run rabbit junk
たraびット

#1
夜中に赤い羊が、「滞納税を払ってください。」とか言ってドアをノックしたら、普通の奴ならどうするか。
 少なくともその誘拐犯・・・もちろん彼には名前があるのだが、それを出すことでこの話に何か大きなメリットがあるとも思えないので、便宜上誘拐犯としておく・・・は反射的にそんなことを考えた。
 ありとゴキブリとのみの常連舞踏会場のような安ホテルの一室。ドアの覗き穴を覗き込んだ誘拐犯1の目に映ったのは、どう考えても今までの人生の中で遭遇したことがない生き物だった。
 ドアの向こうに立ってる物体はメイド服を着ていた。しかし、今まで彼の人生の中で、ここまであからさまにくわえ煙草で仕事をするメイドは見た事も聞いたこともない。そして、十秒おきに床につばを吐き捨てるメイドも。
 しかも、そのメイド服が思い切りロースクールのガキ向けのサイズだった。そして女はハイティーンのガキだった。実際、カラスの口に無理に極太マジックを突っ込んだような服は今にも破れそうだったし、彼女も着るのが辛そうだった。服が千切れて丸出しになっているへそは色気どころの騒ぎではないし、すらりと伸びた生足も、セクシーというよりか笑いを誘っているようだった。おまけに足には、ウサギの足かなんかを模したスリッパを履いてやがる。
 しかも、一応メイドの一種だと思って欲しい服装のわりには、頭には何の悪ふざけか、ウサギみたいな耳まで生やしてやがる。しかも、本物のウサギ毛でも使ってあるように、やたら生々しいのだ。最近はこの手の冗談が流行っているのか? 
 「・・・テメーぇ聞いてますか? さっきから人がこんなカッコで寒い外で待ってるんですよこの野朗。てめぇの脳みそはカラですかご主人様? 」
 ノックの音はさっきより激しさを増している。誘拐犯は考えた。
 こいつは誰だ? 警察なら賞金首の身内に当たる人質をわざわざ助けに来たりはしない。この島の黒社会、呑竜の連中も同じ。賞金首本人が殴りこみに来たなら、とっくの昔に「オレ」があの世へ行っているはず。
 一通り頭脳がめぐった後、誘拐犯は思わず苦笑した。本人に聞きゃいいじゃねぇか。すっかり奴の毒気に頭がやられたらしい。あるいは季節の変わり目のせいか。
 「誰だ。てめぇ」
 「言っていいのか? 」
 くわえ煙草の腐れメイドは首をかしげた。誘拐犯は一瞬躊躇したが、手の中に汗ばんだ拳銃のグリップがあることを再確認し、もう一度同じ言葉を繰り返した。そしたらバカ女は、ロッカーのようにシャウトし始めた。
 「LOVE and Peace! このたびはコスプレ本番ありデリバリーヘルス『ハニーメイドラビット』をご利用いただき、ありがとうございました! このたびは当店指名No1、マシロ・トヴァが、迷えるあなたのハートと息子と穴という穴を責めつくします! 」
 余りにもデカイ声だったんで、当然ホテルの客がドアから顔を出し、ちらほらとこちらを向く。おいこんなに人間いたのかよ。ぼろそうなホテルだったから、ここ選んだんだぜ。
 しかし、誘拐犯の困惑にも関わらず、トヴァと名乗ったその売春婦は叫び続ける。
「えー、お客様の選んだコースは、朝までお前の真っ赤な×××を、このどす黒いこの手で本番しまくっていいだろうなぁ! コース、加えてハードSМコースせめて生で! でよろしいですね? ちなみにゴム製品は自分でお買いください! ハッピー・・・」
トヴァの声は途中で中断された。あせった誘拐犯がドアの中にトヴァを引きずり込んだのだ。
「そーやってハナっからしてくれりゃ、話が早いのに・・・。」
トヴァと名乗った女・・・いや、少女か? は相変わらず仏頂面で部屋をきょろきょろと見回している。しかし、よく見ると彼女は美人の部類に入る。猫科の哺乳動物を思わせる精悍な顔つき。夜の底で静かに、しかし激しく燃えるルビーのような目。
「てめえ、客取りしたいんなら公衆便所へ行け。オレは淫売なんか頼んだ覚えは無ぇぜ。」
「でもあンだよ。コッから出前の電話あったもん。これオタクの住所に間違いねぇだろ。」彼女は、肩のかわりに耳をすくめる。
彼女は寝室へつながるドアへ歩きながら、誘拐犯の顔に丸めた紙くずをたたきつけた。
それを見た誘拐犯は沈黙する。エセ兎メイドは、ライターライターなどと呟きながらそこいらをうろついている。
「あのな・・・。」
「何? 」
ドアを勝手に開けているトヴァに、叩きつけるように声を荒げた。
「お前は行く場所を間違ってる。この住所、2-31じゃねぇ。Z、ゼットの31だ。それに、そのカッコじゃ客引きよりも精神病院へ行ったほうが・・・。」
 それ以上、誘拐犯は言葉を続けられなかった。飛んできたスチール製の、しかも椅子じゃなくて机。そしてアバラが折れる音。

#2
 安ホテルのドアの溶接作業は簡単に終わった。溶接用防護面を外した俺の相棒「クリオネ女」が、ロリータ・フェイスもまぶしく「終わったよ」とにへっと笑う。
 「こっちもだ。」俺は仏頂面で答えた。というのが、警察の対応。人が親切に「誘拐犯が生ゴミのバケツに頭を突っ込んで死んでるぜ。」と通報してやったというのに、「冗談も程ほどにして学校へ行け。」などとマジに取り合ってくれなかったからだ。
 ま、いいさ。後は本社に連絡して、俺の仕事は終了。
 野球のボール大の携帯電話をねじるようにして開ける。半球に開いたところに現れる小型のダイヤルを廻し、世界公益保険保障公社・・・俺の勤め先にしてこの島最大の「保険屋」に電話をかける。保険屋なんて聞こえはいいけど、要するに俺の仕事はこの手の「要人誘拐」なんぞがあったときに、暴力に語らせて誘拐犯を黙らす。まー、私設賞金稼ぎみたいなもんだ。
 「NSRBJ7634。トヴァ・マシロ。保障対象を確保、保護しました、と。犯人は勝手に窓から滑り落ちて、ゴミバケツに頭突っ込んで死んでるよ。え? 人質は例のホテルの201号室にカンヅメにしてる。特大のカンキリが必要かもね。」
 電話口から、露骨なため息と「特大って、どれくらいだよ。」というぼやきが聞こえた。
 少なくとも俺は、学校の行き帰りに誘拐されるようなガキはけだものに近いトロいけだものだと信じている。そしてけだものはオリに閉じ込めとくべきだ。少なくとも、このドアがこじ開けられ再び誘拐されるなんてマヌケなことは起こらないはず。
 煙草のフィルターが涎を吸いまくって、腐ったナメクジみたいになったので吐き捨てる。その直後、床に転がる煙草にまだ火をつけてないことを思い出し、頭を抱えたくなる。
 ふと横を見ると、少なくとも俺の全財産より高いだろうゴスロリファッションで姿を固めた相棒が、天使もかくやという無邪気な笑顔で笑いかける。
 「なんだよ? 」
 「ウサちゃんおっぱい丸出しー。」
 言うなり奴は俺の胸に抱きついてきやがった。やわらかい感触が俺を包む。俺の体に悪寒が走った。「ねぇ、俺昨日怪我してスッゲ痛いんだけど、見てくれる」とか言って無理やり足の小指の生爪がはげかけているのを見せられたような感覚・・・。言っとくケド俺は女だ。
 「だああああっ! 止めんかっ! 」
 俺は躊躇無くげんこを相棒の頭に振らせた。
「ああん、痛ぁーい。どうして? そのおっぱい出てるのに、寒くて風邪ひいても知らないんだからもう。」
「このアーパー娘っ! 俺がたとえ裸でも、寒くなんぞ無ぇのはお前も良く知ってンだろ! 」
 自分でもあきれるくらいまん丸な胸を、まるで分厚い毛皮をあしらった下着のように包む純白の毛。彼女ははっと体をこわばらせて、おずおずと離れた。
 「ごめんなさい・・・。」
 「ン。・・・。わかりゃいいんだよ。」
 やりすぎたか? 歯切れ悪そうに俺は呟いた。
 
