Voodo○ child


 うだるような夏の午後だった。神が気まぐれで起こしたような天罰みたいな猛暑の中、許しを請うように歩くことしかできないこの島の住民は、溶けそうなアスファルトに足跡を残すように陽炎の中に消えていった。俺はといえば、相棒が操るフィアットの中、眩暈がするような熱波の中で、助手席でとろけていた。ついでに、俺のウサギ耳は昨日からおもいっきりたれっぱなし・・・。しかも、このウサ耳はカチューシャなどという面白いものじゃねぇ。自前の耳。おまけにこんなクソ熱いのに、俺の体には汗を溜め込んだウサギの羽毛が生えている。勘のいい方はお分かりだろうが、わたくしトヴァ・マシロはウサギの改造人間なのです。しかも、もう無くなった某悪の秘密結社の。
 しかし、いくら勘のイイ方でも、俺が♀だとは思いもよらねぇだろうな。
 どうして俺が、そう女の俺が、改造人間・・・しかもウサギなんぞをベースにした改造人間になったかをしゃべってると、おそらく世紀が変わる。今は肝心なことだけ話そう。
 肝心寛容なことは、この暑さを何とかしようという事。今度こそは車にエアコンをつけようと思うのだが、そんなもんつけたらこの車がバッテリー食われて動かなくなる。ましてやそれを買う金は、たとえ今目の前に地獄の悪魔が来て、俺を逆さつりにしてシェイカーのように振っても出そうに無かった。この恐るべき、いや、そんなもんじゃないか。恐るべきばかげた事件は、このようにして幕を開けた。

 ことの起こりは、「偉大なるネルソン提督の血」ラム酒、そして、俺の家の冷蔵庫が大破したこと。スラム街「LN'P」通りに、まるで毛細血管のように張り巡らされた裏路地のひとつ。そこにぽつんとある小さな階段をご存知だろうか? まー知らんだろな普通。特に言ってないから。まるで、何かそこに突然空間が切り取られて出てきたような地下へ続く階段。その先はまるでありの巣みたいに込み合ったごちゃごちゃした部屋がある。早い話が地下にあるアパートだ。一番出口に近いところが俺の部屋だ。火事になっても、真っ先に逃げられるという絶好のロケーション。いや、そんなことは重要じゃない。地下っつったら、もともと人間が住むようには作られていない。その証拠のひとつに、夏の地下に溜まる熱気がある。何べんも言うがエアコンを買う金があったら、借金と酒代と煙草代に消えてしまう俺様だ。その日も、怪人汗女とでも改名したいほど熱帯夜に苦しめられた俺は、冷蔵庫に頭を突っ込んでいた。頭がおかしくなったんではない。冷やすんだ。頭を。そのとき、俺はバカルディを飲んでいた。ハートランドはいい酒だとは思うが、やはりアルコール度数が高い酒にくらべりゃビールなんぞ小便だ。一ヶ月かけて楽しもうと思っていたが、数分で一瓶を開けた。そのまま冷蔵庫に頭を突っ込んで爆睡した。目をあけたら地下アパート全体が停電になっていた。どこぞの馬鹿があまりにも電気を食うことをやらかしてヒューズが飛んだらしい。そして、幸いにも俺は冷蔵庫を開けっ放しにしたほうが閉めっぱなしにしたほうより数倍電気を食うことを知らなかった。および、そっちのほうがかえって冷蔵庫から熱気が出てきて暑くなることを。殺気だった住民たちが真犯人を見つける前に、俺は相棒を呼んで、冷蔵庫を買いに行くことにした。

 「なぁ、その服なんとかならねーか? 」
 参った。骨董品屋とは名ばかりのジャンク品屋までまわって、冷蔵庫と名がつくものはひとつもめぐり合わなかったのだ。
 「嫌よ。この服ってば、お気に入りなんだから。うさちゃんの耳と同じくらい、あたしの体の一部になってる、って奴? 」
 俺の相棒クリオネは、こんな猛暑の中でも、つま先から指の先まで、真っ黒なゴシック・ロリータファッションで決めている。そのまま火葬場でも行けば、葬儀屋か遺族のいっちょあがり。 
 「それに、うさちゃんが暑いわけじゃないでしょ。」
「暑いんだ。見てるだけで夏風邪、ひきそうだ。」
夏の暑さは、夕方になって確かに少しばかり引いてきている。しかし、今度はアスファルトおよび海から襲ってくる熱波が、容赦なく海の家の住人を襲う。その魔の手から逃れるために、俺たちは市街地から遠く離れた時計屋に非難した。
 時計屋は、教会ばりのきれいな鐘の音が響く時計台の二階にある映画館だ。一階のペットショップの軒先に、まるで何かの罪人のようにつながれた犬。そして、餌というより置き去りにされた置物のように、とっくに賞味期限が切れたであろう餌が入っている餌箱。犬の鼻先においてある餌箱を、足でズイと押しやる。それまで食べる気なんかコンマ一ミリも無かった犬が、抗議のうなり声を上げた。それが俺たちの挨拶であり習慣であり、病理だった。
 獣くさい、壁にほんのりと青く映える水槽が並ぶペットショップ内を通り抜け、金庫の扉みたいな上につながる階段への入り口を開ける。
上りきったところにある、「映画」というよりもラヴホテルで延々と流されている方がいいような映画を流している映画館、それが時計屋のヤサ。
「えー、ハードキャンディ、もう終わっちゃったんだ。」
「お前みたいな毛の生えてねぇネンネが見るもんじゃない。」
中身の減っていないポップコーン販売機にパンフレット。今日もお客はテーブル代わりの玉突き台と椅子、J.BとM.Jしか入ってないジュークボックス。ほこりを飲まされるミニバーに並ぶカクテルの原料瓶。人間は俺たちを除いて誰もいない。
しかし、俺の求めているものはここには無い。ただ、まるで人肌に温まったビールの瓶底を、無意味にかき回す天井の扇風機があるだけ。
「・・・クーラーは。」
「今日壊れたばっかりだが、何か? 」
 いったんは引き始めた汗が、再び流れ出す。俺は玉突き台の上に突っ伏した。
「すまんな、コークでも入れてやるぞ。」
「ガムシロ抜きで、ターキーを入れろ。」 
「あたしはミルク・・・たっぷりの」
クリオネはロリータフェイスもまぶしく叫んだ。
「Chi-Chiなんて器用なモンは作れない。」
時計屋がすぐに返す。だろうな、この間「フロリダ」を頼むっつったら、思いっきりジンを入れてきやがった。まぁ、この島じゃ「工業用アルコール」を平気で混ぜてくるので、これはこれで、ましなほうだ。
俺は立ち上がると、カウンターバーの方へ歩き出した。
「おいおい、勘弁してくれ。俺は変なことを言ってねぇし、だからこれっぽっちも謝る必要は・・・」
時計屋を押しのけると、どうしても金を出し渋る集金先のドアを開けるように、荒っぽくドアを開けた。そして頭を突っ込んだ。
「・・・すまん、そこも修理中だ。モンティパイソンの真似なら、よそでやれ。」
確かに、冷蔵庫の中は広かった・・・。その内臓をほとんど外へ吐き出していたから、というか、そうしないと冷蔵庫内のこの生暖かい瘴気にやられてしまう。
 頭を出して、玉突き台の相棒へ叫ぶ。
「聞いたろ、ホットコーラ以外のものをお望みなら、外の自販機で買えってさ! 」
大げさにマユをしかめる相棒をよそに、俺はカウンターに目を走らせた。冷たいコークがだめなら、ホット・バタード・ラムって手がある。
「・・・お前なー。暑いってんでいちいちへそを曲げてちゃ、体がいくつあっても足りんぞ。」
 言いながら、時計屋は煙草を薦めた。白いパッケージのセブンスター。そんな煙草を吸っているから、ホワイト・カラー時代のことを未だに引きずるんだ。
 俺は首を振った。セブンスターは煙草じゃねぇから。
「おい、どうしたんだよ。いまさら禁煙ってわけじゃねぇだろ。」
「それがねー、冷蔵庫が壊れちゃったって、ウサちゃん怒り出して・・・。」
「おい」
俺は止めた。
「何でも、あまりにも暑いんで、頭冷やそうとして、開けっ放しにしといたら、そのままおしゃか、馬鹿みたい。」
「おいっ! 」
「確かに奴が馬鹿なのは認めるが、ハゲに『ハゲ』って言うのはルール違反だろ。」
 時計屋が言いながらセブンスターと、灰皿をこっちへ押しやった。
 応えるのもめんどくさいので、俺は煙草を出そうとポケットに手をやる。
ポケットの中のペルメルは、俺の尻のプレスでひらめみたいにぺちゃんこになっている。ダイエットすることが頭に浮かんだが、ペルメルに火をつけるまでには忘れることができた。
時計屋は、心底まずそうに煙を吸い、灰を床に落とし、そしてその後で、床は灰皿じゃないということを思い出したようだ。その証拠に頭を抱え込んでいる。
「・・・まったく・・・今日は終り。お前ら帰れ帰れ。」
「冗談を。ホット・バタード・ラムにありつけるまで後にゃひけねぇ。」
 アイスコークも。とクリオネが叫ぶ。
「あのなぁ。何でバーカウンター壊された挙句、お前らに飲み物を出すなんて肉体労働にいそしまなきゃならんのよ。大体、冷蔵庫がまともだったら、今頃俺は、冷蔵庫どころか、エアコンとイタリアの跳ね馬買ってなきゃなんねぇ。」
「何だよそれ。」
 時計屋は、グラスにバーボンを注ぎながら言った
「どこぞの馬鹿が、冷蔵庫に賞金をかけやがった。」
奴はそう言って、一息で飲み干す。ほかの奴に分けてやろう、なんて狭義心は無いらしい。
「何それ? 」
最初に抗議の声をあげたのは、相棒だった。俺でさえ、最近はボリューム最大にしてマノウォーのアルバムを聞きすぎてないか疑ったぐらいだ。 
「やっぱり、そんな反応をするだろうな・・・。話は先週の頭にさかのぼる。『電グル』と飲んでいたら、最近冷蔵庫が品不足で困る、って話を聞いた。で、買ってく馬鹿が急に増えたって、その話をしてくれた。」
「そういえば。あたしはネットのUGで拾ったような気がする。」
相棒が相槌を打った。
「おい、どうしてその話なかったんだよ。」
考え込んで、「そういえば・・・ごめんね。」と漏らす相棒。時計屋は相棒の代わりに答える。
「俺も神様も、まさかお前のところの冷蔵庫が壊れてるって知らなかったんでな。 」
どうしてもアルコールが欲しくなった。
「具体的に、どういう枝葉がついているンだ? 」
「実は、それもよく分からネェ。賞金も依頼人もはっきりしねぇ。」
 なるほどな、たまねぎの皮と同じ。発信元を追っかけていくと、消えてしまうって仕組みだ。
「おまけに、どこへ冷蔵庫を持ってきゃいいかも知らされてネェ。あくまでこれは噂だが、当たりの冷蔵庫を引いた奴は、どんなふうにしてかさっぱり分からんが、依頼人はそいつを探し出して、目の前に現れるんだと。」
「報酬はいくらだ? 」
「知るか、文字通り一攫千金、風呂桶に札束入れてウハウハって話から、清掃所の職員が出てきて粗大ごみ引き取り料金を請求されたって話まで、お気に召すままだ。」
「面白いな。それ。」
「まるで噂だけが命を持って、一人歩きしてる。もうこの話忘れてくれ。たぶん悪い夢だ。」
「でも、こんなに暑いもんね。悪夢を見たってしかたないよぉ。」
そして、「悪夢」が登場した。

