「怪獣は過ぎ去った時間からくるモノ、宇宙人は未来から来るモノ。円谷の現場では、そう捉えていたとか。これにも私は賛成しますが、如何?」
是。
まさに、そうである。なぜ、人は正義の味方たるウルトラマンや防衛軍より、多くの人命を奪うはずの怪獣に心引かれ、応援するのか。その理由が見事にわかったといえる。
我々はある意味、怪獣に「もっと暴れて欲しい」のだ。母から愛を受けられぬ、それどころか存在を認められもしない哀れな子が、たとえ敵意であれ殺意であれ、それでもかまわないから「思って」ほしいとまで思いつめるように、我々は、命と引き換え
てもいいほどに彼らを渇望していたのだ。
なぜなら、彼らは命だから。自然であり、悩みという不幸せから永遠に開放されない我ら哀れなピノキオがもはや渇望してもかなわないものをもっているものだから。
そして、それであるがゆえに我々にむさぼられながらも、何一つ言い返さない存在だからだ。
だから我々は、彼らの人類への逆襲に安堵する。母から正当な叱りを受けた子等がごとくに。
・・・宇宙人は、それとは逆の意味合いを持つ。彼らは我々が迷いとしてもつ部分をたいていはばっさりと切り捨てており、機械のような理詰めで何の躊躇もない破壊をなす。それはある意味では未来であり羨望かもしれないが、別の点からは嫌悪である。その、宇宙空間にも似た空虚な冷たさゆえに。逆に言うと、だから我々は不意にちょっとした「未熟さ」人間らしさを垣間見せる彼らに愛着を感じるのかもしれない。
そしてこれはもう一つの問い。過ぎ去った過去の象徴たる怪獣に恐竜形が多いのは、それが過ぎ去ったものの中で最大のロマンであるからではないか(大意)
なるほど。
たしかに「滅び去った自然」であるがゆえに「滅んだロマンたる恐竜」は、おおいにありうる。というか、それはかなり正しいのだろう。
だが基本的に性格が「悪」な我輩は、無駄なもうひとひねりを加えてしまうのだよ。
恐竜は、有名な絶滅動物であり、一くくりに出来る存在であり、かつ「罪悪感を感じない絶滅種」である、ということだ。
これは逆説的に「なぜ哺乳類型怪獣は少ないのか」ということを考えた結果である。
我々人類と恐竜には直接接触の経験がない。であるがゆえに、我々は安心して彼らの滅びに哀れを感じられる。
だが翻って哺乳類はどうか。仮にではあるが「ニホンオオカミ型怪獣」が山から現れたとき。
我々はそこに、野生動物を駆逐して生活領域を広げてきた自分たち人類の、確たる罪を目の当たりにするであろう。
ゆえに哺乳類型怪獣は、「偶然巨大化した悪意のない巨体」ゴロー、「実験の被害者」モングラー、「雪ん子の守り手」ウーなど、どこか悲しい。
厳密な哺乳類に限らず「哺乳類的」、すなわち毛のある怪獣をあれこれ(羽毛のある鳥型も、ふわふわもこもこの某蛾も含めて)考えるに、どこかそこには「あんまり悪くない」ような感じを受けるだろう(マーゴドンとか一部例外を除いて)
・・・どうだろうか。