質と量と日本刀と石原莞爾「最終戦争論」と改造人間の微妙な相関関係
変なタイトル・・・中身もつれづれなるままです。
SF・特撮・アニメ類の不条理条項を科学的に理論付けるいつもの研究を行っていたときのこと。「何故単品生産ものとプロトタイプは強い扱いが多いのか?」
・・・例は枚挙に暇がないが、たしかにそういった感覚は多い。これに関しての科学的解釈を考えていて、ちょっとわき道にそれ、「そういう作品が日本に多い理由」を考えてみました。
で、日本刀。刀剣史上最高レベルの切断能力を持つこれこそが、ヒント。
日本刀には、有名な刀鍛冶の打った銘刀と、戦国の世一般兵にいきわたらせるため量産された数打が存在します。沢山作るため数打は芸術品である銘刀と違いぞんざいに打たれるゆえ、切れ味に劣る。これが一種伝統的概念となったのではないか・・・などと。どうでしょ?
そこから、戦闘における質と量の関係において考えて。
ランチェスター方程式においては、「中世期において戦力は質×量、近代戦においては面制圧の重要性の向上から質×(量の二乗)」。「新旭日の艦隊」においては、「兵器の性能差が50%ならば、性能が高いほうが勝つ。兵器の差が10%なら、数の多いほうが勝つ」と。尚、「レーダーとECMの差が全てを決する」という意見も有る。そこで私も、空想科学的戦闘法則を考えてみて。(サイバードラゴン、巨大ロボット、改造人間、ガーライルフォースマスターなどの戦闘)、結果。この手の戦士の戦いはむしろ古代の一騎打ちだがより質の開きが激しい。結果、戦力は(質の二乗)×数となる・・・と。で、「最終戦争論」これはまぁ地政学的な戦争論なのだが、未来における戦いについてこのような記述がある。大意だが「戦力は徐々に少数で強大化する。最終戦争は個人が一単位となるだろう」。まさに一人一部隊の改造人間や、一体一個軍の巨大竜型・人型兵器を暗示してはいまいか?