黄昏・・・誰ぞ彼の往魔が時の気をまとわりつかせ入ってきたそいつは、なんと言うか・・・醜悪だった。今、目をつぶっても思い出せる。何だったっけ? ああ、そうバケモノ。そう、13日の金曜日とか、悪魔のいけにえ、とかあの辺に出てくるクールな殺人マシンが出てきたと思ってくれてかまわない。そいつは、おそらく直立すると天井に頭を大激突させてしまいそうな長身を折り込んで入ってきた。顔には何か、薄皮でできたつぎはぎのマスクがあった。しかもそのつぎはぎが、顔面をまばらなちぐはぐなパッチワークで覆ったようで、非常に、なんというか、・・・俺の乏しい頭では、醜悪という以外なかった。いや、なんと言うか・・・。特に、あー、なんだ。股間が凶悪だったんだ。なるべくその辺の描写は避けたいんだが、少なくとも俺は、今まで生きていてパンツ代わりにスーパーの袋を履いている奴にはお目にかかったことがねぇ。しかも、はっきりとスーパーの名前のロゴが見える奴を。(余談になるが、ロゴはCHIKOUという発音をするアジアン言語のひとつらしい。後で時計屋が教えてくれた。CHIKOUって何だ? )
 しかも、そこから覗く物体は「出ていた。」「何か出てるし」のレベルではなかった。隠れていてもはっきりと分かるあれのでかさは核兵器級だし、奴も隠そうとしてなかった。少なくとも、俺は電気ポット並みのあれを今までの人生で見てきたことがねぇ。
 そして、奴は何をするでもなく、奥の階段へつながるドアへと姿を消した。
「ところで、本当にラム酒は無いのか? ホットコーク以外のもので何か無いのか? 」
俺はとりあえず聞く。
「ごめん。ごめん、あたし買ってくる。せっかくのウサちゃんの頼みだもんね。あたしイイ子ちゃんだもんね。」
相棒は芝居かがった口調で言った。
「俺もクーラーと冷蔵庫、即効で買うよ。」
時計屋も白々しく言った。いや、そうでもしなきゃ夜あの巨大な怪物が夢に出てきそうだったから。とは言ったものの、その場の全員の視線は奴が姿を消したほうへ釘付けだったが。
 しかし、当然だが話はそこですまなかった。
 館内の退廃した空気を打ち破って登場したのは、ショットガン・・・しかもレミントンのCQB用・・・を抱いた男だった。奴らは映画館のドアを蹴り開けると、真っ先に仁王立ちになり、索敵をした。
 俺は得物を奴らの鼻先に突きつけた。それで初めて、奴らは「俺たち」がここにいると分かったようだ。
「・・・俺が誰だか分かっていて、そんなオイタしてるんだろうな。」
「・・・博物館行きのリヴォルヴァー・・・て、手前はトヴァ! 」
左手に輝く銀色のリヴォルヴァーは、M686。おまけとして6+1発弾が入るようになっている。45オートと同じってわけだ。
「悪いな生きた化石で。そもそも俺を呼び捨てにできる貫禄を、どこで拾い食いした? 」
「カンベンしてくれぇぇぇっトヴァ、いやトヴァさん! 見逃してください拝みます祈ります一生恩に着ますそれどころじゃないんです。」
「俺に祈るな。俺の神は左手にある。」
「それどころじゃないんですっ! 早く、早く奴を何とかしないと! 」
「・・・その男はいい事言ったかも知れねぇ。早く何とかしよう、アレを。」
一番先に、現実に戻ったのは時計屋だった。時計屋が凝視しているところを見た。通路の奥の奥、まるで闇を切り取ったところ。そのもっとも暗い部分を切り抜いたように、「それ」は立っていた。
 レザーフェイスの巨大アレ。奴だった。そして、手には、派手なシャツを着た男の頭が握られていた。いや、まるで冷蔵庫からビール瓶を持ち出すように、頭をつかんで男一人をぶら下げていたのだ。そして、奴は、ビールの栓を抜いた。頭のちぎられた男の首から、噴水のように血が出た。俺はただでさえ敏感な鼻に、何かの呪いのように鉄さびのにおいが絡みつくのを感じ、吐きそうになった。
 そして奴は、そのまま死体を持ち上げ、体液を飲み始めた。まるで夏の真っ只中、よく冷えたハートランドをがぶ飲みするように。奴がいる闇が、どす黒い血の色に染まっていくのが確かに見えた。
 俺は座りしょんべんをしたくなった。しかし、この手のシリアル・キラーにいちいちビビッていたら、保険の調査員の看板を下げなければならない。しこりができたように硬く、痛くなる胃を抑えつつ、俺はM686を奴に突きつけた。
「まったく、俺の目の黒いうちはこんなふざけた真似はやらしゃしねぇよ。俺を誰だと思ってるんだ? というか、俺の名を知ってっか? 」
 恐れは当たった。奴は俺の大見得を無視し、再び死体を飲りはじめた。
「そうだな、特にCMは流してないもんな。だが、これが何だかぐらいは無知なてめぇにも理解できンだろ? 」
 俺は、銃を軽く振った。相棒も時計屋も飛び入り参加の男も、全員手という手にエモノを持っていた。
「俺のは357マグナムのホローポイント、相棒のは4.6mm×30のアーマーピアシング。あっちのアフロは38口径、そしてこのショットガンは。」
「マスター・キー」
「だそうだ。単純なことだ、撃たれりゃ痛・・・。」
俺の口はそこで止まった。口の中に突如出現した違和感。そして広がる鉄さびの味。
口にっ! 口ン中に攻撃かっ!? 分けがわかんねぇっ! 俺は口になんか入れられるのを黙ってみてるような奴ではないし、奴は小指一本たりとも動かしちゃいねぇ。俺は口の中の「違和感」を床に吐き出した。そして、俺の血液は凍りだす。床に転がったのは、もぎたてのぶどう。まだ視神経がぴくぴくいっている、眼球だった。
 横で、相棒が泣き出すようにゲロを吐いたのが分かる。ゲロの中に含まれているのは、血まみれの指だった。時計屋も飛び入りも動けなかった。正確にその場で何が起こっているのか把握できている奴はいなかった。そして、まるで空気がニトロになったわけではあるまいに、動ける奴は一人もいなかった。
 いや、動ける奴が一人いた。それは件のバケモノだった。まるでそこだけが、まるでモーゼが海を開いたように、奴のために瘴気が道を空けたのが分かった。そして奴は近づいてきた。俺たちの心臓をえぐるために。
 最初に、それに抵抗したのは、飛び入りだった。まるで麻酔抜きで去勢手術をやられたような悲鳴ともとれるおたけびを上げながら、レミントンが火を噴いた。
 それがジャムセッションの合図。相棒も負けじと金切り声を上げながらWzを乱射する。俺は相棒の襟首をつかみ、映画館出口へ走った。負けじと走ってきた時計屋が、横でこける。そして、その手には「スイッチ」が握られていた。

