。

  『Spike,Mike,Slackers and Dykes』より、アンソニー・ゾウベクの言葉。



































Ceramique Coeur
































 読者の皆さんは、クリスマスなんぞは、実はおまけ。本体はイヴだということをご存知だろうか? 俺が住むアジアの吹き溜まり、海上都市『海の家』にも、平等にクリスマスと雪はやってくる。この町の人口許容量より三倍は多いと思われる、というか、いつの間にこんなに人を隠しこんでいたんだと思われる人ごみの間を縫って、俺は自分のヤサに行った。
 白い息を吐いて行きかう島のみなに負けず劣らず、俺も忙しかった。家へ帰る時間が出来たのは、ほとんど奇跡だった。おあつらえ向きに雪が降ってきたのも。
この島の「政府研究所」長官である「メフィスト」を人質にした誘拐殺人事件。この島の最大のチャイニーズマフィア『呑竜』まで巻き込んだ事件・・・通称、ショッカス事件の結末は、人質の「メフィスト」は研究所ごと爆死。呑竜に渡される一億と機密が行方不明、という警察も呑竜も面子が丸つぶれな形で終わった。  
俺は一ヶ月だんまりを通した。そしたら、誰かが「犯人はトヴァだ」といううわさを流した。俺はそれに対してもだんまりで答えた。おかげて、下っ端警官の大多数がそれを信じた。しかし、それにも関わらず、警察上部が出した結論は、「人質は呑竜が殺害。俺は証拠不十分で釈放」ということだった。もっとも、この事件に関わったみんなは、真犯人よりも、身代金1億と、その後ろに隠れた国家機密の方に視線が行くようだった。なぜならば、この事件と同時に終わった、一年の警官人生のお祝いに、警察の連中はひどい拷問で楽しませてくれた。そして、まるでホームレスのように警察の玄関から投げ出された俺の前に現れたのは、警察の敵だった。
「トヴァ。さん、だね。話は聞いてるよ。」呑竜のカリィと名乗ったガキは、そういって俺に握手を求めてきた。ご挨拶代わりにくれたのは、指から吐き出された雷光。俺は気絶した。
 それからの一週間、「メフィストのネタ」と消えた一億イェンに関して、俺が何をされたかは、思い出したくない。読者にも想像してほしくない。
ただ、その残酷な仕打ちのおかげで、身を刺す寒さまでが暖かく感じられた。少なくとも、LN'P通りは、こんなにも鮮やかなところではなかった。冬の白が町の色彩を凍らせつつあるというのに。
職を失い、挙句の果てに、「身代金一億」とはいかにもゲンが悪いので、「器物破損一億」に言い換えられた借金を負った身。明日にでも高飛びするか、呑竜以外のところの職安に頼るかを迫られた身には、かつてのヤサへ戻るなどというしゃれた真似をする必要も時間も無かった。そのはずだったが、生ぬるいハートランドと、タバコくさい空気のような思い出が漂う部屋の誘惑はたまらないものだった。
まるでほったらかしにされた工事現場のような、地下マンションへ続く穴は相変わらずだったし、俺の部屋に日がささないのと、俺の部屋がほぼ空っぽなのも相変わらずだった。
部屋に入って、俺が真っ先にやったことは、電気をつけることでもなく、暖房具をつけることでもなかった。闇の中、ベットのシーツをまさぐり、横になった。少しばかり砂の感触がするがかまやしねぇ。
とこしえの夜の中で思い出すことはたくさんあった。この町について俺が発した第一声。一番きれいに思えた時のこの町の空の青さ。そして、炎に包まれる政府研究所。そして・・・・。

最後のキスは、地獄のように甘かった。俺は糸の切れた人形のように座り込んだ。まるでそこにははじめから人がいなかったように・・・あるいはこの世界そのものが、俺のつむぎだす夢なのかもしれない・・・「母さん」の姿が揺らいだ。もう足は動かなかった。
・・・神は、あなたに、私とともに行け、というのかしら? それとも、私から離れて生きろ、といってくれるのかしら?

・・・くたばった、俺の保護者件親権者、メフィストのこと。
改めて思い出すことの多さに驚いた。半年前は、俺の思い出なんぞは空っぽだったというのに。

 回想はケータイの音で破られた。10回以上呼び出し音が鳴り続けたら、出ようとは思った。しかし、あっけなく賭けは負けて、俺は受話器に手を伸ばす。
「どもー。幸せなイヴは送れてるであるかー? レディオ・クリオネのDJ、クリオネだよー! 決してイタ電じゃないよー。今日は教えてハート、あなたのイヴの過ごし方ってことで、適当に電話番号回して、電話アンケート取ってるであるねー。答えてくれた方には、なんと一万イェンの金券プレゼント、だよ! じゃ、早速教えてちょうだい、あなたのイブの過ごし方! はりきってどーぞ! 」  
 途中で電話を叩きつけてやろうかと思ったが、あまりにもガキがガキっぽいしゃべり方をしているので、それをためらった。
「チェルシー・ローレック。職業は無職。分けのわからねぇ金には、手を出さねぇようにしている。」
「きゃははは! それって最近の無職の流行りなわけ? 」
「いや、俺自身の流行。今夜のイヴの過ごし方は決まってる。」
「ふむふむ、是非教えてくれたまえー? 」
「間違ってもてめぇみたいなクソラジオ局のアンケートには煩わされねぇ、静かなところで、ゆっくりとカミュを飲る。」
 相手の返事を聞かずに電話を切った。闇に埃が雪のように踊った気がした。クリスマスだって? もっともそういうことから縁が遠い人間にかけてどうするよ。俺はにやにや笑いをいつの間にか浮かべている。もっと考えるべきこと・・・。どうして、俺の「ケータイ」にかかってきたかとか・・・があるにも関わらず。
 しかし、俺はこの時、黙って電話を切るべきだった。くだらない電話はそうするべきだったし、そうなるべきだった。俺の運もそこまでだった。

 翌日、俺を迎えたのは、警察携帯を持った二人のくたびれた犬のような警官だった。実際に、そこいらの雑種の野良犬とそっくり首を挿げ替えても、生きていけそうな愚鈍で、なおかつ凶暴さも備えた男たちだった。
「・・・今頃は、しらふで働いてると思ったのにな。サンタさん。」
笑わせるために言ったジョークではないし、奴らも別に笑いたくはないらしい。
「・・・昨日、お前、レディオ・クリオネって奴から電話もらったか? 」
思い出すのに、ちょっと時間がかかった。昨日の記憶といえば、何年もゴミ箱の中で放置されたワインの底みたいな夢の中を酔っ払っていた記憶しかないし、少なくとも俺は日記をつけない。
「なんだ? それどんなラジオ番組? 」
「かかったんだな!? 」
小学生向けの意地悪クイズ並みのトリックに引っかかったことを喜ぶには、刑事たちは年を食いすぎているらしかった。
「たとえ『かかってない』と言ったって、お前たちは俺を署に連行、俺の頭をこづき回すんだろ。かかってないと答えるのと同じさ。」
「おい。」
奴は俺を小突き回した。まったく警察のやることはみんな同じだ。容疑者の頭をとりあえず小突いとけばいい。それが早いか遅いかの違い。だから、件の誘拐事件の真実も見抜けねぇんだ。
「おい、メフィストは前から政府研究所を辞めたかったんだぜ? どうしてだか分かる? 」
 奴らが一瞬手を止めた。
「真っ先に冗談のセンスを奪われてしまうからさ。」
貴様! 刑事1は、俺の首をさらに締め上げ、振り回した。
「俺が裁判官だったらな、検事だったらな、てめぇのような警察の面汚しは死刑にしてるとこだ。」
「やってみる? 」
俺は、首を絞めている奴の腕を逆に握り返した。ミリ単位だが、骨がきしむ音がした。
奴が顔をゆがめた。俺はさらに力を入れようとした。
「・・・いいよ。もう公務執行妨害で死んどけよ。トヴァ。」
グロッグを取り出しながら、刑事2が言った。まるで勇者が魔王に剣を突きつけるようだった。いくらなんでも、俺はこの薄暗いコンクリート通路の中で人生を終える気は無い。へぼな人生だが、最後ぐらいは自分の手で選びたい。俺は手を離した。へたり込んだ奴から、埃が舞い上がったように思えたのは気のせいか?  
「この・・・化けモン。」
ごもっともだ。俺は頭に生えた、どう見ても人間のものではない兎の耳をひらひらさせた。

俺について、過去の話をちょっとだけ、しといていいかい? 俺はかなり昔に、ほんの少しだけ「悪」と呼ばれた秘密結社の配下だったことがある。幸運なことは、これのおかげでいわゆる荒事に巻き込まれても死ぬ確立が少なくなったこと。不幸なことは、俺はそれを快く思っていないことと、俺を改造した奴らは、俺がボコる暇もなくあっという間に、しかも勝手に全員地獄へ行ったこと。改造モチーフが、さびしくて三日で死ぬともっぱらうわさの兎であること。最期に、俺は「俺」と名乗ってやまないのに女であるということ。現状の不満はそれくらいでしか無い。

「・・・クリオネを名乗る奴から連絡があったら、伝えろ。」
「悪いが、あんたの携帯番号のナンバー、消しちまった。」
奴は、俺をドリルで一刺しするようににらんだ。だが、あいにくと俺はドリル好きの女だった。
 また来る。と言って奴らは消えた。そう、奴らはまた来るだろう。「知っている」ということは「やってくる」ということと同じ・・・。警察でそう教えたホモの教官は、三日後に殉職した。さしあたって大切なのは、これからどうするかだ。通路から警官がいなくなったのを確かめて、俺は電話に手を伸ばす前に、ハートランドに手を伸ばし、一日の活力を養った。

「お勤めご苦労様。一週間警察勤めって、なかなか持ったほうじゃない? 」
珍しく、「無表情なジャイアニズム炸裂」石野卓球はつぶやいた。俺「たち」がこの島に降り立って、「万が一」のことがあったら寄り集まろうとした拠点のひとつ。喫茶、『スマイルレス・スマイル』は、一年ぶりの沈黙を守り、開店の看板を出していた。L521通りの、ビルの中にうずもれるように立っていた。
「・・・失礼だな、一週間、ってーなぁ、どこかの馬鹿が流したうわさだ。一年だよ。」
切れ長だが、それなりにふくよかな丸みがある目と、薄く閉じられた口と、灰色に近い髪の毛を持つ卓球の顔は、舞踏用の仮面を思い起こさせる。ポンニチの能面、って奴が一番近いかも知れないが、あいにく俺は東洋の美術評論家じゃねえ。
 およそ喫茶店の店主には似つかわしくない無愛想な顔。常に店には客はなく、こいつを喫茶店のマスターにしようと言ったのは俺だった。喫茶店自体ビルに食われなかったのは奇跡に近い。
 持って来たティーカップには、アールグレイの紅茶が満たされている。しかしひとつきりだった。卓球とはそういう奴なんだ。
「一ヶ月も一週間も変わらない。それだけでも、新記録だと思う。」
卓球の、それでも目をつぶっているように細い目が閉じられた。俺はタバコを吸おうとして、この店に灰皿なるものが存在しないのを思い出す。大根役者ほど、小道具に頼るというが、その場をつなぐ言葉はその辺に落ちて無かった。俺と卓球は、それぞれの得物をじっと見ている。沈黙は重く、そして長かった。
「ファウストは・・・? 」
俺は問いかけた。卓球は首を振るしかなかった。
「・・・あなたは私じゃない。あなたが知らないものを、どうして私が知っていると思うの? 」
再び、沈黙という死神があたりを支配した。
「・・・止めましょう。いない奴は、常にいる人を気にかけて行動してるわけじゃない。」
 それでも、俺は、前髪しかない会話の神様を捕らえるために、必死に努力していたのだが、頭髪一本見つからずに黙った。仕方なく、話題を変える。
「で、俺はこれからどうなるんだ。」
「私はあなたのママじゃない。ついでに言うと、ここは職安でもなく、港でもない。」
卓球は眉一つ変えずに行った。
「・・・おやおや、あんたは『地球を回してる女』だろう。出来ないことってあるのかい? 」
「買いかぶりすぎ・・・。私は神でも某有名青猫ロボットでもない・・・。」
 光線の加減か、卓球の唇の影で、薄く笑ったような気がする。
 卓球がテーブルにはじいた写真。アフロのサングラスの長身。
「この封筒を持って、時計屋って名の癖に映画館をやっているところを訪ねなさい。」
「さすれば道は開かれる・・・。」
「開かれる、のはあなたしだい。だけど面白いことがおきるのは保障する。この一年間、付き合ってて面白い男だった。」
 無表情の神がいるなら、間違いなくこの人だろう女が言う言葉には、信憑性があった。
 それに、ほかに手が無い。
「借り、ひとつ。」
「いらない。」
彼女の返事は短かった。
 
スマイルレス・スマイルのドアが閉められていく。一年か、それとも永遠にか、再び「俺たち」が会う日まで、そこはずっと閉じられる。
「さよならを言うことは・・・。なんだっけ。」
「・・・少なくともしばらくの間死ぬことに似ていないのは確か。」
閉まっていくドアの中に、彼女が微笑んだのは、たぶん幻だろう。
しかし、その時に一瞬見えた。卓球の左手が、溶けかけていた。皮膚に模造されたラバーは無残にも解かされ、何かの工業製品のような鋼鉄の指が、三本欠けている。残った指もあらぬ方向へ曲げられている。それは、無残に踏みにじられたひなぎくを連想させた。
 卓球は俺の視線に気づき、視線を手にやった。
「・・・ああ、まだこの部品が来てなかったから。すぐに換える。」
メフィストつながりのトラブルか? 言いかけて言葉を飲み込んだ。
「借り・・・二つ。」
「何べんも言わせないで。結構よ。それに、軽々しく『借り』って言葉は使うもんじゃないわ。」
 有無を言わせぬ口調で、久しぶりに外気を吸った小さな喫茶店の幕は閉じられた。昔の人は、それでもいい言葉を発明した。こういうときは、「ごきげんよう。また会う日まで。」と言うもんだ。

 梯子街・・・いわゆるこの町の中心部から、愛車ドゥカティで30分。「誘惑の残滓」通りに並ぶ、赤さびたトタン屋根とボートハウスと、そして毛細血管のように流れる小水路の中、「時計屋のような映画館」はすぐに見つかった。なぜなら、そこに不釣合いな、くすんだ白い時計塔は、嫌が応にも目立ったからだ。
 時計塔に近づくにつれて、俺と同類の「けだもの」くさいにおいがした。そして、犬と猫の鳴き声が耳に入ってくる。一階の前では、そもそも販売すること自体が違法なようなフリーマーケットをやっていた。その後ろにある時計塔の一階はペットショップらしい。
 およそトーベルマンに似つかわしくない緩んだ顔をした犬が店先に鎖につながれていた。平和そうにえさを食っていた。俺の姿を見ると吼えた。俺は足でえさを奴の手の届かないところへ押しやった。犬はさらに激しく吠え立てた。
 無視してペットショップに入った。入って右側の壁は、水槽。そして左側には、肉屋に売ってもいいような犬や猫が並んでいた。
奥のエレベーターに乗ろうとすると、主人が止めとけと言った。
「三階どころか、天国へ直通しているエレベーターある。ほっといても来る死期を早めるこたぁないあるね。」
 言いながら、カウンターの脇にある階段を指差した。いまどき語尾に「ある」をつけて話す奴がいたのかと感動すら覚えた。
 たった三階歩いただけと言うのに、息切れをしているような錯覚に襲われた。俺を改造した奴らの技術もたいしたことねぇ。ついでに朝っぱらからカミュの溺飲は止めよう。そしてタバコも。
 「チャイナ・タウン」というタイトルの映画のポスターが貼られた映画館の扉を開けると、中には空っぽのポップコーン販売機、色あせたパンフレットが並んでいるカウンター。そして、埃をかぶっているミニバーが見えた。誰も俺を迎えようという気はないらしかった。
 仕方ないんで、上映室らしき部屋に入った。誰もいなかったんで俺はしばらく座っていた。さしあたって映画を見ることしかない。よく分からない映画だったが、とりあえずろくでもない人間たちがろくでもないことを考えて、ろくでもない結末を迎えるということはよく分かった。その証拠に、ラストシーンは、くたばりかけたギャングたちは、金が無いからビーダマで賭けをしている。賭けの内容は、休業中、と書かれた板切れに弾丸を当てること。たわいないそのお遊びを、自分たちへの発砲と勘違いした警官たちは、彼らに発砲し始める。しかし、死に掛けのギャングたちはそんなことはお構いなしに、賭けに夢中になっていた。どう考えても、彼らが無傷でここから出て行くのは、悪魔の力でも借りないと無理な相談に見えた。
「ただ見はいかんな、ただ見は。」
そのとたん、世界が真っ白になった。爆発!? いや、違う。誰かが劇場の電気を最大に明るくしたんだ。正直、俺は仰天した。そりゃ、俺も油断していたのは認める。しかし、いくらなんでも、改造人間である俺の最大のチャームポイント、ウサ耳に鼓動の音も、足音も引っかからなかったのはどういうわけだ。しゃっくりが収まるように視界が色を戻していく。
映画館の入り口には、まるで映画館どころか世界を双肩に支えているような、長身の男が立っていた。卓球がくれた写真と顔が一致した。
「ただ見が嫌なら、エレベーターを直せ。あんな不当な肉体労働させられたんじゃ、ただ見のひとつや二つはしたくなる。」
「お前が今までただ見してきた奴の料金全部払ってくれるなら、考えてやる。・・・トヴァ・マシロってあんたのことか? 」
 仁王立ちになったまま、奴は聞いた。
「どうやら、そのようね。時計屋ってあんたのこと? 」
「そう呼ばれているのらしいのですな。・・・じゃ、早速あんたの腕を見せてもらおうか
ちょっと待ってろ。」
 猫が笑ったようなニヤニヤ笑いを浮かべて、奴は部屋の外へ出た。
 そして、スクリーンに映し出されたのは、電柱に突っ込んで前がぐしゃぐしゃになったトラックだった。そして、館内放送から時計屋の声が流れる。
「ま、よくある話なんだ。いきなり出てきた車よけ損なって、トラックがしゃーん。で、過失責任のつめを決めるために、運ちゃんと車のドライバー。両方から話聞きたい。」
「・・・そういう話ならさ、電話帳見たら、でかでかと保険屋の広告が載ってるぜ。世界公益保険保障公社・・・保障できねぇもんは神様だけ。ってやつ。」
「俺がその保険屋なの。」
 一瞬、あっけに取られた俺の表情を観察するように間が空いた。
「俺ァ。まぁ、バイト探偵だが、奴らとちょいとバッティングする機会があってな、それ以来、いつの間にか俺は臨時社員になってる。社員簿に名前はねぇがな。」
 卓球が面白い男だと評したわけが分かった。スプリングが軋む椅子から立ち上がった。少なくとも、館外でコークを買って戻ってくるつもりではなかった。
「そう来ると思った。さすが歩く核廃棄物トヴァ・マシロ。本物らしいな。」
「お前の前に偽者ですって現れる理由もねぇしな。ありがとう、楽しかったよ。」
「これから楽しくなるかもよ・・・。というか、警察から放り出されたて一人ぼっちの、さらに、てめぇみてぇなけつの青いガキがまじめに働かずうろうろしているのは、我慢ならねぇんだ。座れよ! トヴァ! 」
 その言葉はマーリンの魔法の言葉のように俺のケツを操った。こんな風に席に着くのは、行った事もない幼稚園以来だ。どうやら俺は、この男を好きになり始めたらしい。この町に流れ着いたどこの馬の骨ともしれない奴に、「ケツが青くて仕事もせずぶらぶらしてる」だけで青筋立てて怒るこの男を。
 時計屋の解説は続く。
 事故が発生したのは11月24日午前三時、誘惑の残滓通り12でその事故は起きた。一通のところを逆送してきたボルボを避けるために、件の軽トラは右へ急ハンドル。運転手にとっても壊れた電柱にとっても、それは不幸なこと。運転手が血だらけになったこと、および、あっという間に暗がりに消えたボルボのナンバーだけ血でしたためられたのが不幸中の幸いだった。
「つーわけで、このボルボを追ってくれ。元警察官ならば、楽なことだろ? お前の分の調査員のライセンスは、後から手に入れる。しばらく時間かかるだろうから、ぼちぼち調査を始めといてくれ。」
時計屋は言った。
「元警察官にとっては楽でも、目下無職のガキには難しいかもよ。」
俺は奴に背を向けて手をひらひらさせた後、重い劇場のドアを開いた。
見なくてもいい、後ろで時計屋が肩をすくめたのが分かった。そういうありきたりで分かりやすい奴なところが、奴の話を聞かせた原因かも知れねぇ。
 ペットショップを出たら、フリーマーケットの方がにぎやかだった。見ると中年のカバ臭い感じの男が俺のドゥカティに乗っていた。自分でも「カバ臭い」というのはどういうこったと思ったが、そうとしか形容しようのない男だった。慌てて張っ倒すと「これは売り物じゃないのか? 」と聞いた。またがるとバックミラーがなかった。それを持った男が近づいてきて「200イェンです。」と言ったので張っ押した。いっせいに近づいてくる物売りには、軍隊ありのような恐怖を感じた。俺は問答無用でアクセルを吹かした。クラッチペダルがないのに気づいたのは、バイクに乗って五分後だった。ついでにブレーキの部品が抜かれていると気づいた時には、迫り来るカーブを避けきれず、俺の体は海へ突っ込んでいた。