 ま、今の話を聞いてりゃ分かると思うが。俺は改造人間である。ほら、ガキ向けのヒーロー番組「本郷ナンチャラは改造人間である。彼は日夜、世界を脅かす悪と戦い続けるのだ」ってアレだ。
 ただ、悲劇的なことは、俺はヒーローの方の改造人間ではなく、一週間に一回は必殺技を受けて派手に爆発する怪人系の改造人間であるということ。
 そして、モチーフが「独りぼっちにしておくと、寂しくて三日で死ぬ」と言われてるウサギであること。おかげさまで一年以上生きている。最後に、それについて文句を言おうとしても、俺を改造した奴らは全員まとめて地獄へ行ったこと。税金とか政治家とか世の中にはいろいろ卑怯なことがあるが、「死んじゃう」ってのは極め付けに卑怯な行為だと信じている。だって俺がボコれねぇだろ。
 「まぁ、俺の身の上話はその辺にして・・・。」
 「ねぇ、トヴァ。あんた。誰としゃべってんの? 」
 不思議そうに聞く相棒は無視して、俺は自分の格好を見た。先ほどの派手な死闘で、もともと衣服の用を足してなかったメイド服は完全に消し飛んでいた。さすがスーパーで100円均一コーナーで買ってきた仮装衣装だけある。いや、小学生サイズしかなかったんだって。いつの間にか出てきた野次馬どもが、俺を好色そうな目で見てるが、顔を赤らめるには年を取りすぎている。だから、一番アレが立っている男に話しかけたんだ。
「おおっ。アンタ。すげえ立派なのもってンじゃん。いいねぇーこの女殺し! ぶち殺されたくなかったら服よこせ。」

 奪った服は思いっきりだぶだぶで、一歩歩くごとにかかとに裾が絡みつく。最悪だ。コンクリのうちっぱなしがにくい棺おけみてぇな我が家だが、それでもこんなときには心の底から愛しい。とにかく一刻でも早く帰って、煙草に火をつけ心いくまでゴロゴロしてぇ。我らが愛車フィアット500「ハツカネズミ」は、帰りが遅い主人にふて腐ることも無く十発でエンジンがかかる。まー、これで機嫌はいいほうだ。
 シートに体を滑り込ませると、いきなり俺の前へケータイが突き出された。そこに映る画像には、闇の中でなお輝きを増すような目が写っていた。そいつは、少なくとも温かい血潮とは無縁の存在。それは哺乳動物の目はしてない。それは闇の太陽のような

複眼。

 鮮やかにうすぼけた記憶が蘇る。

「こいつ、誰だよ。」
 俺は相棒に聞いた。
「分かんない。けど賞金は高い。なにせ前から呑龍が追っかけてて、そして昨日、軍警察本部襲撃したから。おかげで警察と黒社会あわせて1億かけてる」

すべての輪郭を溶け込ます闇の中においてでも分かる異形の男。その姿は人間と同じ四肢を持ち人間の体型を保っていた。しかしその顔は、表皮は、緑色の蝗のものだった。人間と蝗を合成し、それを機械的に整えたといわんばかりの姿。

「でねでねっ、よくわかんないけど、賞金1億なんていいじゃない。たまにはお小遣い稼ぎも・・・。」
「カメンライダー・・・。」
 相棒が怪訝な顔で俺の方を見た。俺は首を振った。
「いや、何でも無ぇーよ。悪夢は見るもんじゃねぇって話。それよりもこの話はのらねぇぜ。警察と呑龍を敵に廻すってのは、世界を敵に廻したも同じだ。俺はそんなめんどくせぇ奴に関わりたくねぇ。」
 「そんな。器物破損で一億借金を負ってしまって、警察を一週間で首になった奴に言われたくないわね。でもめんどくさいとねんどくさいって似てるね。」
 「で、君はしょんべんくさいね・・・。いや褒めてない。」
 何故か顔を赤らめ頬を押さえて微笑む相棒に突っ込んでおく。
「というか、このカーライター。つかねぇじゃねぇか。」
 「だって、アタシ吸わないもの。」
 仕方なく、俺はシートの後ろを探し始める。なにせここは、俺たちのデカイポケットだ。適当にあさると、置きっぱなしでそのまんま忘れっぱなしのものも適当に出てくる。当然、ライターも。
 「なぁ、お前も煙草吸えよ。そしたらいつでも遠慮なく俺がライターを借りれる。」
 「じょーだん。アタシのチャームポイントは、サーモンピンク色のぷりぷりした綺麗な肺な・・・。」
 言葉は続かなかった。相棒が急ブレーキをかけたんだ。
 「おい、てめぇ。ヤクでラリったガキならひき殺せって言ってるだろ!? 」
 ダッシュボードの下で、鼻をしたたかに打ちつけて悲鳴にも似た抗議の声を上げる。くそっ。人間の何千倍もの嗅覚を持つ俺のチャームポイントが。
 「そうじゃない・・・そうじゃないのよ。」
 相棒はおびえていた。俺はダッシュボードから顔を上げる。
 
