多少、哲学的な

と思われる悪の博士の考えというかなんと言うかを、

書き留める。

整理整頓はしないが、気にするな。

あと、悪の博士が今まで掲示板などに書いた文からの引用が主であるゆえ、

重複しているところが多々あるが、きにするな。

 我輩は、人生とは「よきもの」であると考える。少なくとも死んでいるよりは。
といっても、人間の状態は「死んでいる」「生きている」の二つしかないと極言すれば出来るので。
悲惨な状況、というのも存在するだろう。
それは紛れもない事実だ。この世界は天国ではない。それゆえに闘争こそが美しくなりうる。
だが悲惨といっても、悲惨を味わえるだけの自分が存在する分まだましである。もし、悲惨ならば・・・悲惨な状況を突破するための
闘争を開始すれば、そして、その闘争を楽しめばよいのだ。いかにして問題を解決するか、いかにして敵を打ち倒すか、いかにして困難をのりこえるか・・・そこには「目的」と「思考」が生まれる。「目的」・・・それはつきつめて言えば「生きる理由」であり、それがある限り人の生には意味がある。

闘争こそ生者の存在の証、偉大なる進化へ踏み出す一歩の足である!
我々は不完全であるが故に闘争する!だがしかるが故に我等は美しい!
我等には限界があるが、限界の中では常に超越し続ける!  

人は、人であることを越えられないが故に美しい。
なにも、あきらめろということではない。
人という、未だ残る野生という限界を持つ精神、「そのなかでせいいっぱいを尽くす」姿、それは美しい。
そしてなにより、人生は、よりよくより強くあろうとする限り、つねに楽しい、生きている甲斐のあるものでありつづける。
何も大したことではない、些細な趣味でもかまわない。例え悲惨な状況下であっても、「この状況を脱してやる」という気持ちさえ持てばいい。そして、脱するための策を練ることに、闘争に充実を求めよ。それは断じて狂戦士になれという事ではない。
闘争とは、何かを守り生み出すためのものでなればならない。戦争でも、ケンカでも。

己を尊厳ある者と捉えればいい。大抵の苦境は、それで乗り切れる。

なぜ、殺してはいけないのか。たいていの場合、殺す必要がないから。殺したいほど憎い相手がいるなら、殺すよりいたぶる方が面白いし。

傷ついた?そもそも「人と人が100パーセント完璧に分かり合う」などということは幻想に過ぎない。傷つかないで生きていけるものか!

死後の世界の存在が立証されていない以上、現段階においては我々は現実の「生」を受け入れなければならない。
受け入れる・・・それも能動的に。

たとえ牢獄の中、暗闇の中の生であれ、人には精神が残される。つきつめていけば「コギト・エルゴ・スム」になるが、精神こそ人の存在である。精神の破壊された人間は、「ホモ・サピエンス」としてはかろうじて生存可能かもしれないが、「人間」としてはすでに死んでいるだろう。

人は、一人ではあまり健全な状態とはいえない。「不完全な群体」であろうがなんだろうが、関係性のなかで人は人になる。

人には誇り高さと信念が必要である。それがないと人間はとめどもなく堕ちていく。己の中に規範を持たなければならない。そしてその規範は、社会ともつながりうる、いや前後関係を考えれば社会が人を作り、人が誇り高さと信念をつくる。

世界も人間も不完全であるが、それでも世界よ人よ、お前たちは美しい。

人間にも当てはまる人造人間の目的。一つ他人の役に立つ、二つ幸せになる!

そも正義とは何か!!悪とは何か!!

国家であれ組織であれ、各々の基準となる信念を持って存在している!信念とは、行動の規
  範、道徳的概念など多岐にわたる!言うなれば義!一つの社会の中では、この一つの義によって
  支配されるだが、二つの「社会」が有る場合は・・・本来これら二つの目的に、国家観の戦争にはどちらも理由があるように上下の別はない!!!正義とは、「正しい」義と書く!だが先に述べたとおり義に上下無し!すなわち世界の完全な
  る統一がない限り、正義とは『自らの義のみを絶対と誤解し、それを他者の上にかぶせることに
  より他の義を否定する、傲慢な愚者のたわごと』に過ぎぬのだ!!!!!
 

一つの社会は一つの義によって支配される・・・すなわち上の文は決して公の無視を説くものではない。

国家間における戦争・・・戦争は、善悪ではなく、あくまでも政治的手段であり、一つの決断、話し合いにおいて決着がつかなかった
場合の最終手段である。

戦争において、使う武器はある程度制限されたほうが望ましいと、我輩は切に願う。そうでなければ、戦争は単なる破壊となり、人が
本来持っている獣的なもののガス抜きにもならない、守るべき、そのために戦争を始めたはずの要素をも消し去り、それどころか国家が、民族が、そのプライド、アイディンテティー封殺されてもどうしようもならなくなる。
即ち、超大国と核兵器とハイテク兵器一切とレーダーである。これらが「人間の戦争」を消滅させる。核兵器の破壊性はいわずもかなだが、レーダーを利用した巡航ミサイルなど「相手を見ないで殺せる兵器」もまた悲劇をもたらす。それは、人が人を殺す感覚の、覚悟の喪失にほかならない。
戦争に用いられる兵器は、ぎりぎり第二次世界大戦の前半レベルにとどめた方がよかったのではないか、と思う。

もっとも将来、さらなる技術発達によりかえって誘導兵器の類が無効化されれば話は別ですが。

すべて人間は、己を通してしか者を見ることは出来ない。一つの物語があったとしても、その物語はそれを読んだ人間の数だけ存在すると言うことが出来る。そして、相互間に優劣は存在しない。

怒りとは!
ソレは生物の捕食衝動の歪曲的延長にある破壊衝動では断じてない。
怒りとはすなわち知性の積極側面であり同時に自己の規範への違反に対する断固たる反応の形態である、故に各人によって差があり、低劣なるものもある。
だが本来は怒りは、高度に倫理的な物なのだ。それは、時に怒りという物は自分にもむくと言うことからも央かとなる。
己の信念に自ら反してしまったとき、斧が行動を許されざる物と感じ恥じたとき、怒りの刃は己を断罪する。
それは、自らに手をさしのべる友から敢えて去る翼であり、それは過ち故大切な物を傷つけた自分の存在を以後の過ちを立つために抹消せんとする割腹の刃である。
・・・結論はない。此処までのこと場全てが、一つの結論である。

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