その部屋に、物音はほとんどなかった。軍の施設内にある宿舎故に、町の喧噪とは無縁だ。部屋の主を訪ねてくる者も滅多にいないし、音楽を聴くような機械もない。
午後の日の光が、部屋を自然な強さと色で照らし、室内を暖めている。
その静寂の中、一人の男が書物を前に頭を抱えていた。頭髪の色は黒。櫛を入れていない髪は、四方に無造作にその先端を向けている。ただ、その長さだけは男の仕事のじゃまにならない程度に、そして、視界を遮らない程度に切りそろえていた。
眉をしかめて、書物の文面を凝視する。マイナーな外国語で記された文面は、なにを問うているのかすら理解できない。現場で働くことにかけては自信があるが、こうした座学はおざなりのまま過ごしてきた。よくもまぁ、少尉任官試験に合格することができたと、過去の自分に感心する。
ふと、鍵が開く音が響いた。
その音を聞き、男はカレンダーを眺め……あわてて、書物を閉じる。
床を眺める。大丈夫だ。片づいている。洗濯物もでていない。ゴミも捨ててある。掃除機もかけた。男はそうしたことにもとよりマメな柄ではあるし、男がずぼらでも同居人がさっさと片づける。これから入ってくる客人を迎えるのに、なにも支障はない。
「ハァ〜イ、あなた」
明るい声とともに一人の女性が男の部屋に飛び込んできた。黄金の頭髪が日の光を反射して、新たな光源となり部屋を照らす。空色の瞳が部屋の様子よりもなによりも、男の視線にまっすぐに向けられ、彼の姿を鏡のように映しだしている。
女が左手を振り、薬指に装着している指輪がその軌跡を輝きで彩った。
「元気してた?」
「ランコ」
男は席を立ちつつ、女性の名前を呼ぶ。
「良く来たな」
「良く来たじゃないわよ」
金髪の女性が、ランコと呼ばれた人物が頬を膨らませる。
「奥さんの私が来るのに、そんな格好。せっかく前々から今日来るって言っていたじゃない」
「すまない。すぐに着替える」
言いつつ、男は引き出しをあけ、適当なTシャツに袖を通す。この基地に赴任したときから使っている、ずいぶんとつきあいが長いシャツだ。
袖を通した後、ランコに視線を戻す。
ランコは、机の上を、もとい、そこにおかれたままの書物をを凝視していた。
「これで受かる佐官任官試験、絶対合格少佐になれる問題集、2000年度佐官任官試験過去問題集」
ランコが机の上においていた書物、すなわち、問題集のタイトルを読み上げる。
「何これ?」
「見ての通りだ」
言いつつ、男は……水島一純は机の上に散らばっていた問題集を本棚に片づける。妻の前で、この本を眺めている程無粋ではない。
「あなた、少佐になるの?」
「あぁ。子供が産まれたら、尉官の給料じゃ心配だからな」
答えつつ、茶葉を探す。
「パパのお金も、私の稼ぎや貯金もあるんだから、別に気にすることないじゃない」
「そうもいかない」
茶を入れながら、一純は答える。ランコは専業主婦ではない。このスットン共和国でも有数の財閥の令嬢であり、現在は幹部として働いている。一純と結婚する前は、スットン共和国陸軍の少尉として、決して安くはない俸給を得ていた。ランコの貯金と現在の収入だけでも、子供の一人や二人、養うだけの余裕は十分にある。そう言う点で、ランコの発言は全く持って正しい。だが、せめて自分の俸給で家族を養えるようにしたいと考えてしまうのが、水島一純という男だった。
「佐官昇進の試験がこんなに難しいとは思わなかった」
「あなた、なんだか高校生みたい」
「そうだな」
ケタケタと笑う妻につられて、一純は微笑む
「だったら、今日のデートは中止で良いわ。一生懸命勉強していて」
「仕事の合間を縫っての休みだろ。つきあうぞ」
「良いの良いの。あなたの昇進がかかった大事な時期なんだから」
ランコがウィンクをして、どこからともなく取り出したエプロンを身につける。
「今日は私が、腕によりをかけて、おいしい夕御飯をごちそうするわ」
「い、いや、それは遠慮しておく」
一純の表情が凍り付く。はっきり言って、妻の料理の腕は上手い下手という通常の評価軸の外にはみ出している。せめて、通常の評価軸に収まっていれば、しかめ面で料理を口にすることもできたのだが……