 ヘッドライトに照らされて立っていたのは、確か人質に取られてた少女じゃないか? 一瞬、どうやって抜け出してきたんだろうと思ったが、それよりか、やはり家での温かく貧相な毛布と煙草だ。
 「・・・どけよ。轢くぞ。」
 「お姉ちゃん、正義の味方? 」
 俺の耳がへなりとしなった。こいつは本格的に参った。
 「俺が正義の味方なんぞやった日には、世界は7日どころか1日でジ・エンドだぜ。いいからどけよ。」
 「じゃあ、刑事さん? 」
 「大はずれ。さぁ、外れた方はかえってください。残念賞は出さねぇ。」
 「・・・賞金稼ぎ? 聞いたことがある・・・。お金を払えば、誰でも殺してくれるお仕事、なのよね? 」
 あどけない少女にふさわしくない恐ろしい言葉。嗚呼、ますます世の中は狂って行ってるらしいや。
 「まー、似たようなもんだ。どけ。」
 しかし、彼女はどかなかった。ヘッドライトの光をはじき返すような、強い光が目の中に宿っていた。
 「・・・じゃあ、私の依頼聞いてくれる? 」
 「なんでそーなるかな? 」
 耳が垂れた。参った。俺は自慢だけど頭の悪さにかけては定評がある。目の前の少女が何語をしゃべっているのかさっぱり分からない。と、相棒が俺の袖を引っ張った。
 「あの子、一応人質でしょ。カクホタイショウだよね。じゃあ一応、うちらのところへ連れて行ったほうがいいんじゃないのン。」
 「ちょっと待て、勝手に出て行ったガキの面倒まで見ろってのか・・・。」
 「お金もちゃんと払う。」
 ほぉ? 実に殊勝な子どもじゃないか。結局、この世を廻すのは金であって、そこらへんをわきまえた預金通帳をしっかりと管理してるような奴に対しては、たとえガキであっても、俺は一人の大人として扱う。この子もそうなのか? 
 「どれくらい出せんの? 」
 「あなたのところで、お仕事して返す。」
 やっぱりガキだ。しかもたちが悪いことにアーパーだ。
 「おい、車出せ。」
 「でも、そんなことしたら報酬の支払いでもめる・・・。」
 「いいから車出せ。まだボケッと突っ立ってるようならひき殺せ。」
 「いや、アタシの車が汚れる。」
 二人の醜い口論を止めたのは、少女の呟くような懇願だった。「ねぇ。お願いだから・・・。」
少女の視線が、俺の瞳の中に突き刺さる。
「お願い・・・なんでもするから・・・。」
少女の目は暗かった。そして、その瞳の中には黒い炎が燃えている。かつての俺みたいに。
 しかし、残念ながら俺は、感傷的になるには少しばかり年を食いすぎている。ダッシュボードからリヴォルヴァーを取り出す。
 相棒が怪訝な顔をして首をかしげる。無表情だった少女の顔にも少しばかり反応が。
 「何でもする、っつったな? 」
 彼女の方へ歩きながら、シリンダーから3発弾丸を取り出す。
 「残りは3発。分かるな? 」
 俺は頭に銃口をキスをすると、まるで歯ブラシをするぐらいの気楽さで銃を口の中へ突っ込み引き金を引いた。少女へ歩みを止めないまま。
 357マグナムのジャケッテッドホローポイント。少々物足りないが、改造人間といえども死を送るには十分な威力。一瞬、魂がこの身を抜け出るような、冷たいナイフのような快楽が付きぬけ、そしてそれは、カチリという不発の音とともに、夜の冷たいかけらとなってどこかへ飛び散ってしまう。
 少女の黒目が明らかに広がり始める。
「何びびってんだい? 眠れない夜にはこれが一番なんだぜ。」
 少女は俺の方を見つめている。ひょっとして俺を哀れんでいるのかも知れない。しかし、俺の歩みは少女の前まで来てしまった。
「口の中に突っ込んで、引き金を。ね。生き残ったら依頼聞いてあげる。さあ。」
 彼女に銃を渡す。銃のグリップさえまともに握れないような小さな手は、まるで逃げ場を失って、もはや神への祈りさえ届かない子ウサギみたいに震えている。銃口から手を離す。銃の重みに逆らわず、手が落ちていく。彼女は驚いていた。
 「銃って、重いだろ? 」
 俺に娘がいて、話しかけるとすると、きっとここまで優しくなれるのだろうか? 愛しいものが永遠にこの手の中に存在しつづける。それは永遠にかなうべくも無い望み。だからこんなにも愛しいのだろうか? 
 そっと、彼女の肩を抱く。彼女の小さな心臓が、命の炎を点滅させているのが分かる。彼女の手は、まるで百年以上昔からそこにある山のように動かなかった。俺は目をつぶり、彼女の耳元でささやく。
 「やっぱり怖い? いいんだよ。それで。それとも俺が・・・。」
 かき抱いた彼女の頭が熱い。じっとりと湿るのは、汗? それとも・・・。
 「引き金を引こうか? 」
 その言葉が、引き金になったみたいに、彼女の腕が持ち上がった。びっくり箱を開けたような、あるいはばね仕掛けの操り人形みたいに、銃口が俺の頭を向いた。
 「・・・そうだな。で、どうする? 」
 まるで、蝋人形のようだった彼女が、次第に震え始めた。目は飛び出さんばかりに開かれ、そしておぼれて肺に水が入ったかのように息が荒くなってくる。
 その間は、永遠に続きそうに感じた・・・。
 しかし、永遠なんてそう長くは続かないもの。雷鳴、いや銃声。
 漂う火薬の音。そして、口の中に広がる、錆びた鉄の味・・・。
 気がついたときには、俺は笑っていた。肺が痙攣を起こしたように、しのびやかに。何故笑うんだ。自分でも分からないが、笑いは俺の空っぽの体内に木霊し、反響し、更なる大げさな笑いが俺の口を付いて出た。
 豹変に驚いた彼女が、俺をじっと見つめたまま凍りついている。そして、それは相棒も同じ。
 「おい、気に入ったぜこの子! 」
 俺は地面に穴が開くくらい勢いよく、口でストップさせたそれを吐き捨てた。地面にめり込んだそれは、ジャケッテッドホローポイントの鉛弾、血の味のガムのようにぐちゃぐちゃになっている。
 俺の笑いは止まりそうに無かった。だから「ウサギ」は俺には似合わないんだ。どこの世界のウサギが火薬と血にまみれたゲームをするって言うんだ。