 行きはドゥカティで30分だったが、帰りは電車で一時間だった。
12月に寒中水泳をするのは馬鹿だと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。真冬の海水が毛穴から浸入したように、あちこちが冷たい痛みに襲われていた。特にペタンコになったウサ耳を見る駅員や乗客の視線が痛かった。ドゥカティは三回壊して、やっと一人前になれるそうだが、その前に俺の懐か体が壊れそうだった。
ひょっとしたら、もう来なかったかも知れないLN'P通りにたどり着いたときは、砂漠でオアシスを探す旅人がどんな気分かよく分かった。薄暗い地下アパートの出口に面した部屋のドアを開ける。水道もガスもない部屋だが、頼みの綱の電気も止められていた。しかし、もともと物置兼通路だったこの部屋のただに近い家賃は手放す気にはなれない。
さて、どうするか。しかし、その前に、何かやるべきことがあるんでは、と思った。何か重要で、真っ先にやるべきことが。しかし、渦を巻いた頭をいくらひっくり返しても、それは出そうになかった。仕方ないので、別のことを考えた。警察へ行って、件のボルボのナンバーを調べてもらうのが一番早い。しかし、入った早々警察が用意した一億を不意にしてしまった女としては、道を聞くのも気がとがめる。卓球に助けを求めるという手もあるが、軽々しく『借り』を作らない女に借りを作るのも変な話だ。迷った挙句に、俺はベットの一番下にあるアドレス帳を取り出し、ケータイにその番号を打ち込んだ。どうしてもっと早くこうしなかったんだと驚いた。
 二回目の呼び出し音で、まるで訓練された警察犬のように、彼が出た。
 俺だ。と言ったら、「マシロ先輩! 生きてたんですか!? 」という声がした。冗談でも皮肉でもなんでもなく、本気で俺を心配している声だった。奴の名は「ヤオ・イェンライ」。俺が警察にいた頃の唯一の「同士」らしい・・・。奴の言葉を借りれば。奴と初めて会った射撃場。「あ、同士だ」。今でもよく覚えている。それが奴の第一声。奴の目は俺の銃に釘付けになっていた。「うれしいなぁ、今時リヴォルヴァーを使っている人がいるなんて。」奴が取り出したのは、俺のM586より一世紀は流行から遅れているM10の3インチだった。
「・・・どこから掛けてるんです? 」
「地獄から。寂しくなったんで電話した。」
「みんな心配してますよ。帰ってきてくださいよ。」
「なーに、心配することぁねぇさ。心配事ってのぁ八割ぐらい、無視してもそんなには人生には影響はねぇ。」
 何か言いかけたのをさえぎって、俺はボルボのナンバーと、それについて調べてほしいことを手短に言った。
「連絡はこのケータイに頼む。ちょいと難しい話かも知れないが・・・。よろしく。」
「待って! 」
 奴は叫んだ。しかし、その後がいけなかった・・・しばらくもごもご言っていた。俺は、奴の言葉が出てくるまで、タバコに火をつけて待つことにする。
「・・・レディオ・クリオネと接触があったそうですね。先輩。すぐに出頭したほうがいいです。」
「・・・なんでー? 」
 タバコの火口が、まるで俺たちの会話に答えるように赤くなり、また、暗くなった。
「レディオ・クリオネってのは、海賊放送で・・・。その辺の、恋愛や友情を歌っている、聞いた後で何を歌ってたんだがさっぱり分からない歌でも流しておきゃ、問題はなかったんです。問題は、この町の政治家や弁護士やら、ま、高級官僚のスキャンダルばかり流してるんです。しかも、それをまるでクイズショーみたいにして公開してやがるんです。例えば、ある官僚がホモ・セクシャルなセックスをするためにラブホテルへ行った、というようなテープがあるとしましょう。『レディオ・クリオネ』は、こう言って放送するんです。『さぁ、悪意のないクイズだよ。先日手に入ったとっときのネタなんだけど、さぁ、今から流す放送が指し示してる奴は誰なのかにゃー? 分かった人、お電話ください。一千万円と引き換えにマスターテープを差し上げます。』ってね。そのスキャンダルを隠し撮りしたテープを流すんです。これでやられた人は、もう二、三人出ています。新しい奴は・・・そうですね。良識派のニュース・キャスターとして知られてたマイケル・ノッチ氏がいるでしょ。」
 その話は、俺もニュースで聞いていた。市民の正義を代表してメディアを武器に告発するマイケル・ノッチ。しかし、その大半が、実はノッチのやらせであるということが「匿名」の告発から分かり、あわててテレビ局はノッチの名前と偉業を葬り去ろうとしている。
「もちろん、警察もそんなわけで血眼になって捜してます。マシロ先輩が潔白だと、僕は信じてますが、警察は出頭しない限り先輩の潔白を信じてくれません。」
「俺が潔白な女かは、俺が決めるよ・・・。ありがとう。じゃ、車の件は頼む。」
ヤオは、まだ何か言いたそうだったが、やがて「気をつけて。」と言った。
「ああ、晩飯までには帰るさ。うまくいったら、キスしてやる。」
見てなくても分かる。電話の向こうでマオは赤くなった。「顔を赤らめるんじゃないよ。」と言ったら、「僕はそんな・・・。」とつぶやいた。俺は電話を切った。

 時刻はもう午後四時になろうとしていた。後は時が解決してくれる。レイ・チャールズも言っている。
 そして、冷たい水を浴びたせいだろうか、俺の鼻がいまさら効き始めた。そして、腐ったビールのような海の水のにおいが・・・。そのとたんひらめいた。俺が真っ先にやるべき、本質的に重要なことは、服を着替え、シャワーを浴びることだったんだ。つらつらいつも考えているんだが、俺は子どもの頃から頭はそうよくねぇ。もしも、もう少し頭がよかったら、今時テレビでも流行らねぇ悪の秘密結社に兎の改造人間になったりはしねぇ。
 俺の部屋を出て、共同シャワールームへ行く。これが「お湯」と言うなら、氷水でカップヌードルが作れるほど冷め切ったシャワーで身を洗い、パンツとタンクトップを着た。
再び、何の変哲もない自室へ戻る。ベッドに横たわり、耳を澄ます。改造人間の超聴覚を持つ兎の耳が、うちの地下アパートの出口で、見知った声がしゃべっているのが分かった。彼らは、イヴの晩もしらふで働かなければならない職種。サンタではなくて、刑事だった。こいつらは俺の行動があまりにも過激すぎることを批判していた割には、俺と一緒に絶対に行動にしないタイプの警察官だった。地獄のように気の抜けたハートランドを晩飯代わりに詰め込み、奴らに軽く挨拶してこようと思った。
 しかし、その時にケータイがなった。
 ディスプレイ番号を見た。俺の知らない番号だった。
 一瞬、電話に出るか迷った。しかし、人生において適切な選択が出来る人間なんているのだろうか。
 電話に出ると、おとといの毛も生えてねぇイブの闖入者の声がよみがえった。
「やっぴょー。元気してるかなヲヲっ? レディオ・クリオネだよ。この間は楽しい話をどうも・・・。」
「この電話に電話を掛けられる奴は、俺の雇い主だけだ。」
「おめでとう。無職から脱出できたんだ。よかったねー。来週からは無職は死刑になる法案が提出されるそうよ。あたしの脳内で。」
「そう、俺は仕事が出来たんで忙しい。じゃあね。」
「待って。これは個人的な電話よ。今放送は流していない。なんかさぁ、あんた。面白い人だね。あんな刺激的な答えくれるの、今までの放送であんただけだったYO! で、個人的なことだけと、あんたに会いたいなー、って。」
「俺はちっともあいたくねぇ。」
「どうして、あたしはあんたのケータイナンバーを知ってるのかにゃー? あんた、どうして警察を辞めたのかにゃー? その答えが知りたければ、あんたのうちの前のファミレス『カニスバーグ』へ。」
 俺はがばと立ち上がった。もう電話は切れていた。ハンガーに欠けられた皮のジャンパー。「秘密兵器」が服に入ってるのを確認して、部屋を飛び出す。
 
 イブのときとは段違いとはいえ、夕飯時のLN'P通りはほどほどに混雑していた。平等な夕日が人々の顔を朱色に染めていた。俺はあるときは人の流れに逆らい、あるときは人の流れに身を任せつつ、お目当てのカニスバーグに来た。
 カニスバーグの目の前には、分けの分からないがかろうじて食い物だと分かる程度には形をとどめている食料品を売っている屋台がある。清潔で高級な料理でも出して、屋台の客全員を引き込もうというハラだろ。パック詰めされ、レンジで暖める食事を料理と言えば、の話だが。
 レストランに飛び込む。何人様でしょうか、とそばかすが目立つ女の子を無視して、店内に飛び込む。あたりを見回す。しかし・・・子ども連れ、そして子どもだけで飯を食ってるのも多い。せめて「クリオネ」が何を食ってるか聞いておくべきだった。
 しかし、「目印」を指定しなかったのは向こうの落ち度だし、それに何か考えがあってやっていることなのかも知れねぇ。店内全席が見渡せる席に座る。先ほど無視したウェイトレスは、憤懣やるかたない表情で俺の前へ現れた・・・。
「ご注文は? 」
「ロマネコンティをボール一杯。」
ウェイトレスは水のしぶきが散るほど乱暴に水をおいた。
「かようなものはございませんが。」
「じゃあ、買ってこいよ。」
ウェイトレスは、明らかに怒りの表情を見せた。そして、向こうへ引っ込んだ。
その時、再びケータイがなった。
「・・・どもー、クリオネだよ。」
「今どこにいる? 」
「あんたはパスタ頼んだ? 」
・・・俺の注文が分からない・・・という事は・・・。
「お前、このレストランの中にいねぇな? 」
電話口の向こうで、手を叩く音が聞こえた。体全体を使って、純粋に敬意を表してるのが見えなくてもよく分かった。
「そ、思い出したの。その店のパスタは最悪。ねずみも食中毒起こす・・・。」
「てめぇとパスタ漫談やってる暇はねぇんだ。」
「きゃー、つれない。でもかっこいい。じゃ、パスタのうまい店紹介するわ。その店から南へ行くと、最初の交差点にバスタ専門店「パッショーネ」がある。ぺペロンチーノはまぁまぁだけと、ナポリタンはかなりいけてる。ゆっくり待ってるから、まー、食事を終わらせてからゆっくり来てよ。」
「あまりなめた真似をしてると、ぶち殺すぞ。」
「素敵っ! 殺すほどの愛をもらえるのね。よーいドンのピストルはないけど、まぁがんばってね。」
 ボウルに何か赤い液体を持ってきているウェイトレスを突き飛ばすと、俺は出口へ走る。

 結局、最後に来たのは、ふかひれのスープと言うより、海を流れている海月を適当にぶち込んだスープと名乗ったほうがいいようなふかひれのスープを出す店だった。
 俺は、一日分で使う走行距離をもうすでに使い果たしたような感じで席に座っていた。何べんも言うけど、俺を改造した奴らの技術もお里が知れている。
 そして、最後の電話がかかってきた。
「やっほー、マシロ。っと、マシロって呼んでいい? 」
「そんな名前は、俺の恋人にしか呼ばせねぇよ。だから俺を『マシロ』って呼ぶ奴は、この世にいねぇが。」
「じゃ、トヴァ・・・ってのは? 」
顔がこわばった。俺のフルネームまで、一回も顔合わせない奴が知っているという事実。しかも、俺はこいつの前では、偽名を使ったのだ。
「・・・マジで誰だてめぇ。」
「どうでもいいけど・・・つけられてるよー。」
俺は後ろを向いた。本当のプロは、「後ろなんぞ振り向かない」ものだろうが、俺はこの時点でプロ失格かもしれない。そして、向かいの屋台に座っている、地味な二人組みの男は、俺のよく見知っている顔・・・俺に付きっ切りで張っている刑事だった。
 俺はマジで後悔した。知らぬ仲じゃないんだから、せめて奴らに、挨拶はしとくべきだった。「おっさんおっさん。クリオネと名乗る女が、向こうの『マック』へ来てますよ。」って。
「・・・ゲームはこの辺でお終いにしよっか。あたしも十分楽しんだことだし・・・。」
俺は言う言葉がなかった。いや、しゃべれなかった。全神経を耳に集中する。
「だけど、すぐあなたには会えると思うわ。あたしもあなたに会いたいもの・・・」
「・・・ああ、まったくゲームは終わりだ! 」
俺は、後ろの席の奴の肩をつかんだ。電話の声は、そこからしていた。俺に「いたずら」を仕掛けるんだったら、俺のことをもっと知るべきだった。特に、「耳」について。
刑事が慌てて体を動かそうとしてるのが分かったが、どうでもよかった。
 そいつは少年だった。少なくとも十年は使いまわされているであろう、元の色がかろうじて赤だと分かるシャツ。脂ぎった赤い髪の毛の下で、緑色の瞳が追い詰められた子リスのようにくりくりしていた。クリオネについて、俺が想像していたのは、ティーンエイジに差し掛かった頃のメスガキだったのだが、神様も粋なことをしやがる。
「よぉ、クリオネがカマ野郎だったとは、思いもつかなかったぜ。まー、すぐに、男か女か分からないツラにしてやるがな。」
「ご、ごめんなさぃ! 僕、頼まれただけなんです! 」
「クリオネ」と似ても似つかない悲鳴だった。変声期に入ってない子どもの声だったが、こいつが少女の声と言うのなら、世の中年男性すべては女としてやっていける。こいつは、クリオネじゃねぇのか? 予想外の出来事に、しばらく、呆然とした。俺のこぶしは振り上げられたまま宙ぶらりんになった。
「・・・よく分からないけど、中年の男性に、頼まれて・・・。」
男、なのか? クリオネってのは男なのか? 完全に声を「作った」のか? いや、そうじゃなくて、「レディオ・クリオネ」というのは、複数の犯人で成り立ってるのだろうか?
奴は説明を続けた。
「いきなりそいつが来て、三万で仕事を頼まれてほしい・・・って言ったから・・・。指定された場所に行って、携帯を掛けてくれって。」
 そういって、奴はケータイを見せた。二つのケータイを上下あべこべにくっつけた。なるほど、一方のケータイAのマイクに、もう一方のケータイBのスピーカーを当てる。逆に、ケータイBのマイクは、ケータイAのスピーカーに当てる。
 この場に「クリオネ」がいなくても、このガキのケータイを通じて、声は送られる。
「お前の名前は? 」
 長居は無用らしかった。刑事たちはすでに立ち上がり、こっちへ向かってきている。目の前にぶら下がっている手がかりを、警察によってかっさわれるのは、なんとしても避けたい。
「チョロです。元の名前は何か知らないけど、みんなそう呼びます。」
「ケータイの番号は? 」
奴は手短に言った。俺は、秘密兵器の二つ、ペンとメモを取り出す。自分の連絡先をメモして渡した。「よし、行け。」と言った。
奴は不思議そうにこっちを見ていたが、「警察がこっちへ来ている。」と言ったら、慌てて後ずさりし、雑踏の中へ姿を消した。
 俺は、椅子に座りなおした。オヤジに老酒を注文し、ポケットの中のペルメルを取り出す。
 フィルターにかすかなタバコ葉の味が染み渡るまで、火をつけるのを待つ。
 今度は俺が肩を叩かれる番だった。そこには、くだらない野良犬みたいな顔を持つ二人の刑事がいた。
「おい! さっきお前と話していたのは・・・。」
「俺の愛人。息子。パパ。どれでもお好きに。」
俺はやる気無く答えた。
「トヴァ・・・お前、そんなに警察にお泊りしたいのか? 」
「俺があんただったら・・・。」
俺は大声を張り上げようとして、老酒が着たので止めた。
頭から湯気を立てている警官二人を前に、老酒を半分ほど飲み干す。
「・・・俺があんただったら、こんなくだらない会話なんぞせずに、さっさとあのガキ追ってるよ。かよわいガキと、一週間警察の拷問を受けて、それでもメフィストのネタを売らずに、俺が犯人だと言い続けた女、どっちが口が軽そうに見える? 」
警官はしばらく俺をにらみつけた。
「えへへへ。あたしってそんなにいい女? キスしてやろうか? そんでもって頭からかじってやろうか? 」
 これぞ、悪の怪人の特権。下品な脅し文句を口にする。
「クリオネのネタが入ったら、すぐに教えるんだぞ。」
 奴らは言い捨てて走り出した。
「メフィストのネタ、だろ。」
そして、俺はたっぷり三十分掛けて、老酒を楽しんだ。
飲み代はさっき来た二人組みにつけておいて、と言って、その場を去った。

 気がついたら、俺は時計屋の映画館にいた。
 しかも、不思議なことに、見ているのは映画ではなく、便器だった。便器にたまっている、およそこの世のものとは思えない、醜い見慣れたものを見て、俺はげろを吐いていたことを思い出した。
「頼むぜぇ。これから事故った相手先から、話を聞きだそうって時によ。」
状況証拠から割り出すと、結局、昨日の晩は一晩中飲み歩いていたらしい。わたしは自分の事を、明日仕事があるというのに、徹夜で飲み明かすような馬鹿でふしだらな女だとは信じたくは無いが。
「・・・わりぃ。レッド・アイ、作ってくんない? 」
「あれもアルコール入ってるじゃねーか。」
「じゃ、シュリッツを頼むわ。」
馬鹿いってねぇで、と言って時計屋が俺の体を便器から引き剥がした。
ほんとうに、衝撃を与える者たちの技術なんて、たいしたこと無い。
 それでも、賞味期限が切れたような缶コーヒーと、卵とにんにくとわさびとケチャップとソースをぶち込み、隠し味としてマムシ酒を一滴ぶち込んで薬缶で煮たチキンラーメンを平らげると、頭はそれなりにしゃんとして来た。
 時計屋のロンドンタクシーの後部座席に、油の切れた操り人形どころか、死体のように言うことを聞かない俺の体をぶち込みながら聞く。
「・・・今日はどちらへ行くんですか? 」
さすがタクシー。寝心地は最高だった。思わず横になると、窓からおそろしいほどの青空が広がった。
「てめぇに俺の仕事のやり方を教えとこうと思ってね。事故ったトラの運ちゃんの方から、話を聞きに行く。」
 時計屋が答えた。なるほどね。お手並み拝見と行きますか。空は相変わらず弩ピーカン。こういうときはタバコを吸うに限る。
「おい! 」時計屋が怒鳴った。あまりに声がでかいので驚いた。
「なんだよ。」大声は二日酔いの頭を遠慮なく揺さぶった。
「俺の車でタバコは吸うな! 」
あたりを見回す。確かに、車内には灰皿は無かった。タクシー失格だった。
仕方なく、俺はシートに積まれていた奴についての資料に目を通した。とりあえず犯罪歴はゼロってことは分かった。まぁ、まじめに育って、まじめに生きたらこんな小市民なるのか、それとも、それを装った今まで犯罪がひとつもばれていないサイコ野朗なのかは分からなかった。
 俺はすぐにそいつを放り出し、そして、車内でタバコを吸わないということは、どれくらい不幸せなことだろうと考え、そんなことを考えるぐらいなら、資料でも読んだほうがましかと思い直し、再び資料に目を通してると、車は到着した。
 まばらに、ボートの残骸だかなんだかがポツリポツリと放置してある堤防。規則正しく並んでいるのは、風力発電機をつけようとして放置された鉄柱ぐらいだ。それをどんどんあがっていったところに、事故った奴の家はあった。
 もともと狭いのに、そこを占拠している自由の女神のミニチュアレプリカ・・・二階建てバスぐらいの高さがあった・・・ますます狭く感じられる庭の向こうに、「女神」よりふた回り小さな二階建ての家があった。
 「俺が入る。ま、お前も一刻も早く、俺の爪楊枝ぐらいには役に立・・・。」
 言葉は最後まで続かなかった。俺の返事は、年季の入った357マグナムリヴォルヴァーだった。ラッチを押してシリンダーが金色の実包を抱え込んでいるのを確認すると、俺は一気に二階へ跳躍した。
 何か二人の男が騒いでいるのを聞きつけたら、これだ。男がナイフを刺されて死んでいた。自分で背中をさせるわけが無いから、もちろん今ガラスを破って飛び降りた奴に違いない。ツーマン・セルの基本は、一人が死体の検分。もう一人が犯人の追撃。そして、俺は年甲斐も無く花火をあげるのが大好きと来てるから、犯人を追うことにした。
 堤防に沿って、男が転ぶように掛けていくのが分かった。俺も飛び降りた・・・とたんに銃弾の嵐が俺を襲った。信じられねぇが奴の銃はMP7A3。5.7×30弾を使って、ボディアーマーだろうが車のドアだろうが、精密機械みたいに穴を開けられるマシンピストルだった。この島では、建前上はフルオートの銃は禁じられているし、もしも買えても中古もいいところのカラシニコフがいいところだ。
俺は手近のスクラップの車に身を潜めた。次の瞬間、俺の頭の上を熱い弾丸が走り抜けた。チンピラが手にいられるハンドガンじゃこうはいかない。銃撃戦になったら、真っ先に体勢を低くして車の陰に逃げ込め、というのが警察の鉄則だが、やはり奴らは当てにならない。と言うのは、あと10秒この車が持てばいいほうなほど、穴が開き始めているのだ。ドアにくっつけるようにM586を押し当て、引き金を引く。357マグナムでは理想の撃ちやすさを誇るリヴォルヴァーだが、時代はもう西部劇じゃなかった。反動で一瞬、筋を違えそうになる。三発撃ったところで、限界を感じて飛び出した。続けざまに残りの三発をぶち込むが、思いっきりはずれ、そして後ろで車が爆発する。頭から地面に突っ込みそうになるのを片手で防ぎ、一回転しながら銃の薬莢を抜く。俺の肌に焼けた金色の真鍮が当たった。いい加減、下手なんだから、六発しか入らない銃は止めよう。そう思いつつも今まで変えてこなかったのは、俺の99の謎のひとつだった。
 もうとっくの昔にさび付いているんじゃないかと思うくらい古い自販機の後ろに飛び込んで、ロッダーにくわえ込んだ六発を再装填する。これで最後の1ラウンドだ。
 そのとたん、何かが足を引っ張った。見ると、信じられないものがそこにあった。野犬用のトラバサミが俺の足を食っている。血がにじんでいた。ぎゃあと間抜けな声を上げたが、そんなに痛くは無い。さび付いていたので、ばねがいかれていた。ついでに、俺の頑丈さが並外れていたのも幸いしていた。このときばかりは、俺を改造した白衣の悪魔に親指を立てたくなった。
 俺は、耳を澄ましたが、聞こえてくるのはもはや終えないところまで遠ざかり消えていく車の音だけ・・・。あまりにもむかついたので、ペルメルに火をつけることにした。
 