 潰れていく二階から命からがら脱出し、ガレージへ向かった。俺は屋根から、相棒はドアの窓からフィアットに入る。
 相棒が何かわめきながら、キーをまわすのが見える。俺は逆立ちで入っているもんで、サイドブレーキわきのスタータースイッチを上げるのは容易かった。というか、前のトポリーノに今のチンクエチェント。博物館じゃないんだから、もっとマシな車を買おう。例えばキーをまわしただけでエンジンがかかるような車。
「二手に分かれろ! うまく振り切ったら、キリエの店で会おう! 」
時計屋はケロちゃんとともに、愛車に乗り込んだ。1997年物のロンドンタクシーだった。どいつもこいつも、博物館にまとめて就職すればいい。展示物として。

ガレージをぶち破って、二つの車は走り出した。コレで高速に乗るわけには行かない。なるべく裏路地を通って海沿いの表通りへ出よう。
しかし、結局着いてきたのは・・・。
「ちょっとぉ! 何アレ! まだ追ってくるよぉぉぉぉ! 」
醜悪なアレは、まるでグリコのマスコットのランナーのように、はつらつとしてこっちを追いかけていた。何せ坂道に入ると時速60キロしか出ねぇフィアット。追いつけないほうが不思議かもしれねぇ。
 何とか表どおりに出る。道の向こうに広がる海が後ろへかっとんで行くが、眺めている暇は無い。
 怪物はこっちを向いて・・・やべぇ、目と目が合った・・・張り手だかショルダータックルだか体当たりだか分からねぇ攻撃をした。
 フィアットは大きくかしぎ、海へまっさかさま・・・になるところだが、思いっきり相棒がハンドルを逆方向に切った。道のへりの堤防に、フィアットはぎりぎりで片輪走行をし始めた。
「こうなったら、二手に分かれよう」
突如、相棒が叫んだ。
「二手に、ってお前! 」
 俺が抗議の声を上げる間も無かった。いつの間に作ったんだろう? 相棒が自爆ボタンとかかれた「レバー」に手を伸ばした。
 勝手にドアが開いて、まるでキャスター付き椅子がすべるように俺のシートも外へ滑り出た。頭の上に、空のように青い海が広がった。怪物が相棒のフィアットめがけて走って行くのがちらりと目に入った。そして、相棒の悲鳴と肉のつぶれる音と爆発音がした。

「あのな、トヴァ。」
「おう。」
 俺は手の中の小包を弄り回しながら言った。エロビデオのダイレクトメール。いや、サンプルビデオというべきか?  無断でこの手のものが郵便受けに突っ込まれるのはこの町じゃありふれたことだったが、今見るのは辛い。
「いつか言ってたよな、『俺の部屋はいつでも男一人なら呼び込める広さがある。』って。」
俺たちは困惑しきっていた。部屋というより、コンクリート打ちっぱなしの通路にしか見えないその部屋には、とてもじゃないが男二人と女二人は収容できそうに無かった。さらに困ったことには、そこは俺の部屋だった。
「こんなんじゃ、確実に男・・・いや大人四人は横になれねぇ。どうすんだよ。俺のヤサ吹っ飛んじまったから、今日寝る所がねぇ。」
時計屋がぼやいた。
「いや、それよりも、これを部屋といっていいのか? 」
「ハン。シベリアにでさえもホームレスはいらぁ・・・ってお前が言うな。」
 質問を発したのは、時計屋の映画館を大破させる元凶にかかわる男だった。正確に言うと、奴が追っていた標的がやったんだが、そんなこと神様も俺もポチョムキンも知るもんか。
「ウサギだけにウサギ小屋。なんてねー。キャハハ。」
あのバケモンをフィアットで轢殺および爆殺。奇跡的に難を逃れて、感動の第一声がそれか相棒!?
「うまい。キャンディやるから黙ってろ。」
時計屋が言った。
「つーか、お前誰よ。事と返答によっては、この場で自分の脊椎とご対面させてやるんでその覚悟で。」
 言いながら俺は「飛び入り」に銃を突きつけた。
「お前、『ヴ−ドゥ・メディスン』のことをしらねぇのか? 」
「あいにくと、食ったことぁねぇ。」
「奴はな、掛け値なしの地獄の死者なんだ。」
「はぁ? 」
「見ただろう。地獄の住民は亡者の生き血をすすり、脳みそを抉り出してハーゲンダッツ・アイスのように食い漁るそうだが、奴はそれを地で行ってる。」
 鼻の奥に、死者のにおいがいっぱいに広がる。兎とはいえ、ただでさえ敏感な獣系改造人間の鼻にあの仕打ちはきつかった。今でもにおいが嗅覚細胞ひとつひとつにこびりついている。
「奴が生んだ奴は誰で、いつどこから来てなんて事は分からねぇし、分かりたくもねぇし、分かる必要もねぇ。ただ重要なのは、奴を野放しにしておくと、この島の住民全部をアイスキャンディみたいに頭から丸かじりにしちまいかねねぇってこと。」
「ついでに、奴の首に百万がかかってること・・・これが一番肝要じゃないのー? 」
相棒が、球形ケータイに情報を落とし込みながら言う。俺は続けた。
「・・・確かに。ただ、人肉嗜好の殺人鬼なら、腐るほどとは言わねぇが、この町に落ちてねぇこともねぇぜ。それにもう・・・。」
「あたしが屠殺してやったよー!」
相棒が胸を張った。
「それくらいでくたばるぐらいなら、俺も神もポチョムキンも苦労はしねぇんですよ。お前も見ただろが、奴の手品。」
背骨が凍りつくような感覚がよみがえった。「生き馬の目を抜く」ではないケド、どこの馬鹿でも、自分の口ンなかに目玉を突っ込まれるまで黙って指をくわえている奴はいねぇ。そいつが死んでいるンなら別だが。
「アレさ。奴がほかのボーズと違うのは、あのけったいな能力があること。抜く前にまるで空気のように近寄られて頭をぐしゃり、こっちの攻撃が当たってもぐしゃり。はっきり言って俺にも良く分からない。どこでどんな風にして攻撃・・・いや攻撃さえしてないのかもしれねぇ。奴とやりあった人間は、みんな『わけのわからないまま』死んで行く。本当は死んだ当人にも『俺は死んだ』って感覚はないかもしれねぇ。みんな死んじまうからそれを確かめるすべもねぇ。奴とやりあった人間はそんな感じで「さまよえる亡霊」になっている、ってんでついたあだ名がウードゥ・メディスン。神の行いのみが『奇跡』という名にふさわしいなら、ありゃまさに神か悪魔って感じ・・・。」
「残念ながら、生死に関与する秘跡は神様だけの専売特許だぜ。神の名をやたらと唱えるなって日曜学校で習わなかったか? で? 」
 時計屋が軽口をたたく。飛び入りは無視して続けた。
「俺は奴を追う地獄の番犬ってわけだ。」
「じゃあ、ケロちゃんね。よろしくーケロちゃん。」
続けて相棒が軽口を連射した。それを無視して奴は続けた。
「で、俺は兄貴の敵もあって、一年間奴を追い続けているんだが、奴の攻撃方法が分からねぇ限り、こっちも決定打ってもんがねぇ。で、どうする。」
 今度は俺たちが困る番。
「どうするって、何を? 」
「いや、場の空気読めよ。こっちが奴についていろいろ情報提供したろ。そうなると『オウケーベイビー、話は良く分かった。俺にも一口噛ませろ』って・・・」
「OK,Baby.話は良く分かったから、(派手に相棒があくびをした)カイて寝ろ。Get you? 」
奴はあごがたれそうな唖然とした顔で俺を見た。俺たちは無視して話を続ける。
「それよりも、いつもあんたどうやって寝てるの? サラエボの地雷原じゃないのよ? 」
「知らねぇか? そのために寝袋が発明されたんだ。」
「何べんも言うけど、ここはゴム人間でもねぇ限り、三人寝れねぇぜ。そうなると誰か外で寝て風邪引かなきゃなんなくなる・・・。」
「俺は外へ出て寝るのはイヤだ! 」
叫んだのは、件のケロちゃんだった。
俺たちが何か言うよりも早く、言葉の弾丸は放たれた。
「あのなぁ、俺だって人間だ。疲れてるし眠たいンだよ! 悪いか! 」