#3 
 何を売っているのか良く分からない商店街と、飲食したらまず三日は腹を下すだろう飲食店と、ここで一年以上過ごしたらそいつは一流のサバイバリストになれるだろう屋台だか民家だか分からない店を、海につながる川沿いに南下すると、それに負けず劣らないくだらなさの「愛をはぐぐむための専用ホテル」パイパニックがある。
 昨日のだぶだぶの服は速攻でゴミ箱に送り、そのすがすがしい気分のまま、今日は俺のお気に入りの、日のにおいがたっぷりしみこんだライダースーツと、無理やり出世払いにしてもらったドゥカティのモンスターでそこへ向かっていた。何でも今回の件について、依頼人が俺に直接礼をしたいらしい。俺の上司は「あそこ行くんなら、特製痴漢撃退ブザー持ってけ。哀れな痴漢のために。」と俺に「それ」を無理に持たせた。相棒は昨日からまた行方不明だが、こんなときまで一緒にいるほうがかえって気まずい。
 やがて、「パイパニック」と書かれた、一目見ただけで角膜がおかしくなりそうな原色バチバチの看板が見えてきた。しかし、いくらなんでも「パイパニック」はねぇだろう。俺がこのホテルの支配人だったら自殺する。
 エンジンを切り、うやうやしく後ろ座席に手をのばした。「さぁお嬢様。」
 そう。昨日の押しかけ助手だ。奴の目の前で後学のため、金の受け取り方法と、特に金のありがたさをたっぷりと教えてやろうと思ったのだ。
 ホテルの影が、私たち二人の影を丸呑みしている。俺はホテルの天井にいるデカイパイオツに挨拶をし、煙草をまさぐるように無意識的にベルトに手を伸ばした。
 無造作に腰に突っ込まれた357マグナムの重さが心地よい。もちろん六発フルに装填している。草食動物であるウサギのせめてもの牙。
 「高級」ラブホテルにふさわしい、触れただけでぶっ壊れそうな、しかも「手動」のドアノブを握ると、それは思いっきり取れてしまう。いっそのこと蹴りあけた方が早いとも思ったが、そこまで私は分別がつかない女ではない。
 どんなベニヤ板で出来てるんだというようなドアノブの無いボロドアは、開けるのにも一苦労だ・・・。フロントでは、およそ埃だらけの室内と、それに不釣合いなとんでもなく高そうな熱帯魚が入っているでかい水槽。そして、一発でオカマだと分かる180はある大女が、退屈そうに『マイアミバイス』の再放送を見ていた。
 ソニークロケットだが、預けといたフェラーリをくれ、というと、オカマはこっちも見ずに鍵をよこした。ったく。何年前の合言葉だよ。
 俺はにやりと笑い、ありがとう。ひげが一本鼻の下から生えてるぜと教えると、奴さん慌てて奥の部屋へすっこんだ。
 俺は、天然のブービートラップ・・・早い話踏み板が腐って抜け落ちないかひやひやしながら、10階まで階段を上がった。エレベーターは使うのはよしたかった。だって階段でさえこの程度だもの。
 やがて、俺たちは目的の階に着いた。なるほどね。非常口からもエレベーターからも、階段からも一番近い部屋を取ってやがる。一番近い、ってことは、それが良く見える、ってこと。つまりはここに入ってくる奴が監視できる。まー、間違ってもルームサービスの呼び声でドアの前に立って撃ち殺される奴ではねーな。
 これまたドアノブの役をなしているかどうか不安なドアノブに鍵穴に鍵を突っ込み、鍵で嫌がる鍵穴を強姦する。
 老婆のあえぎ声みたいな音を立ててドアが開いた。とたんに・・・。
 「夏の香り? 」
 窓は開け放され、海が広がっているのが見えた。どんなに腐った建物が並んでいる町でも、どんなにすさんだ心の持ち主が住まう町でも、やはり海はいいもんだ。
 この夏の香りは、そこからするのか? いや違う。
 まるで草原の香りのようなすがすがしいハーブを匂いを基調として、本当に微妙に甘いにおいが、まるで夏蜜柑のようなすがすがしさを出すことに成功している。しかも、ただ甘ったるいものではなく、懐かしい何かを、そう、今は幻影にすぎなくなった、子どもの頃。真夏のカーニバルに出かけようとはやる心臓の鼓動。その香りは、それを思い出させるくらい複雑で奥が深いものだった。
 俺はあたりを見回す。少しめくれたベッドに、ギネスビールの新しい空き缶。取立て馬鹿でかくも無いスーツケースには、きっと生活必需品のみが入っている。典型的なすねに傷持つものの部屋だ。しかし、それに似つかわしくないものが・・・。
 絵の具だ。新品もあれば、使いつぶされてペタンコになっているものもある。そして、完全にカラになった青の絵の具のチューブが、まるで魚のようにスーツケース回りに散らばっている。絵筆もある・・・ということは・・・スケッチブックかなんかはあるのかな?
そのかわりに見つかったのは、ベットの上に置かれている画集。なんだ? シーツに埋もれているそれを取る。
 ページをめくったとたん、深い、だけど底抜けに熱い緑の楽園が目に入る。これは、椰子の、木? 熱帯雨林?  そして、その中にいる、微笑んでいる猿みたいなもの。少々グロテスクに見える顔がかえって、見るものに安らぎを与える。
 一瞬、誰も知らない南の果ての島で、永遠の休暇を取って過ごしている自分を連想する。
 絵のタイトルは・・・陽気な・・・おどけものたち? 作者は・・・アンリ・・何たら。
 俺は、そいつのにおいをかいで見た。しかし、そいつからは夏のにおいはしない。
 あたりを見回す。海に面した机の上に、オモチャのお城のように聳え立つ小箱。それは葉巻だった。
 一本とって、鼻に持っていく。夏のすべてを10センチほどの小さな棒に凝縮したような香り。なるほどにおいのもとはこれに間違いない。
 「と、なるとな・・・。」
 ドアのそばに、所在無くたっている押しかけ助手にいたずらっぽい微笑を投げると、一本咥えた。
 「知ってるか? 葉巻ってこうして吸うんだぜ。」
 葉巻の吸い口を噛み千切り吸い口を空け、カスを床に吐き出す。その手間はまるで拳銃に弾を込めている感覚を髣髴させる。やはり葉巻はこの儀式が無くっちゃ。俺はポケットをまさぐるが、愛用のトリガーバーつきジッポーが無いのに気づく。少女は迷うことなく机の右から三番目の引き出しを開け、マッチを取り出した。
 「悪りぃな。」
 俺はマッチをすり、葉巻に火をつける。ゆっくりと葉巻の広い火口に火が広がっていく感覚。思いっきり煙を吸い込むと、俺の胸の中に夏の香りが広がる。時間が元へ戻ったような奇妙な酩酊感。目を閉じてそれに酔う。
 そして。目を開けてみて仰天した。
 花びら? 赤、白、黄色に黄緑。原色の花びらが、空に舞っている。いや、花びらじゃない。あれは魚。今では図鑑じゃないとお目にかかれない熱帯の魚が、繊細なタッチで描かれている。誰かが、ここの天井を海に見立てて、熱帯魚を描いたんだ。
 心まで吸い上げられ、溶けそうになる虚構の海。
しかし、ゆっくりと絵画鑑賞は出来なかった。頭に次のような疑問が浮かんできたから。
 どうしてこの子、初めて入った部屋なのに、マッチの位置が分かった? 
 次の瞬間、やわらかい肌が俺の背中を包んだ。彼女が俺の肩に手を廻したんだ。何か言うよりも早く・・・。
 
 お姉ちゃん、愛してる。

 幼女の唇が俺の唇をふさぐ。そして吹き込まれる息は甘い魔女の香り。脳髄が甘く麻痺していく感覚・・・そしてその名は、かつての腐れ縁が生み出した悪夢のかけら。かつてネオショッカーと呼ばれた組織の一級殺人兵器。アサナガス。
 ゆっくりと、空が、天井が、部屋が、世界がうねり始めた。唇を押し当てられていた時間はわずかだというのに、なんて効果なんだ。俺は肺の中を、いや肺を吐き出すぐらい激しく咳き込んだ。しかし、まるで眠りへ誘う魔女のような痺れが取れない。
 指から葉巻がこぼれ落ちる。世界はうねるのを止め、ゆがみ始めた。
 けだるい眠りの糸は、俺をがんじがらめにし始める。咳き込みはいっそう激しくなり、床に転がった葉巻の横に血が滴る。しかし、それはまるで別次元のことのように映った。

#4
ゆっくりと、俺の後ろに立つそいつ。
 「ダメだな。本物の、キューバ巻をダメにするなんて。」
 俺はゆっくりと後ろを振り向く。
 「金はいらんよ。ただ、お前の左腕で払ってもらうがな。」
そして、その異形には左腕が無かった。闇の中にいても、まるで、たった今心臓から抜き出したような、闇の中でもなお映える複眼。嫌がる二つの生命体。蝗と人間を無理やり接合したときの細胞の悲鳴、遺伝子の断末魔をそのまま姿にしたような形。ただ、その左腕は、根元からすっぱり切れてしまっていた。もう無い。
 「カメン・・・ライダー」
 奴はそれを聞いて、心底おかしそうにくすくす笑った。
 「なぁ、知ってるか? 仮面ライダーになりたくてなれなかった仮面ライダーの数は、絶望するほど多いんだぜ。」
 そう、そいつは良く見ると奴とは少々違う。むき出しになっている牙。獲物を引き裂きたくてたまらない下品な形に伸びまくっている爪。忘れたくても忘れられない奴とは似ても似つかない。なぜなら俺は、奴に殺されたから。しかし、奴に違うことに安心している自分がいることに気づき、心底驚く。だけど、話はそれだけでは済みそうに無かった。
「それと、もう一つ・・・。」
 彼の複眼一つ一つに、殺気が広がる。
 「私を仮面ライダーと呼ぶなぁぁぁっ! 」
 全身が持ち上げられたと思ったときには、俺はベットに叩きつけられる。俺の下でスプリングがはじける音、気が折れる音。そして・・・・
 「・・・いい音だな。アバラにひびでも入ったか・・・。」
 奴はうれしそうに含み笑いを続けた。反対に、俺の口からそして、独り言のように、自分に言い聞かせるように言葉をつむぐ。
 「確かに、バッタ、あるいはバッタの仲間をモチーフとした改造人間は、私たちの結社でも、作られている。しかし、その中には、仮面ライダーになりたかったものもいた。特に、私が知っているある女は、仮面ライダーよりも仮面ライダーにふさわしかった。だが、もうそれは夢だ。遥か昔の幻影だ。今ここを生きる現実じゃあない。しかし・・・。」 
 次の瞬間、俺のライダースーツが裂ける。そしてうなじが、胸が、そして腹が露出して・・・。
 「・・・やはりな。」
 ゆっくりと、「ベルト」をわざと避け、奴は腹を人差し指で愛しそうに撫で回した。
 「貴様も、悪夢の一員だったというわけか。」
 腰に誇らしげに輝くNSベルト。それは俺を縛り付けて放さない運命の鎖。
 「なるほど・・・お前が普通の人間だったら、左腕を貰うところだったが・・・。互換ゴーストシステムは知っているな・・・。お前の体すべてを貰うよ。」
 そして、ゆっくりと奴の体が覆いかぶさる。硬い生態鋼鉄の下で、南国の太陽の灼熱のように熱い魂が噴出しそうになっているのが分かる。黙って聞いている俺ではない。
 腰に付けられた俺の命分の重さの鉄塊。俺は容赦しなかった。
 0.5秒で5発。いくらLフレームのリヴォルヴァーといえども、一瞬銃が吹き飛んだかと思う反動が来る。轟音が教会の鐘を鳴らさんばかりに響いた。
 強化プラスチックの肌に弾が突き刺さる。まるでネズミ花火みたいに、小さく血がはじけ富んだ。そして、片目がざくろのように吹っ飛んだ。
 しかし、奴の手は緩まなかった。
 「・・・やはり、リボルバーは時代遅れのシロモノだな。あっという間に弾が切れるし・・・。」
 返事は、もう一回引き金を引くことだった。しかし、その前に装甲化された熊のそれのような手が、シリンダーを押さえた。
 「こうしてしまうと、もう撃てない。化石さ。俺とお前と、同じ。」
 奴の顔が、俺の唇に迫る。奴の唇は、この世のすべての人間的な弱さをはねつけるように冷たく、そして・・・・。
 「もう帰るべきところが無い生きる屍が二人。一人は男。もう一人は女。分かるな・・・。」
 奴の唇は、俺の心臓をわしづかみにするほど熱かった。
 ゆっくりと、しびれるような感覚は陶酔へと、そして快楽へと変わっていく。
 心臓がおかしくなりそうなのは、毒のせいか・・・それとも・・・。命ある鋼鉄の鎧の後ろ、何かやわいものを感じたからなのか ?
 毒が、頭に・・・体に回る前に・・・。カタをつけなけりゃ!
 ポケットの中にある「痴漢撃退防犯ベル」の安全ピンを抜いた。
 「痴漢撃退防犯ベル」・・・手榴弾は「蝗の怪人」の足をネズミみたいに抜けた。
 俺は奴を抱きしめた。盾にするために・・・。