 傷む足を引きずりつつ、家の玄関の前へ回ってみると、今度は時計屋が玄関の庭の木で足を引っ掛けられロープで宙吊りになっていた。
「・・・新手の中国式健康法か? 」
ロープは自由の女神の腕に回されている。
「そんなわけねぇだろ! 俺だってよく分かんねぇよ。何とかして下せよ。」
俺は、銃の弾丸を確かめた。時計屋の表情が凍りついた。
銃口が、立て続けに六発火を噴き、時計屋はぶら下がったままだった。暴れたのが効を奏したのか、いきなり女神の手の部分が折れた。落っこちてきた時計屋の頭に、危うく手が落ちてきたのを慌てて転がって避けた。
 時計屋は荒い息の中で、それでも怒鳴るのを忘れなかった。
「馬鹿! てめぇは身内に平気で銃を向けるのか。」
「ロープを狙ったつもりだが、あんたの腹、狙って欲しかった? 」
 俺はM586をスピンさせてベルトに突っ込んだ。「西部劇時代ならともかく、現在ではガンスピンなぞ危険極まりないだけだから止めろ。」警官時代、あるいは秘密結社の工作員時代に散々聞かされたのだが、少なくとも、俺の銃の師匠は機嫌のいいときはガンスピンをしていた。
「死ねよ。このクソ野朗・・・。しかし・・・この屋敷がこんなしゃれたトラップを仕掛けてあるたぁ、気づかなかったぜ。」
「それについては同感。まさか、この家の人間がやったわけじゃあるまいし・・・。」
しかし、その言葉はすぐに裏切られることになる。無断で押し入った奴の部屋に、「トラップの作り方」系の本が転がっていたのに加え、日記ではっきりと名言していたからだ。
 死体の方へ向かった。部屋は二人が争ったように荒れていた。改めて死体は背中を、果物ナイフで刺されていることを認識した。つまり、それ以外のことは、さっぱりと分からないということだった。早い話、誰かに殺されたであろうことは分かった。ついでに、誰が殺したかはさっぱり分からなかったということもよく分かった。
「日記帳にも、それらしいことは書いてねぇしな・・・。」
手早く現場写真をミニカメラで撮りながら、時計屋は答えた。
引きだしをかき回し、アドレス帳を見つける。ぱらぱらとめくってみる。この中にこいつをやった犯人にたどり着くあたりくじはあるのだろうか。
「おい! 」時計屋がアドレス帳を引ったくり、ページを写し始める。
俺は黙ったまま、家から出た。

 犯人がマシンガンをぶっ放したところへ行くと、薬莢が残っていた。俺はハンカチを出すと、薬莢の一つを丁寧に包んでポッケにナイナイした。
 時計屋のロンドンタクシーが滑り込んできた。何をしていると聞かれたので、散らばった空薬莢を示す。
「・・・なるほどね。銃の指紋。ライフル・マークを調べるって訳だ。」
「まさか、昼飯代わりに食べようと思ってね。」
「食えねぇ女だぜ。」
後部座席に乗り込むと同時に、車はスタートした。海沿いの道を回って、大きく迂回しながら梯子通りへ向かう。飯を食おうという寸法だった。改造人間でも飯を食うのか、と時計屋は驚いた。神様だって、昼飯は食うだろ。
 時計屋は笑った。ニヒルに笑っているつもりだろうが、口の端を歪めて、あまりきれいとはいえない歯をにゅっと出して笑う。
「その笑い方、止めたほうがいいって。」
「じゃあお前もそのウサ耳カチューシャは止せ。」
 お互いにため息をついた後、時計屋が切り出した。
「・・・悪ぃが、降りるぞ。クライアントがあんなことになっちまったら、後は警察の出番だぜ。保険屋の出る幕じゃねぇだろう。」
 俺は反抗の意をタバコに火をつけることによって表現した。肺に心地よい刺激が広がるまで待って言った。
「俺は、昼飯を食ったら、この薬莢を当たってみる。警察に行って、ボルボのナンバーを調べてみるのも面白いかもしれない。」
 時計屋に薬莢を見せた。
「MP7A3・・・軍用じゃねぇか。」
「面白くなってきただろ? 」
時計屋は、ドラ猫がうなるような声を上げた。俺のことを馬鹿と抜かした。
「ただでさえ厄介なのに、軍が絡んでるとなりゃ、下手打つと拝見料に命を差し出さなきゃならねぇ物見遊山になる。そりゃ俺だって不本意だ。そりゃ認める。だけど、少なくとももうこれで、文句を言ってくる奴はいなくなった。こんな風にして世の中は・・・少なくとも海の家は回ってるんだ。トヴァ。止めろ。」
「もういいや。車止めろ。」
 車が路肩に停止する。俺はとっとと車を降りた。別れざまにこう言った。
「少なくとも、奴らは俺に向けて撃ってきた。で、今頃それを忘れてのうのうと昼飯を食ってるかもしれねぇ。もらった報酬で女を抱いてっかもしれねぇ。けど、何べんも言うけど、奴らが撃ちやがったのは、『俺』なんだ。神様はみんなに対して平等だっていうが、俺は奴らの鼻を血反吐まみれの路上へ突っ込ませてやらねぇと、気がすまねぇ。それが俺の平等なんでね。」
 それだけ言うと、俺は踵を返し、歩き出した。後ろで時計屋の呼び止める声がした。そういう分かりやすいところは大好きだけど、分かり安すぎるのは大嫌いだった。

 それが捜査の話でもそうで無くても、ツーマン・セルは重要なことだ。もう一人相棒がいれば、俺が非常時以外絶対にくわねぇとひそかに誓いを立てているマックをおごらせることも出来る。わざわざ電車とバスを乗り継がなくても、我が家まで車を使って送ってくれる。自分の見栄っ張りな性格に後悔しながら、ヤサのドアを開ける。
 ベッドの下からからハートランドの瓶を取り出すと、歯で栓を開ける。改造人間で本当によかった。腐ったようにあわ立つハートランドを喉に流し込む。そのままベッドへ倒れこんだ。その後、再びベッドから携帯用ガスコンロとフライパンと、防毒マスクを取り出す。
 その後、地下二階へつながる階段の一歩手前の「共同調理室」に入る。アパートの住民が、ここで料理を作って食べるって分けだ。
 壁を見ると、「トヴァ。次は今度こそ掃除しろ! 」「勝手にものを食べるな。特にトヴァ! 」と書かれた紙が二つほど張ってある。俺は、相変わらず俺が人気ものなことに満足した。
 冷蔵庫の中を見る。名前の書かれた食材がより取り見取りで並んでいたが、その中から「ウサ耳」のサインをつけたパスタソースの真空パック、麺を取り出して自室へ戻る。
 調理室で作る奴もいるけど、やはり自分の部屋で作ると味が違う。それに、調理室のガスコンロはガスが出なかったり爆発したりするのだった。
 防毒面をつけて、フライパンに向き合うこと3分。それなりに食えるパスタが出来た。やはりパスタはいい。麺も材料もレトルトなら長持ちするし、何より手間がかからない。
 それをやはり3分でもふもふと平らげ、ぶっ倒れると電話がかかってきた。
 ケータイって奴は、得てしてかかる相手先の都合を考えないでかかってくるが。しかし、この相手は違った。6:30ジャスト。俺がもっとも「電話に出てもいい」と思う時間帯。これより後でも先でも、俺は電話に出る気をなくす。そして、こんな気の利いた真似の出来るのは、俺の知る限り一人だった。
「失礼します。今大丈夫ですか? トヴァ先輩。」
「マジ大丈夫。ありがとうよ。」
思ったとおり、ヤオだった。相手の都合を考えずに強制的に電話に出させるケータイの使い手が多い中、ヤオのような奴には拍手を送りたい。
「ボルボなんですけど、あれは盗難車ですね。見つかった持ち主はスクラップになった車を見てかんかんになってます。盗んだ奴は、レンジィ=モノストーン。身長180センチ。がっしりとした体つき。顔つきは精悍な角ばった感じ。写真は先輩の好きな方法で渡します。先輩もそろそろ、眼球端末とは言いませんが、パソコン、いやせめてファックス買いましょうよ。」
「パソコンはあるけど、電話線止められてる。」
「ケータイがあれば、つながりますよ。」
「じゃあ、ケータイで十分だろ。他には? 」
しばらく、向こうで声が詰まった。何か迷っているのか? 
こっちが声を掛けようと思ったとき、向こうもしゃべりだした。
「ただ・・・。これが厄介でして・・・。」
「どう厄介なんだ? 」
「その・・・。」
「おい、俺と付き合うなら、そんな奥歯に青酸カリが詰まったようなしゃべり方は止めろ。何度も言ってるだろ? 」
 その一言が引き金になり、やっと奴は喋る気になった。
「タカ派で有名な、スズムラ・J・カーティス。知ってるでしょ、先輩。」
「さてね。連続ン年当選している人気政治家で、十年前に警察の対テロ組織、『レギオン』を導入した立て役者としか知らねぇ。」
「そこまで知ってれば、立派なもんです。じゃあ、アクアリウム号事件は知ってますか? 」
「まぁ、それなりに・・・。」
「じゃ、それが、今、どんな展開を迎えてるか、知ってますか? 」
 俺は、しばらく黙った。これは「レギオン」導入一歩手前の時に起きたテロ事件だった。議員どもががクリスマスパーティを開いていた豪華客船に、大砲がぶち込まれたのだ。命からがら逃げだしたカーティスは、すぐさま対テロ部隊、レギオンを作って、馬鹿テロ組織をシメた。って話だ・・・。しかし・・・。
「待って? 悪党は退治されて、終わりじゃないの? 」
向こうで、しばらくもごもご言う声が聞こえた。
「なんだよ、はっきり言えよ。」
「いえ、事件には関係ないことです。」
「お前ね。俺を愛してる? 」
 向こうの時を止めてしまった。奴は激しく咳き込みながら答えた。
「な・・・なにを・・・言い出すんですか? そかなことは、こげと関係なかとでし・・・。」
「愛してるんだったら、俺に対してまだるっこしい言い方はよせ。」
 向こうの咳き込みが終わっても、しばらく荒い息が続く。それは、ただ単に息が苦しいいがいにも、何か言いにくいことが胸と喉をふさいでる沈黙だった。だけど、どうせ言うのは早いほうがいいと悟ったのだろうか、マオは続けた。
「やっぱり、先輩は、この島にとってはまだ『お客さん』と言うことですよ。実はその事件、ほんの少しばかり先があったんです。」
「俺は知らなかったぞ。自信なくすなぁ。結構この島で、名を売る努力は重ねてきたんだぜ。」
「努力の方向が、明らかに間違ってます・・・。ええ、言いたくは無いですが、ただ、ならず者の頭を上からはっ倒しているだけじゃ、先輩はお客さんです。やっぱり、土下座して、それでも足りなくて、内蔵を売るなんて経験をしなきゃ、永遠に先輩はお客さんです・・・。まぁ、僕も『お客さん』なんでしょうが。」
 それについて、意見の相違は多々あったが、それを口に出す間は無かった。深呼吸すると、マオの説明が始まった。
「一から解説しますと・・・。確かに、物理的にも政治的にも、ニホンをはじめとするアジアの大国連中が、この島を消したがってるのは確かです。ただ、それと同じくらいにこの町が必要なのはわかりますよね。ほら、上水道があれば、下水道もある。あんな感じです。」
「そりゃ分かるけど・・・。」
「だから、この島は危ういバランスで保たれてるんです。しかし、この町の政治家で、まともにこの島のことを考えている奴はいなかったんです。みんなこの島で、せこく小銭を稼ぐか夢中で、それで議員たちの歩調はばらばらで、とてもじゃないけど、対テロ方策などに興味を示す人はいなかった。とくに『この島を守る』という目的のためには。」
「そいつらは政治家じゃない。政治業者というんだ。」
俺は、そいつらの世界にはさっぱり興味はない。加えてそんなことにも口を出せるような女でもないと分かっているつもりだ。しかし、自分が政治業者だと気づいていない「政治家」に対しては、やはり腹の中にどす黒いものを感じる。
「しかし、カーティスは違った。はっきりと『この町を守る』という方針を打ちたて、いかにわれわれの平和が危ういバランスの上に成り立っているかわかりやすく話し、そして、どこからか『レギオン』っていう改造人間製作プロジェクトを打ち上げた。後は引き金が必要だった。」
「で、引き金が『アクアリウム号事件』だったわけか。」
「その通りです。事件の起こった日は、クリスマス・イブだった。議員を集めて、一年間の慰労をするパーティが、豪華客船『アクアリウム』で行われた。僕は政治家と警察に休日はないと信じてますが、奴らはクリスマスには高級なキャビアと、ドンペリと、目の覚めるような美女がいないとクリスマスだと思えない連中なんです。で、そこで事件が起きた。パーティの真っ最中、アクアリウム号が謎の砲撃を受けた。しかも連続して。アクアリウム号は撃沈され、生き残った人は数人だった。」
「全員地獄でクリスマス・パーティやりゃよかったのにな。悪魔なんてイブにはたぶん暇だろうぜ。」
「で、その数人のうちに、カーティスがいた。」
「へぇ、だけど、カーティス、よく助かったな。」
「何でも、運よくトイレに居たんだそうです。爆破事故が起きたとき、一番助かる可能性があるのは、四方が壁に囲まれてるトイレなんです。爆発後はもう、わき目も振らず一心不乱に救命ボートへ走ったんだそうです。で、その後、復讐に燃えたカーティスは、あっという間に対テロ法案および対テロ部隊『レギオン』を結成。犯人テログループ『ワッツーシゾンビ』を殲滅した・・・はずなんですけど。」
「けど、何? 」
「・・・テログループに生き残りがいたかも知れないんです。その容疑者が、レンジィなんです。」
 俺はしばらく考えた。警察という家業は、とにかく思いついた100の疑問を実際に行動に移し、たとえその考えがマルクス兄弟でも思いつかない変態的なギャグでも、追いかけて、結果的に一つ正解が出れば給料が出る課業らしい。しかし、本当にレンジィがテログループの一味なのかは、かは、よくわからねぇ。
「・・・レンジィに会いたいけど・・・居場所分かってたら苦労はしねぇ、って話なんだろうな。」
「そうです。先輩。目下警察も目の色を変えて捜査してる最中です。だから、先輩も・・・無茶は・・・無茶は止めてください。」
 最後の方は、ほとんどお願いに近かった。そして、それが、デスクワーク一点張りの奴と、とにかく現場で誰か血だるまにしないと気がすまない俺をつなぐ線かも知れなかった。
「ありがとう。気をつけるよ。」
「だからっ、先輩も・・・。」
俺はしばらく黙った。今回はタバコはつけなかった。
「もしよければ、捜査なんて止めて・・・ぼ。僕と、コンサートでも。」
奴が予想外の答えを言ったので、それを理解するのはしばらく時間がかかった。
「ティナ・オペラハウスで、ロッキーホラーショーをやるんで・・・それで・・・。」
「いい提案だが・・・今は忙しい。ちょっと・・・渡すもんがある。」
なるべく無表情に言ったつもりだったが・・・。奴が落胆したのは、奴の声が一オクターブ下がったのを見ても明らかだった。
「じゃ、明後日、7:00に、ヤコブの梯子前のマックで。」
「おい、薬莢を調べてもらいたいだけだぜ。それに、俺はマックは嫌いだ。」
「その後で、とりあえずうまいパスタを食べさせる店へ移動する、ってのはどうです。」
 ホラーショーの借りもある。俺はその話に乗らざるを得なかった。
 それから、しばらく横になって、仮眠を取った。最近夢を見ていねぇななどと夢の中でつくづく思った。おきてみると、11時ぐらいになっていた。終電ぎりぎりの路面電車に乗り、「誘惑の残滓」どおりへ向かった。

 1月のクソ寒いのに外へ出歩くもんじゃねぇ。この島には夜がないんだぞといわんばかりに、にぎやかな連中が町にはあふれかえっていたが、町の中心部を離れると、さすがに正月気分で歩いている奴も少なくなり、それがかえって寒々とした情景をかもし出した。時計屋の住む時計塔は、まるでこの島を代表して、月に向かって文句を言っている怪獣みたいに見えた。
 ペットショップの犬は、もう番犬としての役目をすっかり放棄することに決めたらしい。俺の姿を見ても軽く鼻を鳴らすことしかしなかった。裏のガレージに回る。というか、犬小屋の横にクリスマス・ツリーを立てっぱなしにした奴は死刑ね。シャッターに手を当てると、背筋も引きちぎれよとばかりシャッターをこじ開けた。
 時計屋のロンドンタクシーに近づく。こぶしを固める、獣化した拳が毛に包まれ、俺が改造人間であるという証拠を示す。そして、ガラスを壊そうとした。
「・・・勘弁しろ。年代ものだ。てめぇの命より高いんだ。」
ガレージ向こうのドアが開いて、やわらかい電球の光が差し込んできた。その向こうから時計屋が姿を現した。ナイトキャップにガウン。お休みのところ悪いね。
「人の命って、何よりも重いんじゃなかったっけ。」
多少冗談めかして答えた。
「そんなことを信じているのは、サンタだけだ。だけど、サンタもそろそろ気付き始めてる。俺はてめぇの命の恩人だぜ。」
いいながら、時計屋はガウンからスイッチを取り出した。
「窓を破った瞬間に、大爆発するようになっている。いつから車泥棒に転職したんだ? 」
「本当は、車ごとドロンして、あんたの前から姿を消すつもりだったんだけどね・・・。」
 時計屋は、ポケットからタバコを取り出し、吸い始める。セブンスターらしかった。
「捜査には車が要る・・・って分けか。例のヤマを追うって分けか・・・。」
「で、あんたに直接キーを貸せって言っても、やばすぎるヤマには手を出すなって断られるに決まってるから、非常手段を取ったんだが・・・。さぁ、キーをよこしなよ。今からやることは俺が勝手にやったことで、通りすがりの発見者のあんたには関係ねぇ話だろ。迷惑はかけねぇよ。」
「お前が、俺の映画をただ見したときから、迷惑は掛けられっぱなしだよ・・・。車は貸せん。代わりにこいつを貸してやる。」
 奴がかぎの先で示したのは、ヤマハ・トレール250。
 1968年代に発売されたときは、オフロードのパイオニアとして名を売りまくっていたもんだが、原付でもオフロードが出ている今、まともに走れるかは疑問だった。
「動くのか? これ。」
「熱い血と根性さえあれば。とりあえず、エンジンは付いている。」
ギアをニュートラルにいれ、アクセルを吹かしている。最初の方は、ごほごほと咳き込むようにエンジンが回ったのだが、その後はそう目立ったトラブルはなさそうだった。
 俺はにやりと笑った。「気に入ったぜ。」
 時計屋は、目を丸くしてつぶやいた「ほんとに動いた。」
 そして、チェシャ猫のように、にいっと笑った。
「このバイクが動いた、ってことは、お前とうまくやれるかもしれない。そもそも、お前と会ったときにかかっていた映画から、ゲンがよかったのかもしれねぇ。あの映画のタイトル、知ってっか? 」
 知らない、俺は答えた。
「『狼は天使の匂い』って言うんだ。」
「それが? 」
 時計屋は、無知な子どもを諭す大学教授のゼスチャーで言った。
「原作は『兎は野をかける』って言うんだ。」