 数時間後、俺は、神様だって泊まるのを嫌がりそうなラブホテル、『パイパニック』にいた。年功序列を仕事上での実力で調整した結果、相棒のクリオネと時計屋は『ヤコブの梯子』の中にあるホテル『ヘブンズ・ドア』に、ケロちゃんは俺の家に、そして俺は相棒のフィアットで夜を過ごすことになった。どんな厳粛な選考方法だって、欠点がある。俺はその辺を指摘したが、奴は嘲笑を浮かべつつこう言った。「文句があるなら、てめぇのキャッシュカードと相談しな。」
 ダブルクラッチで活を入れないとまともに走ってくれないフィアットを、もうその役目を終えたような自動販売機の横に横付けする。ドアが壊れそうなんで窓から入ってきた俺を、オカマの主人が「男」の目でにらみつけたが、俺はピースサインを出して適当な部屋の鍵をもらう。
 愛を語るよりも、ホームレスの寝床にふさわしいベッドの上に腰をかける。ベットは今にもばらばらになりそうなうめき声を上げた。
 そして、懐の中からビデオテープを取り出す。そう、帰ってきたときに郵便受けにエロビデオ広告のサンプルとして突っ込まれてた奴。俺がパイパニックを選んだのは、まさにここ。
 テレビの下のビデオデッキ。ビデオ取り出し口から強引に指で有料エロビデオを取り出す。何かプラスチック部品が壊れるような音がしたが、細かいことは気にしねぇ。というか、いまどきアナログテープ、しかもベータで送ってくるような奴が悪い。
 嫌がるビデオデッキに蹴り飛ばすようにテープを飲ませる。しばらくすると、再生された画面が出てくる。
 最初はニュース画面だった。ニュースキャスターは「お」と言った。すぐさま画面が飛んで、今度はアニメになった。主人公が「ひ」と言った。まるで新聞を切り貼りして作る脅迫文のように、「彼女」はテレビ番組のせりふをピックアップして文を作って送ってくる。
「おひ、さ、しぶ、り。ト、ヴァ。ご、キゲ、んはいかが? 」
 いいわきゃねぇだろうが。あんたがとんでもないポカを俺に押し付けて消えたその日から、俺はあんたを疫病神か、少なくともその類だと思っている。だんだんと滑らかになってくるビデオが喋る。
「ソ、ろそろナ、つのカーニバルの季節よね。あたしのいる地獄は冷たすぎる。地上の暑さが懐かしくなって、こうしてお便りを送るの。」
 黙ってペルメルをくわえた。ビデオだけ明るさの室内に、金属ライターの音と炎は良く映えた。
「さて、昔のよしみで、って奴だけど、一つ、頼まれごとをしてくれないかしら? 」
 頼まれごとね。昔こいつのビデオでの依頼の中に、ある6歳の子どもを、国外へ逃がしてくれってものがあった。うっちゃっておいたら、そいつはたちの悪い殺人鬼で、危うくこの町がタイタニックのごとく転覆するところだった。要するに、彼女の「頼みごと」は「命令」なんだ。
「なに、ね。かンタンなお仕事なの。粗大ごみを捨ててきてほしいの。ちょっとした冷蔵庫。なのよ。私の研究室の奴。そろそろ夏のお祭りに浮かされた馬鹿どもが、余計な好奇心からちょっかいかけてくる季節になってるわ。処分のやり方はあなたに任せる。とにかく、誰にも使えないようにしてほしいの。できれば、海の果ての、誰も手の触れないところへでも置いてきてくれれば結構なんだけど・・・。」
 誰の手も触れない海の果てね・・・。俺は奴の口癖を思い出す。「私のお願いが聞けないなら。命の源の母なる海に戻る羽目になる。」
 おかげで俺の心は、場末のしなびたラブホテルと同じぐらいしょげ返る。心底、昔のことなんざ思い出すもんじゃねぇ。
「報酬は、その冷蔵庫の中。きっちり100万入っている。経費込みでもおつりがくると思うんけど、いかが? 」
 俺は、毎度の事ながら、ぎょっとあわてて冷蔵庫に駆け寄る。すると、あるじゃないか札束の山が。
「・・・ほんとは私がそんな雑用すべきなんだけど・・・あなたの知るとおりあたしは死んでるし、死体は墓の下にいるのが道理・・・。そうよね。アリス。」
 そうだね。まったくだよ。だからあんたはあたしに2度目の命を与え、地上の煉獄に戻したんだね。メフィストフェレス。だけど決定的に違うところがあるよ。俺は生きている。あんたは死んでいる。
 煙草も吸い尽くしちゃったし、この辺で今夜は切り上げ時だ。灰皿はあったが煙草を床でもみ消すと、ビデオデッキを蹴飛ばした。がりっという音とともに、映像が止まってベータビデオが排出された。

朝の五時だというのに、この島の中心にそびえる天まで届く大鉄塔『ヤコブの梯子』は大騒ぎだった。というのも、その中の一画を閉めるホテル『ヘブンズ・ドア』に、「変態」が出たからだ。しかし、ただの「変態」が出たっていうんじゃ、消防車や警察一個連隊は出ないだろ。
 かく言う俺も、相棒の「すぐ来て、こっちに。すぐ来いっつってんじゃボグェ! 」という目覚ましのコールがなかったら、何がなんだか分からないままこの事件を関係ないテロ事件とみなしていたかもしれねぇ。
 ありの群れのような人々をいったん避けるために、俺たちは『ヤコブの梯子』の前のマックに非難した。こんな地図の上にない島でも、マックとコークはお見捨てにならない。そしてもう一つ。ここからだとジェノサイド現場とそれに群がるありどもが良く見える。
「どうもこうもねぇよ。『俺と遊ぼうぜ』なんて気の利いたせりふもなく、ホテルのフロントの首をぶっちん。1号室のドアをノックついでにぶち壊して中にいた客をぶっちん。異変に気づいた警備員の首をぶっちん。片っ端からぶっちん。あの変態レザーフェイス、人間を飲み捨てのコークかなんかと勘違いしてんじゃねぇのか? 」
 ビックマックを注文したはいいけど、先ほどからコーヒーしか口にしていない時計屋が言った。
「どうしたのー? 食べないのー? 時計屋? 」
「この事態でよく肉が食えるな、クリオネ。」
いまや、時計屋の主食はセブンスターと化している。結局消費量は煙草一箱では収まらず、吸殻の中から長い一本のシケモクを探し出す作業に追われている。
「じゃあ、あたしもらうー。」
一瞬のうちにビックマックが相棒の手に消えるのを見て、時計屋がため息をついた。
先ほどから、
「・・・さて、これからどうすっか・・・。」
「決まってんじゃない! 」
 声を荒げたのは相棒だった。
「ティファニージャンパースカートがいくらすると思ってるの? あいつのおかげで服がぼこぼこになっちゃったのよ! 」
 相棒は服を見せた。もともと黒い服だから汚れは目立たないが、それでもその服がコロンボのレインコートより傷んでいるのは良く分かる。しかし、
「服なんざどうでもいいだろうが、くそロリータ。」
「あたしのはゴスロリじゃない。あくまでゴシック! よ、バニーガール。」
「てめぇ・・・。」
殺気立つ俺を、時計屋がなだめる。
「バニーガールだろうがゴスロリだろーがどっちでもかわまねぇよ。目下のところ大いにかまうのは、百万の賞金首に挑戦するか、シカト決め込むかどっちかだろ。」
「俺は大いにシカト決め込みたいね。」
俺は言った。
「俺もさ。」
時計屋も同意する。
「あたしは奴がはらわた出して転げまわるとこ見てみたい。」
「多数決なら、2対1ってとこか・・・。ほかに意見は。」
ぐるりと見渡すと、さっきからだんまりを決め込んでいるケロちゃんが目に入った。
「お前まだいたのか? 」
俺は驚いた。
「・・・油断したぜ。奴も馬鹿じゃねぇ。いくらなんでも虐殺騒ぎ起こして、世界一おっかねぇ警察と前面戦争するほど知能指数は低くないと思ったんだが。」
「粒よりの馬鹿だから、この島に入学できたんじゃねぇか。大体、このホテルには呑竜の縄張りにかかってる。黒社会の方も黙ってねぇだろうぜ。」
俺が答えた。
「この町全員敵に回すつもりかよ・・・。」
時計屋がうめく。
「ま、幸いそんな馬鹿にはことかかねぇからな。ほかの『まともな』とこじゃ、3分で撃ち殺されてジ・エンド。さすが『海の家』。」
 わくわくしちゃうわね。粒よりの馬鹿ぞろいで。うれしそうにWzに初弾をぶち込みながら相棒が答えた。気づいているのかいないのか、ほかの客はそれを見て悲鳴を上げることもしなかった。
「・・・OK。どうやら2対2で同点引き分けらしいな。」
「・・・クリオネ。行くぞ。」
俺はペルメルをくわえながら立ち上がる。
「ちょっと頼まれて、廃品回収に行かなきゃならねぇ。」
「ちょっと待ってよ。アレを始末するのが先でしょうよ。だいたい廃品回収って何よ。」
相棒が文句を言う。
「冷蔵庫、だよ、冷蔵庫。」
「メフィストか? お前まだあんな女の言うこと聞いてンのか。」
時計屋が血相を変えて叫んだ。
「悪いことはいわねぇ。アレは今世紀最悪の魔女。いや今後一世紀も出るかどうか分からねぇ毒婦中の毒婦だ。やめろ。」
「俺の主人は、あくまで俺のみ、さ。」
俺は笑った。そういえば、昨日から、ずっと笑ったことがなかったな。
「やめろ。お前は生きている。奴は死んでいる、地獄へ行っている。」
「残念。俺は死んだことがある・・・クリオネ。来たくねぇんだったら来ねぇでいいぜ。」
 相棒はふくれっつらをした。激昂のあまり、一瞬目のふちに涙が浮かんだ。
「今、冷蔵庫って言ったな? 」
 気まずい沈黙を破ったのは、ケロちゃんだった。
「もしも、賞金のかかった冷蔵庫がらみだったら、俺に協力したほうがいいぜ。」