#5
 夢を見ていた。

 赤い。空が赤い。まるで、これまで血を吸いまくった大地の涙を、泣きじゃくる子どもの涙を懸命にふき取る母親のハンカチのように。
 きっかけは共産主義を掲げる政権争いのクーデター。一週間でカタが着くはずだったそれは、しぶとい全政府の抵抗。欲望に突き動かされた現政府の仲間割れによって、一年以上続いていた。
 しかし、どうしてそうなったかを知るのは、長い時間がかかったし、これからも分かることは無いだろう。
 少女の目の前には、胸まで真っ赤に染めた母さんの抜け殻が転がっている。
 もう、体のすべての血を涙にして流しつくしてもいい。

 「いや、本当にいいのかね? 」
 少女の黒髪をもてあそびながら、軍服姿の男が行った。
 「我々の仲間になるってことは、来年のクリスマスを地獄で祝う世界に行くことだが。」
 少女の手にはまるで似合わない、M586。彼女は黙って357マグナムの銃口を突きつけた。
 どうせ流れても流れてもたどり着く天国は、この貧民街ぐらいしかない。この悪夢を覚ますには、この体を何とかするしかない。
 一瞬、軍服男がひるんだ。少女はにやりと笑うと、俺のこめかみに銃をつけ、引き金を引いた。
 軍服男は笑った。
 「よろしい。ようこそ新しい理想郷へ。ただその黒髪は、改造するにはどうにも惜しい。」

「・・・何故だ。」
名乗るとおりの仮面のような、表情の読めぬ顔のまま、仮面ライダーは呟いた。
「何故、こんな少女を差し向ける。俺を惑わせるためか。躊躇させるためか。」
それは、目の前の兎の部品を持った少女への問いではあるまい。今の少女という言葉には、おそらくは目の前の者も含まれる。その背後に居る・・・居るとスカイライダーが認識している、ネオショッカー「という存在」への問いだろう。

地を転がるラビットジン。そして今度は、起き上がることが出来なかった。
「がっ、は、ごほ・・・」
気管にねばっこく絡みつく血潮に噎せ、咳き込み、咽喉が鳴った。
呼吸するたびに激痛が走る・・・肋骨が滅茶苦茶に折れて、肺がそれに切り裂かれているのがはっきりとラビットジンには認識できた。
末期。
仮面ライダーはそれを、何を思ってか、立ち尽くし、見つめていた。逃げたNSの本隊を追うでもなく、この場を去るでもなく、ラビットジンに止めを刺すでもなく。
悔しそうに、ラビットジンは呟いた。・・・本隊を逃がすことに成功した、という自負が無ければ、多分泣いていただろうと思う。
「馬鹿だ、俺・・・今初めて、死にたくないなって、思っ・・・」

「さて、これでもうあなたは自由。」
「メフィストフェレス」は、心底うれしそうにそういった。
「君が一番為したいことを為してちょうだい。」
 そして、それをおかあさんにみせてくれ。か。畜生。
 鏡の中の少女。生まれ変わったNS−BS/fmは、もう黒い髪とまだらの毛は持っていなかった。

#6
 死んだように世界が、まぶたが重い。
 畜生! まだ俺は・・・俺はッ!
 まるで強力接着剤で止められたようにまぶたが開きやしねえ。違う。こんな終わり方じゃねぇんだろ? 世界は俺の知らないところで、知らない間に回っているのは良く分かるが、こんな終わり方はねぇだろう。誰でもいい。この重くのしかかってくる天国への闇を打ち払ってくれ。それこそ悪魔でもかまわない。天国のドアをノックするのは、まだ早すぎる。

 目を開けて、真っ先に飛び込んできたのは、俺の二の腕に突き刺さりそうになっている注射針。誰かが俺に点滴をしようとしている。
 反射的に俺の拳がそいつに飛んだ。そいつが白い服に白いヘルメットの制服を着ている奴・・・救急隊員だと気づいて寸止めできたのは、ほとんど奇跡に近かった。
 「す、すまねぇ。点滴は大っ嫌いなもんで・・・。」
 慌てて弁解したが、かわいそうな彼は床にへたり込んで気絶していた。座りションベンをする奴は、本当にこの世にいたんだ。
 そして、俺は救急車の車内のベットに載せられている。気絶させた奴とは違う、もう一人の救急隊員が、車内の壁に震えながらへばりついている。
 「・・・何があったんだ? 」
 言って、マヌケな質問をしたもんだと思った。
 「ば・・・爆発があったんです。ラブホテル『パイパニック』で。おそらくテロだとは思うのですが・・・。で、あなたは巻き込まれて負傷してたから、病院へ運んでるんです。念のため輸血をしながら・・・。」
 俺が予想していた通りの答え。
「俺の手当てはいいから、奴の手当てをしてやんな。俺は病院は嫌いだし、自慢だが、俺のパンチは音速を超える。」
 俺は立ち上がりながら、軽く腕を、足を、腰を廻してみる。まるで油の切れた自転車みたいにきしむが、贅沢は言ってられない。
 「ついでに、これもらえるか? 俺の体に入れる予定のもんだったんだろ? 」
 救急隊員の返事を待たずに、点滴に手を伸ばす。本当は良く冷えたハートランドが欲しかった。点滴の蓋をこじ開け、一気に飲む。
 「ついでに輸血用の血がありゃ十分なんだが・・・。じゃあな。」
 救急車のドアを蹴り開ける。とたんに車外の空気が、小さな嵐となって車内に流れ込んだ。飛び降りようとしたとき。
 「あの・・・。」
 救急隊員の方を向いた。
 彼はハンカチを取り出した。
 「これで・・・その・・・涙を拭いて・・・。」
 俺は一瞬呆気に取られる。
 そうか。泣いていたのか? 俺?
 俺は奴に心からの微笑を向けた。ありがとうよ。
 それから、おでこにキスをした。そして、車外へ飛び出した。 