その次の日は、例のガイシャを中心として聞き込みに回ったが、本当に何も出てこなかった。その次の日にマオと会った。渡すべきものを渡し、もらうべきものをもらった。
その次の日には、マオが送ってきた写真を持って情報屋に聞き込む日々が続いた。情報屋たちの意見は、明快だった「そんな奴は知らない。」か「そんな男は、この町じゃいくらでも転がっている。」どっちか二つしか喋らなかった。
 しかし、七日目に、有益な情報を得ることが出来た。それは、レンジィではなく、カーティスの情報だった。俺は時計屋に電話をした。
「・・・これから、ちょいとばかり御者通り七番街の『Kiss Kiss bang bang』に行ってくる・・・。」
「俺はてめぇの??じゃねぇ。かまってほしいのか? なら素直にそう言え。」
「・・・カーティスに会ってくる。」
「おい、待て、トヴァ。」
「俺はあんたの??じゃねぇ。」
 御者通り七番街の『Kiss Kiss bang bang』よく知らないのだが、どこぞの映画監督が言った名言を冠した娼婦館。通りをはさんだ目の前には、スクラップとそう大差ないテントが設置されていた。そして、「通学路に淫売は不要」「淫売はこの町から出ていけ」と書いてあった。なに、結局このテントを張っている奴も件の店と大差ない。ついこの間まで、ここは地区長がでかい面をしていた。そこへ呑竜が、『Kiss Kiss bang bang』を切り込み隊長としてでかい面をしようとした。地区長は怒り来るって、無理に学校を設置。それを出しにして、呑竜を追っ払おうとしている。それだけのことだった。
で、カーティスは、毎月25日ここへ来る。というのが件の情報だった。善良な市民なら、新たに作られた学校の視察、という動機を考えるだろうが、俺もサンタも、そんなに純粋な奴ではなかった。
 『Kiss Kiss bang bang』の隣にある雑貨屋で、ありったけのクリスマスと新年祭の売れ残りの花火を買った。スピリタスは無いかと聞いたら、奇跡的に一本残っていた。新年のパーティにゃ、遅すぎる、とオヤジは言った。いや、新年は寝て過ごしたモンで、せめてこれからパーティをやるのさ。と答えた。最後に、その雑貨屋と、『Kiss Kiss bang bang』の電話番号を聞いた。その足ですぐに、雑貨屋の裏手に回った。俺は一本タバコを吸い、花火をぶちまけ、スピリタスを念入りにコーティングした。そのころには、タバコはほとんど半分まで燃えていた。タバコをそこへぶち込むと、よく燃えた。俺は雑貨屋と『Kiss Kiss bang bang』に電話した。「お宅の裏で、放火と・・・そうだね。今発砲騒ぎが起きてる。」

 『Kiss Kiss bang bang』の中から、ショットガンを持った奴らが何人かが飛び出してきたのを確認して、俺は中に入った。建物の中も、この騒ぎで俺に気を払うものはいなかった。楽屋らしきところへ入った。がらんとしていた。特に、スリットの長いチャイナドレス風の衣装を探す。あいにくと、胸を覆う部分とスカート部分がセパレートになっている奴しかなかった。ピンクの服はそんなに好きではないが、仕方なくそれを着た。ついでに、顔の上半分が隠れる仮面があったので、被った。
 すれ違う猫耳の女の一人を捕まえて、「カーティスが呼んでるんだけど。」と言ったら、心ここにあらずと言った雰囲気で、彼の部屋番号を教えてくれた。
 三階のVIPルームに、果たして奴はいた。そして、もう一つ、出来れば会いたくないものに出会ってしまった。そいつは、俺より頭一つくらい背が低い少女。まるで、何かそこに悲しい秘密が隠されているようにたれている髪で隠されている右目。対照的に、日本刀のような美しさと鋭さを誇る左目。華奢のように見えるが、いったん非常時になると、完璧な死を運ぶ自動人形になる体。
ほんの少しだけ、昔のことを思い出した。

 ・・・もうここには無い、過去だったころの話。俺は、ほんのしばらくの間、世界に恐怖をとどろかせていた秘密結社「衝撃を与えるものたち」に入っていたことがある。その少女は、俺の上司で、「カーネル」と名乗った。空っぽな肉体を埋めるように狂ったように戦いに明け暮れ、しかし残るものは、たまらないむなしさだけというあり地獄にいた俺の心を、ほんの少しだけ楽にしてくれた。それは、結局彼女が「世界を変える」という大儀のためではなく、「義父への復讐」というきわめて個人的な動機で動いていたからかもしれない。結局、俺たちはどこか似ていたのかもしれない。それが俺の心を、ほんの少しだけ救ってくれたのかもしれない。悪いことに、目の前の少女は、カーネルに似ていた。
 
しかし、回想は彼女の言葉で破られた。
「発砲事件があったようですね?  どこで? 」
 失望した。俺の元上司なら、そんな間抜けな質問をしない。この場にいて、主を・・・カーティスを守ることに全力を尽くすだろう。よく見ると、髪の毛は漆黒だったし、大体こいつには「白目」というものが無かった。改造人間と普通の人間を見分けるためだ。こいつは「カーネル」なんかじゃない。警察にいたとき、「対テロ用の秘密兵器」と言うことで、数回お目にかかったが、こいつは「レギオン」というカーネルのパチものもいいところのデッドコピーだった。大体、カーネルはバッタを元にした改造人間だが、こいつはスズメバチだ。しかし、この姿と雰囲気。見るたびに心の中の大切な何かをいじられたような気がする。
「発砲事件はガセ。ただ放火は本当らしい。犯人は女」
 掛け値なしの本物の情報を教えてやると、レギオンはすっ飛んでいった。改めて、カーネルはどこにもいないんだということを悟った。カーネルなら、間髪いれずに尋問に移る。「どうしてそんなことを知っているんだ? 」って。
 廊下の曲がり角に消えていく彼女の後姿をしばらく見送った。しかし、馬鹿みたいに突っ立ってるだけで、事件が解決するなら、とっくの昔にやっていた。
 俺はカーティスがいる部屋のドアを開けた。
 俺の部屋とは比較にならない、やわらかさと暖かさにターボチャージャーをかけているような豪華なベッドの上に、メディアでおなじみの初老の男がいた。わしのように鋭い目と、野生の馬のように精悍な面構え。政治家を止めても、俳優として十分食っていけるだろう。ありきたりな比喩ですんでしまう彼のスマイルは、今時の視聴者に刺激が強すぎもせず弱すぎもせず、味気ない好印象を与えるだろう。
俺は、わざとらしく、髪の毛をかきあげながら言った。
「あんたがスズムラ・J・カーティス? 」
男の顔に、好色な色が浮かんだ。それでも、それなりに様になっているところが、この男の政治生命をつないでいるのかも知れなかった。
 俺は奴に抱きついた。奴の心拍数が上がった。奴の体が硬くなった。俺は耳をなめた。奴の息が荒くなった。奴が俺の胸に顔をうずめるのを許した・・・。初めて男に抱かれたのは、7歳だった。医者風に言うなら、生きていくために、それは毎日のジョギングのように欠かせなかった。いつも思うのだが、男が女の胸に顔をうずめることは、女にある種の征服感をもたらすのは間違いない。
 愛してるわ・・・。だから、あんたとレンジィの関係について、教えて?
そのとたん、奴は俺を拒絶した。俺を軽く振り払って、貴様誰だ? と聞いた。
 俺は、心の中にあるありったけのやさしさとまがまがしさを集め、笑みを作った。彼の混乱した心を、ロマネコンティでも楽しむように、俺は唇を重ねた。まるで、相手のすべてを吸い取ってやるような快楽が舌と同時に絡み合った。気持ちいい粘液が粘る音がする。そして、口の中に広がる血の味。
 この手のことは、理屈抜きに気持ちがいい。俺は、奴の顔から唇をゆっくり離した。奴の唇、そして俺の唇から、たらたらと血が流れた。俺の歯で、奴の舌の先を噛み切ってやった。陳腐な三流ホラーの演出なんだが、それでも効果は大きかった。奴は、まるで毒でも飲まされたようによろよろとベッドから転げ落ちた。
 心のそこから、淫らな笑みが浮かんだ。逃がさない。俺は得物を追う猫のように、彼の上に体を重ね、そして、股間に手を伸ばした。
「あたし、口でするのが大好きなんだけど・・・。」
股間にじわじわと顔をうずめながら言った。
「あんたがレンジィのことを喋ってくれないんなら、思いっきり歯を立てちゃうかも・・・。」
 奴は、どぶ川が崩壊したような悲鳴を飲み込んだ。何かの病気のように、奴の体がひっきりなしに震え始めた。
「・・・や・・・奴は・・・」
しかし、聞きだす必要は無いようだった。

すさまじい音とともに、壁が吹っ飛んだ。高そうな金無垢のインターフォンやらスタンドが散らばった。勢いを殺さないそいつは、俺を思いっきり天井へ投げ上げた。
天地が一瞬、ひっくり返った。そして、俺は床に顔を叩きつける羽目になった。
アバラが軋む音がはっきりと聞こえた。しばらく息が出来なかった。口から、げろかよだれか分からないものが出続けていて、信じられないことに、それは血反吐だった。痛みはいまさらのように胸を襲った。血反吐を吐いていたのは俺の口だった。
少々ぼやける視界に飛び込んできたのは、鎧を着けた侍・・・違う。鎧って奴は、あんなに生々しくねぇし、動くときにあんなに静かなモンじゃないし、額から何か生えてねえ。そう、そいつはヘラクレスがカブトムシになったような、怪人。俺様と同類項だった。
奴は、まるで何かの儀式のように厳かにカーティスの方を向き直った。カーティスは、蛇ににらまれたかえるのように、身動き一つ出来なかった。明らかにカブトムシの怪人の殺気は、カーティスに向いていた。
「・・・ルームサービスでも、ノックぐらいはするもんだぜ。」
 俺の足が震えたのは、ただ肉体的なダメージだけだろうか。恐怖を振り払うすべは、軽口を叩き続けることしか知らなかった。俺は、ゆっくりと、まるでライオンが威嚇するように体全体の筋肉に力を入れた。完全に流行おくれのウサ耳が立ち上がり、手と足にケダモノの爪と毛が生え、筋肉と骨が戦うために鋼鉄になっていく。えらくかっこいいことを言っている。俺は改造ベースが兎の改造人間なのに。
「レディの前で黒光りするんじゃねぇよ。屠殺してやろうか? あぁ? 」
あるバイオリニストが言っていたが、商売道具は手放すもんじゃねぇ。潜入捜査ということで、Lフレームの357マグナムリヴォルヴァーなどというかさばる得物は持ってこなかった。つくづく後悔しながら俺は立ち上がった。スケートを履かされているように、足元がおぼつかなかった。奴は黙っていた。まだ、奴が「うるせぇよ、このスベタ。」とでも言ってくれたほうがましだった。交渉の余地は無かった。俺の乏しい経験では、何も答えない奴は、たいてい相手を殺すことを決意していることが多かった。表情が見えない、昆虫の奥のマスクで、奴が笑ったように思えた。
 次の瞬間、奴は突っ込んできた。俺は横に倒れた。倒れるので精一杯だった。しかし、怒りが、俺の暗黒に落ちかけていく意識を再起動した。手を地面につく、と同時に、俺の足は鞭となって、奴の顔面を襲った。このために、わざわざ深いスリットが入ったチャイナドレスを選んだ。
 フェイス・ガードのような生体装甲が砕ける音がした。俺はブレイク・ダンスの要領で、奴の足をすくった。奴は倒れた。俺は手の力で空中に飛んで、一回転。踵を奴の腹にぶち込んだ。そのとたん、激痛が俺の足に走った。みり、という音がはっきり聞こえたようだった。ダメージを受けたのは、俺の足の方だった。か、硬いッ。硬すぎる。
 俺は足に気をとられた。足の方へ体と手を回して、引っ込めようとした。時すでに遅かった。奴は俺の体を角ですくい上げた。何かが砕ける音がした。
 まるで、肺の中の空気がマグマになったように、俺は血反吐を吐いた。がふっ、とか、げふっという言葉が、まるで別人が発したように聞こえる。ピントの合わない視界の中で、痛みが遅れてやってくる。
「ち・・・畜生。」
 体全体が、ばらばらに千切れて、てんでばらばらな方向へいきそうだった。壁にもたれて立ち上がるのが、唯一反抗らしい反抗だった。奴は、ゆっくりと腰を落とした。角がこっちの方を向いた。猛牛の突進前のように、猛り狂う足を床にこすり付けるのが見えた。殺されるかも、と思った。壁に立っているのがやっとだった。こりゃ死ぬなと思った。立っているのがやっとだった。自分の死なのに、えらい気が抜けてるなと思った。
 しかし、奴は襲ってこなかった。奴は震えていた。じっと、俺の腰の方を見ていた。俺も、つられてそっちの方を見た。俺の千切れかけたドレスから、「NSベルト」・・・外部露出式改造人間用生命維持装置が見えた。奴の震えは一層ひどくなった。しかし、やがてそれを振り払うように雄たけびを上げた。そして俺の頭に、この建物全体がのしかかってくるような激痛が走り、俺は闇に沈む。

 世界は赤黒かった。地獄の悪魔が投げ捨てたシケモクのように。
 誰かが俺の肩を支えてくれる。猫のようにやわらかいが、機械のようにつめたい体
「・・・私は、ファウストに愛されていないって分かってたけど・・・。」
 卓球は呟いた。肩を貸してくれているのは、「愛されなかったほう」の娘だった。
「皮肉ね。彼女に愛されたあなたが、また、死にかける、なんてね。」

 目が覚めると、男が俺を覗き込んでいた。それが時計屋だと気づくには、しばらく時間がかかった。
 夜這いなら断るぜ、天使さん。と答えたつもりだったが、声にならなかった。
「・・・頼むぜ。葬式を出す金はねぇんだからな。」
 何があったの? そう聞くのがやっとだった。
「トヴァ、てめぇ頭の打ちすぎていかれちまったか? そりゃこっちが聞きたいよ。お前に電話もらった後で、こっちへすっ飛んできたら、誰が隣の雑貨屋に放火してるって騒ぎに巻き込まれて・・・で、肝心のお前が、三回の窓から落ちてきて・・・。」
 そうだった。俺は、カーティスに会いに来て、レンジィのことを聞き出そうとして、カブトムシの化けモンにやられて・・・。
 通りでゴミ臭いわけだった。俺はゴミ箱に自爆テロを仕掛け、楽しい夢の世界へ旅立っていたらしい。首を回して、それを確認したが、それだけで首が電球のソケットみたいにねじ切れて飛んで行きそうだった。
俺は立ち上った。生まれてから何億回やったかわからない、およそ単純な行為をするだけで、後ろの壁を支えにしなければならなかった。足は、まるで、泡を撒き散らした風呂場に立つように、頼りなく何度も震えた。
「トヴァ、てめぇ、どこへ行くつもりだ? 」
「カー・・ティス・・・化けモン・・・追わなくっちゃ。」
 気の利いた言葉を言いたかったが、これだけの短いせりふを言うだけで、肺はよじれ、喉の細胞一つ一つが剥がれ落ちそうだった。
「馬鹿っ、手前ぇ。自分で自分の体のことが分かってるのか? 」
「あり・・・がとう・・・。助けて・・・くれって、言ったっけ、あたし? 」
俺は歩くことを止めなかった。一歩歩くごとに、体の自爆装置に火がつきそうな感じ・・・いや、実は、当の昔に俺の体はばらばらになっていたのかもしれねぇ。だけど、なーに、後一万歩も歩けば、タクシー乗り場へ出る。
「トヴァ。」
俺の肩をつかんだのは時計屋だった。殴られた痛みのような痛みが走った。
「・・・化け物・・・あれは・・・あたしの・・・得物・・・。」
俺は、言いながら奴の手を振りほどこうとした。しかし、実際赤ん坊が抵抗したほうが、今の俺よりましだったかも知れない。
次の瞬間、俺の方で、景気のいい音が響いた。
時計屋が俺に平手打ちをくれたのだった。
俺はぶっ倒れた。
「・・・行くぞ。」
時計屋は、黙って背中を向けてしゃがんだ。男におぶってもらうなどという情けない真似は避けたかった。なぜなら、俺は女だから。


病院で二週間も食ったのは、正直痛かった。完全に年が変わってしまったし、テレビからも新年のにぎやかさは消えていた。正月のテレビは、普段のテレビと同じく、茶番か、笑いを強要しているか、あるいはその繰り返しか・・・その間に正月のお祝いが入るしか、目新しいことは無かったが、今この普通の時でも、そうは変わってなかった。二週間も寝ている間に、カーティスは、例のホテルの件に何らかの手を加えたかも知れなかったし、レンジィには高飛びする十分な期間を与えたかもしれない。それはあの化け物に対しても同じことかも知れなかった。とりわけ入院期間が長引くにつれて、俺の熱意が冷めていくのは痛かった。
しかし、そんな倦怠を吹っ飛ばすようなことがおきた。事件の渦中の奴が、俺の目の前に飛び込んできたのだった。