 あのホテルを調べたい。そう言い出したのはケロちゃんだった。現場にわざと残って、隠れながら捜査をやり過ごす。古い手だが可能性がある限りは可能性をつぶしておきたい。アレにそんな知能があるのかね? と俺は思ったんだが、強引にケロちゃんは主張した。相棒は自分の車に「秘密兵器」を、そして、時計屋は、「大事になりそうだからいったん本社に連絡を」ということで電話ボックスに行った。そのままホテル内へ直行。二手に分かれて中を探ろう、ってハラだ。
そして、俺が向こうへ着くまでに、軽く自分がどういういきさつで奴と関わったのか話してくれた。
「俺も、あのへんてこな賞金の広告を見たんだ。ほら、町中の冷蔵庫持ってきてください。お金は払います。って奴。もちろん、俺もいたずらだと思ってたさ。だけどこの暑さで、俺も俺の兄貴の頭のねじも少し緩んでいたらしい。こんなふざけた依頼をする子どもの尻を叩いてやりたかったし、だめもとで賞金がでりゃ、なおさらハッピーじゃねぇか。で、クソ重い冷蔵庫かついで、奴が指定した教会まで行った。出てきたのがあいつ。あのクソ野郎。俺の兄貴の頭をポップ・コーンかじるようにかじりやがって・・・。」
 奴の声が、ほんの少し静かに、その分殺気を増したものになる。
「・・・まったく、アレだけ兄貴の身代わりには俺がなります、ってたのによ・・・。」
奴はぼそりと呟いた。肩が少し震えていた。この手の話は、俺は苦手だ。義理人情で世界は動いているわけではないし、正義がなくても地球は回る。第一俺はこの手の話を聞くほど人間ができてない。つい手を貸して、結局相手は怒り狂うか死体になって俺の前から去る。だから、最近は話題を変えることにしている。
「で、奴はどうして冷蔵庫をほしがるんだ? 」
ひょっとしたら、こっちの方がビンゴかも知れない。何せ、「悪魔よりもたちが悪い」俺のビッグマザーのことだ。今回もろくでもないおまけがついていると考えたほうが、後から怒り狂わずにすむ。
「俺も調べてるんだが、いまいちはっきりしねぇ。分かったことは、奴がうんざりするほどの人数の血をすすってるということと、奴はプルタブでも開けるように首をちぎって人の血を飲むのがお好みらしいことと、その割りにどうやってターゲットがそんな殺され方を許すのかがいまいち分からないことだ。」
 俺たちはしばらく黙り込んだ。俺の頭の中で、ちょっとした予感・・・それはほとんど、悪い予感という言葉と同じ意味だった・・・があった。
「正確に、奴が動き始めた時期は分かるか? 」 
しばらくケロちゃんは頭をひねった。やがて
「確か・・・はっきりとは言えねぇけど・・・、1980年あたり・・・。」
俺は黙って立ち止まる。おっ? という顔をするケロちゃんにペルメルを差し出した。
「・・・衝撃を与える者・・・。」
「何だよ、それ。」
何でもねぇよ。俺は奴のくわえた煙草に火をつけてやり、そのまま俺のにも火をつけた。
 ひょっとすると、俺の出る幕かもしれねぇ。ありがたくて胃が痛くなってきた。

世界は俺がいなくてもまわる。今でも俺を中心に世界を回そうと努力しているつもりだが、地球はこれっぽっちもそんなことは気にしてくれないらしい。
 本日何回目かも忘れた最悪の形は、警官の職質だった。
 いや、俺の姿を見たとたん、拳銃を突きつけやがった。
「・・・ここはてめぇのような野良犬がいるところじゃねぇぞ。トヴァ。」
「・・・その手の文句は聞き飽きてる。」
なおも進もうとする俺の額に、レーザーサイトの光が当たる。
「やめてくれよ。額の宝石はジェリコに感じやすい。」
そこには、俺のチャームポイント。逆三角形をした改造人間加熱警告ランプがついている。一年で世界征服ができるかどうか試した哀れな間抜けたちの置き土産。俺が人外のバケモノである証拠。
「ここで屠刹してやろうか? 」
 警官は撃鉄を上げた。
「おい! いくらなんでも、かたぎにその態度はねぇだろう? 」
ケロちゃんが声を荒げた。
警官も負けじと声を荒げた。
「おい、てめぇトヴァの新しい相棒か? 悪いこと言わねぇ。止めとけ。こいつの相棒は、こいつの無茶な捜査でみんな死んだ。」
 ・・・おいおい。それが一時期でも、オタクらの先輩であった奴に投げる台詞か? 
「・・・あいにくだが、俺は女を選ぶ目は持っているつもりだ。」
ケロちゃんは言い放った。渋いねぇ。ケロちゃん。
しかし、警官は怒気をはらませながら続けた。
「それだけじゃねぇ。こいつ政府研究所の長官人質に、一億と国家機密盗んでどっかへ隠しやがった。邪魔だからって人質も爆死させた。そんな奴がのうのうと生きてるのを許せるか? 許せねぇよな! 今すぐその馬鹿みたいな耳をちぎって、手前の穴に突っ込んでやろうか? 」
「おい。」
俺はありったけの殺意を込めて言った。
「いい加減におしゃべりは止めろウスバカ。」
奴は、何かに取り付かれたように言った。
「・・・ネタは・・・メフィストはどこへ行った? 教えたら黙る。」
「・・・あいにくと、俺はウサギなんでな。てめぇらの豚語は解さねぇし、喋れねぇ。」
言っていて泣きそうになった。奴の銃を持つ手は震えた。公務執行妨害で射殺。妨害してなくても気分で射殺。警察が平気でそんな無茶をやらなかったら、この町もずいぶんと静かになったろう。しかし、あいにくと奴にはそこまで知恵が回る男だった。
「警察はてめぇの弾よけじゃねぇんだ。てめぇがいくら犯罪調査に首を突っ込んでも、この町の警官みんなてめぇにだけは協力しねぇだろうぜ。」
「じゃあ、こいつだけは、捜査に協力させてくれるか? 」
ケロちゃんの方へあごをしゃくる。
「こいつは、例のシリアル・キラーを追ってるハンターさ。あんたらの捜査で、何かの役には立つかもしれねぇ。」
「トヴァ。その馬鹿長お耳は飾りか? 鼓膜が腐ってんのか? 」
奴の瞳孔が少し開いたような気がした。ゆっくりと、俺は奴に向けて歩き出した。レーザーサイトが額から目に降りてくるのを感じる。片目をつぶり、さらに歩みを進める。
 なんてこった。ファウストが、この島にいた時。俺と一緒にいた最後の時間。最後の言葉を思い出した。

