アニメ最終回論・終わり良ければ?

一見、アニメの数だけ存在するように思える最終回だが、その実アニメの最終回というものには、いやさおおよそ続きモノのTV番組なり小説なり漫画なり総ての創作物においては、最終回などというものはただの二種類しか存在していない。

すなわち、納得のいく最終回と納得のいかない最終回である。

とはいえそれは見ているものが判断するものであり、そう丁度量子力学の「シューレディンガーの猫」のように、観測することによってどちらかかが決定するのであるが、それは人間の認識総てがそうであると言わざるを得ない故、当然のこととして省く。

そこで今回はあくまで我輩の基準で、最終回について語っていこうと思う。

納得いかない最終回といえば、大抵は「投げちゃった」ような最終回である。
いい例が「伝説巨神イデオン」であり、「新世紀エヴァンゲリオン」であり、「機動戦艦ナデシコ」である。奇しくも三つともロボットアニメ、それもスーパーとリアルの中間っぽいの。
それぞれイデオンは宇宙が崩壊し吹っ飛んで終わりという「マッドサイエンティストと助手」コントでよくあった「うっかり自爆装置のスイッチを!」みたいなオチ。エヴァは物語を放り出して支離滅裂な心理的描写なるものに逃げてしまったし、ナデシコは最後の決戦から逃避し、しかも人間関係も収拾しないまま終わってしまった。

いずれも劇場版で完結編とか続編とか作られたけど、いずれも大した意味の有る代物ではなかった。
(TVシリーズの追認にとどまったイデオン、完結とか言いながら終始前衛的映像に終始して茶を濁したエヴァ、結局ラストでまた明確な決着を、少なくとも登場人物同士の関係においてつけられなかったナデシコ)
そういう続編は無いが、ないだけさらに駄目な例としては「破邪巨星Gダンガイオー」もあるな。

これらのファンを名乗るものどもは大抵これら最終回にも「意味がある、ただソレを読み取れていないだけだ」とまるでこちらを馬鹿であるかのように言う。だがしかし。通じない言葉が言葉ではないように、理解されない物語に何の意味やあらん。

しかし「THEビッグオー」などの最終回も有る意味では上記三作品と似て投げたような感覚がなきにしもあらずだったのに不快感はなかった。むしろ、アレが正しい結末であると思うことは出来た。
何故だろう。その答えを解く鍵は恐らく「南海奇皇ネオランガ」にある。
あの作品は結構お気に入りの作品だった。偶然古代の神の力、土偶のような姿を持ち命令に従う巨大な怪獣とも大魔神とも言える存在「ランガ」を手にしてしまった三人姉妹の、力の存在で変化してしまった日常への対応とそれぞれの力や正義、自由といったものの意味を問うた第一部、一転ランガと同じ古代の神の骸をサイボーグ化した兵器「虚神」で日本を支配した悪の秘密結社「虚神会」との激闘を描きながら、第一部での細かい日常描写や心理的葛藤をも同時に進行させえた第二部。いずれも好きだ。
しかしながら第二部ラストの最終決戦の後、主人公・島原海潮が下したある「決断」は、我輩の思想からすれば正反対、気に食わない結末を導き出す決断であった。
しかしそれでも、それを許容できた。ソレまでの三人姉妹の心の旅路を緻密に追ってきたが故に、認めはしないが理解は出来た。ソレと同じことだ。
エヴァやイデオンのように最終回唐突型ではなく、ビッグオーはシリーズを通して最終回のテーマであった「この世界は、人は、何に拠って立っているのか」を追い続けてきた。登場人物たちもまたしかり、最初から最後まで生き足掻くことを止めなかった。そう、最終回最後の瞬間まで。故に、納得を持ってラストを見ているほうも迎えられた。

では納得のいく最終回とは・・・となると、これは膨大だ。ようするに上記のような例外的極少数の「納得いかない最終回」以外のやつは、大抵曲がりなりにも納得のいく最終回だからだ。
もっとも、そんな中にも出来不出来というものが歴然としてある。故に、ここではそういう「特にいい」(無論私の視点から見て、という意味だが)最終回を上げておこう。

まずはやや地味だが「ジェネレイターガウル」。
いわゆる主人公達が歴史改変を試みるタイムスリップものであり、その目的は未来における改造人間「ジェネレイター」の支配する世界を打倒する。その改変により、自分達が消えてしまうかもしれなくても。
その最終回は、タイムスリップを扱う作品にしばしばある「やり直し」系になるかと思わせておいて、「あえてやり直さない」という結末を選択するあたりはなかなかのものがあり、思わず唸った。
この「あえて」というラストは「アキハバラ電脳組」の最終話、人類の進化を否定しあえて普通の女の子として生きる道を選ぶラストにも通じる。

あと、続く系最終回・・すなわち第一シーズンのラストで、第二シーズンに続くラストにも、またイイものがある。先にあげたビッグオーとネオランガなどその好例で、「雨の中、傘をささずに躍る人がいてもいい・・・自由とはそういうものだ!」の名台詞と共に未知の敵にロジャーとドロシー、二人でビッグオーを操縦して立ち向かう「THEビッグオー」第一部ラストはとても雄雄しく、ネオランガでもやはり追い詰められるだけ追い詰められ、最後の最後翼という新たな力を得たランガが飛翔し米国艦隊を壊滅に追い込んだ虚神ミナカタに挑んでいくシーンは、青空バックの独特の飛翔感とあいまってとても美しい。
この系列には他に「まほろまてぃっく」第一部最終回、セイントの戦士リューガとの激闘の末、家路につくまほろと優を月が見守るシーンもある。あれは美しく、優しく、悲しく、そしてかつ第二部への続きを匂わせるよさを持っていた。

そして正統派の最終回としては、勇者王ガオガイガー最終二話「命」「いつか星の海で」、そしてデビルマンレディー最終話「人」をあげておこう。
最後の敵は倒れたはずなのに、その後に驚天動地の展開が待っていたガオガイガー。しかも意表をついて置きながら、その物語の本質である勇気と熱血を損なってはおらず、さらに二人の主人公と言っていいガイとマモルにそれぞれの結末をきちんと書いているのも嬉しい。(この意表をつく最終回、作品世界がアニメの中にあることをと暴露しそれを作り動かし支配する者が最後の敵であった、「勇者特急マイトガイン」を連想させるが)
一方デビルマンレディーの最終回は、ソレまで、そして最終話前半の沈鬱なムードによる「溜め」がついに炸裂した、天地鳴動のラストバトルが見所だ。このデビルマンレディーは原作漫画とは全く異なりむしろ最初の漫画版デビルマンとアニメ版デビルマンの融合とでもいうべきストーリーなのだが、それもまた絶妙。この最終決戦デビルマンレディー=不動ジュンと、ゴッドチャイルド=アスカ蘭の戦いは言うなれば本邦漫画史上最初にして最大級の問題最終回であるデビルマンの不動明VS飛鳥リョウの戦いのリターンマッチにして初の映像化!
そして神が死に悪魔が勝利し、人は己の中の獣と共に生きる未来を選ぶ、このラスト。絶望と希望が同居しながら、それでも生きる叫びと静かに去りゆく足音が交差する、極めて複雑で味わい深いものとなっている。

我輩の考える「よき最終回」とはまあ、こんなものであろう。それぞれにそれぞれの魅力があると我輩は思う。

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