 「サボテン・ブラザーズの時代は良かった。そう思うだろ・・・? いきなりうちへ飛び込んできて、いきなり一番威力のある銃はどれかって言われても困る。」
映画館「時計屋」のオヤジはそういいつつ、チンタオビールをグビリとやった。町外れで時代遅れの映画ばっかり流している映画館「時計屋」。しかし、その正体は、俺のビジネスホテル兼武器庫だ。
「ごめん。サボテン・ブラザーズって何? なんだよこれ。リヴォルヴァーばかりじゃねぇか? 」
いつもはもっぱら机の役を果たしている玉突き台。その上に広がるリヴォルヴァーは、先込め式から中折れ式、はてはS&WM500まで、ちょっとした博物館の展示になっている。
俺は救急車を出た後、その足で「パイパニック」へ向かったが、ドゥカティは爆風にすっかりローストチキンにされてしまい、地獄の炎においしく食い尽くされたあとだった。おまけにあの怪物に抜き取られたのか救急隊員に抜き取られたのか分からねぇが、財布が消えていた。おまけに「パイパニック」と「時計屋」は、島をはさんで対極方向にある。いくら改造人間とはいえ、全身打撲直後に町を歩き回るのは辛かった。
「ロケットランチャーとか、対戦車ライフルとか、核ミサイルとかないの? 」
テーブルに山積みにされた中の一丁。パイソンを数回から撃ちする。相変わらず撃鉄の落ちるタイミングがつかみづらい。気に入らない。
 「あのなー。クリント・イーストウッドが一度でも自分の銃が6連発なのを嘆いたことがあるか? 」
 時計屋が嘆くように言った。
 「イーストウッドって誰だ? 」俺は聞いた。
 時計屋は天に向かって祈りをささげる。
 「・・・昨日の爆発も、お前のせいじゃないだろうな。」
 「神よ。俺に黙秘権を。」
 俺はビールの缶に手を伸ばした。時計屋はさらにぼやいた。
 「カンベンしてくれ。ヤクザだけじゃなくって、おまわりまで蝗男をぶち殺そうと動いてるんだぜ。あの後、現場で職質した警官隊を全員地獄と病院に送り込んだしな。」
 俺は口の中に飛び込んできた気の抜けた液体を床にはき捨てた。よく見ると、知らないビールの名前が書いてある。どこの一山いくらの安密造酒だ。
 「ここのおまわりが犯罪者射殺は当然の権利と考えているのは知ってるだろうに・・・。ついに改造人間の鎮圧部隊を送り込むそうだぜ。」
 俺の耳がピクリと動いた。だけど俺は、平静を装った。ジェームズブラウンの「冷や汗」を口ずさみながら、エンフィールドに手を伸ばした。時計屋は、玉突きの玉をもてあそぶ。
「・・・・・何べんも言うが。お前は死体でもないし、亡霊でもない。だから『たった一回の死』で何もかも終わってしまうし、この世は亡者がうろついてる悪夢じゃない。アリス!」
「何べんも言うけど、俺はアリスなんて名じゃねぇ。」
 エンフィールドのフレームを折り、エジェクターの作動を確認しながら行った。薬莢に映った俺の唇は、ゆがんでいた。まるでこの世界のものではないように。
 何か時計屋が言いかけた。しかし、薄暗い部屋の沈黙を破って、ドアから光が飛び込んできた。逆光に映えるゴスロリ少女。
 「トヴァ! 」
 俺の相棒が、まるで子犬のように俺の胸元に飛び込んできた。
 
 「で、結局港へつながるすべての道路は閉鎖されちまったわけか。」
 相棒が買ってきたハートランドを一気にのどへ流し込む。やっぱり一本一イェンのカスビールとは違う。俺の頭がヤクを打ち込まれたヤク中患者のように活発に動き出す。
 銃器の上にかぶせられた地図に、警官がいるポイントを塗っていったら、ほとんど島中が埋まってしまった。
 「で、知ってる通りこの島への出入りには、飛行機械を使うのが一切禁止されてる。いったい、こいつはどうやって脱出するつもり・・・? 」
 「知らねぇのか? 亡霊は天国へ行きたがるもんさ。」
 一瞬きょとんとする相棒。そしてその表情は崩れないままだ。
 「ハツカネズミのキーをよこせ、って事。」

 薄暗い映画館内を抜けると、外の光がまぶしい。まるで吸血鬼になった気分。俺は目を細めた。
 ゆっくりと、白い世界が現実の色を取り戻していく。あたりを見回し、「ハツカネズミ」フィアットを探す。結局、拳銃は持ってこなかった。相手がハンドガン程度で倒れてくれるほど冗談が通じる相手ではないと思ったから。
 フィアットは、壁ぎりぎりにドアをつけて止まっていた。ドアに手を伸ばすと、いきなり上から声が聞こえた。
 見上げると、時計屋が窓から顔を出していた。
 「てめぇのパスタも、もう食い納めだからな! 」
 声と同時に、ギターケースが落ちてきた。つんのめるようにそれを受け取る。中に入っていたのは、グレネードランチャーと弾。
 「今まで作ってもらった礼だ! てめぇのまずいパスタとも、これでおさらばだ。」
 俺は笑った。奴の方を見ずに手を振った。フィアットのドアを開けた。
 イタリア車には珍しく、一発でエンジンがかかった。

#7
薄闇が世界を包んでいた。生きてるすべてのものは、闇を嫌うはずだった。なぜなら、闇の中には、どんな魔性が住んでいるか分からないから。そして、それが自分と似ていても、気づかなくてすむから。だけど、生き物には夜が必要。それは眠るために。私たちを包む聖母のようなあたたかい、ほのかな闇。
 そして、そこには碧い空があった。闇のそこ知れない、魔性の深さと、どこまでも突き抜ける天国の碧さを兼ね備える空。そしてそこを舞う原色の天使たちが、ガラスケースに切り取られていた。
 水族館『天国への門』水深300メートルの地下ぶち抜きで作られた、この島で一番大きな水族館。
 そして、黒いまがまがしい蟲の鎧をまとうその男が、碧い空を閉じ込めたケースの向かい側に立っているのが分かった。まるでひなげしのように柔らかく、碧い空の中に・・・水槽に背をもたせ掛けて立っていた。
 水槽をはさんで、奴に背を向けるように、俺も背をもたれかけさせる。
 後ろでマッチが燃えるかすかな音。そして、暑い夏を詰め込んだ煙の香りがした。
 「・・・どうしてここだと分かった? 」
 手に持ったヘッケラー&コック69A1グレネードランチャー。金属の馬鹿でかい弾丸が、かすかな音を立てて銃口に滑り込んだ。まるで教会の鐘のような澄んだ音。
口径40mmの鉄鋼貫通弾。どんな改造人間にも冗談ですまないダメージを与えることが出来る。牙を持たないウサギの凶悪な牙。
「もう国外へ脱出できないとなると、ここしか『一番天国に近いところ』は無いもんね。」
 後ろを向いていても分かる。奴は聖者のように微笑んだ。そして、肺のそこから紫煙を吐き出す音。
 「・・・知ってるか? 天国では魚が空を舞っているそうだ。」
 銃身後部のバレルロックを後ろに引き、ドラゴンスレイヤーみたいな銃口を閉じた。
 「信じていたよ。来ると信じていた。仮面ライダー・・・。」
 俺の耳がピクリと震えた。
 「いや、ラビットジン。」
 