まだ、雪もちらほら降っている午後に、カーティスがやってきた。上から下まで、黒いスーツを着込んだ彼は、どちらかと言うと、政治家と言うより、映画のノワールものに出演したほうがいいような印象を与えた。もっとも、政治家とヤクザの線引きの基準は、俺は知らない。
見舞いの品は、最高級の果物セットという、およそ政治家らしからぬものだった。
ベットの横の、座っただけでがたがた言う年季の入ったいすに、何べんも座りなおしながら、カーティスは言った。
「・・・あの時は、チャイナ風バニー・ガールのコスチュームだと思っていたが・・・。兎の耳のカチューシャは、心から気に入っているようだね? 」
「最近の政治家は、人の趣味まで法案を作って介入するのが流行りなのか? 」
カーティスは、さすがにむっとしなかった。ただ、この手の皮肉な言葉をかけてもらうのは、本当に懐かしいといった笑みを浮かべただけだった。
「・・・この間は、本当に助かった。心から礼を言う。」
「別に、あんたのためにやったわけじゃねぇ。」
それがいつわざる本音という奴だった。俺は、カーティスとがレンジィと裏でつるんでいて、何かたくらんでるだろうと踏んでた。しかし、そこへカブトムシの怪人だ。カーティスが命を狙われてるのは間違いなさそうだ。レンジィと何か関係はあんのか?
少なくともカブトムシ野朗は目撃者を消すのに躊躇しない人種に入るだろうし、それに、あの状態じゃターゲットが俺かカーティスなのか、区別もつかないほどいかれポンチになっていたかもしれねぇ。
「それは、謙虚な言葉と受け取っていいのかな? 」
「あんたがそう思うならそうなんだろ。さっさと用件を言え。」
 奴はやはり怒らなかった。そのかわりニヤニヤ笑いは、明らかに憐憫のこもったものになっていた。俺にとっては、軽蔑の笑みよりむかつく笑みだった。
「・・・そうだな。時間の無駄をさせない態度は、大好きだ。先日、私を襲った、カブトムシの怪人だが・・・。」
「どこのTVスタジオから逃げ出してきたか分かった? 」
「・・・いや、目下のところ、また闇に戻った。・・・怪人らしくね。実は、あの手のやからが、最近回りに出没して困る。それに・・・君の探している奴とも、関係が無いとも言い切れない。」
 政治家と警察の話は、必ず遠回りをさせられ、しかも奴らの用意した着地地点にたどりつくことになっているらしかった。
「俺が探している奴は、誰か分かってるのか? 」
「レンジィだろ。ずはり、奴はテログループ『ワッツーシ・ゾンビ』の生き残りだ。奴らは海の家の守り神、軍警察の最終兵器『レギオン』によって一掃されたはずだった。」
「あんたの肝いりの、改造人間殺戮部隊か? 」
「私を挑発しているつもりかね? 民間人を殺せば殺人犯。テロリストを殺せば報奨金。たくさん殺せば、テレビのワイドショーで演説がぶてる世の中で、かような皮肉が意味を成すとは思っていないがね。」
「俺も、挑発の意味で言ったんじゃねーけど。」
カーティスは肩をあげた。分かりやすい態度が癪に障る男だった。
「あのカブトムシの怪人は、レンジィなのか? 」
「さてね。ただ、ジーンミクスドにジーンチューンド。生体改造人間が掃いて捨てるほどいる町だ。テロリストが何らかの改造を受けていると考えたほうが当たり前だと思うが・・・。」
「・・・で? 」
「君がレンジィを探しているなら、手を組もうということ。川の中の小石は、取り除かないと危険だけど、石の場所が分からない。奴は犯罪者だ。君はかたぎだ。別に手を組まざる理由はあるまい。」
「千切れし過去・・・。」
 俺はつぶやいた。カーティスは、おや? という顔をした。
「衝撃を与えるもの、って名前に心当たりは? 」
 カーティスは、しばらく俺の顔を見つめていた。その中に何か隠し事をしているのかは、どうしても分からなかった。そして、奴は首をひねった。
「さぁな。一部の狂信的な戯言師が、陰謀論にそんな話を加えているのは知っていたが・・・。」
「レギオンはどうやって手に入れた。」
「企業秘密だ・・・といいたい所だが、いいだろう。君と私の信頼関係を築くためだ。中東を拠点とするある武器マーケット経由で手に入れた。その男の話だと、確かに「衝撃を与えるもの」の改造人間のコピーなのだそうだが、コピーにコピーを重ねて、もう原型はとどめていないらしい。まぁ、この話自体、信用度は低いのだが・・・。それよりも、私は彼女のスペックの方が気に入ったね。対人、いや対機甲としても十分な効果を表し、コピーがやられても、頭脳となるリーダーがいる限り、いくらでも取替えが効くところ。つまり、部隊そのものが、古くなってはがれていく皮と同じ、消耗品なんだ。そして、スズメバチの本能を利用した、主のために殉職をもいとわない行動原理、など。彼女の過去はどうだっていい。今、ここにある彼女のスペックが気に入ったんだ・・・。」
 そこまで、奴は一気呵成にいうと、疲れたのか口を閉じた。
 その時、電話が鳴った。カーティスが怪訝な顔をした。俺は「そこにいていい」と言うゼスチャーをして電話に出た。
マオからの薬莢の検査報告だった。やはり銃は軍用機関銃らしかった。現在、俺に不届きないたずらをした銃を探っている、と言うことだった。俺は礼を言った。
「あー、それと、すまない。デートはお預けかも。」
おれ自身、謝るのは何年ぶりのことだろうか。電話口のマオが、露骨にため息をついた。
「マジで忙しくなってきたんだ。忙しすぎて死にかけてる。どうも、カーティスとレンジィは出来てるらしい・・・。」
 言いながら、カーティスの方をにらんだ。しかし、彼は何の感情も浮かべなかった。
「目下のところ、確証はねぇが、下手すると例の砲撃事件のホシを吊り上げるかも。そんときゃあんたに花を持たせる。」
 電話口の向こうで、目を見張る気配があった。
「・・・分かりました。こっちも、銃の割り出しを急いでみます・・・。」
「悪いね。この埋め合わせは絶対する。」
俺は電話を切って、カーティスに肩をすくめて見せた。
 しかし、奴は笑いもせずに低い声でつぶやいた。
「で、この話には、乗ってくれるか? 」
「考えとくよ・・・。」
 俺は、言ってからちょっと後悔した。あまりにも無難なカードを出したかもしれねぇ。無難なカードは、待ちが多く取れるのはいいが、肝心なときに大博打に出れない。
 そんなことを考えていると、時計屋が戻ってきた。コンビニで飯を買ってきたのだ。俺の分ではなく、自分の分の飯を。そんな図太い神経をしてるくせに、勝手に付き添い気取りでチョコチョコと顔を出していやがる。
「ところで、お前さん、この本知ってるか? 」
いきなり、懐から本を出しながら、時計屋が言った。青い海、そして、その上を悠然と飛ぶかもめ、そして、旅の途中なのだろうか、その背にねずみが乗っている絵の表紙を持つ本だった。タイトルは・・・。
「冒険者たち・・・っていうらしいぜ。」
「どこで拾った? 」
「俺だって、事件屋の端くれだ。お前が痴漢行為をされた現場を一通り、目を通すことぐらいするさ。そこで、拾った。」
ぱらぱらとめくってみる。文庫本サイズの割りに、電話帳並みの厚さがある。易しい言葉と、ですます口調で語られる物語。それは子ども向けの本だった。
「テロリストでも・・・子どもの本を、読むのかな? 」
「ジドウブンガクって言えよ。聖典を持ち歩くテロリストもいるんだ、不思議じゃねぇさ。」
 時計屋は言った。あのカブトムシの怪人。カーティスを狙っていたのだろうか? カーティスに何らかの恨みがあったのだろうか。しかし、ミスキャストの俺が出てっても出てかなくっても、筋は変わらない。血なまぐさい荒事は避けられなかったはず。今、目をつぶっても、骨が軋む音、床に撒き散らされた血反吐のにおいがはっきりとよみがえる。奴は、どっかホテルの影に身を潜め、復讐か破壊衝動か分からないが、ひたすら荒ぶる心を押さえつけるために、この本を一人、まるで聖書にすがるもののように読んでいたのだろうか?

 今日はよくスーパースターがたずねてくる日だった。二人目のスーパースターは、時計屋だった。おい。元気か、トヴァ。時計屋はそういった。五分前にあった男に、どうしてそんなことを言われるか分からない。不機嫌そうだな、トヴァ。だけど、彼を見て、そんな態度をとり続けられるかな? 挑戦的に時計屋はそういった。そして彼の影から、丸顔の太っちょが現れた。これまたマスメディアでおなじみの顔だった。議員のマイク・マイヤーだった。ただ、それだけならつまらない議員の顔の数々に巻き込まれて、顔さえも覚えてもらえないぼんくら議員に成り果てているに違いなかった。彼が他の議員と違っていたのは、元映画監督兼ジャーナリストだということ。それと、その映画が大ヒットを飛ばしたこと。
 奴は、俺たちの先手を取るように、「いやー。」と言った。はじめに「いやー」とか言う奴は、たいてい目の前の奴に声を掛けていいのやら迷っている奴が多い。証拠に奴は「はっはっは」と笑った。
「・・・今日はカメラと野球帽は持ってきてないのか? ブン屋さん。」
 マイク・メイヤーーのアポなし突撃取材といえば、奴がジャーナリスト時代には恐れられたもんだった。奴は銃の代わりにカメラを構え、ヘルメットの代わりに野球帽をかぶって、今日も上流階級の虚構をはがす。事実、前大物政治家のフィナボッチ・トゥルースは、その無能ぶりをこいつの映画『BIG FAT STUPID』でばらされ、政界から引きずり下ろされたも同じだった。そして、それら過激な行為が功を奏して、いまやカーティスと二分する人気政治家だった。
「そりゃ、そうだろ。僕は初対面のカタギにそんなラフな格好はしてこないよ。あんたはテレビに毒されすぎだ。まさか、あんたはテレビで流されたことは、『なぞの宇宙船UFO』までも信用するくちじゃないだろ? 」
 こっちが一つ喋る間に、十発は弾丸が帰ってくるようなしゃべり方だった。奴にマイクを向けられた奴が、急に舌が回らなくなるのか分かったような気がした。
「なぁ、時計屋。教えてくれ。俺っていつの間にテレビ・スターが見舞いに来てくれるほど業界人になったんだ? 」
「だから、僕は、テレビスターじゃないって。今日は、ちょっとした質問がしたくって来たんだ。あんたとカーティスって、何か関係があるの? 」
反射的に、俺は奴の襟首をつかんだ。
「てめぇ、何でそれを・・・。」
痛いっ! 奴は叫んだ。
「だって、さっきあんたの病室からカーティスが出てくるのを見たもん。それに、襟首をつかんでるってことは、それを認めたことになるよね。」
一瞬、俺の襟首をもった手が緩んだ。そのすきに、マイクの首が逃げ出した。時計屋があちゃーと言って、顔を覆った。
 奴はへへへ、と笑った。この笑いが、カーティスと並んでテレビの向こうの視聴者の視聴率を取る秘訣かもしれなかった。
「俺は詮索するのも詮索されるのも好きじゃねぇんだ。」
奴は、「まぁまぁ」とか、「そんなー。」とか言って、俺の肩を叩いたが、怪我に響くだけだった。こいつを早々に切り上げさせる呪文は、一つしかなさそうだった。
「用件を言えよ・・・。」
「カーティスの不正を暴くための協力をしてほしい。」
「はぁ? 」
「いや、正確に言うと、11年前のアクアリウム号事件の真相を突き止める、ってことかな? カーティスが、現在軍と癒着があるって噂、聞いたことがあるかい? 」
「・・・まー、政治家って奴は、大体権力を持つと、その手のことをしないほうが不思議がられるようだけど・・・。」
「うん、ひどいモンなんだ。例えば、前年、カーティスは軍の予算に前年度より10パーセントも上乗せしてるけど、その後で奴は、ラスベガスで豪遊できるようなリベートをもらっている。」
「・・・。」
「それに、こっそりと兵器の横流しもしている。中東の方でまた戦争があったろ。僕は去年から議会で、この島は他の国家間の戦争には、あくまで中立関係を、ということを主張してる。だけど、カーティスは奴らに武器をこっそり売って、火事を長引かせて儲けているようだ。」
「で? 」
「実は、まだ未確認のうわさだけど、いくつかのテロ組織ともつながっているらしい。」
「へぇ、で、何をたくらんでる? ハロウィンに剃刀入りお菓子でもばら撒くのか? 」
「それが分かれば、ポチョムキンも僕も苦労はしない。ただ、何に使われるか分からない、その手の力をちらつかせながら、沈黙を守っている・・・それが一番おそろしいね。」
「それで、あんたの目的は? 」
「世界一強い国の大統領気取りのカーティスのあごに、一撃打ち込む。証拠はそろいつつあるんだけど、ネタは多い方がいい。何かカーティスの悪事を知ることがあれば、教えてほしい。特にアクアリウム事件。」
「というか、来年の選挙戦のために、カーティスがでかい面するのを抑えたいんじゃないか? 」
 マイクは顔を赤めた。へへへと笑った。そう、武闘派のカーティスと、左派の大本みたいなマイクは、当然仲は悪い。いや、仲が悪い所ではない。実際に利権問題も絡んでくるので、その遺恨はかなり深い。
「そろそろ、大根役者には政界という舞台を降りてもらいたいんだよ。」
「じゃ、その後釜で主役を張るのは、あんたと言うわけだ。」
そのとたん、奴の目が、どす黒く輝いたように見えたのは、俺の気のせいだろうか? 巨大な権力に飽き足らず、さらに超え太ろうとする何か・・・。
 しかし、それはまるで目の錯覚だというように、あっという間に彼は元の顔へ戻った。
「ま、ま、そういじめないでくれ。今考えを出さなくてもいい。決めたら連絡してくれ。」
そう言って、やっとデブはご退場あそばすことになった。
「名刺を置いてくよ。なんかあったら、遠慮はいらない。絶対に僕に電話したまえ。絶対に役に立つのは保障する。」
 そういって、奴はテーブルに名刺を置いて出て行った。
 奴のぎらついた瞳が、まだ心の奥底で光っていた。

 雪はまだ、平等に降り積もっていた。そして、LN'P通りの地下へのヤサへの入り口をも隠そうとしていた。だけども、俺の耳は、俺の家に、少なくとも二人の「ガキ」がいることに気付いて、すこし悪い予感がした。そして、洞穴がある路地に、駐車違反などと言う言葉が存在しないのかと思わせるほど堂々と黒塗りのジャガーMk2が置いてあるのを見て、さらにぞっとした。霊柩車みたいな印象を与えるが、俺にとっては霊柩車より最悪なものかもしれねぇ。反射的に腰に手をやったが、銃は家に置いてあった。致命傷か? これは。
 少しばかり深呼吸をすると、まるで地獄の門をくぐるファウスト博士のような心境で階段を下りていった。
「お帰り。トヴァ。」
 鈴を転がすような声がした。見なくても分かる。
「お前はまだ、『狂犬』って名前に変えてねぇのか? カリィ。」
 彼女は、本当に、野をかける春風のようにくすくす笑った。
「ボクはどうやら貫禄不足らしい。おひさし。トヴァおねぇちゃん。」
果たして、俺が今一番会いたくないガキがそこに立っていた。青みを帯びた銀髪と、子リスのようなくりくり目。厚手のワンピースのような冬用の子供服を着ていた。中性的な顔立ちには、無邪気な邪悪さがあふれていた。そいつが、先日電話をかけてきた「チョロ」を捕まえて立っていた。チョロはおびえていた。目の端に涙が出ていた。
 俺は、奴らを無視してドアに入った。
「つれないなぁ。ボクがせっかく、お客さんの世話してたのに、無視していくってのはさ。」
 俺は足を止めた。俺の腹辺りまでしかない背丈。それがいっそう、奴の狂気を増幅させていた。
「・・・7日間も俺をお泊りさせて、電撃と変態話を散々浴びせる奴は、無視するのが一番だ。」
 例の誘拐事件で、行方不明になったメフィストと、行方不明になった一億と、行方不明になった軍事機密を聞き出す担当になったのがこいつらだった。「メフィスト」博士が「呑竜」に、狂言誘拐の話を持って来たのがことの始まりだった。人質役は「メフィスト」博士。そして、政府から軍事機密ばかりか、身代金を取ろうと言い出したのが、こいつらだった。奴らのミスは、かわいいモンだった。ぐるになっていた人質が、一億と機密を持って消えてしまったぐらいの事だった。
「へぇ。ボクのお話。まだ聞きたいんだ。」
 カリィは、天使が蛇を殺すときのような薄い笑みを浮かんだ。奴の指の間に、まるで、薔薇をもてあそぶように電気が走った。
「・・・自分のことを『ボク』という奴の話は、絶対に聞かないようにしてる。」
「くすくす。じゃ、この子に聞かせてあげようか? ボクの話。」
チョロの目が引きつった。それを楽しむように、エミリオは言葉を続けた。
「この子が、メフィストに繋がってない、って保障は、どこにもないからね。」
「その子は無関係だぜ。」
カリィは深く、そしてわざとらしくため息をついた。
「あのね、マシロ。状況はもう、あの時とはがらりと変わってきているんだよ。」
「そうだな、お前はあの時だったら、迷わず俺を始末してたもんな。それが我慢できるほど成長したんなら、たしかに状況は変わっているな。」
「ほんと、あんたは、成長も代わりばえもしない馬鹿なんだな。ボクはあのヤマで、身代金一億を取り損ねたおかげで、幹部の座を引きずり下ろされそうになっている。」
「そいつはおめでとう。その年でホームレス生活ってのも、くたばらなければいい経験になるさね。」
「ボクは馬鹿は嫌いだよ。つまり、ボク以外の奴が、ファウスト博士の捕獲に当たるかもしれない。チャイニーズマフィアって奴は、仁義もクソもない、おまけに低脳だ。どれくらい足りないかというと、たとえ親、子どもが目の前にいたとしても、何のためらいもなく目玉をくり抜いて、心臓を抉り出せるほどなんだ。もちろん、生きたまま。」
「正直なんだな。」
「嘘をつくほど人間が出来てないんだ。キミもその容赦の無さは知ってるよね。ボクが幹部にいたら、まだ、ある程度手加減が効くかもしれない。だけど、ボク以外の奴で、そこまで頭が回る奴はいないかもしれない。」
「お前も低脳の一人だろ。頭が回れば、今頃俺以外の奴から情報を引き出してるさ。」
「ふざけられるだけふざけておいたら? 今この場でおねぇちゃんをひねりつぶしてもいいんだよ。いい、マシロ。ボクはあの事件のことをある程度は知っている。ファウスト博士が、自分の生きてきた痕跡を、例の機密を含めて、全部ひっくるめて灰にしようとしたのも知っている。もちろん、ボクは奴が生きていると信じているけどね。そして、お前も灰にしようとしたことも知っている。聞けば、ファウストはお前を自分の娘みたいに愛した、って言うじゃない。」
「誤解だね。俺は同性愛の趣味はねぇ。」
「だーかーら、話をまぜっかえさないで。マシロ。そこまでして愛した奴を、無理心中の道連れにするっていうのは、どういう神経なの? つまり、ファウストは結局、そういう最低のいかれぽんちだったんだよ。お前も、奴に殺されかけたんだよ。奴は、お前の愛をうらぎったんだよ。となると、話は早い。何も、いまさら奴に義理立てしなくても、ボクが奴にきちんとケジメを付けさせる。それが、お互い気持ちのいい話だと思うよ。おねぇちゃんの立場だったら、ボクはそうする。」
俺は、黙ってドアを閉めようとした。カリィはほんの少し、動揺した。
「・・・ムカツク。じゃあ、こっちの子に直接たずねてみることにするね。」
一瞬、手のひらの雷光が大きくなった。それがチョロに叩きつけられる前に、俺は言った。
「そいつは何もしらねぇ。メフィストのことについても、一億のことについても、何もしらねぇ。ただ、この辺をうろついてるストリートチルドレンさ。いつ、道路で眠るように死んでいても、おかしくない、な。」
 カリィの瞳が丸くなった。こいつの正体を知らなければ、キスしたくなるロリコンもいるかも知れないかわいさだった。
「き、貴様! 」
 俺はチョロの方に向いていった。
「お前も、メフィストとか一億とか、そういう単語について知っている情報があれば、洗いざらい話すんだな。お前を放さないそいつは、てめえの命をためらい無く電気椅子にかけてくれる。命が惜しけりゃ、最後のチャンスだ。洗いざらい喋れ。」
 チョロは、「知らない」と絶叫した。「僕は、ただクリオネって人から、トヴァ・マシロって人を呼んできてくれるように言われただけで・・・。」俺の忠告は、もうすでに身を持って知っているという声だった。
 カリィは、ふくれっつらをしてこっちをにらんでいた。
「お前を丸焦げにすることだって出来るんだよっ! ここで地獄へ送ってあげようか? 」
「そうしてくれるか? そのほうがあんたらに無実を潔白できていい。」
 カリィは、しばらく俺の方をにらみつけていた。涙目だった。しかし、俺はこいつが涙目をした時こそ危ないと知っていた。拷問中、死んじゃえ馬鹿と言って心臓にくれた一撃は、俺を天国まで導いてくれるところだった。今でも、はっきりと覚えている。まるで手袋がはがれるように奴の手から「手の形をした」電気が俺の体内に入った。電気の手が俺の心臓を握りつぶそうとした。奴は、うっとりと笑みを浮かべた。俺はその時、俺を改造してくれた連中に足を向けて寝るまいと誓ったものだった。
 奴はあきらめた。
「あーあ。だから無駄足だっていったんだよ。ボクは。」
 腕を頭の後ろに組んで、まるで遊びに飽きた猫のように、白い出口へ向かうカリィを見て、心臓から直接搾り出したような汗がだくだくと出た。
 奴が、地上へつながる出口へ出て行って、心底ほっとした。
 しかし、奴は止まって、言った。
「ボクはね、負け犬が生きてうろちょろするのも大嫌いだけど、自分が負けてることに気付かない負け犬は、すぐに惨殺したくなるんだ・・・。そっちのお子ちゃまも、ボクに対して嘘をついているんだったら、必ず死なす・・・。」 
 それが、奴の捨て台詞だった。
 奴がジャガーのドアを開け、エンジン音が遠ざかるのを聞いて、初めて生きた心地が出てきた。俺はため息をついて、ドアを開けた。
 チョロは、地上の方をまだ見ていた。俺はまだドアを開けていた。
「突っ立ってンのなら、ドアを閉めるけど、いいか? 」
チョロは、一つ震えると、まるでねずみのようにドアに飛び込んできた。
 