 この世は夢の中の舞台。およびでない役者は、去ることにする。また眠って新しい夢でも見るわ。

 昔のことは思い出すもんじゃない。まさか、その言葉をこんなところで試すとは思わなかった。
 引き金に力がこもるのが見えた。あと5ミリほど下がれば人生が終わる。どんな奴の人生でも、それくらいの価値しかありゃしないけど。
 俺は、抜かなかった。それでも、抜かなかった。そして、奴も、この場所に来て、銃を抜かない、ということの異常さに気づいたようだった。奴の銃を握る手は、本格的に震え始めた。いつもやっている、硝煙の向こう側にある何かが冷たく開く暖かい音がする。さて、今日が死ぬにふさわしい日か、試してやろう。
 だけど、発砲をとめたのは、警察無線だった。
「・・・目標601245は、梯子のエントランスに向かって移動中。C班、これより追撃に移る。D班はエントランスに待機、目標を見つけ次第、挟撃に移る・・・。」
「・・・だそうだ・・・。俺を射殺するなら早くしろ。」
教えてやろうか? 俺の相棒はお前みたいに判断力が遅かったんで、みんな天国へいった。
 警察官の顔が真っ赤になった。歯も折れんばかりに口を食いしばった。目から地獄の炎を出して、俺を殺しかねない視線を向けた後、奴は無線に答えた。
 トランクの中にあるライアットガンと軽機関銃、どっちを取るか迷っていたが、結局ミニミを取った。マガジンをぶち込みコッキングレバーを引く。熊用のわなが作動するような音ととともに、初弾が装填される。
 奴は思いっきり、俺たちを無視する。気にはしているが、あえて無理やり気にはしてないふりをしている。そして、俺の耳で声がした。
「・・・ウサちゃん!? まだ生きてる? 死にたくなかったら、そこからすぐに離れて! 」
耳に隠した無線機。鼓膜から入ってきた声が脳を直撃する。悪態も軽口もない、悲鳴に近かった。
「どうしたんだよ!? 」
「裏口から大筒持った奴が殺到してる。今、21人目。呑竜の奴ら、エントランスを地獄すら生ぬるい場所に変えようってハラよ! 逃げてっ! 」
 俺の腹ン中からニヤニヤ笑いがあふれてきて止まらなかった。ケロちゃんの方を向いた。
 パーティが始まるぜと言った。奴は黙ってレミントンに弾を込めた。俺はM686に七発目の弾丸を込めた。

 パーティ会場は混迷を極めていた。依然として帰らない野次馬たち。この町の住人すべては根性のある好奇心を持っているということを、改めて悟った。ちらほらと銃を持った奴も出てきているし、殴られている奴もいるのに、一向に奴らは帰ろうとしない。そして、テレビクルーも・・・どちらかというと自分の知的欲求を満たすために・・・その場に居座っていた。警官から警告は来てねぇのか? どっちにしろ、さすが海の家。見上げた馬鹿ばかりだ。
 やがて、ヤコブの梯子のエントランスに、醜悪なるデカチン野朗が姿を見せた。野次馬か警官か警察か分からないが、誰か一人が奴に気がつき、声を上げた。実は、俺もその声が上がるまで奴がどこにいるか分からなかった。奴はまるで、俺たちが存在しないかのように、平然と立ち止まっていた。だけど、いまや群集のざわめきは、まるで絶頂期のマイケル・ジャクソンのコンサートのように爆発していた。そして、どこぞのあほが発砲した。そして、それが合図だったらしく、何人かが軽機関銃を、二挺拳銃を発砲した。俺は目を見張った。
 普通の犯罪者なら、その場で倒れてカタがつく。しかし、奴は一向に応えたふりは無かった。いや、一発でも当たったなら、肩でものけぞらしていいはず。「弾丸をよけた」とか「防弾チョッキを着ていた」とか生易しい言葉で済む代物ではなかった。まるで、もとから弾丸なんて存在しないとでも言うような、威風堂々とした立ちっぷりだった。そして、その異常に気づかない警官たちではなかった。俺は耳を押さえた。奴に一番近い警官のミニミが吼える! そして、ホテル内からも銃声がした。硝煙と火花の中で、巨体が電気仕掛けの踊りを繰り返した。たっぷり5分の一斉射撃。
 人影が倒れた。
 まるで、糸が切れた操り人形のように。
 しかし、おそらくその場にいた全員が、凍りついたに違いない。
 遠くでよく見えなかったんだが、それでもそいつが警帽と制服を着ているってのは分かる。そして、殺人鬼はそんな洒落たものは着込んでいない。
ショットガン片手に走り出そうとするケロちゃんの首根っこをつかんで、走り出した。
核爆弾が落ちたときは、おそらくこんな音がするだろうな、というほどの銃声とも悲鳴とも嬌声ともつかない声が上がった。
後から分かった話なんだが、この事件はもしこの町に歴史の教科書ができていたら、二度と繰り返すべきではない恐るべき惨事として教科書の一ページに載るであろうほどの代物だった。
この騒ぎでヤコブの梯子が原型をとどめていたのは、奇跡と言ってよかった。

この騒ぎで梯子通りが蜂の巣を突っついたようになってたので、ドゥカティを盗るのは容易かった。車輪に当たるところが完全な球体の、バイクというより飛行機の胴体のようなフォルムをしているリニアバイク。ボディの形だけで揚力を得るというアレだ。俺の給料では一生かけても買えない最新作だった。
正直言うと、もうあのシリアルキラーとは関わりたくなかった。奴は正しく無邪気な惨殺者だ。お腹がすいたからと言って人を殺し、あるいは特に理由も無く人を殺す。いくらわれわれのような裏稼業が人殺しが日常茶飯事だとは言え、ああも簡単にトリガーを引きまくれる奴はいない。別次元・・・。そう、無邪気な子どもは蟻を平気で残酷な方法で殺せるが、蟻と子どもは別次元のところに存在するからだ。ある作家が、この世でもっとも恐ろしいものは、地球語が通じない虐殺エイリアンか神だ、という話をしたが、まさにアレだ。神や悪魔に話しかけようとしても無駄。そんなことは、遠い星から来た正義の宇宙人にやらせておけばいい。さし当たっては、自分のできることをしよう。自分に科された、冷蔵庫の始末をしよう。それは奴と何も関係が無いかもしれないが、何もしないよりかは数倍ましだ。と信じたい。
 幸いにドゥカティはリニア走行に対応した最新型だった。高速チューブに車体を突っ込むと同時に、足をしまいこむ。・・・何が高速だよ。思いっきり渋滞してるじゃないか? チューブの壁面にバイクを向けた。一瞬、重力が横向きになり、そして、数秒後、俺たちは天井を走っていた。
 後ろでケロちゃんが悲鳴を上げるのがわかったが、今からは俺のやり方に付きあう番だ。
 「・・・警告します。道交法134条により、長期の壁面および、天井の走行は禁じられております。後2分以内に、速やかに地上にバイクを。」
 ナビシステムが騒ぐ。バイクを下ろす。下敷きになった車の天井が勢いよくへこむ。ケロちゃんの叫びは、いまやエンジン音よりでかくなっている。文句はこの法律に言え。
 改造人間の筋力が、強引にバイクを反転させる。そして再び天井に張り付く。地上を走っているんだが、空を飛んでんだかさっぱり分からない、文字通り壊れたウサギのような走りで高速チューブを走りきる。料金ゲートのおっさんに、財布ごとぶん投げて通る。顔面にヒットする音が聞こえた。ちゃんと身分証も入ってる、後で取りに来るから、しっかり持っとけよ、おっさん。
 バイクはこの町の本体を出る。「海の家」の脇を固めるごみ埋め立てできた島のひとつ。その一つにつながる道路へ
 ウミネコの声が聞こえる。潮の香りがする。いかに町が汚くなろうが、海だけは変わらない。そう信じたい。
 「・・・そうだ、これ終わったら、海水浴でも・・・。」
 さっきから一言もしゃべらないケロちゃんに話を向けた。なるほど、喋らないわけだ。背中に感じるかぎなれた異臭。げろだった。