気づけば、ランコが部屋の中をきょろきょろと見渡していた。
「そう言えばさぁ、桜花はどうしたの?」
「あぁ、桜花なら、町に買い物に行っている。俺や、隊の連中から色々頼まれてな」
桜花。
それは、一純の身の回りの世話をしている一人の少女の名前だ。一純の事を、肉親のように慕っている。
ランコにとっても、桜花は知らない中ではない。結婚する前、彼女が軍隊に所属していた頃よりの顔なじみだ。
「桜花が一人でねぇ」茶を飲みながら、ランコが遠い目をする。「初めて会ったときからは考えられないわ」
「そうだな」
一純は述懐する。桜花は人間ではない。50年以上前に、スットン帝国軍で製造された鋼鉄重装女子学生、現代の言葉で言うならば軍用アンドロイドだ。一純達と出会った当初、その出自故、彼女は敵国の存在とみなしたものを無差別に攻撃した。黄金の頭髪を持つランコもまた、敵国のスパイと見なされ、攻撃を受けたことがある。
お茶を飲みながら、ランコがリモコンを操り、テレビをつける。
ちょうど、ワイドショーには二体のロボットが映し出されていた。
梅花と菊花。
桜花と同時期に、同じ制作者によって設計された鋼鉄重装女子学生。現在は、イーストシティの消防機関「め組」に所属して、人命救助に貢献している。
「そういえばさ」
いつの間にか見つけた煎餅を頬張りながら、ランコが言う。
「なんであの娘だけ、私に攻撃してきたわけ?」
「言われてみれば気になるな」
一純は顎に手を当てる。桜花が敵国の関係者を片端から攻撃していたのに対して、菊花と梅花はそのような行いは見られなかった。むしろ、桜花が敵国人と見なしたて攻撃した者にも気軽に声をかけ、彼らを助けるべく奔走していたという。同じ国で、同時期に決戦兵器として作られた存在としては、いささか奇妙に思える差異だ。
「ねぇ、あなたわかる?」
「わかる分けないだろ。芹沢博士なら分かったかもしれないが……」
不意に、一純の部屋に備え付けられた通信機がけたたましい音を鳴らした。
一純は立ち上がり、通信機をとる。
<水島大尉>
通信機から一純が副隊長を務める部隊、パッパラ隊の隊長の声が響いてくる。かつて一純が入隊した時には、白鳥沢愛大佐が隊長を務めていたが、その白鳥沢大佐も退役して久しい。先任である現在の妻や、同僚達も異動や退役で去っていき、あのころの隊員は、もはや一純と桜花の二人きりになっていた。
<不発弾が見つかった。副隊長として現場の指揮に当たってほしい>
「了解しました」
そう答えると、一純は壁に掛けていた野戦服に手をかける。
「どうしたの?」
ランコが真剣な面もちで問う。
「緊急出動だ。何でも、不発弾が見つかったらしい」
「えぇ〜せっかくのお休みなのに?」
真剣な面もちが、露骨に不満げな表情に変わる。妻のこの性格は、軍に所属していた頃より変わっていない。
「ぼやくなよ。不発弾の処理なんて、大したことないさ」
言いつつ、一純はランコにキスをする。
一瞬、身をこわばらせたランコだったが、すぐに一純に体を預けてきた。
しばし、そうしたあと体をはなす。
「この埋め合わせは、次の休暇の時にはきっとする」
「きっとだよ」
きっと。
それ以上は望まない。ランコもかつては軍人だった。絶対とはいえない事情があることはわかっている。
「あぁ」
優しい笑顔を妻に向けると、一純は真剣な面もちになり、作戦会議室へ向けて駆けだした。
「これで、全部と」
スットン共和国の首都、イーストシティで少女はつぶやいた。うなじのあたりで切りそろえられた黒髪が太陽を反射して輝いている。
少女の両手には、少女の体積の数倍はある荷物が載せられている。
その巨大な荷物を、少女は顔色一つ変えずに担いでいた。
「急いで戻らないと、夕ご飯の支度遅れちゃう」
そう言って、少女は歩き出す。全力を出せば、そこいらの車より速く走ることができる。が、それをやれば、手にした荷物が四散するのは目に見えている。荷物の中には壊れものもある。スピードを出すわけにも行かない。
少女が歩く度、周囲に喧噪が起こる。半分が、少女に向けられたもの。もう半分は、少女とは関係ない、日常の会話だ。