 とたんに俺は後ろを向いた。アドレナリンが目の中に直接注射されるような感覚。サイト内に奴が捕らえられて、引き金を引けば0.5秒ですべてが終わる。
 しかし、そこには奴はもういなかった。
 俺は奴に向かって駆け出す・・・そのとたん。上空から猛烈な殺気が。
 悪魔が俺の手から69A1をたたき落とすには、そんなに時間がかからなかった。そのままのしかかって、俺の喉元を切り裂こうとする。俺はとっさに奴の体を足で支え、後ろへ投げ飛ばした。奴は空中で一回転する。
 俺の中に奥底にある、溶岩みたいなものが火を噴いた。体中が戦う喜びであふれる。
 体勢を整える前に、蹴りの嵐を見舞ってやろう。飛び上がった奴に、俺の体が肉体のた弾丸となって突っ込んでいく。奴はそれをさばいた。奴の体が俺の後ろへ回り込んだ。俺はひじをぶち込んだ。俺の肉が焼ける感覚とともに、鋼鉄の中のやわらかいものがつぶれる音がした。そして俺たちは着地した。奴は少しよろめいて膝をついた。頭を蹴り上げてやった。無防備に露出した腹に拳をぶち込んでやった。
踊る、踊る。青い天国の中で、二人の亡者の影が。
今ならこの鉄拳が、本当に地獄の業火さえ噴出すことが出来そうだ。楽しい。戦うことは楽しい。この瞬間だけは、何も考えなくて済む。
とどめとばかり、回転してひじを叩き込もうとする。奴はそれを避けた。奴の体が沈んだ、と思ったとき、奴は俺の胸をつかんだ。鋼鉄のプレスマシンか胸を陵辱する! いや、本当に肋骨の数本はいっちまったか? 奴は容赦なく俺を持ち上げたから、俺も容赦なく、奴の複眼に拳をたたきつけた。まるでイクラを、あるいは赤いぶどうをつぶしていくような、気色の悪い気持ちいい音が響く。改造人間でも、どうやら血は赤いのか? 紺碧のガラスケースに、紅い血が花となって飛び散る。さすがに奴も少しばかり力が緩んだ。しかし、それで終わりではなかった。俺の腹に巨大な杭打ち機のような衝撃が走る。遠慮なく血しぶきが飛んだ。こんなときになっても、俺の血は太陽のように真っ赤だった。
ふらつく頭を抑え、奴の手を裁き、床に逃れる。文字通り脱兎の勢いで飛びついた先には、地獄からの鋼鉄の使者69A1。奴は俺の上にのしかかる寸前、そして、それを奴に向けた。そして、まるで何か、よく出来たバレエ舞台の決めのポーズのように、奴も銃を俺の頭に突きつけた。M586。俺の銃だった。
まるで、一発やった後のように、愛の残り香が体から夜の闇に抜けていくように、俺たちの体は冷えていった。しばらく二人は、うぶな男女のように黙っている。その口火を切ったのは、奴だった。

「どうした? やれよ。うれしそうに引き金を引けよ。」
M586の撃鉄が起きた。シリンダーが、時計のように正確に回転して、弾丸と銃口を一直線上に並ばせる。
「警察も殺ったし、お前も殺すつもりだ。殺戮に寄った狂犬一匹、殺すのに良心が痛むのか? 」
煙草に火をつけたい気分だった。そういや、ポケットに、まだ煙草はあったっけ? もう無かったっけ? それとも、煙草もライターもこの世に存在せずに、俺はどこぞの誰かが吐き出した煙草の煙の夢をさまよっているんだろうか?
「あの子は・・・。」
俺は言った。
「あの子はどうした? 」
彼が、一瞬怪訝な顔をしたように思えた。再びしばらくの沈黙が訪れた・・・。
「あの子は・・・行ってしまったよ・・・。俺たちの手が届かない・・・遥か南の天国へ・・・。」
グロテスクな蝗の仮面は、決して笑うことは無い。だが、俺はまるで奴がすべての罪を引き受けた聖者のように静かに微笑むのを見た。
俺もつられて笑った。いい笑顔をしてるじゃねぇか。
もういい。
引き金を引こう。
そしたら俺か奴か、どちらかが立っている。
倒れている奴か立っている奴か、どちらかがこの悪夢から確実に覚める。

 夢の終わりは、撃鉄が断頭台のように落ちる音。
 奴の銃口は沈黙を守った。何も出なかった。

 次の瞬間、俺の耳が何かこっちへ飛んでくるものをキャッチした。
 顔を向けると、思ったとおり催涙弾だ。とたんに室内にあふれ出す濃い煙。
 俺と奴は、まるで磁石の反対極のように離れ飛んだ。
 煙幕弾の次は、ガスマスクを着た特殊改造兵士が暗視スコープを使ってマシンガンで一掃。そんなところだろう。まったく警察は・・・。
 警察の防護服を来た奴が、目の前に飛び出してきたウサギ娘に驚く。
 遠慮なく40mm貫徹弾の引き金を引く。奴の体に、後ろが見えるほどの大穴が開いた。
 やっぱり警官はアーパーぞろいだ。マニュアルどおりにしかことを運べない。辞めてよかった。
 グレネードのおたけびに気づいた奴らが、マシンガンの銃口をこっちに向けた。
 オモチャみたいな9mm口径とは言え、俺のように防御力に重点を置かれていない改造人間にとっては少々まずい。
 弾丸がガラスケースに突き刺さる。大破して水が出てくる。もう、その水は空の碧さを中に封じ込めてはいなかった。闇を映したにごり水だ。天国が壊れていく。
 転がりながら大砲のバレルを開き、40mmを再装填し、撃つ。
 自慢じゃないが射撃は下手だ。やけくそで撃った40mm弾は、思いっきり狙いを外し、奴のわき腹をえぐって後ろの水槽に大穴を開けた。頭は狙うもんじゃねぇ。
 再び大砲の銃身を開ける。むせ返るような火薬のにおいとともに、空薬莢を取り出す。血反吐を吐いている奴の前に立ちふさがり、再装填した大砲を突きつけた。
 「よぉ。お勤めごくろーさん。俺の獲物はどこへ行った? 」
 奴は力なく非常口を顎で指した。ついでに無線機から流れている声で、非常口で待ち伏せしている部隊が蝗野朗相手に大混乱に陥ってるのが分かった。
 無線機を借りて、地上へ戻る非常口のドアを開ける。


 闇に慣れた目にとっては、地上はまぶしすぎた。まるでこのクソッたれな島が、神の祝福を受けているように白かった。
 無線を聞きながら、適当にそこらへんにいた警官つきバイクを奪う。おまけの警官は道に捨てた。
 さっきみたいな熱い血は、完全におさまった。そう。自分でも驚くべきなのは、あの子がいないと分かったとたん、すべてが終わってしまったかのように、俺の心が冷め切ったこと。冗談はよせよ。一晩一緒に寝ただけだ。お世辞にも「お姫様」のようにかわいらしかったわけではないだろう。しかし、俺の体を冷やす冷たい血は、全てを終わりにしたっている。
バイクを水族館の前へ回した。
いた。蝗男が。タンクローリーの運転手を引きずり下ろしていた。
俺は奴となるべく視線を合わしたくなかった。しかし、奴はこっちを見た。
奴は笑った。少なくともそう見えた。だから俺も笑う。
俺はバイクのアクセルを吹かす。それにつられたように、奴の乗り込んだタンクローリーもこっちへ動き始めた。
天国へ急いでるんなら、特急券つきで地獄へ送る。
一速、二速、三速。バイクのギアが確実に入っていく。
そして、タンクローリーは速度を緩めなかった。進路も変えなかった。
俺の大砲は、まるで真剣勝負をする侍の日本刀のように、奴の体を狙った。

しかし、常に物事は意外なところから横槍が入る。この場合、助手席から伸びてきたマグナム・リボルバーだった。
爆砕弾でも入れていたのだろうか? 蝗の怪人は振り向く間もなく頭を吹き飛ばされた。
そして、ダッシュボードから起き上がってきた犯人は・・・。

