一(変わった)アニメファンの見た(独断と偏見と独自解釈に満ちた)巨大ロボット史
現在(平成14年6月)、テレビの中で「翼ある巨神」を名乗るもの、ラーゼフォンが戦っている。
「巨大ロボットもの」というアニメの一ジャンルに、また新たな一ページが記されたわけだ。
(「巨大ロボットもの」という概念の定義は諸説あるが、今回は最低限ラインとして「巨大ロボットあ
るいはそれに類するものが登場し主役的扱いで活躍するアニメ」とする)
なぜ我々は、かくのごとく巨大ロボットの歴史を積み重ねるのか?
それは、巨大ロボットが魅力的な存在だからである。その魅力を知るために、改めてその歴史をたどっ
て見ようと思う。
なお、本来「巨大ロボットアニメ」を語るにはそもそも「アニメとは何か」「アニメの魅力とは何か」
を理解し語るのが大前提と思われるが、それは長いので次回に譲りたいと思う。唯一つ言うならば、
「私はアニメを肯定する。」ということだ。
さて、本題に移ろう。
そもそもわが国アニメ史において、巨大ロボットが主役的役割で扱われたのは、「鉄人28号」からである。
「鉄腕アトム」など、それ以前の作品でも巨大なロボットは登場していたが、それはあくまで悪役・引
き立て役としてであり、「金田少年」という主役がいるにしても巨大ロボットの魅力がメインとして描
かれたのは、この「鉄人28号」が初めてだった。
人間よりはるかに大きく強い鉄の巨人が、所有者の意のままに無敵の強さで戦う・・・
それは、確かな衝撃として残った。エンターテイメントとして十二分に。
スーパーロボットの誕生である。
そして、そのスーパーロボットの魅力をより発揮したのが、初の「乗り込み式ロボット」、「マジンガ
ーZ」である。
超合金Zによる無敵の装甲、ブレストファイヤー、ロケットパンチなどの多種多様な武装、そして何よ
り乗り込み操縦することによるさらなる一体感の増加は、やや「怪物的」な要素を多分に持っていた鉄
人と異なり「ヒーロー」という新たなそして決定的な魅力を追加することになる。
それに追加して「悪」もまた生まれた。鉄人28号の中にあった「怪物」の血を引く「機械獣」、それ
を操る世界征服を企む悪のマッドサイエンティストDrヘル一味。そんな明確な戦いの中でメカの魅力
を前面に押し出して人気を博し、続編「グレートマジンガー」「グレンダイザー」など進歩を続け、そ
して続いて現れた「ゲッターロボ」は、「変形・合体」というギミックを創造、複数パイロット同士の
ドラマなど、さらに進歩する。
(こうして考えると「マジンガー」と「ゲッター」で、スーパーロボットをほぼ一人で作ってしまった
永井豪は、やはり天才である)
ここに巨大ロボットのギミックがある程度出揃い、それ以後全体としてドラマ面の進歩を重ねることと
なった。
「敵側」を単なる「悪」とせず独自の葛藤・ストーリーを持たせ、大河ドラマ的要素の元「倒すだけで
はない解決」と見せた「超電磁マシンボルテスX」、その路線をさらに突き詰め、より濃密・複雑なド
ラマと「恋愛」要素の積極的な取り入れにより「ロボット版ロミオとジュリエット」とも呼ばれた「
闘将ダイモス」、巨大ロボット同士の戦いが生む破壊と悲劇、戦いの意味、戦争という現実での民衆心
理、そこから生まれる葛藤などを正面から描いた「無敵超人ザンボット3」など、ここに初期スーパー
ロボットは一つの到達点に達した、といえるだろう。
そしてその追求の究極から、「リアル」という概念が生まれた。
兵器としてのロボット、善と悪を考え抜いた末に生まれた、「主張同志の激突」。
「機動戦士ガンダム」。
それは新たな潮流を作り出すにいたったが、戦後日本人独特の戦争に対する屈折した観念、「オリジナ
