維新志士対新撰組に見る欧米的善悪二元論の限界
昨日、空想科学と並ぶ趣味で有る歴史研究の一旦として、新撰組関連の書籍を調べていて、ふと妙な事・・・明治維新特有の、他国における革命には見られない不思議な事実に気がついたのです。
坂本竜馬・西郷隆盛・木戸孝允などのいわゆる維新志士は、伝記が出たり教科書に載ったりまあ世間一般に言うところの「偉人」であります。これは当然のことです。
ですが、伝記ではなく集団としての物語という形ですが、彼らを取り締まったいうなれば「反維新」存在であった佐幕派・・・新撰組とか白虎隊とか奥羽越列藩同盟とか北海道五稜郭に立てこもった旧幕脱走艦隊とか・・・を主役としたるものも、多いのです。
明治維新を「普通の革命と同じもの」と考えると、これは大変に奇妙です。他国において、そういう状況で滅んだ旧体制の守護者たちがよく言われることはないです。いくらジャコバン派が恐怖政治を行おうが、ナポレオンが皇帝になろうが、ルイ16世やマリーアントワネットに代表されるブルボン朝が評価されることはありません。いくらその後に来たのがスターリンの独裁でも、血の日曜日事件を起こしたロマノフ朝ロシアの宮殿衛兵や黒百人組が悪のレッテルを解除されることはないのです。
しかるにおいて、日本では何故?その答えを、我輩はこう考えました。
それは互いに敵でありながら、佐幕派も維新派も、「日本人としての観念」を持っていたからではなかろうか。
つまり、欧米においては対立する二階級において「同じ国に住む運命共同体としての国民」としての概念はなかった。あくまで搾取する支配者とそれにルサンチマンを滾らせる被支配階級でしかなかった、と。
対して幕末日本においては彼らの闘争は「日本はどうすべきか」を決める戦いであり、それぞれその手段と考え方は違えどいずれも「日本(念のため言っておくが一言我輩が国あるいは日本と言った場合、そこに住む民とその民が刻んできた歴史、その歴史の礎となった人々、これからこの国に生まれこの国で暮らすであろう人々全てをひっくるめて言うのである)のため」であり、少々修辞的かつ物語的な言い方をするなれば「かくあるべしと信じたこの国の皆の明日のために」戦ったといえる。
そこにおいて勝者敗者は問題ではなくなり、ましてや善悪など。思想漫画家?小林よしのり氏が以前言っていた「準じた思想はどうあれそのヒロイズムは失われてはならない」と言った意味が分かったような気がする。
ここにおいて歴史を勝者と敗者、正義と悪、というよりは勝者の正義と敗者の悪に分ける欧米的歴史観・世界観の問題が浮き彫りになる、と思うのだがどうか。