少女は道路を見る。
先ほどから、警察車両がひっきりなしに走っている。近くで、事故でもあったのだろうか。
「おぉ、桜花じゃないか」
不意に、太い声が響いた。懐かしい声だ。
その言葉に、少女は……桜花と呼ばれた少女、すなわち、鋼鉄重装女子学生「桜花」は振り返る。
声の先には、サングラスを大男がいた。剃り上げた頭に、大きな傷が走っている。体躯は2m程度あり、筋骨隆々のその腕が、そして、シャツからのぞく胸板が、彼が歴戦の勇士である事を物語っている。
「隊長さん。お久しぶりです」
「隊長はなかろう」
大男が豪快に笑う。両手に袋を下げたまま、近づいてくる。
「わしはもう、少女漫画家だぞ」
「そうでしたね、白鳥沢さん」思わず、桜花ははにかむ。「つい癖で」
「まぁ、呼び方を変えるというのは、なかなか難しいものだからな」
笑いながら、白鳥沢がわらう。白鳥沢愛。かつて大佐として、パッパラ隊の隊長を務めた男。現在は退役し、少女漫画家として活躍していると聞いている。聞いた話では、最近、念願が叶ってデビューを果たし、連載をかかえる様になったらしい。
「その荷物、隊の買い出しか?」
「はい。隊長……いえ、白鳥沢さんはどうしてこちらに?」
「わしは、これだ」
言いつつ、白鳥沢が手に持った袋から大学ノートの束を取り出す。
「担当にダメ出しをされているうちに、ネームに使うノートが足りなくなってしまってな。大量に買い込んできたわけだ」
「プロの漫画家さんでも、いろいろ指導されることがあるんですか?」
「うむ。なかなか、あの石頭どもを納得させることができなくて困っておる。これでは、軍人をしていた頃とさっぱり変わらん」
そういいながら、白鳥沢が苦笑する。
「どれくらい使うんです?」
「雑誌に短編一本載せるのに、大体、これを10冊くらい使う」
言いつつ、白鳥沢が桜花に100ページ閉じノートを差し出した。
「これを、10冊ですか」
桜花は思わずノートを凝視する。以前、白鳥沢に見せてもらった事が確かならば、少女マンガは一回でおおよそ40ページだった筈だ。その40ページを載せるのに、1000枚のノートが犠牲になっている。そう考えると、漫画家というのが軍隊並に過酷な仕事に見えてくる。
「一本の漫画って、すごい数の犠牲の上に成り立っているんですね」
「うむ。ワシとそいつらを助けてやりたいが、担当の許可が出ないことには載せられん。ままならないものよ」
しみじみとした調子で白鳥沢が言う。そのまなざしは、サングラスで遮られているため、伺い知ることができない。だが、雑誌に掲載されることがなかった漫画達へ、自分の子供ともいえる存在への愛情に満ちていることは、人ならざる身にも容易に想像できた。
「ところで、こんな所でわしと話し込んでいていいのか?」
「え?」
桜花はアイカメラを瞬かせる。
「仕事場を出る前にニュースで見たんだが、イーストシティ近くで不発弾が見つかって、パッパラ隊が出動したそうだ。水島も出ているころだと思うぞ」
桜花は耳を澄ます。
近くの電気店に見本として陳列されているTVから、確かに、白鳥沢が言うようなニュースが流れていた。
「大変!急いで戻らないと」
叫んだところで、桜花は思い出す。
両手に荷物を持っている。これをどうしたものか。
「荷物はワシが預かろう。バイク便か何かで、基地に送る。ついでに、昨日ワシの元に届いた、単行本の見本誌もつけよう」
「ありがとうございます。白鳥沢さん」
礼を言いつつ、桜花は荷物を下ろす。
「礼を言われるような事ではない」
顔には似合わないほど、穏やかな声で白鳥沢が言う。
「そんなことより、気をつけてな」
「はい。ありがとうございます」
改めて礼をいって、桜花は現場へ向けて駆けだした。
100km以上ある道のりを5分とかからずに走り抜け、道中数カ所合った警察による検問を強引に跳躍力で突破し、桜花は現場に向かう。
気づけば周囲に建造物はなく、草原が広がっている。
その向こうに、一人の軍人が見えた。スットン共和国陸軍はすでに展開している。
その中心となっている一人の士官に、桜花の視線は吸い寄せられた。白鳥沢が言うように、彼もすでに出動していた。
