名台詞・4


犬神長玄坊殿よりご紹介の名台詞である。感謝。

「十二国記」の「図南の翼」より、のセリフで、「風の万里 黎明の空」にて、陽子と出会うことになる二人の少女の一人、祥瓊が出会う王の一人、恭の供王「珠晶」が、齢十二にして自ら王になることを目指して旅をした物語。
この世界では、王が倒れ、麒麟もいなくなった場合、基本的に黄海と呼ばれる荒涼とした世界の中心に広がる大地を抜けて、その中心にある「蓬山」に向かい、新たに誕生した自国の麒麟に天命を問い、王に選ばれようとする風習があるわけです。これを昇山の旅といい、これまでのシリーズでもしばしばこのようなものがあると描写されていたものが、はっきりと描かれたのですね。
まあ、珠晶は見事に天命を勝ち取って、十二にして女王になるのですが、この過程が凄く気持ちいいのですよ。
子供なのに大人顔負けの行動力と判断力。学んだことを応用し、危険を避け、しまいには恐るべき妖魔すら倒してしまう知性と糞度胸。
そして何より、二十七年にわたる王の不在で荒廃する故郷の姿に憤り旅に出るなど、一本芯の通った性格。故に子供ながらいつしか人々の信頼を勝ち取り、忠誠すら捧げられる存在になっていくのが楽しいのです。

珠晶が妖魔を退治したあと、行方不明になったあと。成り行きから彼女と共に旅をし、その直前に意見の対立から別行動していた利広、頑丘のやり取りです。
利広「珠晶は愚かにも頑丘と喧嘩をして、季和について行った」
頑丘「愚かなのか、それが?」
「もちろんだ。もしも珠晶が王になるのなら、あそこで朱氏(頑丘は朱氏と呼ばれる、黄海で狩りをしたりするのが生業の一族)と喧嘩をしてはならない。なぜなら、王の安全はほかのいかなる民の安全にも先立つからだ」
「無茶苦茶を言う奴だ」
「それが、王を欲する世界の理屈なんだよ。随従を見捨てた季和を君たちは冷たい目で見るが、もしも季和が王になるのなら、そうでなければならなかった。なぜなら百やそこらの人の命と、王の命は引き替えにされてはならないからだ。王の肩には三百万の民の命が懸かっている」
「嫌な理屈だ……」
「そうかい? それは剛氏(朱氏同様の黄海の民だが、昇山の者を護衛するのが生業)が主人を守る理屈と同種のものじゃないのかな。主人を犠牲にしないために、他の者を犠牲にしても仕方がない。王を求める世界の理屈というのも、結局はそれにとても似ている。──恭には王がいない。これから先、幾万の民を犠牲にしないために、今ここで数百の者が犠牲になっても仕方がない」
「薄汚い理屈だよ、それは」
「その通りだね。けれどもそれが、王を欲する世界の理屈なんだよ。──そして、王はその世界を制するゆえに、その理屈を踏み越えねばならない」
「……は?」
「だからね、それは王に支配される者──臣下の理屈なんだよ。そして玉座に就く者は、臣下であってはいけない。王だから玉座に就くのであって、玉座に就いた臣下を王と呼ぶのではないのだから。ゆえに王は臣下の理屈を超越せねばならない」

王の在り方を論じる作品は多々あれど、「論じられる王の在り方とは誰にとっての王の在り方か」を論じる作品は珍しく。
そしてまた、薄汚くも理論的な「当たり前」を踏み越えてこそ王!というのは、実によいセリフではないか!





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