 帰ってきたばかりで、明かりも消え、暖房もつけてない室内は、「部屋」と言うより「死体置き場」と言った方がいいかも知れない冷たさと殺風景さを完備していた。タバコをつけるために点したライターの明かりが、地球最大のストーブより暖かげに見えた。
 黙っていると、向こうも黙りっぱなしになりそうだった。仕方なく、そろそろ打ち止めにしてほしい言葉を言った。
「用件は? 」
 チョロは、少しもじもじして言った。
「・・・クリオネがあなたに会いたいそうです。」
「場所と時間は? 」
「ホテル・ヘブンズ・ドア。時間は今から・・・。」
 俺は、ベッドに倒れこみ、しばらく動かなかった。
 奴が不思議そうに俺を見ていた。無視して、ベッドの下から、携帯用コンロを出した。
 一さじ分しか残っていないインスタント・コーヒーを出し、瓶の中に直接ペットボトルの水を入れ、暖める。
「・・・お前にゃやらねーぞ。賞味期限が切れてるんだ。」
「早くしないと・・・クリオネが待ってる・・・。」
 奴の声が、少しばかりあせりを帯びてきた。俺は奴の質問に答えず、変わりに質問を返す。
「このクソ寒いのに、今から、外へ出るのはつらいぜ? 用件ならここで済ましちまおう。なぁクリオネ? 」
 半分は賭けだった。チョロの表情に、電撃が走ったように見えたのは、俺の楽観的観測って奴か? だけど、彼はおびえた表情を作って、つぶやくように言った。
「なんで・・・そんなことを? 」
「さっきさぁ、お前、電気ヤクザに脅かされて、口走ったろ。『僕は、ただクリオネって人から、トヴァ・マシロって人を呼んできてくれるように言われただけで・・・。』って。」
 奴は首をかしげた。
「・・・どうして、俺がマシロって分かった? 」
チョロは、心底不思議そうな顔をした。
「だって、あなたが、自分で連絡先を書いてくれた・・・。」
チョロは、慌てて懐からメモを取り出した。
 俺は、黙って、奴に渡したメモを裏返した。そこには、俺の住所と電話番号。そして名前が書いてあった。「トヴァ・メシロ」
 チョロは、しばらく呆然と俺の方を見つめていた。しかし、まるでひまわりの花のように豪快に笑い出した。
「あははははは! やっぱりばれちったー! 」
そして、ゆっくりと髪の毛が伸びてきた。こいつもジーンミクスド系の改造手術を受けたのだろうか、奴の体は変化し続けた。胸と足がまるで膨らみかけのつぼみのように丸みを帯び、目は子犬のようなくりくりした黒い目になった。完全に「女の子」の体だ。
俺はしばらく、唖然としていた。俺を引っ掻き回した犯人には、冥王星まで吹っ飛んでもらおうと思っていたのにだ。その笑い方は、俺の攻撃本能をやさしく包み込んで鈍らせるのに十分だった。
「・・・やっぱり、てめぇがクリオネか。」
「おろおろ? と言うことは、カマかけたのかなー? 」
 俺は黙って手のひらを開けた。二枚のメモが床に落ちた。手の中で元のメモには「トヴァ・マシロ」のサインがしてあった。
 彼女の顔が、まるで京劇の仮面の早代わりのように変わった。彼女は手をばたつかせていった。
「ふああああっ! そんなのないであるあるよ! あたしともあろうものが、そんな低俗な引っ掛けに引っかかるなんて。」
「しょげることは無いさ。お前は所詮、その程度のおつむの持ち主なのさ。」
むぅ、と膨れるクリオネ。
「おい、そんなに膨らむなよ。こっちが恥ずかしくなる。」
しかし、すぐにふくれっつらを止めると、にへっと笑った。
「君、合格! 」
「あんたはいつから俺の試験官になったんだ? 試験したけりゃ学校へ行くことだね。」
俺は奴の肩を押しやって、ドアの方へ向かわせた。
「ま、待って! あたしは、あたしはキミに仕事を持って来たの。キミのような無職すれすれのものには、ありがたくて涙が出る話だろー?  」
「冗談のセンスが無い奴の依頼は聞かないことにしている。」
いまや、俺の手は彼女をドアのところまで押しやることに成功した。
「ま、待ってってば。君が追ってるレンジィにつながる話かも知れないんだー。」
俺の手が止まった。

「それにしてもタバコ臭い部屋だねー。」
ジョキョウジュと名乗った少女は、そういうと、俺専用のベッドに座った。
「おまけにいすも無いのー。依頼人を迎える仕事をしてるにしては、気が利かないね。」
「そういうなら、今度から消臭剤と椅子を買ってくるこった。」
「キミのために、そこまでする必要があるのかにゃー? 」
「じゃあ、この話はご破算だ。薔薇のにおいがする、清潔な応接室がある探偵事務所をみつけろ。」
「いいのかねー。そんなことを言っても? 」
「良いんだよ。俺がてめぇの話を聞かないきゃいい話だから。」
彼女はむーっと言ってふくれっつらをした。十秒に一回はそうしないと、死ぬ病気にかかってるらしかった。
 やがて、彼女は懐からばらばらと写真を出した。どこかの控え室で、カーティスがトロフィーを構えて写っている写真だった。
「これが、何か? 」
「うん。ある新聞記者の取った写真なんだが、これを預かっててくれって。」
カーティスとトロフィー。これが何か重要な意味があるのだろうか。俺はそれを聞いた。
「それが分かれば、苦労はしないんだよキミ。ただ、ヒントは、アクアリウム事件の、まさに直前、船の中でこれが撮られた、ということ。これを持ったとたん、何か物騒な奴が、うちの回りをうろちょろし始めて・・・。ぶっちゃけキミにボディ・ガードを頼みたい。」
「なんだ、そんなことか。それだったら労力も費用も使わずに、一分以内で解決する方法を知ってるぜ。」
「えっ!? 」
「要するに、この写真がすべての元凶なわけだ。」
「そう、そうだけど・・・。」
 言ったとたん、奴の表情が固まった。チン、といい音を立てたオイルライターが写真を燃やし始めたのだ。
「な、何するのよー! 」
しばらく、呆然と見つめていたクリオネが、われに返って叫んだ。
「・・・手っ取り早い解決策を試してみようと思って。」
「そんなものは試さなくっていい。あんたの脳みそには犬のウンコが詰まってるの!? 」
燃えかけの写真をひったくって、フーフーと息を吹きかけながらクリオネは言った。
「・・・で、どうするんだ。」
「言わなくても、分かると思う! 」
奴はつかつかとドアへ歩いていった。どうやら、またメシの種を儲けそこなったらしい。俺は、肩をあげる。
 しかし、クリオネは出て行く寸前で、ぴたりと身を翻し、こっちを向いて、にやりと笑った。
「合格よ。君を雇う。」
 俺も微笑み、ベッドの一方に、特上のクッションを投げた。そこへクリオネは座った。
「レンジィは、カブトムシベースの改造人間らしいねー。もちろん、人間に擬態化も出来る・・・。この島の創世記から、流民として流れついたらしいけど、そのころは海賊に入ってたらしい。」
「海賊・・・? 」
「そう、もともとは、この島の海自警団として作られた『アホウドリ』。だけど、その裏では、金持ちの船を沈めたり、暇な船にサザエのガラクタの押し売りをしたり、結構違法なこともやっていたのかも。」
「へぇ。」
俺は、タバコに火をつけようとした。
「おい、あんたは常識を知らないのー? 」
俺は、へ? ともらしてしまった。どんな常識でも、この子の口から出ると、どうも何かのたわごとのように聞こえる。
「普通、他人が一緒にいるときは、『タバコ吸っていいですか? 』と聞くのが常識であり、王道でしょ? 」
「どうせ、吸ったら殺す。とでも言うんだろ。」
俺はタバコを口に運んだが、殺意のこもった口調で「止めろ」といわれたので引っ込めた。
「で、ろくな兵装が無かった当時としては、カブトムシ型の改造人間の攻撃力は、めちゃくちゃ重宝されたようだね。加えて、奴の角から発射される生体大砲は、どんな船でもかなわなかった。奴は『輝ける黒い銃』ってあだ名までもらって、派手にやっていたらしい。しかし、この島がある程度平和になってくると、奴らはアマゾン川のピラニア。ほっとくのは危険だってことで、解散させられた。レンジィの栄光もそこまで。」
「後は暴力自慢の方々の天下り先。お決まりのテロリスト家業ってわけか? 」
「それがそうでもないのよねー。」
「何? 」
「・・・解散後、しばらくレンジィは姿を消してる。昔風に言えば、地に潜ったか天に消えたか。数年はおとなしかった。ただね。また再び、奴の名前が浮かび上がったってわけ。」
「アクアリウム事件か! 」
「そう。あの事件で、砲弾を撃ち込んだと見られたところには調査のメスが入ったけど、豪華客船クラスの船を沈める大砲、およびそれらしい大砲が設置された影も形も無かった。議員のほとんどが集まるパーティだったんで、検問も厳しかった。当然、その後も、この島をしらみつぶしに当局は調べたんだが、大砲は見つからなかった。じゃあ、奴はどこからどのようにして大砲を持込み、撃ったか? という問題になるよね? だけど、生体大砲を持った改造人間だったら、そんなことは問題にならなくなる。で、奴が捜査のターゲットに出てきた、って分け。」 
「それで、レンジィは・・・? 」
「キミは頭がいいほうではない、ということには自信を持っていいと思うよ。それが分かれば苦労はしない。って何べん言わせれば分かるの?」
「要するに、ゆすり屋のあんたの情報網を持ってしても、レンジィの居場所は分からない、と。」
「接触はあったよ。年の暮れも押し迫ったある日、一通の差出人不明の、クリスマス・カード風の手紙が送られてきた。それにはレンジィと書かれていた。で、開けてみたら。」
「この写真が入っていた・・・と。」
「で、俺が、取りに行くまで、この写真を預かっていてくれ。って手紙も入ってた。そして、この写真がひょっとして、お前の最高の保険になるかも知れない、とも書いてあった。」
「保険ねぇ・・・。」
俺は、途方にくれてしまった。最初は、よくある事故の調査だと思っていたが、大物政治家の砲撃事件と、十数年も警察の手を逃れまくっているテロリスト。おまけにそれにまつわるスキャンダル。売り言葉に買い言葉で飛び込んでしまったが、事件はいよいよ、俺の手に負えないところに来ているのかもしれなかった。
「で、あたしのボディーガードは? 」
「知らねぇよ。つーか、今まで散々後ろに手が回りそうなことしてきたんだろ? 」
「あれは、この島の不正を市民に知らせるためにやってるのにー。」
「正義の味方は金なんてとらねぇ。大体その手のやばいことは覚悟してやってるんだろ? ただ、写真のガードなら出来るかもしれねぇ。」
 これ以上ヘンテコなものを背負い込むのは、たぶん出来ないだろう。それが精一杯だった。ただ、クリオネの顔はぱあっと明るくなった。
 じゃ、たのんだよ。「疫病神」をさっさとテーブルの上に投げ出すと、クリオネはドアを閉じた。
 俺は、さっきからずっと我慢していたタバコに噛み付くと、火をつける。

 昨日までぽつぽつと降っていた雪が止み、寒さの猛攻がこの日だけは和らいだ。しかし、俺への猛攻撃は続くようだった。
 というのは、マオへの電話だった。とりあえずこれまでにまとまったことを連絡しようと、警察のマオの番号へダイヤルを回したら、知らない男が出てきた。
「マオ・イェンライはどうした・・・。」
「奴はシベリア送りになったよ。」
「今時その手のギャグは流行らない。」
「ホロコースト・強制収容所。何でもいいさ。とにかく、奴はここにはいねぇ。」
「・・・止めさせたのか? 」
 俺の口の中で、ぎりっ、と奥歯が鳴る音がした。
「めったなことを言うもんじゃねぇよ。一応建前は民主警察だろ。奴はこの部署から飛ばされて、交通課のところへ言ったよ。」
そして奴は、くくくと笑った。
「若いツバメが心配かよ。くくっ。鉄の処女とあだ名されるあんたでも、かわいらしいところがあるんだな。奴は交通課に飛ばされたが、その後はどこへ飛ばされるかわからねぇ。もっとも、裏切り者の貴様に、奴がどうなったか教える義理なぞ、何も無いが・・・。」
「お前、名前はなんつーんだ。」
「知ってどうする。」
「カタがつき次第、てめぇをばらしに行く。」
 俺の目の奥が、怒りで燃える。奴はくくくくと笑っただけで、名前を教えようとはしなかった。俺は電話を切った。床に叩き付けなかったのは、奇跡に近かった。
 俺はしばらく暗闇の中で頭を抱える。やはり頭が悪いということは罪らしかった。半日以上迷った末に、俺はどうしてもかけたくないやつの電話番号を回した。

 喫茶、スマイルレス・スマイルには、俺以外誰もいなかった。
 店の片隅に置かれていたゲーム筐体。『ドルアーガの塔』の筐体は埃だらけだった。張られたゲームの説明書きに踊るポップなキャラがむなしかった。
 やがて、卓球が現れた。薄暗い店内の中、まるで月影を移動させたような静かさでドアを開けて入ってきたのだ。全身を包む冬物のコートと、口まで隠してあるマフラー。表情はあいかわらず読み取りにくかった。
「あなたとは、しばらく会いたくはなかった。で、何の用? 」
 俺は手短に、今巻き込まれている事件のことを話し、レンジィについて知りたい、と言った。
「・・・無理かもね。そんな男は、この町にいくらでも転がっている。」
「衝撃を与えたもの、が一枚噛んでるかもしれねぇ。その男、『衝撃を与えるもの』の、カブトムシ型改造人間かもしれない。」
 卓球はしばらく考えた。やがて、首を振った。
「駄目ね。」
「メフィスト、の残したものが、あほどもの手によって汚されてるかもしれねぇんだぜ。」
卓球は、それでも首を振った。
「死んだものと戻ってこないものは、もう過ぎ去ってないのと同じ。私は少なくとも、現在の利益しか頭に無いの。それに、あなたにその情報をあげても、こっちにメリットが無い。」
 俺の、ほぼ予想したとおりの答えだった。下手に「イエス」と言わない優しさがうれしかった。
「じゃあ、お前のところで働く。」
横を向いていた卓球の顔が、こっちを向いた。
「お前さんが、今呑流の裏切り者探しに躍起になっていることは知っている。確か、ヤクを勝手に横流ししてるけど、どうしても証拠が見つからない、って奴だろ。しかも、相手は、呑竜の中でのかなりいい顔だ。面と向かって聞くのも角が立つ。めんどくさいことは言わねぇ。そいつらみんな始末してやる。部外者の俺がやった、ってすれば、お前もやりたくない腹の刺しあいはしなくていい。」
 卓球は、しばらくこっちを見ていた。どうしてあなたがそんなことを・・・と言い掛けてやめた。俺だって伊達に裏家業をやってない。スターの最近の動向は一応把握している。やがて、彼女は、薄いグレーのコートから、馬鹿でかいキーを取り出していった。
「これは、なんだか分かる? 」
「ツヴァイ・ハンダーのキー。」
「正解。お見事。」
 卓球は懐にそれをしまった。
「この近くに、ツヴァイ・ハンダーが用意してある。それにはもう、弾薬を満載したバルカン砲とリボルバー・ランチャーが積んである。言ってる意味は分かるわよね? 」
 こいつは、原付一つ手に入れるのにも苦労する俺と違って、車はもちろん、汎用二本腕式作業機、通称ツヴァイ・ハンダーの通り名で通っている重機まで持ってやがる。なるほど、大型作業機であるそれを持ってけば、ヤクザのバラ弾やハジキなんざ屁でもねぇだろうな。
「・・・接着剤を使った、車泥棒の手を知ってる? 」
 今度は、卓球が首をかしげる番だった。
「ドアの鍵に接着剤を塗りこんでおく。車の持ち主は、ドアに鍵が入らないのを見て、慌てて車屋に電話する。車屋を装った二人組が来て、持ち主から鍵を受け取る。二人組みは車の窓を叩き壊し、ドアを開け、あっけに取られる持ち主をよそ目に、車をスタートさせる。」
 何のことだか分からない、という顔をしてうつむいていた卓球は、すこし、顔を上げた。
「・・・なるほどね。」
「あんたのツヴァイ・ハンダーのエンジンキーの鍵穴に、接着剤を塗りこむ時間はあった。」
卓球は、じっと俺の方を見た。そこに込められた意味が、軽蔑なのか怒りなのかは、分からなかった。彼女は目をつぶり、ため息をついたから、大いに俺のやり方を気に入ってくれたらしかった。
「・・・分かったわ。今日、そいつの取引があるの。取引に関わった奴を全員殲滅して、金とヤクを跡形も無く焼き捨ててほしいの。」

 卓球のベンツ・ウニモグで45分。売り物として機能するかどうか分からない、中古車とばらされたツヴァイ・ハンダーの森を抜けると、港湾7区・通称チャンジャ横丁の第三埠頭。そこに留っている貨物船が、今回の取引場所だった。
「正直、ね。あなたに手伝ってもらうのは、いやなの。」
「お前の右手・・・直ったか? 」
卓球はこっちを向いた。そして、もう直っている手を隠すようになでた。
「呑竜の奴、例の事件で、ファウストとつながりがあった奴は片っ端からかぎまわっている。俺の飲み友達のお前が、奴らにやばい目に合わされてる、ってことぐらい分かるさ。例えば、身の潔白を証明するために、呑竜の手を汚したくない奴を消す役を押し付けられる、とか。」
「私は、あなたの飲み友達じゃない。」
 下手に、ありがとう。とか言わないところがこいつの優しさだった。
 やがて、船が見えてきた。奴らから見えないところに車を止めた。
 俺は、後部座席からギター・ケースを取り出す。
 愛用のM586に、ホットロードした357マグナムのホローポイント弾をフル装填すると、卓球が言った。
「あなたの彼氏だけじゃ、不安・・・。」
「へぇ、あんた、いつの間に人のことを気にするような慈善家になったんだっけ。」
「いや、任務を遂行できるか、が不安なだけよ。」
相変わらず、この手の気の回し方は素晴らしかった。少なくとも「あなたが心配だから。」と言ってくれるよりかはずっとましだった。
「私の彼氏も、連れて行ったほうがいい。」
奴が取り出した銃は、お化けみたいな馬鹿でかいグリップに追いやられて、銃口がほとんど無いような銃。ヘッケラー&コックP7だった。卓球は俺の彼氏を見るたびに、「ロマンチストは命を落とすわよ」と漏らしたものだった。だけど、こんなややこしい仕掛けが優先するような、シングルアクションの、もう部品も生産されて無い骨董品を彼氏にしているようじゃ、人の彼氏を不安がるより、自分の彼氏を不安がったほうがいい。
「止めとくよ。スクイーズ・コッカーは、微分の授業みたいに難解だし、俺の手にはでかすぎるグリップだ。」
「少なくとも、弾数とトリガーの軽さは、こっちが上。」
俺は、卓球から銃を受け取った。確かにグリップは角材を持っているように握りにくい。しかし、P7の最大の特徴である、スクイーズ・コッカーを作動させたときにガチャガチャいう音は、完全に消してあった。
「マガジンは? 」
「五本、用意してる。」
二本をベルトに差込み、ギターケースを空けた。中には金色の実包をくわえ込んだスピード・ロッダーが金銀財宝のように無造作な光を放っていた。その中にP7のマガジンを投げ込み、ふたを閉める。俺は、ポケットに突っ込まれたラジオからイヤホンを取り出し、耳につけた。
「N'get everybody N' their stuff together.Ok 3.2.1 Let's Jam。」
俺はつぶやくと、ラジオのスイッチを入れた。流れてきた音楽は・・・。誰だ、スムーズ・クリミナルなんか流す奴は・・・。

 呑竜の見張り役のキョウは驚いた。激しくヘッドバンキングをするライダースーツの女が、この船へ向かってきたのだ。ヤクでもやっているのか? 彼はその女に「あっちへ行け、神様とまだご面会したくないだろ。」と言った。彼女は、うなずくように、ひときわ大きく首を振った。女のポケットから、その足元に、何か黒い球のようなものが転げ出た。彼女はそれをリフティングすると、見張り役たちに蹴り飛ばした。そいつは手榴弾だった。

 その女は、狂気だった。その女は踊っていた。無軌道に、脈略も無く踊っているだけだった。しかし、呑竜たちの弾は彼女に当たらなかった。彼女はギター・ケースを盾に、床をすべり、そして壁を走り、両手の花束・・・いや、銃から、弾を撃ってきた。飛び散る9mmパラベラムの薬莢が、金の鈴のように、死と破壊をもたらす踊り子を祝福しているようだった。

 でかい花火パーティと化した貨物船を後に、俺は卓球の車に乗り込む。
「・・・ほら、お前の彼氏、返すぜ。・・・ライフルマークがつんつるてんになってるかもしれねーけど。」
 ゼロ距離から弾丸をぶち込む、自己流ガン・カタ。リベリオンの見よう見まねで覚えたものだったが、割とうまくいった。
それでも、ギターケースいっぱいにあった弾薬は尽きてしまう。ホールド・オープンしたままの銃を、くるりと回しグリップを相手の方へ向けて渡す。
「いらない。不能な彼氏は必要ない。」
 俺は黙って、シートを少し倒し、腕枕をして寝そべった。
 ポケットのポールモールが、まるで何十年ぶりの恋人のように、愛しくてたまらねぇ。俺はそれに噛み付いた。卓球はそれを横目で眺めて言った。
「吸ったら死なす・・・。」
 どうやら最近の流行は、タバコを吸ったら死刑ということらしい。
「で、どこへ向かってるんだ。」
「サンセット墓地。メフィストの使ってた隠れ家の一つがそこにある。」
「おいおい、今から情報を引き出すのかい? 」
「お互い、時間は無駄にしたくない。あなたも、一刻も早く真相を知りたい。そうじゃないの? 」