「博士!」
士官に向け、桜花は叫ぶ。
士官が……スットン共和国陸軍所属パッパラ隊の副隊長、水島一純大尉が振り向く。
「博士。遅くなりました」
「あぁ、桜花。早かったな。荷物はどうした?」
「はい。白鳥沢さんに預けてきました。後で、新しく発売される漫画と一緒に送って下さるそうです」
「そ、そうか」
一純の顔がひきつる。
桜花は小首を傾げた。白鳥沢が頼まれた荷物を着服するとは考えがたい。一体、何に困惑しているのだろうか。
「ま、まぁ、良い。ちょうど良いところにきた」
そういって、水島が視線を元に戻す。
「不発弾はあれだ」
言いつつ、一純が遠方の一転を指さす。
桜花は一純の指先に視線をのばし……息をのんだ。
見覚えがある物体だ。厳密に言うならば、細部は異なる。サイズも一回り大きい。だが、桜花が見知った物体である事に相違ない。断じて、不発弾などではない。
「あれは、私が眠っていた寝台……」
「やっぱりそうか。不発弾にしては、おかしいと思っていたが……」
「でも、一体誰が……」
桜花は不安げにつぶやく。自分の記憶に異常がないならば、芹沢博士が設計した鋼鉄重装女子学生は自分と梅花、菊花の3体だけの筈だ。当時のスットン帝国陸軍に、芹沢博士に比肩しうるロボット工学者はいない。自分達三姉妹以外に、封印されるようなロボットは居ないはずだ。かと言って、あの冬眠様寝台は見たところ、現代のものではない。使用されている部品は、間違いなく、スットン帝国時代のものだ
「隊長」
一純の声に、桜花は思考を止める。
顔を向けると、一純は通信機に向けて話をしていた。
「あの不発弾、中身を調査したいと思います。よろしいですね」
「博士?」
「おまえの姉妹が入っているかもしれないんだろ」
一純が桜花のカメラを見つめ、微笑む。
「ありがとうございます」
桜花は深々と頭を下げる。その間、通信機から一純の提案を受け入れるという旨の声が漏れている。
一純が通信機の周波数を操作して、再び、送信部を口元にかざした。
「こちら中隊本部。これより、あの不発弾と思われる物体を調査する。各小隊は警備を続行。作業は私が行う」
そう言うと、通信機を口からはなし、桜花に向き直る。
「つき合ってくれるか?桜花」
「はい。任せて下さい」
桜花は即答する。一純を守るのは自分の役目だ。
「大尉が、自ら行うので?」
副隊長付きの士官が、不安げな声を出す。
「私以上に、安全な人間がいるか?」
「いえ、お任せいたします」
副隊長付きの士官が、背筋を伸ばして敬礼をする。水島一純。不死身の肉体と死神の二つ名で敵と味方、双方から畏怖された士官。危険な調査を行う上で、彼の判断に口を挟む気にはなれなかったのだろう。
「よし、いくぞ」
一純が不発弾、改め寝台に向けて駆け出す。
桜花もそれに追従する。水島を追い越し、その後、同じ速度で、距離が離れないようにして走る。万一、寝台が爆発したとき、一純の盾となるためだ。一純は無用の気遣いと言うだろうが、彼への危険は少しでも減らしたかった。
距離が近づくにつれ、寝台の細部が鮮明になっていく。パネルラインの分割。作動確認用のランプ。注意書きに使用されている文字とその表記法。材質の外観。いずれも、50年前の物に相違無い。
「確かに、これは爆弾ではないな」
重々しい声で、一純がつぶやく。
「中を確認したいが……桜花、わかるか?」
「はい。ちょっと待ってください」
言いつつ、桜花は寝台の周りをぐるりと歩く。かつて、この寝台を使用したとき、桜花は芹沢博士に言われるまま、中に入っただけだった。芹沢博士がどのようにロックをかけたのか、どのように機構を作動させたのか見ていないし、教育も受けていない。それでも、大戦中の機械については、人間で言うところの皮膚感覚のようなもので良く知っている。どこをどのように操作すれば、どんな効果が得られるか、現代の人間がそうするよりも鮮明に想像することができる。
その感覚を元に、寝台表面のいくつかのスイッチを操作し、レバーをひねる。
高圧縮空気の排出音が響く。
寝台の一部が、天頂部を支点としてとして開き、アクチュエーターの重々しい音がそれに同調する。
