自然神としての怪獣と倒されるべき怪物
我、開眼せり!
此処最近怪獣についてあれこれ考えている内、そんなことを叫びたくなった。
お題は、「キングコング対ゴジラ」
我が輩はこの作品を「面白い(タコ部長とか)」とは思うが、不満もあった。
「何でエンパイヤステートビルの上で飛行機に撃たれたくらいで落ちて死ぬアメ公の腐れ猿相手に我等が荒ぶる海神・至高の怪獣王・文明と核への抗議者たるゴジラが引き分けにゃならんねん?それは我等がアメ公の物量的大国主義・核兵器パクスアメリカーナに屈することになるんちゃうか?それはあかんやろ!」
と思っていた・・・だが!
「キングコングの逆襲」についてぼんやりと考えて居たときのことである。あの映画でメカにコングを破壊したキングコングは、それまで追いかけていた金髪娘を置いて自分の島へと帰っていく・・・そこまで考えたとき、はっと気が付いた。
「はっ!・・・ちょい待てよ!このシーンでキングコングは明らかに科学の産物である、そしてキングコングというファロ島の「神の模倣」であるメカにコングを破壊し、好奇の対象であった「人間の世界」の代表である金髪娘を救うた後において
いき、真の意味での「王者にして神」として自分の島へと帰っていってる・・・よな!これって明らかに「怪獣」やん!「怪物」でなく!・・・なんでや!なんでやねん!?」
この疑問を抱いたとき、キングコング対ゴジラへの疑問は氷解したのである。
そう、明らかに「逆襲」でのキングコングは「怪獣」になっていた。人類の不遜を破壊し、顔で怒って背中で泣いて、一人海へと帰っていく「怪獣」に。
本来アメリカ人に、「征服すべき野生の象徴」・・・身も蓋もない言い方をするならば「自らの過去に罪の意識を感じさせないための、文字通りの「野蛮な獣」におとしめた先住民、自然、彼等が征服してきた全ての象徴」であったキングコングが。
何故、何時彼は怪獣へとなったのか!?
その答えが「キングコング対ゴジラ」だったのである。あれは、あの引き分けは断じて「屈服」ではなかった。タコ部長という「近代的日本人・・・まがいの白人」によって再び興業用の「恐ろしい野蛮な獣」として南の島から引きずり出されたコング・・・だがコング来たのはコンクリート製の摩天楼ではなく、自然の山野残る、まだ荒ぶる神が住まう土地であった。先住の神、ゴジラの胸を借りることにより、彼(キングコング)は「文明との対比」という束縛から逃れ、再び自然神に帰り、ゴジラと心おきなく闘った。故にこ
その引き分けなのであろう。(新たに付け加えられた二つの設定、帯電体質も四十五メートルの身長も納得がいく。古来より天地を貫く雷を司るのは神の業だったし、国会議事堂に立ったキングコングは明らかにエンパイヤステートビルにしがみついているときより堂々としていた)