ル」たる「機動戦士ガンダム」富野由悠季の「人の革新という幻想」、などのもろもろの理由から明確
な到着点を見つけられないまま混迷を深めていった。その間にも旧「スーパーロボット」の流れを汲む
作品がいくつか登場したが、「時代遅れ」という不当な批評を浴びて消えていった。設定的にはかなり
意欲的なものもあったのだが(三作それぞれに魅力を持つ「銀河〜」シリーズ、特撮ヒーローのノリに
近い「マシンロボ クロノスの大逆襲」など)・・・
迷いながらも、「リアルロボット」は作を重ねていく。「いっそ滅んじゃえ」というある意味もっとも
単純な、しかしあまりに幼稚で強引な解決を取った「伝説巨神イデオン」、そこからぐっといい意味で
力の抜けた「戦闘メカ ザブングル」、「女性キャラクターの魅力」という良くも悪くものちのアニメ
に影響する概念を持ち込んだ「超時空要塞マクロス」、その二匹目の土壌を狙った二番煎じ「超時空世
紀オーガス」、ファンタジー概念を持ち込み、それまで添え物扱いだった主人公たちよりはるかに上の
階級の人々が王族というかたちでより積極的に物語に関与して物語に政治劇的要素を付加すると同時に
主人公の影が薄くなってしまった「聖戦士ダンバイン」、ある意味究極のリアルメカなのだろうが筆者
にはどのメカもほとんど同じにしか見えない「装甲騎兵ボトムズ」、膨大な裏設定を持ちながら群像劇
として三国志的に纏め上げることに成功した「重戦機エルガイム」・・・そして元祖たる「機動戦士ガ
ンダムの続編たち。「機動戦士Zガンダム」と「機動戦士ガンダムZZ」。
この二作は、かなり対照的だった。
前作を正統に継承したZ。
多分に「スーパーロボット的」要素を再度吸収しややライトタッチでスタートしながら、最後は真面目
に完結させたZZ。
結局物語内で戦乱も終わらず、誰一人救えず、死人の力まで借りてやっと敵を討ちながら他者とじかに
心を接し分かり合うニュータイプ能力のせいで相手の憎悪をまともに浴び発狂した主人公カミーユ=ビ
ダンに代表される無様な諦念に満ちた「機動戦士Zガンダム」。
「機動戦士ガンダムZZ」は最終回
「分かり合えない人間同士の戦いの中で分かり合える希望として設定されたはずのニュータイプ同士で
あるジュドーとハマーンがそれぞれを貫いた結果、戦いの中で相互に退けないことを確認して終わる」
という、ガンダムのテーマをある意味意図せず自己否定する結果ともとれた。・・・しかしそれが名ラ
ストなのだから・・・結局、それこそが真の解決だったということか。分かり合えずとも戦い続けるこ
と、その戦いの中で精一杯生きることこそが。(まさにZZ主人公の子供たちのように)
ここが決着となったのか、「リアルロボットブーム」は終息への道をたどり始めた。
その後まとめのように製作された劇場版「逆襲のシャア」は、「富野監督が感情移入している」とされ
た「ニュータイプを追求した」シャアはただの無様なロリコンマザコン併発中年にしか過ぎないことを
暴露し、「もう一方」であるアムロはニュータイプ能力ではなく行動で敵と味方を揺り動かして小惑星
落下を食い止める。その「ただの兵器であるリアルロボットには到底不可能なはずの荒業」は便宜上(
ニュータイプを唱え続けた富野監督の面目を守るため?)ニュータイプの力とされたが・・・
(事実「機動新世紀ガンダムX」を除けば、その後のガンダムでニュータイプを強く押し出したものは
ない。だがそれでも一発ネタで終わってしまった「機動戦士ガンダムF91」いささか印象の薄かった
「機動戦士Vガンダム」を除けば、民間人少年の視点が新鮮な「0080」、敵役であるはずの熱き漢
たちの軍団・デラーズフリートの生き様のに人気が集まった「0083」、敵味方に分かれての悲恋と