開いた箇所を一純が、続いて、桜花がのぞく。
桜花は、アイカメラを見開いた。隣で、泉が息を呑む音が聞こえる。
寝台の中には、桜花の、そして、一純の予想通り、鋼鉄重装女子学生……外来語で言う、ロボットがいた。
ロボットは人間同様の四肢を備えている。
頭部は胴体にめり込んだドームのような形になっており、桜花を人間らしく思わせている意匠こそ見受けられない。2つのカメラと、熱線砲の発射機構が三角形を描くように配置されている。
上肢だけは、桜花と印象を異にする。前腕の先には、人間の五本の指の代わりに万力状の作動肢が取り付けられている。その上、人間で言う前腕部が異様に長い。
「すごい、私とそっくり」
「どこがだ?」
一純が眉をしかめる。
その言葉に、桜花は首を傾げる。
だが、一純は表情を変えない。本気で、このロボットが自分とはかけ離れた姿をしていると思っているらしい。
「博士、よく見てください。このカメラと熱線砲、私に使われているのと同じです」
一純がまじまじとロボットを見つめる。
「熱線砲はとにかく、カメラは全然違うぞ」
「そんな事ないです。人間っぽく見える意匠が施されていないだけで、部品そのものは私と同じです」
「そうなのか」
水島が戸惑いがちに言う。
「はい。それに、肩や上腕、それに脚部は私と全く同じ部品です。あ、胴体も同じだ」
「そう言うもんかなぁ」
とぼけた調子で、一純が言う。自分の説明に、納得していないのだろうか?菊花や梅花は別格として、これほど自分に似ているロボットはめったに無いと思うのだが。
「ねぇ、あなたも、私と似ていると思うでしょ?」
返事はない。
ロボットは微動だにせず、信号を送ることもなく、たたずんでいる。
桜花は不審に思い、関節を確認する。アクチュエータが破損している様子はない。視覚系の回路、発生回路、信号送信部。いずれも故障は見受けられない。
「壊れているのか?」
「いえ、エネルギーが切れているんです」
第二次世界大戦が終結してから、半世紀以上の月日が経過している。ロボットを動かすエネルギーがなくなっているのは、当然といえば当然だった。
「そうか……」
一純がなにやら考え込む。
それをよそに、桜花はロボットを見つめた。自分達姉妹以外は存在しないはずの、大戦期のロボット。芹沢博士以外には作ることが能わなかったはずの同胞。もし、動けば、どのようなことを考え、どのような事を話すのだろうか。
見れば見るほど、気になる。
「博士」
桜花は一純に向き直る。
一純がこちらに視線を向けた。
「このロボットを、目覚めさせてあげても良いですか」
「できるのか?」
桜花は頷く。
「見たところ、エネルギーが切れているだけですから、私がエネルギーを分ければ、すぐに動けるはずです」
一純が顎に手を当て、二、三秒動きを止める。
が、すぐに桜花を見つめ返す。
「分かった。やってくれ」
「はい」
満面の笑みで、桜花は答える。
と、ロボットに向きな折り、上着を託しあげた。
腹部のエネルギーバイパスを、ロボットのエネルギーバイパスに接続。
エネルギー注入を開始。
ロボットのカメラに光がともる。
万力状の手が静かに握られては、開く。
成功だ。ロボットにエネルギーが回っている。
ロボットがドーム状の頭部を回転させ、アイカメラを動かす。
そ、その回転が止まった。カメラには不安げな表情で作業を見つめる一純の姿が反射している。
「芹沢、博士?」
ロボットが、途切れ途切れに言う。声色は桜花に似ていた。
「いや、私は水島一純大尉。スットン共和国の軍人だ。第二次大戦は50年以上前に集結、芹沢博士も亡くなられている」
「いやですわ、冗談ばかり」
一純が苦笑する。桜花もつられて笑う。自分と一純も、かつて、似たような会話をした。
「あなた、名前は?私は……」
「桜花」
ロボットの言葉に、桜花の表情が固まる。桜花。自分の名前は桜花。目の前のロボットは確かに、そう言った。
ロボットが先の言葉を繰り返す。
「私はスットン帝国陸軍の鋼鉄重装女子学生、桜花。あなたは?」
ロボットが無機質なアイカメラを、まっすぐに桜花に向けた。