 臭い。でこぼこした大地が広がっている。そしてその上を無数の海鳥たちが待っている。この町って、こんなにも海鳥を隠していたっけ? 俺たちが向かった埋立地は、通称軍艦島と呼ばれる、この島一でかい埋立地だった。何でもその昔に、どこぞの軍が廃棄した軍艦を隠すために、ごみがかぶせられたとうわさされているそれは、なるほどその名にふさわしく、ちょっとした町並みの広さがある。
 だだっ広い埋立地の中から、目指す壊れた電話ボックスを探すのは、サハラ砂漠からコンタクト・レンズを探すぐらいしんどかった。
 車と船と電話ボックスの間に、目的のそれはあった。普通のごみならば放置されていたであろうそのドアは、まるで今まで手入れがされているようにスムーズにあいた。
 かつて、「俺たちの根城」だった場所の電話番号をまわす。呼び出し音の向こうに、一瞬、傷だらけだけと暖かかった「彼女」の声がよみがえったような気がした。
 と、いきなり電話ボックスを叩く音がした。振り返ると引きつった顔の時計屋と相棒だった。
「ほかの電話ボックスを探せ。というか、生きてたのン? 」
「やめて! ふざけんのはっ!今町はえらいことになってる。政府がついに奴専門の対策チームを作って、ビック・ボスィズは大気圏突入したロケットみたいにかんかん。軍警察の最終兵器もバシバシ飛んでるよぉ! 」
 クリオネが吼えた。すすと鼻血の化粧でロリータ・フェイスが台無しだ。
「ま、この町の連中はお祭り好きだからな。」
「港や地下鉄は、この町から出ようとする奴でいっぱい。」
「良かったじゃないか、地上最悪の町から出て行く踏ん切りがついたようで。つかこの町に住んだら一度はそれを考えるんじゃねぇか? 」
「それどころじゃねぇ。ポンニチの連合体がこの島を認めてねぇ、って事は知ってるよな。」
 時計屋が続ける。
「まぁ、ポンニチの地図にここが載るこたぁありぇねぇ。」
「しかも、政府連中も道楽でここを回してる連中ばかりだ。いざとなったら核の一つや二つ、簡単に落とさない保障はねぇ馬鹿ぞろいだってことは、お前も知らないわけじゃねぇだろ? 」
「いや、知らなかった。」
俺は言った。みんな押し黙った。そして俺は、あいにく空気を読めない女だった。
「で? 」
 俺たちは「黙っていた奴が勝ち」ゲームをしているわけじゃない。俺が口火を切った。
「でっ、て・・・・お前っ! 」
「いや、それが、何? 」
マジで困った。俺は政治家じゃないし、ましてやカメンライダーみたいな正義の味方じゃねぇ。そりゃこの町が吹っ飛んじまったらそれなりに悲しいケド、
「まさか、俺にあのバケモンと死亡遊戯しろ、って言うのか? 止めてくれよ。死んじまう。」
「                     !!!!!」
いや、表記の間違いじゃない。相棒がヒステリーを起こして、言葉にならない悲鳴を上げたんだ。
「命知らずの六連発姐、ってのは、どうやらガセだったらしいな。」
「誰だよそんな無責任な噂流した奴ァ。」
「どうでもいいよー。ちゃっちゃと終わらそうよー。」
相棒が泣きながらWzのマガジンを確認した。実際、これを終わらすことで何か現在の状況にメリットがあるか、には疑問符が付きまくりだが、あえて考えるのは止めよう。現に時計屋もエンフィールドのフレームを折って、残弾を確認してるじゃないか。今まで何とかやってきたし、ならなかったら今度こそ俺の求めている答えが出る。この世が悪夢でないって証拠が。そうだろ、メフィスト。「衝撃を与えたもの。」

 餞別だから。
 そういって、クリオネは俺に、いや俺たち全員分にWW2で使われていたような年季の入った防毒マスクを渡した。
「・・・たぶん、奴がやったのは電脳に直接アクセスしてオッド・アイに幻覚を見せたんだと思う。これはハッキングを防ぐゴーグル。」
 俺は少し笑った。そうだな。よく今まで。そう初めて会ったのはいつだったか忘れた。成り行きでつながっているようなものだった。降りようと思えばいつでも降りれた。ここまでつき合わせるのは、酷ってもんだよな。
「・・・ありがとう。クリオネ。」
相棒はびくっ、となった。
「トヴァ。あたしの、名前・・・。」
クリオネは、しばらく呆然と俺の顔を見ていた・・・。うっすらと涙がにじんだように思えたのは、俺だけか?
「ありがとうよ。だけど、俺もお前も時計屋も眼球端末は入れてねぇ。」
そうか!? そうなのか!? 後ろでケロちゃんが叫んだ。
悪かったな。古い人間なんだよ! 時計屋がわめいた。

電話ボックスの床は地下に下りていく。その先に俺とメフィストたちの愛の棲家だった「研究室」がある、ってわけだ。もっとも俺も、この島に彼女の「研究所」がいくつあるのか知らねぇ。
「はい、キング。ちんぽブラブラ」
ついにこの緊張で頭の配線が切れたらしい。やけくそのように相棒が歌っている。
俺も、声をそろえて大合唱したかったし、みんなも同じ気分だったに違いない。
しかし、俺は大人だからそれを必死でこらえた。その代わりに聞かねばならないことを聞いた。
「なんで、お前いるの? 」
「だって、一人きりでいるの怖いじゃない。」
それは、その場にいる全員の本音だった。

「・・・地球最後の日に、日本人は何ていうか知ってるか? 」
「ロシア人はもう明日は二日酔いしなくていいって喜んだ。」
ドアの横から手を伸ばし、ノックする。ウサギの改造人間である俺の耳は、もはやこの中に誰もいないと結論づけていたが、ドアを蹴り開け、相棒から借りたWzを構えた。いつもなら掃射してから入るのだが、弾が奇天烈なウイルスの培養機を壊すかもしれない。「海の家」を滅ぼした女として有名にはなりたくはない。
 俺は部屋の左側に銃を向けた。時計屋は右を固める。懐かしいにおいが、何もかも生まれ変わったあのときに戻ったような気がした。ひょっとしたらメフィストはそこにいて「お帰りなさい。トヴァ。もう銃を振り回す必要はないのよ。」って言うような気がした。
「右側に敵影なし。トヴァ! 」
 時計屋の声でわれにかえった。
 中は、前とちっとも変わってなかった。わけのわからない培養機やら試験管やらパソコンやら、俺たちが最後にここに来たときと、あまり変わっていなかった。地上と比べて、かなりひんやりしている。むしろ寒いぐらいだ。
 電気が通っているか、ということをテストするのもかねて、暖房機のスイッチを入れてみる。ほのかな紅色とともに、電気式ヒーターはよみがえった。
・・・何もかも変わっちゃいねぇ。俺はテーブルをなでた。ここにはいたるところに俺の過去がある。俺がこの島へ来たころのすべて。一番楽しかったとき、俺のもう一つの人生の始まりがこの部屋に閉じ込められていた。本気でメフィストを恨んだ。どうしてメフィストだけが、ここにいないんだ。あんたにはファウスト、って本名の方が似合っていたはずだ。
 机の上の棚には洗剤とコーヒー。机の小物入れには鉛筆とメモ。俺だけが知っているかくし金庫には重要書類。冷蔵庫には血液パックと薬品。そして、「かあさん」が好きだったヴォトカ。まるで、子どもがいとしそうにウサギをなでるように、俺は記憶を確かめた。
「・・・トヴァ」
 よっぽど俺は、うつろな目をしていたのだろうか? 時計屋が聞いた。
「何べんも言うが、あいつは地獄へ帰った。そのまま掘り起こさないのが、地獄をねぐらにする悪魔への礼儀、ってもんだ。」
「俺は奴を、悪魔とは思えないもんでね。」
自分でも驚くほど、やさしい声が出せた。
そのとき、警告ブザーが鳴った。外部からの侵入者を示す警告。昔のように、小型モニターに誰かが映った。マイケルジャクソンのご登場だった。
 