 夜の墓場は暗く、しかも、寒く。それゆえに怖かった。墓場へ来て、コートを鉄柵に引っ掛けて、心臓麻痺で死んだ奴の話を思い出した。確か、奴は肝試しで墓場へ来た。誰もいない、とこしえの闇が待つ不気味な墓場、奴はビビッて、途中で引き返そうとした。しかし、その時、奴のコートのすそを誰かが掴む。そんな! ここには誰もいないはずなのに! もがけばもがくほど、後ろのそいつは強く引っ張ってくる。次第に息が苦しくなって・・・。で、次の日の朝、墓場の管理人が見たものは、コートのすそを鉄柵に引っ掛けたまま、心臓麻痺で死んでいた男の姿だった。
 いや、冗談にもつかない冗談なんだが、少なくとも、お化けを追っ払うには、この手の話がいいらしい。少なくとも、墓場へ来るたびにジョークを考えているおかげで、その手合いのものに出会ったことは一度も無い。
「・・・こっちよ。」
 突如、卓球の姿が消えた。慌てて見回していると、墓の一つが開いて、地下へ下がる階段になっている。
「・・・その体で、人あらざるものが怖い、なんてこと言わないわよね。」
「ふざけんな。」
 怖いに決まってるじゃねぇか。心の中で叫んだ。
 
 墓場の下は、セラミックの壁と床に包まれた、何かの研究室になっていた。
 まるで無菌室のような白い光が、部屋を包んでいた。
「こいつは・・・。」
「メフィストのアジトの一つ。あなたと彼女の愛の巣。」
 壁に埋め込まれたいくつかのモニターをチェックしながら、卓球がパネルを操作していく。
「・・・ここは、知らなかったの? 」
「まぁね。愛人だからこそ、秘密にしておきたいこたぁあるさ。」
 卓球は、懐からコードを取り出す。そして、俺の目を、じっと見つめた。そして、ささやくように言った。 
「・・・確かに、メフィストは、いい母だったと思う。だけど、もういない人を愛してはいけない。あなたも、それに・・・。」
「それはお前の見解であって、俺の意見じゃない。さぁ。続けてくれ。」
 卓球は、目をつぶった。ため息をついたように思えた。それから、うなじにあるプラグを出した。滑らかな白い肌に、そこだけが爆撃されたように痛々しかった。
 卓球はコードをつないだ。一瞬、苦痛とも快楽ともいえない表情をした。卓球は、結局、プラグインしたときだけ表情を出す。その時だけしか「生きていないのだ。」
 モニターがめまぐるしく変わり、卓球が、変わるモニターにリズムを合わせるように少しばかり首を振った。そして、やっと彼女は口を開いた。
「・・・順を追って話すわ。長くなる。いい? 」
「会議と食事時間は短けりゃ短いほどいい、って話だけど・・・。」
「あなたが、昔いた、秘密結社『衝撃を与えるもの』の話も関わってくるわよ。」
一瞬、卓球が「だから・・・やめておいたほうがいい。アリス」と、改造前の俺の名前を呼ぶような気がした。もしも、そうならば、俺はこの事件から手を引こうと思った。しかし、卓球は黙っていた。だから、俺は続きを促した。
「まずはじめに、レギオンは間違いなく、秘密結社『衝撃を与えるもの』の改造人間のコピー、ね。レギオンの元は、カーネル・クリーチャーって呼ばれてたわ。結社内で最強と言われた、バッタをモチーフとした改造人間を参考にして改造されてる・・・。レギオンは・・・あなたも知ってるわよね。カーティスが導入した、改造人間の小隊のことだけど・・・。カーネルと違うのは、レギオンはスズメバチベースの改造人間と言うことと、まったくカーネルの個人的な記憶が消されている、っていうこと。やっぱり、軍用と言うことになると、こと魂は邪魔になるのかしら? 純粋に、戦闘技術と戦闘経験の記憶だけが頭にダビングされている。とは言ったものの、『衝撃を与えたもの』が壊滅した時代は古い・・・。レギオンとはまた別個で、カーネルの戦闘にまつわる技術的記憶のコピーが先に氾濫したのかもしれない。それは、中東とか、戦火がまだきな臭いところに氾濫したわ。やっぱり、新兵さんをしごくよりも、脳みそに経験を注入した方が手っ取り早いのかも・・・。レギオンが、コピーにコピーを重ねた記憶を注入されたかどうかは分からない。ただ、これを開発したスタッフの中に・・・やっぱりメフィストがいる。レギオンの肉体は、彼女が先に作り上げた・・・らしいわね。断定は出来ないけど。」
 俺は黙っていた。タバコを吸うのを忘れるぐらい、卓球の話に聞き入っていた。卓球が「続けていい? 」と聞いた。俺はうなずいた。
「他に、カーネルとレギオンが違うところって言えば、レギオンは、9人の改造人間から成り立っている小隊よね。一人一人は、アインからノイン・・・。」
 俺は首をかしげた。アイン・・・ノイン・・・って、何語だ?
「ドイツ語で1から9ってこと。」卓球は続けた。「1番から9番までのナンバーで呼ばれてるわ。で、その頭脳がアインなの。他のには、大幅な脳の欠落が見られ、変わりにチップが埋め込まれている。それは、アインの考えていることを受信するシステムになっている。」
「早い話、考えるための脳みそはアイン、他の連中は、文字通り手足となって働いているってわけか? 」
「そう。肉体だけの操り人形、ってわけね。参謀のアインがやられない限り、替えがいくらでも効く。『爪や髪の毛を切っても、痛む奴は誰もいない』。これは原案を出した、例の幹部、カーネルの言葉なんだけど、その思想を基にして開発されたのが、レギオンってわけ。」
「へぇ。だけど数字だけのネーミングってセンス悪ぃな。キャルとエレン、リズィって女の子の名前でも付けといたら、かわいげが出ていい。」
「それに関しては同感。ミカエルとか、ガブリエルとかだったらサマになってるかもしれない。最も、1号機だけが『本人』なんだから、爪とか腕とかいう名前が最もしっくり来るかもしれない。さて、レギオンのオリジナルとなった改造人間、カーネルのこと・・・。通称マシーネン・カーネル・・・本名は『衝撃を与えるもの』でも分からなかった。衝撃を与えたもの、の中近東支部支部長・・・。衝撃を与えるものの幹部教程を、最短の期間で、しかも主席で卒業してる。その後中近東支部に赴任し、数々の作戦を成功させてる。特徴としては、彼女の部隊はきわめて少数の兵力しかなかったみたいね。彼女の部下の戦闘部隊は改造人間一体と戦闘員一部隊二十人だけだったよう。ちなみに、彼女の生まれた当時、彼女のいたH国は戦争をしてて、そのあおりを受けて両親が亡くなったみたい。その時、カーネルはほんの年端も行かない子どもだった。」
なるほどね。
俺の「千切れし」、それゆえになくなった過去。俺が秘密結社にいた時代は、俺の闇の時代。その時に出会った、俺の心を、ひきつけて離さない、闇の中に燃える彼女の瞳を思い出した。
「そのままだと彼女を待ち受けていた運命は、死。だけと、そんな彼女を戦火の中から保護した『衝撃を与えるもの』の幹部がいた。幹部には子どもがいなかった。そして、彼は彼女を愛した・・・。
 世間的には『悪』のレッテルを貼られていた組織は、彼女にとっては救世主だったことは、間違いないと思うわ。」
「それなら、世界征服やめて、さっさと国際ボランティアセンターにでも集団就職すりゃよかったのにな・・・。」
 もちろん、皮肉で言ったんだが、半分以上本音で出来てることに気付いた。どうしても涙が出そうにないかわりに、心臓にでかいしみる傷が出来たように思えた。
「だけど、彼女は個人的に他人に対してもきっちりとカリは返す人だったらしいわ。例えば、1×××年のSA作戦。一個師団の兵力に守られた要塞にすんでいた某国の独裁者。それを要塞ごと壊滅したらしいわね。で、この男は、この国の戦火の導火線となった軍部幹部。『旧体制に反する革命』って話だけど、銃を向けられるほうにとっては、どうでもいい話よね。しかも、こいつ、戦争を隠れ蓑にして、武器商人とつるんで稼いでた、って話。しかし、肝心なところは、実はこいつ、彼女のいた地区への掃討作戦の責任者だった。ということかしら。その際に、カーネルの悲劇は起こった。カーネルの両親を殺したのは、こいつと考えてもいい。あなたが属していた組織は、『多すぎる人口の調整および、人類を更なる高みへ導く新秩序を作る』っていう思想で動いていたのは知ってる。だけど、カーネルって女は、自分の親を殺しておいて、のうのうと自分の部屋でワインでも飲んでくつろぐ下衆を許す女じゃなかったみたい。」
 ・・・続けていい? さっきから何回か続けた問いを、また卓球が発した。
 慌てて、ああ。と言った。そんなに、俺が躊躇しているように見えたんだろうか。
「で、カブトムシ型の改造人間だけど・・・。これも、衝撃を与えるものたちのリストに似たものがあった。名前はカブトジン。ただ、これもコピーが散乱している状態になってて、あなたを襲った奴がオリジナルのカブトジンだ、とは断言できない。ただ、気になるのは彼の履歴。革命で国を追われた下級将校だけど、彼も同じく国に裏切られた、ってところは、大いにカーネルの心をふるわせるものがあったみたい。幾度と無く彼女と死線を超えてるわ。
 彼女が行う作戦には、いつも彼の姿があった。そして、彼は男。カーネルは女・・・生死を共にするものの間に生まれた共感は、すぐに恋愛感情に育つって話を聞いたことがある・・・。」
 そして、卓球は、ディスプレイに写真を出した。
 男と女が写っていた。そして、男と女、二人しか写っていなかった。そして、その手の写真は、何か特別な意味があるのは間違いなかった。
「そして、最後は戦死したわ。みんなが『正義』だと言っている戦士の手によって。最悪の中の幸いなことは、二人とも仲良く天に召されたわ。」
 俺たちはしばらく黙っていた。馬鹿な話だ。悪なんて無かった。対立する正義だけある。特に戦火の中では。しかし、その一生を対立する正義に拒否され、焼き尽くされた少女は、何を思ったろう? そして、それでもなお、彼女を愛した男は、何を思ったろう? 
「これで、お話はお終い。何かためになった? 」
 そそくさとコードをしまいながら、卓球は言った。
「・・・寝る前のおとぎ話にしちゃ、向かねぇ話だと思った。」
「忠告はしたはずよ。止めといたほうがいいんじゃないの? って。」
 そして、その場から出る。墓場は再び死者の沈黙に包まれる。悪ぃな。眠りを妨げちまって。メフィスト。
 帰り道のウニモグの車上で、卓球は、エンジン音にかき消されるほど小さな声でもらす。
「あなたが何を考えているか知らないけど、私が悲しむことだけは止めて。」
「心配するな、俺が死んだら借金はみんなお前が肩代わりするって遺書に書いた。」
「そういうことこそ、まさに、私が悲しむこと。」
 そう、俺にとっても、彼女にとっても、「悲しむこと」=「自分に迷惑がかかること」に過ぎない。そのほうがみんなうまくいくし、大体、それが本当に優しいことだし、第一メフィストも喜ぶ。

 新年から二週間がたっただけだというのに、町は祭りの享楽はすっかりさめ、アリのように忙しく、ヤクをばら撒いたり、車泥棒をしたり、怠けたりする日々が戻ってきたようだった。そんなに忙しくならないでもねぇ。俺を見ろ。一年中冬休みじゃないか。
 とは言ったものの。俺も珍しくやる気になっていた。朝一でマイクに電話をかける。「マイク議員はいるか? 」と聞いたら、胡散臭い慈善事業のような声を出す女が、「マイク議員は今不在です。」と言った。
「こりゃ失礼。だけど、おたくは名前を名乗らなかった奴には、片っ端からその答えを返してるんじゃないだろうな? 」
「それは、国家機密に属します。じゃ、改めて、あなたはどなたですか? 」
「トヴァ・マシロ。って言えば、たぶん話が通じると思う。・・・・おいおい、メモなんて取るんじゃねぇぞ。この手の話題は、人がいない時を見計らって、そっと議員に耳打ちするもんだ。」
「それじゃ、そうします・・・。ちなみにマイクがそちら様のことを存じ上げないといったときには? 」
「そん時ゃ、そん時さ。別に俺は損はしない。」
電話の向こうから、タバスコの入ったたるに一週間浸っていたオペラ歌手のような、電子音のエリーゼのために、が流れる。
 そして、マイクが出た。彼はごきげんよう、の代わりに、「いゃあ。はっはっは。」と笑った。俺はそれについて、非常に一言言いたかったのだが、子供じゃないのでやめた。その代わりに用件を伝えた。
「・・・ひょっとしたら、カーティスの砲撃事件について、面白い情報が掴めたかもしれない。」
「冗談にしちゃ、少々面白くない・・・。ってことは、真実か? 」
「ある程度だけどな・・・。最後の詰めをするために、あんたも同伴でカーティスに会いたい。」
「もちろん、喜んで。といいたいところだが、今から会議があるし、カーティスにアポをとるのは、少しばかり時間を食う。どんなに急いでも、夕方四時近くになると思う。」
「それでいいよ。じゃ。」
 電話を切り、ベッドの上を見回し、少々唖然とする。
 アイロンがけした、フォーマルのスーツが無い。そんな気の利いたもの、俺に要求するのは無理だ。議員さんの前に出るには、少々みっともない。
 
 三時に時計屋に行った。奴はコーヒーを持ちながらガレージへ降りてきた。
ロンドンタクシーを貸せ。と言うと、貸し渋った。どうして俺が貸し渋っているか、分かるか? と聞いた。俺は答える代わりにこう返した。
「・・・何べんも言ってる。あんたには絶対迷惑はかけねぇ。」
「俺が言いたいのは、そんな事っちゃねぇ 」
奴はうなるように呟いた。
「お前は礼儀を忘れてる。」
「どんな礼儀だ? 」
「一度足を突っ込んだ同僚を、最後まで付き合わせるっていう礼儀・・・。」
俺はため息をついた。笑った。卓球の気持ちがよく分かった。
「・・・あんた、このヤマから身を引きたいんじゃなかったっけ。」
「あんな成り行き任せでその場の思いつきで言った台詞を真に受けるのか? 」
俺は笑った。ただ、笑った。こんなに気持ちよく笑えたのは、新年初めて、いや、去年以来かも知れなかった。俺は、首を振った。
「何べんも言ってるが、どうして俺が『あんたに迷惑をかけない』って言ってるか分かる?」
時計屋は分からんと答えた。俺は教えてやった。
「このヤマが、俺のごく個人的なことだからだよ。俺はあんたじゃない。だから、俺のプライベートなことが、あんたに迷惑をかけるはずがねぇ。だから、車のキーを貸せよ。」
 時計屋は、苦すぎるコーヒーを飲んだような表情をした。
「いったい、何をしにいくつもりだ? 」
「報われない魂二つ、天国まで送る。」
奴は、鍵を懐から出したまま、迷っていた。俺は止めをさした。
「なに、死者に花を手向けるだけだよ。荒事にはなりゃしねぇ。その証拠に・・・。」
 腰にぶら下がっている、俺の命一個分の古ぼけたリヴォルヴァーを差し出す。
「これを置いていく。餞別。」
「おい、お前。」
 時計屋が少し立ち上がった。
「冗談だよ。鍵をよこせ。」
そして、ついに時計屋は鍵を渡した。最後にもう一度、お前一人で大丈夫か? と聞いた。実に分かりやすい男だ。
「人のプライベートに、口を突っ込むほど、野暮天なの? あんたは。」
俺は「ひとり」で車を出した。その後でマイクを拾って、待ち合わせ場所である、最高級『ホテル・ヘブンズ・ドア』に向かった。
 行きの車内の中、俺は、「レギオン」の過去についての資料と、クリオネから預かった写真を見せ、説明をした。
 奴は一言も口も利かずに、俺の持って来た資料に目を通している。
 たっぷり十分間、目を通した後、マイクは叫ぶように言った。
「上出来だ。もし、ボクが審査員なら、君にピューリッツア賞をあげたい。」
「まだ食べたことが無いケド、それは食えるの? 」
 そして、車は、見上げるばかりの天に突き刺さる大鉄塔『ヤコブの梯子』に着いた。この中の丸々一回が、ヘブンズ・ドアのフロントと言うわけだ。
 せいぜい擦り切れたジーンズとビニール製ジャンパーが制服なこの町に置いて、いったいどこから沸いてきたんだろうと思えるフォーマルスーツ姿の奴かたくさんいた。
 俺たちはフロントへ行った。マイクが一言、二言言うと、速攻でフロントは鍵を出した。絡みつくようなカーペットの毛足を蹴って、リムジンだって入れそうなエレベーターに乗った。
 エレベーターの後ろは、ガラス張りになっていて、眼下に梯子通りの情景が広がっている。
「・・・に、しても、いよいよカーティスと全面対決か・・・なんか・・・こう、武者震い、って奴か? 高いところへ来たから、震えてるんじゃないよ。」
 目指すのは地上134階。小さくなっていく景色には、もう人がうごめいている姿は見えない。急に、俺たちがやっていることが、非常にちっぽけなことで、地上を駆けずり回っているゴミ虫がしていることに思えてしょうがなくなった。馬鹿らしくなった。
「・・・ここから見ていると、貴方のことがよく分かる。貴方のその姿かたち、その優しい言葉も・・・。」
 マイクが不思議そうにこっちを見た。
「なんだ? それ? 」
「さてね。なんかの曲だったけど、忘れちまった。」
 あとはストレートなもんだった。カーティスは部屋の中に、まるで呼吸をするように自然にいたし、お付のレギオンも、取り立てて変なアクションは起こさなかった。
「・・・君と会うのは、せいぜい議会の中だけにしたいもんだが・・・マイク君。何か言いたいことがあるそうだね。」
 カーティスは、唇の端を少しばかり上げた笑みで、マイク議員を迎えた。
「いや、実際に用があるのは、僕じゃなくて、こちらの方らしい。」
 マイクが、俺の肩を叩いた。
 俺は黙った。まるで、ここにいる俺は俺ではなくって、空気のように、ただ状況を傍観している無意味で無力な存在のような気がした。カーティスが不振な目つきでこっちを見た。マイクが、頼むよ、と言うようにこっちを見た。
 やはりこれは現実で、口を開かざるを得ないのは俺らしい。鉛のように重くなった息とともに、声を発する。
「全部調べたよ。レンジィの過去。話はかなり遠回りになる。昔々、バカな国がバカな戦争を仕掛けて、そのためにある女の子の両親が死にました。かわいそうなことの始まり。その子は戦争とは何の関係も無い、一市民の少女でした。」
 奴は黙っていた。俺は奴に資料を投げ、続けた。
「女の子は、この戦争を起こした馬鹿の王を憎みました。憎んで憎んで憎みました。そして、戦争を起こした馬鹿どもを一人一人狩って行きました。そして、念願の馬鹿王を追いつめ、狩ることが出来ました。だけど、そのときにはもう、少女の身も心も、憎しみの塊となって、血みどろの世界から抜け出せなくなってしまいました。」
 ちらりと、レギオンの方を見た。黒目だけの目に、どんな感情が浮かんでいるかは分からなかった。
「彼女に残されたのは、ほんのちっぽけな、太陽の光に当たると消えざるをえない小さな世界でした。そして、光は、彼女たちのいる世界を焼き尽くそうとしました。哀れに思った神様は、彼女の前に、彼女を愛する男を遣わせました。」
 俺の目の中に、心の中に次第にどす黒いものがたまっていった。
「しかし、光は彼らを絶対に許そうとはしませんでした。憎しみでどす黒く染まった彼女でしたが、彼女は、ただ、光さす青空が、ほんのちょっとでいいから光さす青空が見たかっただけなのです。だけど光は、それを許しませんでした。二人はこの世ではついに一緒になることは出来ませんでした。天国で一緒になれればいいのですが、残念ながら確かめられる人間はいません。」
 カーティスは、呆然と資料を見ていた。その時彼にとって、もうこのようなものは紙くず同然の価値だったのかもしれねぇ。俺は、そして、言葉を吐き捨てた。
「男の名はカブトジン。女の名はカーネルと言いました。」
 カーティスは、あざ笑うような笑みをたたえた沈黙に代わっていた。レギオンは相変わらず、何も言わなかった。
「二人をかわいそうに思った人間がいました。彼女は、もうこんな悲劇が起きないように、彼らの肉体をいくつも作りました。彼らの魂をいくつも作りました。だけど、生まれたばかりの二人の力はあまりにも弱く、その魂はアリのようにたかる欲望のみの人間に陵辱されつくされました・・・。秘密結社『衝撃を与えるもの』の改造人間の兵器的価値は高い。結社崩壊後、いくつもの海賊版コピーが出た。カーネルとカブトジンも、例外ではねぇ。特に、カーネルのコピーは、あのファウストも手がけている。それがレギオンだろ? 」
 相変わらずの沈黙。俺はかまわず続けた。
「で、カブトジンのコピーはレンジィだ。幸か不幸か、カブトジンのコピーは記憶を失っていた。奴がこの島に流れ着いたとき、あんたは壮大な茶番劇を思いついた。自分の立場を堅固にするために。自分の武力政治を認めさせるために、レギオンを導入して、その第一歩を踏み出すために、あんたはアクアリウム事件で、カブトジンのコピーに自分の乗っている船を砲撃させたんだ。」
「馬鹿かね。君は。私は死にかけたんだぞ・・・。」
「あんたはトイレにいた。爆破事件が起きた際に、警察では真っ先にトイレへ行くことを教えられる。四方が壁に囲まれてて、そこが一番安全だからさ。第一、事件資料では、あんたがいたトイレは、第一の砲撃事件からもっとも離れていて、一番救命ボートに近かった。」
「いいかがりもほどほどにしたまえ。私は火の手に追いつかれそうになり、駆けて駆けて、逃げに逃げて、やっとのことで救命ボートにたどり着いた。」
「・・・じゃあ、自分の船室に戻る暇なんぞなかったよね。」
カーティスは、はっとなった。この男が見せる初めての驚愕の笑みだった。
俺は、執務室のテーブルを指差した。そこには、クリオネからもらった写真に写っていたトロフィーがあった。俺は写真を出し、見せた。
「この写真は、砲撃事件が起こる直前、撮ったものだ。これはあんたの船室に間違いねぇな? 逃げに逃げたのなら、どうして、船室にあったトロフィーがここにある? 爆発で粉々になっていて、しかるべきじゃないのか? まさか、パーティ会場までかさばるトロフィーを持っていく奴はいまい。つまり、あんたは、爆発があると前もって知っていたんだ。だから、爆発が起きるまでに、何らかの方法でこのトロフィーを持ち出すことが出来たんだ。」
「屁理屈をっ・・・。」
しかし、奴はその言葉を搾り出すので精一杯だった。反対勢力の筆頭、マイクを前にして、それはあまりに無力だった。
「疑問は提示するだけでいい。後はこの議員さんが、詳しく調べてくれるだろ。言いたいことは、それだけだ。」
 俺は踵を返した。この場を出るために。
「待て・・・。」
 ドアに手をかけた俺に、カーティスが言った。
「私はこの島に必要な人間なんだ。貴様が黙っていさえすれば、すべては丸く収まった。正義の味方でも気取るつもりか? 貴様も奴らと同じ穴のムジナ。のろわれた存在であるくせにッ! 」
「俺はね、人の現在にはさっぱり興味がないが、人の過去をほじくって荒らす奴は、どうも許すことが出来ない人間らしい。」
 それだけ言うと、俺はレギオンと目が合った。
 その黒い瞳には、まるで感情というものを湛えていなかった。
 一瞬、俺の横に座った、俺の荒れ狂う心を収めた、涼しげな眼をした少女のことが頭に浮かんだ。
 ・・・もし、こいつがカーネルなら、俺たちを絶対この場所に入れなかった。この場へ来たとしても、その時点で、俺たちを射殺しただろう。
 もう、俺の過去はここになかった。今、気付いた。俺が語りかけていたのは、カーティスへじゃない、レギオンだったのだ。カーネルは、無表情だった。だけど俺には、まるで地上に残る愚か者たちを眺めている、天使に見えた。そして、天使は常に嘆いている。地上の人間に、愚かしい人間に、いくら手を伸ばそうとも、その手は届かない、ということを。なんかの引用だったが、どうしても思い出せなかった。陵辱されつくした魂はついに天に召され、残った人間たちは、愚かしく地上をうごめく。めまいがした。ドアノブがなければ、倒れていた。