「調査の結果」
パッパラ隊の隊長執務室で、長髪を持つ細身の男が口を開く。
現在のパッパラ隊隊長、黒羽大佐だ。
桜花は彼の言葉を、水島一純、そして、発見されたロボットともに、直立不動で待っていた。
「発見されたロボットは桜花の量産タイプだと判明した」
「量産タイプ?」
一純が片眉をつり上げる。
「桜花の設計は、芹沢博士がほぼ一人で行ったと聞いていますが」
「私も、初めて聞きました」
「私もです」
桜花は身を乗り出す。同時に、発見されたロボットが、桜花と同じ声で身を乗り出した。
「芹沢博士がロボットの開発を行っていたのは、軍の要請によるものだ。当然、スットン帝国軍にその途中経過を報告していた」
その言葉は嘘ではあるまい。軍隊も役所である以上、予算には限りがある。しかも、桜花の設計、製造は戦時下の話だ。成果が出ない計画に、いつまでも金を出すわけにもいかない。その程度のことは、桜花にも想像できた。
「それを元に帝国軍へと制作されたものが、今、君たちの隣にいるロボットだ」
「でも、私のことを量産するなんて、聞いていませんでした」
「私もです」
「だが、おかしな話でもあるまい」
桜花とロボットの言葉に、黒羽大佐は眉一つ動かさずに言う。
「スットン帝国軍は、君たちを決戦兵器として製造した。兵器である以上、量産するのは当然のことだ」
「しかし、どうして桜花たちは、全く同じ思考を持っているんです?」
一純が怪訝そうに聞く。
「ここからは、私の推測だ」
言いつつ、黒羽大佐が桜花に顔を向ける。
「ロボットを製造する上で、最も重要なポイントはその制御系だ。だが、当時のスットン帝国には、芹沢博士が考案した制御系をコピーすること自体が至難の業だった」
そこで言葉を切り、黒羽大佐は立ち上がる。
「帝国軍も無能ではない。その組織力を生かし、制御系のコピーには成功した。だが、芹沢博士が当時の技術で製造した制御系は複雑、精妙な代物だった。それ以上の効率化はおろか、簡略化すら不可能だったのだろう」
言いつつ、黒羽大佐が桜花の顔をのぞく。細い目が、視線をみじんも動かさずに、桜花のアイカメラをのぞき込んでいる。その様に、桜花は言いようがない気味悪さを感じた。
「それでも、現実に決戦用の鋼鉄重装女子学生は製造しなければならない」
桜花から視線をはなし、黒羽大佐が発見されたロボットへと歩み寄る。
「スットン帝国にできたことは、君と寸分違わぬ制御系をその量産型ボディに搭載することだけだったと言うわけだ」
「菊花たちの設計を参考にすることは無かったのでしょうか?」
一純が問う。彼の疑問ももっともだ。桜花とその妹たちを比較すれば、制御系のどの部分が感情を、判断を、そして、肉体の制御を司っているのか、おおよその見当はつけれた様に考える。
「そこなんだが、軍は彼女たちの制御系に興味があったとは思えん」
「どう言う事です?」
一純が顔をしかめる。
黒羽大佐が鷹揚にうなづき、再び、桜花をのぞき込む。
「スットン帝国軍が求めた決戦兵器としての思考、すなわち、人間同様の柔軟性を持ちながらも敵国の存在を容赦せず討ち滅ぼす思考は、すでに桜花で完成されている。これ以上を求める気は、帝国陸軍には無かった。そして、それを良いことに芹沢博士は自分の好きな性格を二人に設定した」
言いつつ、黒羽大佐が上半身を乗り出し、桜花に顔を近づける。
「軍の関与がなければ、本来君に望んだ性格とはあの二体のものなのだろう。心、と言う観点から言えば、芹沢博士が本当に作りたかったのは君などではなく、梅花と菊花かもしれない」
桜花は思わず目をそらす。何故か、彼の言葉に違うといえなかった。
と、突然、黒羽の体が桜花から遠ざかった。
黒羽の体が壁にぶつかり、大音響が室内に響く。
何事かと呆然としている桜花の前に、黒羽からかばうように、一純が立ちはだかった。見ると、手の甲に血がこびりついている。
「桜花に、変な事を吹き込まないでください」
「ふむ、失礼」
額にから流れる血液をハンカチで拭いながら、黒羽が立ち上がる。
「それで、彼女を、どうするおつもりです」
発見されたロボットに視線を向けつつ、一純が問う。