 この暑さだ。くわえて奴はこの島にポップコーンはじけるフライパンのようなお祭り騒ぎを起こしたばかりだ。のどが渇くってもんだ。奴は机の上に山の上に転がしてある血液パックを、よく冷えたハートランドを飲むような飲みっぷりで平らげる。
「・・・最後の晩餐は、うまかったか? 」
 振り返る暇も与えずに、部屋の左右前後に隠れていた俺と相棒、時計屋とケロちゃんは飛び出した。
 時計屋は相棒のWz。ケロちゃんは一撃必殺のレミントンを構えていた。
「・・・というわけだ。すまねぇな処女の血じゃなくて。さよなら変態。」
俺も銃を抜こうとした。しかし、俺は油断していた。俺の口癖・・・「くっ喋ってる暇があったらさっさと撃てよ。」軽口は浪費と並んで俺の悪い癖だ。この場合、有無も言わせず隠れたまま銃撃、が正解だったのだ。
 手に熱さを感じた。いや、熱いんじゃない、痛いんだ、と気づくのに数秒かかった。手を見た。血が流れていた。拳銃を握っているはずの俺の手は、かみそりを、指がそげる寸前まで握っていた。奴は、にやりと笑った。奴の血袋のように赤い口から、かみそりが出てきた。俺は口を抑えた。あわててそれを吐き出した。かみそりだった。そんなものを口に入れた覚えも入れられた覚えもなかった。吐き出せたのは奇跡に近かった。もう少しでのどに送るところだった。俺はひざをついた。恐怖が俺を支配した。並みの奴なら、それくらいの傷は逆に俺をたぎらせるだけだが、こいつは勝てない。どうやって奴が勝っているのか分からない。つまり、勝つ方法が見つからない。その怖さだけでも俺をひざまづかせるに値する。そして、それは俺の恐怖を、吐き気が出るほどの恐怖をッ!
 引きつった顔のクリオネが、血が噴出したように真っ赤な顔をしたケロちゃんが引き金を引いた。時計屋が顔を引きつらせ止めろ、と叫んだ。二人はレザー・フェイスを挟んだ同一直線上に立っていた。引き金を引いた。花火が上がった。奴の体に当たった。奴は無傷だった。それぞれが放った弾丸は、それぞれの体に襲い掛かった。硝煙の向こうには、最悪の悪夢が広がった。
 俺は相棒の名を呼んだ。今なら分かる。今ならケロちゃん、なんでお前がここまで奴を追っていたか、良く分かる。そして、どれほどこいつを憎んで、恐怖したかを。
 しかし、もう俺の体は、恐怖という悪質なウイルスに蝕まれていた。俺は泣いた。目の前に殺すべき奴はいるのに、その心臓を抉り出してやる方法が見つからない。ここまで泣くのは、ハイティーンでバイク泥棒がはじめて見つかったとき以来だ。
 しかし、その絶望を救ったのは、時計屋だった。
 「トヴァ、相方背負ってドアへ走れ! 」
 俺はレザー・フェイスの方を見た。すすり泣く声は俺のものでは無かった。奴だ。奴が冷蔵庫を抱いてすすり泣いている。それはまるで、捜し求めていた自分の肉親が、いや肉体が戻ったように。
 まったく時計屋は正しい。泣いていては物事は転がらない。時計屋はケロちゃん、俺は相棒を背負って走った。最後に俺たちを救ったのは「かあさん」だった。ハンカチを突っ込んだヴォトカ。俺は容赦しなかった。

 結局、奴は焼け焦げを作ったまま、冷蔵庫を担いで出て行った。俺は奴が、地平線の向こうに消えていったのを確認して、救急ヘリを呼んだ。救急ヘリは街中で出回ってしまい、代わりに軍用の汎用二本腕式作業機ツヴァイ・ハンダーが来た。蝋人形のような・・・という形容では生易しいほど、硬く白くなった二人。もう魂は、手を伸ばしてはっきりと抱きとめる温かみは、そこに無いのか?
 ツヴァイ・ハンダーが水平線の向こうへ消えるのを、俺たちは黙ってみているしかなかった。
 そして、日もすぐに落ちた。
 時計屋は黙って肩を叩いた。お前のせいじゃないと言った。そんなことは分かってるさと応えた。「トヴァ! 」時計屋が、俺と出会った中で最大の声で俺を怒鳴った。
 「最後に、俺のお願い聞いてくれネェか? 」
 俺は、さっき研究室からくすねてきたファイルを見せた。そのファイルには「冷蔵庫計画」と書かれていた。

 ドゥカティを駆って、町へ戻るのに30分かかった。行きは15分しかかからなかったというのに。はげた塗装の遊具が立ち並ぶ夜の遊園地は、まるであの世からぽっかり浮き出てきたように思えた。バケモンでもやっぱり食ったものは出さなきゃならないらしいし、さっきの血にはたっぷりの洗剤と発信機をぶち込んでおいた。神に見捨てられた地の果てというキャッチフレーズが似合うような、落書きだらけの薄汚い便所で奴はすすり泣いていた。
 俺はその声がするドアの前に立った。最後の晩餐は、うまかったか? と聞いた。
 奴のすすり泣きは止まらなかった。
「メフィスト・・・お前も良く知っているよな・・・。昔、人間がどれくらい理想を追い求められるか試そうとした連中がいた。その名は『衝撃を与えるもの』くだらない連中さ。そして、その中でくだらない研究をやっている女科学者がいた。みんなは蜘蛛だの百足など、怖いモンを好んで改造したが、その女だけかわいらしいウサギを改造人間にした。彼女はくだらないモンばっかり発明した。そのうちの一つが『冷蔵庫』さ。」
 俺は、冷蔵庫計画の書かれたファイルをトイレに投げ込んだ。
 きっかけは、テーブルだった。少なくとも二年以上の長い間放置されていたテーブルにしては、ほこりが少なすぎた。
「・・・確かに完璧な冷蔵庫だろうさ。無生物の時間をほとんど停止状態にする。おかげで肉も野菜も腐りようが無い。いつでも新鮮なものが食べられる。」
自分に語りかけるように小声で呟く。
「だけど、さらに輪をかけたあほが、五歳くらいの子どもに、生物無生物問わず『冷凍』できる冷蔵庫の能力を持たせたらどうだろうと考えた。冷蔵庫の暴走か? それとも生態改造が冷蔵庫に過干渉して狂ったのか? お前の体は急激に成長し、結果ノートルダムのせむし男になっちまった。だけど、お前の中身の時間はそのときにもう止まっちまった。お前は世界を公平に憎んだ。そうだろう。」
 トイレの向こうから、殺気というよりも、悲しみと憎しみの混合物と言ったほうがいい気が流れてきた。
「だけど、もう気に病む必要はネェぜ。お前の時を、戻してやる。」
言ったとたん、俺はトイレから数百メートルの空中へジャンプした。はるか真下でトイレが大爆発を起こした。いや、正確に言うと、音速で突っ込んできたツヴァイ・ハンダーが、トイレを串刺しにした。
 トイレのドアがはじけとび、腹にプラズマカノンが突き刺さった奴が現れた。
 離れていても、時計屋が顔を引きつらせ、叫んだのが分かった。トイレを光球が包んだ。
「光速が普遍である限り、時は限りなくゆっくりとは流れるけど、光の速さを追い越すことはできない。よってお前は、この攻撃をよけられない。お勉強したんだぜ。これでも。」
 そして、光球は光の滝となった。電飾の行進にしては、いささか地味で凶暴すぎる光が、遊具を照らした。
そして、それが収まった後、俺は着地した。まるで巨大なドリルで穴を開けたようにトイレは丸く切り取られて蒸発していた。
「カンベンしろ。俺も奴らの被害者でな。」
 残った奴の「トレードマーク」。スーパーのビニール袋に包まれたアレ。俺はそれを蹴飛ばした。それはひっくりかえって中身を見せた。非常に嫌な気分になった。そこにはこう書かれていた。「自爆スイッチ。」

 昔の人はうまいこと言った。終りよければすべてよし。だから、今回の場外乱闘は、すべて「悪し」
だから、ここから書く事は、あくまで蛇足になる。
『ヤコブの梯子』は、一ヶ月で元通りになり、ホテル『ヘブンズ・ドア』はほぼ時を同じくして再開した。何せうちの会社の保険対象だもんね。
 時計屋は軍のツヴァイ・ハンダーを不当利用した容疑で、一週間ほど警察にお泊りした。「偶然道に落ちてたから、拾った」って言っても、警察は信じなかったそうだ。おまわりの頑固な頭をやわらかくさせるためには、冷蔵庫一杯分の金がかかった。
 ケロちゃんは、現れたときと同じく、挨拶もなしに消えていた。ある日病院へ言ったら、「さよなら」のメッセージカードも無く消えていたんだ。実は奴こそ、亡霊かヴードゥのメディスン・マンじゃねぇのか? とひそかに信じている。
 結局いつもどおりの日々が戻ってきた。この町は俺より不死身だ。いつもと違うところは、入院したのはクリオネというところと、毎回時計屋が見舞いに来る気分がとてもよく分かったってことぐらいか。
 あの事件が、実は夏の暑さの果ての蜃気楼が起こした事件だといっても、俺は信じるね。いや、ぜひとも信じさせておくれ。
 神は天にあり、世はすべてこともなし。

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