俺がロシアンルーレットを強制させた相手、蝗男の相方。暗い瞳を持つ少女だった。
ただ、もう彼女の瞳には、黒い炎は燃えていなかった。
彼女は、俺の方を見た。頬で光ったのは、溶けた鉄のような返り血と・・・・。
少なくとも涎には見えない何か。
そして、物事は俺たちの事情に関係なく進んでいく。運転手を失ったタンクローリーは横転して、そしてその時俺のバイクは100キロ出していた。蒼い空をなめるように炎が広がった。

#8
夢を見ていた。
白いシーツ。気がついたら、あたしは、白いやわらかいシーツの中にいるの。お日様の光をたっぷり吸い込んだ温かいシーツ。あたりは薄暗い。ああ。何か、ひとがいっぱい死ぬ、いやな夢見たな。あたしはもっとシーツの中にもぐりこむ。

 血反吐を吐き散らし、必死に呼吸しながら、鉄錆味とともに死という現実をかみ締めるラビットジン。
右手の指が爪のように折り曲げられ、がりりと地面を掻く・・・左手は肘から先が爆発したようになって失せていた。
僅かに硬い地面から剥がれ、手の中に入ってきた砂を握り締めるラビットジン。苦悶・・・肉の痛みにではなく、心の辛さに。
「せ、っか、く・・・分かりかけてきたのに、な。生きるっ、ごぼ、げほっかっ、ぐ・・・生きるって、こと・・・」

 これも夢なの? 夢なら早くさめて。そしたらあたしのパパの腕に思いっきり飛び込んで、すぐに忘れてしまうから・・・。

「その・・・有難う御座います。私たちのこと、気遣ってくださって。」
その言葉は、本当に普通の女の子が、普通に感謝するのと変わらない物で。
ラビットジンは珍しく・・・自分でも、人間・因幡アリスであったころでも珍しいなと認識するほど久しぶりに。
微笑んだ。


(おや?)
珍しく、自動ドアであるはずの扉に隙間が出来ていて、部屋の中身がのぞけている。故障だろう。
何となく、気になったラビットジンは隙間を覗いてみた。そこには、悄然と佇む三人の少女が居た。そろいの華をかたどったような華美な鋭角を持つグリーンの隊服とベレー帽・・・華憐隊だ。
 死したユリリーナとそして彼女たちより前に製造され仮面ライダーに倒された華型改造人間の一号であり、また普通の学生であった少女達の恩師でもあった女・・・改造人間アサガオンナの遺影を前にして、沈痛な面もちで会話をしている。
少女達の頬は涙で濡れていて。
(馬鹿っ、何で泣いてるんだよ、そんな人間性を残したような奴らが何でここにいるんだ、こんな邪悪の城に、狂気の領域に!お前達だってそういう歪んだ存在なんだよ、それなのになんで・・・!)
それで、気が強く妖艶なように見せる目元のいかにも悪女っぽいメイクが剥がれ落ちてしまっていた。
それはどこか、酷く象徴的な。

やめてよ・・・もうこんな夢は見たくないよ・・・ママ・・・。
あたしは、シーツをぎゅっと抱きしめる。
こんなひどい夢見せて、何をしようというの・・・。

・・・安心してね。これはみんな、あなたの脳が作り上げている幻影・・・
幻影? 夢なの? だったらどうして涙が止まらないの。
・・・そんなに悲しむことはないのよ。過去はもうここには存在しないし、あなたが今見ているものは全部幻影だから・・・。
そんな、ひどい。嘘だ! 目が覚めたらそこにはパパとママがいて、あたしを抱きしめてくれて。
・・・いい子ね。パパとママは、もうここにはいないのに・・・。

そうだった。パパは遠いところへ私を守るために行っちゃったし、ガラス球の目になってしまったママは、もう私を抱いてくれない・・・。

 そう、もうみんな死んじゃった。あたしのパパとママと。あたしと一緒に夢を追いかけたものも。
・・・さぁ、これから、どうするの?
 どこへも行かない。ずっとここにいる。もうみんないないもん。ここにいたら、みんなに会えるもん。
 闇がその密度を増していく。まるで、眠りに入るその直前のように。
 あたしの体が、闇に溶けていく。
 ・・・それにしても、シーツの中だけの世界とは・・・。あなたの世界は狭いわね。このままだと、あなた死ぬわよ。
 いいも・・ん。あた・・し・・・眠いもん。
・・・だけど、死ぬ前にそのシーツをめくって、空を見てみるのも悪くないと思う。確かに血のように紅い空が広がって、あなたのママの血を吸った大地が見えるかもしれない。
だけど、ひょっとすると、あなたの頭の上には蒼い空が広がってて、パパとママが前と変わらずにあなたを迎え入れてくれるかもしれない。それは、どっちになるか私も分からない。だけど、これは絶対にいえる。シーツをめくらないと、青空はもう二度と見れない。
 それでも、この安らかな闇がいいというなら、無理強いはしない。もう・・疲れたでしょう・・・。ゆっくり・・・お休み。
 
 神様・・・。
 あたしはシーツをめくった。
 その空は、まるで太陽に続くような青空で。

「いやー、あなたの体は、もう頭しか残ってなかったから、この体でカンベンしてよね。」
生まれ変わった俺の手。NS−BS/fmは、もう黒い髪とまだらの毛は持っていなかった。
「それに、あなたがおねんねしている間に、もうネオショッカーはなくなってしまったし・・・。その体を見つけ出すだけで、一苦労したのよ。さて、これでもうあなたは自由。」
「メフィストフェレス」は、心底うれしそうにそういった。
「君が一番為したいことを為してちょうだい。」
 そして、それをおかあさんにみせてくれ。か。畜生。
 俺の新しい体には紅い目と白い毛があった。
 だから、そこには因幡アリスという名前でもラビットジンという名前でもない奴が立っていたことになる。
 
 目を開けると、相変わらず色あせた現実が戻ってきた。俺の現実は、蝗の怪人を捕まえようとしてタンクローリーに激突即入院ということ。
 ウサギちゃん、今度はミイラになっちゃったねー。両足と左手にギプス、体中包帯だらけの俺。相棒は笑った。いいよ。もっと笑えよ。いつもはうっとうしいだけだが、今日は一緒に笑ってやるぜ。
 「で、ボーナスはどうした? 」
 「お前が壊した施設の修理費と、お前が怪我させた警官の慰謝料でパーだ。」
 「警官狙ったもの。」
・・・なるほど、改造人間の警官隊、お役所お仕着せのお古の改造体だから、別の体を買ったわけか。まー、改造人間なんて、首をフッ飛ばさない限り死なないらしい。俺が良い例。
「カンベンしてくれよもー。てめぇの借金がプラスにならなかっただけ勿怪の幸いだ。」
 ひとしきり怒鳴った後、時計屋はゆっくりと俺に背を向けて、ドアへ向かった。相棒も同じように出て行こうとする。
「おい、来たばっかりなのに、もうちょっと楽しんでけよ。」
「けっ、てめぇがぴんぴんしてンのが分かったんだから、もういいよ。てめぇもそれで十分だろが。」
 時計屋はそういい残して外へ出た。相棒も出て行きかけて・・・こっちを振り返った。
「あっ、そうそう。トヴァ」
「何? 」
「寝言で言ってたけど。あたしの名前はユリリーナでも、カーネルなんちゃらって名前でもないわ。長い付き合いなのに、もう忘れちゃったの? 」
 俺は黙って首を振った。スマンと呟くと、相棒はよろしいと大きく頷いて出て行った。
 ひとり、病室に取り残された俺。
ゆっくりと葉巻の端をかじり取り、オイルライターで火をつけた。
夏は終わったというのに、夏のにおいが胸を満たす。

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