魅力的な主人公たちが好印象の「MS第08小隊」、熱血・友情・愛・格闘と、「ガンダムじゃない」
といわれるほどのアレンジを施しながらも確かに新たなファンを獲得した「機動武闘伝Gガンダム」、
アグレッシヴなキャラクターと壮大なストーリーの「新機動戦記ガンダムW」「ヒゲ」のあだ名をもら
い変なデザインを指摘されながらもドラマ面の丁寧さで乗り切った「ターンエーガンダム」など、名作
ぞろいである)
ともかくは、我々はヒーローを必要とするということ、他者の完全な理解が出来ないなんてうじうじせ
ずに(そんなことぁはなから無理なんだから)傷つくことを恐れずに行動しようぜ、ってところがこの
一連のブームが残した教訓であろうか。(このへんの受け取り方は製作者が意図したところとは大幅に
違うかもしれないが、ありとあらゆる作品は受け取り手側の解釈によりそれぞれに変化するのが宿命で
ある)
その後テレビアニメにおけるロボットものは、リアルを突き詰めたリバウンドか、当時流行のファンタ
ジーのRPGから影響を受けた二頭身ファンタジーロボ(魔神英雄伝ワタル、魔動王グランゾート、N
G騎士ラムネ&40など)と、自身意思を持つ正義のロボットと主人公が協力する「勇者シリーズ」
(勇者エクスカイザーを初めとし、長寿シリーズ化)「絶対無敵ライジンオー」に端を発する「エルド
ラン」シリーズなど、比較的対象年齢を下げながらも元気よく面白く、良心的に作られている。
だがそれと同じころに、ロボットアニメいやさアニメ全体に新しい表現媒体が生まれた。
OVA,オリジナル・ビデオ・アニメ。製作したアニメを直接販売するこの新しい方法はテレビと違い
時間などの制限が少ないため、よりクオリティを追及できるようになる。
この方式を買う対象を限定したマニア向け、閉塞的で不健全という人もいるが、そんなことは売る側買
う側の問題、いい作品が出来ればどうでもいいことだ。そしていい作品というのは伝播波及するものな
ので、最終的には培われたものはTVなど一般に還元される、問題はあるまい。そもそも全て作品と受
けての関係は取捨選択、見たい作品は見る見たくない作品は見ないなのだから選択の一つ一つに善悪な
どあろうはずがないのだ。
ちょっと道を外れてOVA論となってしまった。閑話休題。
「戦え!イクサー1」「破邪大星ダンガイオー」「流星機ガクセイバー」など、OVAにもロボットア
ニメは展開した。いずれも、アニメとしてのクオリティは高く、リアルロボットブームで培われたアニ
メ技術と人物描写などの創作方法でかつてのスーパーロボットの復興を目指した点で類似しており、姿
勢的には評価できる。
確かに「超時空要塞マクロス」の悪しき遺産たる客寄せパンダ的意味ない女の子の多用やお色気シーン
などが見られたが、それは「売れなきゃ次が作れない」というOVA特有の切ない事情から生まれた苦
肉の策だと思えば見逃してあげられる。
とはいえ、これらOVAロボットアニメはどれも泣き所があった・・・短いのである。
クール単位で製作できるテレビ作品と異なり、OVAは30分〜一時間のが三巻から六巻、といった程
度が限界か。
短い上に未完結、ストーリーや設定を考えればきちんとTVで放映できるだけの魅力があったので悔
しさ倍増の「破邪大星ダンガイオー」が好例だが、そのほかの作品も短いがゆえに絵で一目瞭然のロボ
ットのメカとしての魅力はともかく、キャラクター、ストーリーの面で大きなハンディキャップがある
のだ。
ともあれ、製作の積み重ねにより徐々にノウハウが蓄積され、本来持つ高いクオリティとあいまって名
作と呼べる作品も登場する。