「やったぞ。」
 マイクは、俺の肩を思いっきり叩いて言った。カーティスの不正を指摘した後、俺たちは借りてきた時計屋のロンドンタクシーで、マイクのヤサに向かっていた。
「後は、俺たちでやるよ。これのスキャンダルで、奴の腐りきった土台を壊す準備は、確実に出来上がったね。しかし、よくそんなトロフィーなんか、あの部屋にあったな。」
 確信はあった。少なくとも、ジョキョウジュの「保険」となるくらいのネタならば、あの写真にはそれなりの確実性があるはず。トロフィーの証拠を示唆しているのなら、部屋にほぼ間違いなくトロフィーか、それにつながる何かはあると思っていた。それに・・・。
「もし無くっても、前の日に偽のトロフィーを仕込むぐらいはやっておいたろうぜ。」
 マイクは口笛を鳴らした。
「怖い女だ。実際。」
 俺の視線が、しばらく宙を泳いだ。そして・・・。
「実際に怖いのは、あんたかもしれねぇ。」
 奴の丸顔が、一気にこわばった。少し、眉が引きつる。
「どういう意味だ? 」
「あんた、最初から全部分かってたんじゃねぇのか? 」
「全部というのは? 」
奴は、冷静に言葉を喋ろうと努力しているようだった。
「レンジィがカーティスとつるんで、やらせの砲撃事件を起こしたこと。あんたは、今日みたいに、奴に決定的な一撃を与える日を待ち望んでいたんじゃないかい? 特ダネを求めるジャーナリストのサガか。あるいは、カーティスの勢力をある程度まで拡大させて、一気に失脚させる。そのどさくさにまぎれて、対立候補であるあんたが、カーティスの権力を代わりに一気に握る。放火する対象はでかければでかいほど、世間の注目は集まる。なんにせよ、そんなシナリオを思いついたあんたは、11年前の砲撃事件、起こるって分かっていて、止めなかったんだ。」
 奴の丸顔は、もはやテレビで見せられるような笑顔ではなくなっていた。自分の牙の前の獲物を見る、狼そのものの目だった。
「・・・なかなか想像力がたくましい。」
「まーね。俺は想像力はたくましいほうでね・・・。あくまでこれは、勘なんだけど、おかしいなと思ったのは、俺たちにコンタクトを取ってきたときだ。もし、レンジィを捕まえたいなら、警察や、探偵の組合の門を叩けばいい。どうして、職を辞めたばかりの無職に、あるいは、刑事でもない保険の調査員に。ここまで協力をしたんだ? 俺は頭は悪い。だから、レンジィをいち早く見つけ出して、口を封じるためぐらいしか理由が思いつかない。レンジィと事故った相手をやったのも、実はあんたの差し金じゃないかとにらんでる。結局、あんたは、過去にとらわれて生きざるをえなかった亡霊二人の魂を陵辱しつくしたんだ。」
 マイクは、しばらく俺の方を見据えていた。この事件を通して、奴は何を見たんだろうか。そこには、俺のような若造では見通せない闇があった。俺の首筋に、涙のような汗が一筋たれた。だが、いいたいことはこっちだってたくさんあった。奴は続けた。
「・・・君の考えは、なかなか面白い。ただ、ジャーナリストの視線で言わしてもらえば、いささかセンチメンタリズムが入りすぎていて、感情的で、偏った意見になっている。読み物としては面白いが、報道としては最低だ。大体証拠が無い。」
「OK。俺はいつでもセンティメンタリストだし、センティメンタリストすぎる。だから俺の言うことは、あんたよりは間違っている。それでいいでしょ。違う? 」
 俺たちは押し黙った。
 そして、ちょうどそこが、終点だったようだ。「降ろしてくれ。」とマイクが言った。俺は、車を止めた。
「君みたいな奴が、たがが探偵もどきに堕落しているのは、本当に惜しい。どうだ。俺の元で、働いてみないか・・・。」
「残念だけど、俺は、実は『正義』って言葉は、そんなに嫌いじゃないんだ。だけど、自分が『悪党』だと気付かない人間や、自分が『悪党』だと認めない人間には特別虫唾が走るんだよ。」
 やつは、しばらく唇を噛んでいた。そして言った。
「なぁ、トヴァ。僕がどうして議員なのか、分かるかい? 何百人と言う人が、僕のやることを気に入ってくれてるからだ。すごくおそろしいと思わないか? 自分のやることを信じてくれている人が何百万人もいる。僕は永遠に、闇の中をはいずって、真実を見つけ出さなきゃいけない。まったく、クソッたれのようにクールだろうが! 」
「・・・カーティスもおそらくは、同じことを言った。」
 俺は、それだけ言って車を出した。バックミラー越しに、奴の姿が後ろに消えるのが見えた。しかしその、飢えたケダモノのような視線は、俺をいつまでも追ってくるような気がしてならなかった。

行き場の無い政治業者たちが退場したので、俺もそろそろおねんねのお時間だった。梯子通りを通ってLN'P通りへ戻ろう。夕方の交差点は、混んでいた。車に並んで、バイタク・トゥクトゥク・自転車が無秩序に並び、その間を道路を渡ろうとする人々が、信号なぞなんのそので歩いている。そして、潮風を含んだ、まだ冷たい夕日が、皆を平等に金色に染め上げていた。そういえば、いつから夕焼けなんぞしみじみ見なくなったんだろう。
ダッシュボードに手を伸ばすと、そこにはセブンスターがあった。時計屋が置き忘れていったのか? しょんべん臭いタバコは絶対に吸いたくないが、昨日からタバコを吸っていないのを思い出し、片手で箱を振って一本取り出し、口にくわえた。
信号待ちを利用して、カーライターをつけていると、おもむろに車の後部座席が開き、男が入ってきた。
「ああ、誤解させて悪い。マジでこれ、タクシーじゃないんだ。」
「かまわないさ。俺だってタクシーを待ってたわけじゃない。」
振り向くと、この事件が始まって、散々追いかけてきた男の顔があった。
写真で見たような、山脈みたいながっしりした体はいまや無残にやせ衰えていた。まるで自分の影に一体化するように。
 俺は、セブンスターの箱を投げた。奴はそれをキャッチした。
 窓から入ってきた黄金の夕日の中でさえ、奴の顔を完全には照らさなかった。
 すべての音が死んでしまった車内に、安っぽいライターの音が響いた。
 奴は、まるで砂漠の吸血鬼が、数年ぶりに極上の美女の血を吸ったように、満足げにタバコの煙を吐き出した。
 ほんの少しの間、だけど世紀が変わってしまうような長い沈黙が、俺たちを襲った。
「・・・ずっと俺を探してたんだろ? 」
口火を切ったのは、レンジィだった。
「レギオンの・・・いや、カーネルの恋人ってのは、あんたなのか? 」
「さてねぇ。みんなその辺のことを問題にする。だけど今となってははっきりしねぇ。記憶が無ぇんだ。俺がカブトジンのクローンで、コピーにコピーを重ねたせいでそうなってるのか、それとも本人で、記憶をなくしているのかさえもわからねぇ。俺は生ける亡霊さ。俺には、寄りかかるべき過去もねぇ。だから、カーティスの話も、簡単に引き受けられた。」
 そして、レンジィはタバコをふかした。
「どこまで知っているんだ? 」
 奴は聞いた。
「あんたがカブトジン本人。あるいはコピーの可能性があること。カーティスのやらせの砲撃事件に参加したこと。反対派のマイクが、この事件のからくりを全部知っていて、それをスキャンダルにしようとしていること。しか知らねぇ。」
「たいしたもんだ。それで全部だ。俺の解説はいらねぇな。」
奴は、そういって笑った。紙をくしゃくしゃに丸めるような笑い声だった。
「ただ、マイクがどれだけのことを知っていたかは知らねぇ。」
「自分で言ったろ。全部、さ。奴がこの事件の一番の立役者かも知れねぇ。さすがは元ジャーナリスト、情報収集なんかはお手のモンさ。砲撃事件が起こるかなり前、奴は俺が一人になるときを狙って、大勢の武装した連中を連れてやってきた。『カーティスの行動を報告する、スパイになってほしい』ってね。」
 言葉を出さない代わりに、俺はタバコの煙を吐き出した。
「奴は、カーティスの欺瞞を暴くとか言ってやがったが、俺にとってはどうでもよかった。正直言って、この島に来た最初のころ、『輝ける黒銃』と呼ばれていたころが、俺の人生のすべてだ。いや、その時も、俺はひょっとしたら、亡霊なのかも知れなかった。皆が勝手に誉れ高い名前をつけただけ。俺には、俺の人生を支える足がかりになってくれるような真実は何も無かった。この島に来る前の過去は、どうしても思い出せない。だから、マイクの話も、派手な打ち上げ花火をあげるのは楽しい、そういう理由から一口乗っただけだ。」
 タバコも、いつの間にか半分以上まで灰になっている。それは、そろそろ終わりが近いことを示しているのかもしれなかった。
「あっ、そうそう。あの海賊放送のクリオネ、って奴に、よろしく伝えておいてくれ。奴は、ま、この町の有名人だったからっていう、適当な理由で選んだ。ただ、俺は、物騒な写真を預かってもらいたかっただけさ。」
「自分でよろしく伝えろ。・・・どうして、俺のところへ? 」
「ここまでたどり着いた奴の面を拝みたかった。それだけだ。」
「・・・ボルボと事故った相手を殺したのは、お前なのか? 」
「俺じゃねぇのは確からしいぜ。実は、あの事件を新聞で知った。カーティス側かマイク側か知らねぇが、真実をすっかり聞きだした後は、おそらく相手方に情報が漏れるのを防ごうとしたんだろうぜ。もっとも今となってはどうでもいいことだし、お前さんもこの話を信じるか信じないか、決めかねてるんだろう。」
 まったく、その通りだった。レンジィは、まるで何もかも心の中を見透かす仙人が、弟子に講義をするように喋った。
そして、ついにタバコの火は、フィルターまでたどり着いてしまった。それは、俺たちの会話が終わったことを意味していた。
「・・・ああ、そうだ。『カーネル』って奴の写真を見せてくれねぇか? 」
俺は、再び信号に引っかかったのを幸いに、開いた左手を使って、ダッシュボードの中の資料から、カーネルの写真を取り出す。
彼はそれを、まるでモナリザの絵でも扱うように見ていた。撫で回すように見た。なくしてしまった宝物のありかを示した地図を見るような目つきで、ひたすら眺めた。だが。
「・・・くそっ。だらしねぇぜ。カーティスもマイクも、これが俺の愛した女だって言うけど、俺が今思い出せるのは、この島にはじめてきた時の海の青さと空の青さだけ・・・。いくらみんなからカーネルのことを聞いても、思い出せるのはそれしかねぇ・・・。」
「当然だろ。あんたは、少なくとも砲撃事件に関わったときに、それらの思い出を捨てることを選択したんだ。それが非難されるようなことか、同情されてしかるべきのかどうかはわからねぇ。あんたが決めるべきことだろう。」
 奴は、少しだけ笑った。暗がりの中でも、かろうじて笑みを浮かべたことが分かるぐらいの笑みを浮かべるのは分かった。
 そして、レンジィは俺に写真を返した。ダッシュボードに写真をおき、俺は、まるでその代金を払うように、懐から本を出す。レンジィの、襲撃の際に奴が落とした本。『冒険者たち』というタイトルのそれを、忘れもんだぜ、と言って渡そうとした。レンジィは力なく首を振った。「やるよ。餞別だよ。」と言った。「いらないから」俺は渡そうとした。レンジィは笑った。「どうせ、お前、本なんかと無縁の生活、送ってんだろ。いい機会だ、この際読んでおいて損はねぇ。どうせ、ガキ向けのお話さ。」  
本はぽつんと、シートの上に置かれた。「あんたがやってくれたことの礼にしちゃ、少なすぎるが、これで精一杯なんだ。」雑踏にかき消されそうな小声だったが、はっきりと聞こえた。奴は「じゃあ。」と言ってドアを開けた。おい、と言って、追いかけようとしたが、もうそれは無理だった。
 目的地へあせる後続車の群れが、俺にクラクションの非難をいっせいに浴びせる。ロンドンタクシーを追い越そうとした車にぶつかりそうになりながら、俺は交通渋滞の原因になるのを避けるために、その場を去るしかなかった。
その拍子に、あけていた窓から、もう、誰にとっても必要の無い、ダッシュボードの上の写真が、まるで蝶のように飛んでいった。

 以上が、俺の知る事件の顛末だ。後は、特に記すことはねぇ。卓球とクリオネには、しばらくあってねぇが、二人ともまだこの町で呼吸しているのは間違いねぇ。卓球は相変わらず「便利屋」として活躍しているらしいし、レディオ・ツァーレンの方も、程なくして放送を再開した。
 俺の方は、というと、時計屋を媒介にして、保険屋の臨時調査員として仕事をすることになった。時計屋は口うるさいが、俺のオフクロほどではなかったので問題は無い。ああ、俺にはオフクロはいないんだったっけ。ヤオの方は、結局警察を辞めされられたが、本国へ帰って、あのシーラカンスのM10片手に、私立探偵として活躍しているそうだ。最後に電話をかけたときに「なーに、僕もこの警察には、うんざりしてたんですよ。ちょうどよかった。」って話を聞いたときには、心底ほっとした。「お前を首にした奴を教えろ」と言ったら「先輩、そいつを殺しにいくつもりなんでしょ。」と笑った。奴らはヤオに最大限の感謝をしなくちゃならない。この間来た手紙によると、職業柄、奥さんはまだ作れないが、猫を飼いはじめたようだ。
カーティス議員は、マイク議員の追及を受け、議員を辞める羽目になった。悪は滅びて正義は勝つ。まったく筋書き通りであくびが出そうだった。そして、マイク議員が、対テロ対策として、そして、自分のボディガードとして「レギオン」を採用したのも、まったく筋書き通りだった。
俺もそれなりに忙しくなった。ストレスで死にそうなほどではなく、暇すぎて死にそうほどではなく、ほどほどの忙しさが手に入った。保険屋の同僚も、まぁまぁの及第点だった。とにかく、警察での事件と、今回の事件がうそのように、俺の生活は再び回り始めた。それもちょっとだけいい方向へ。俺の人生は、ここへ来てまた「新しく」なり始めたのだった。
 だから、レンジィと再び再会したときには、本当に驚いた。
 危うく言うのを忘れていた。この事件にはおまけがあった。
 再会の場所は、梯子通りの裏にある、時計屋お勧めの立ち食いチャイナ・ヌードル屋・・・のテレビ。
 そのニュースを聞いたとき、俺の箸は止まった。
 「ただいま入ったニュースです。本日、午後五時十六分、チャンジャ公会堂で、マイク・メイヤー議員が射殺される事件が起こりました。犯人は、レンジィ・モノストーンと言う男で、甲虫型改造人間に変化できる改造人間の模様。チャンジャ公会堂で、今度の選挙に向けての演説をした、その帰りに事件が発生。マイク議員は、ほぼ即死ですが、ボディ・ガードの「レギオン」機動隊が犯人に向けて発砲。犯人は即死しました。詳細は現場から報告が入り次第、詳細をお伝えする模様・・・。」
 しかし、俺は見た。ニュースに付属して流れる、事件を写したピントのずれた画像の中。レギオンが発砲する一瞬前、奴は人間に戻っていたのだ。
 あっという間の出来事なので、奴がどんな表情をしているかは分からなかった。
 奴らは真実を伝えるというが、所詮この程度の真実しか伝えない。
「・・・あのさぁ・・・海へ行かない? 」
 自分でも何を言ってるか分からなかった。横でチャイナ・ヌードルをすすっている時計屋が怪訝そうに言った。
「は? 唐突に何を言い出すんだ? 」
「海だよ。海。」 
もう、ニュースは終わってしまっていた。俺はまるで、ニュースで解説されて無い部分を、解説者の代わりに、沈黙が訪れるのが怖いように喋り続けた。
「ゆっくり、海の中を、泳ぎたい。さかなになりたい。さかなになって泳ぎ回りたい。海は広いぜ。水平線の向こうには、何かいいものがあるかもしれねぇ。」
 時計屋は、悲しそうに笑った。悲しみながら笑えるという器用なことがこの男に出来るって、初めて知った。そして、俺もそれが出来るってのは、驚きだった。時計屋は続けた。
「ばかやろう、俺はお前みたいなうすのろ、大嫌いなんだ・・・分かっているのかよ・・・。ゆっくり海の中を泳ぎな。さかなになって泳ぎ回りな。ばかやろう・・・・なんて奴だおめぇは。俺に迷惑をかけやがってよ。俺はなぁ、おまえたちのことなんか、ちっとも気にしちゃいないぜ。ばかな道化野朗め。最後の最後まで、俺たちを笑わせやがって・・・。さかなになりな。ボーボ。思い切り泳ぎな。」
 冒険者たち、だな。時計屋は言った。不本意にもレンジィの形見となった本の一節だった。本にはさんであったしおり、何気なく手に取った俺は、それを最後まで読み通した。
俺たちはその場を立ち上がる。最後にもう一つ依頼が増えた。『冒険者たち』のラスト近くのせりふを思い出した。
「ガンバさん。泣くのはおやめなさい。あなたの愛したシオジは決して泣かない娘だったのですよ。」
俺は、この本をどうしても、奴に送り届けなければいけない、奴にこの話の続きを読んでもらわなければいけない。今は冬だから寒いだろう。夏はかなりいい感じになるだろう。
 カエサルはカエサルのものへ、さかなになったレンジィのために海の元へ。俺は、ぼんやりと夏まで何日かかるか考えた。どうせ短い人生だ。これで、夏まで生活にはりが出てくるというもんだ。























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