制約を逆手に取る形で主人公側にキャラクター的魅力を求めることを放棄し、各話ごとに登場する敵に
ドラマを持たせ、それが散って行くはかなさを押し出すという手法を用いた「冥王計画ゼオライマー」。
横山光輝作品の魅力をぎゅっと濃縮した「ジャイアント・ロボTHE ANIMATION−地球が静
止する日」原作小説を上手に要約し、少年の成長譚たる冒険活劇へとアレンジした「機神兵団」、メデ
ィアミックスのはしりとしてTVや劇場版や漫画と色々進出したためOVAとは言いがたいがリアルを
貫いた地味さの中に良質なドラマがある「機動警察パトレイバー」、ウラシマ効果、エーテル宇宙理論
などの高度なSF設定、広範囲に及ぶオマージュの域に達するほどの良質なパロディ・・・これ以上
ない舞台で努力と根性と熱血が炸裂する超・王道究極レベルのスーパーロボット活劇となった「トップ
を狙え!」など・・・
さて。そんなOVA展開などアニメ全体の熟成もあいまってTVのほうのクオリティも上昇しだしたの
だが・・・どうも何かが足りないのである。確かにクオリティはあがった。だが・・・
「新世紀エヴァンゲリオン」
膨大な設定・伏線、心理描写も細かいキャラクター、斬新なメカニック・モンスターデザイン。
それらを縦横無尽に配置して動かし・・・ておきながら、ついに決着をつけることはなかった
いや決着はつけた、ああいう心理劇も一つの結末だという意見も有ろう。
だが!
そも、その心理劇と称するものそのものが!途方もなく愚かな自己憐憫に過ぎない!と我が輩は感じる。
まっとうな「大人の人間」、正論を捨てて世間に迎合しただけの大人ではなく、さりとて単純に思想的
な存在ではない、血と肉を持った「人間の大人」・・・かつては普通にかつ普遍的に存在したものがあ
れば、どうともなく片づくものを、現在のモラル低下的状況をさらに無意味に拡大した「湾曲され、故
意にゆがめられた世界」のなかで、知れきった悲劇を起こし、放り投げるように決着をあたえているだ
け。早い話が庵野監督自身がまっとうな大人になりきれなかった奇形で、てめえの腐れた内情を公共の
電波に乗せて泣きわめいているだけなのだろう。甘ったれるな。多くの人間に、いやさ我が輩にだって
、その手の悩みは存在する。だが皆それぞれ、己でもってそれを律し、律しきれないまでも押しとどめ
ることにより、己自身を保って生きているのだ。それらは全て、生きる上当然の悩みなのだ。
なぜ!なんの解決も示さない!問題提起?否!提起にすらなってはいない。
(まあその後の彼の作品を見るだに、なんらかの決着はついたふうだが。「彼氏彼女の事情」「フリク
リ」とか、好きだし)
「機動戦艦ナデシコ」
ロボットのほかに戦艦も重視される(タイトルからして戦艦の名前だし)ラブコメ的要素など、「超時
空要塞マクロス」の子孫的作品。まあ色々やっているが、「スーパーロボット」を戯画化した敵と設定
的に「リアルロボット」な主人公たちの戦いという後半の構図は非常に意欲的なものだったが・・・
決着をつけずに最終回を逃げるとは・・・その後劇場版を撮ってつけても(だじゃれ)どうしようもな
いではないか!
他にもやはり最終回にけりをつけずに逃げた作品としてはOVA「破邪大星ダンガイオー」の続編とし
て製作された「破邪巨星Gダンガイオー」もあり。
・・・足りないのは、モラルと信念か。
だが同時に「勇者王ガオガイガー」「アルジェントソーマ」など新たな風を吹き込む作品も、確実に存
在する。
それまでの伝統を継承し、なお新たな世界を築き続けるロボットアニメも、確かにあるのだ。
「ラーゼフォン」は、はたしてどうなるのか。
だが、ともかく。
愛すべき巨大なくろがねの兵(つわもの)たちは、これからも戦い続けるだろう。