「ふむ、上層部からは特に指示はないが……」
黒羽が執務卓に座り、口元で手を組む。
「あの」
一純を押し退けつつ、桜花は口を開く。時間を与えると、黒羽が何を言い出すか分かったものではない。
一純が、黒羽が、発見されたロボットが桜花に視線をを向ける。もはや、言葉を飲み込むことはできない。
「彼女をパッパラ隊で預かってはもらえませんか?」
一純がかすかに目を見開く。
一方、黒羽の表情は変わらない。口元で手を組んだまま、桜花を冷たいまなざしで見つめている。
桜花は黒羽を見つめ返して、言葉を続ける。
「私も、この隊の皆さんと知り合ったおかげで、今の時代に適応することができました。私と同じ心を持っているなら、この娘も、同じように、一緒に過ごすことができると思うんです」
黒羽からの返答はない。椅子に座ったまま、微動だにしない。
「隊長。私からも、お願いいたします。彼女をパッパラ隊で保護する事は十分に可能なはずです」
一純が黒羽に向き直る。
やはり、黒羽からの返事はない。視線だけが、ロボットと桜花の間を往復している。
「桜花の性能は、現代においても目を見張る者がある」
冷たい声で、黒羽が呟く。
「上層部の許可は必要となるが、取り合ってみよう」
桜花の顔に満面の笑顔が浮かぶ。黒羽が折れた。発見されたロボットの保護が全面的に認められたわけではない。が、予想していたよりも遙かにましな答えだった。
「しかし、同じ名前というの呼びにくいな。何か名前を付けなければ」
黒羽が顎に手を当てて考える。
「量産型の桜花だから……「りょう」と「はな」をとって、「りょうか」と言うのはどうだろう」
「りょうか、で、ありますか」
一純が、戸惑いがちに言う。
「うむ。『涼しい花』と書いて涼花だ。どうだろう」
「良い名前だと思います。君はどう思う」
言いつつ、一純はロボットに向き直る。
「はい」
ロボットが、涼花と名付けられた量産型の桜花が無機質なカメラを一純に向けて、返答する。
「博士と、隊長さんがそのように仰るのでしたら」
「決まりだな」
言いつつ、一純が涼花の手を握る。
「よろしく、涼花」
涼花の無機質なアイカメラは、まっすぐに一純に向けられていた。
それから、1週間程後。
桜花が演習状を訪れると、涼花がマジックハンドのような手を使い、数本の材木を一度に挟んでいた。桜花ではもてないほどの数だ。単純な構造を持つ涼花の手と、人間そのものの桜花の手を比べた場合、涼花の方が遙かに無理が利く。そのため、出力こそ同じだが、単純な力作業では涼花の方が活躍できた。
「これで良いですか?」
材木を地面に置きつつ、涼花が訪ねる。
「ぜんぜん大丈夫。ありがとう、涼花ちゃん」
「いえ、お役に立ててうれしいです」
涼花が頭を下げて、礼を言う。
「涼花ちゃん!」
他の隊員が、涼花を呼ぶ。
「陣地に備え付ける機銃、三つくらい持ってきてもらえる?」
「涼花ちゃん! ちょっと、ジープがハマっちゃってさ。引っ張ってくれない?」
「はい。今行きます」
言って、涼花が駆け出す。重機関銃を数個まとめて運び、ジープをいとも簡単にぬかるみから引き上げる。
その様を見て、桜花は微笑んだ。涼花は無事、パッパラ隊にとけ込んでいるらしい。
それにしても、陣地構築の訓練に、少し、涼花をこき使いすぎのような気がする。あとで、隊員たちには抗議をしなければならない。
隊員たちへの抗議を保留し、桜花は涼花に駆け寄る。
「涼花」
「あ、わた……いえ、姉様」
涼花が足を止め、桜花に向き直った。涼花は、桜花の双子の妹と言うことで、隊には紹介した。涼花も、極力桜花を姉と呼ぶようつとめている。
「お仕事、頑張っている?」
「はい。皆様、よくして下さっています」
「よかった」
桜花は満面の笑みを浮かべる。
「桜花」
不意に、一純の声が響いた。
声の方を見ると、一純が桜花に向けて駆けてきている。
「来ていたのか」
「はい、博士。お昼ご飯ができたので、お知らせに参りました」
「そうか。ありがとう、桜花」
言いつつ、一純が桜花の頭をなでる。
「みんな聞こえたか!」
一純の声が響く。
「割り当てが終わった班から休憩だ!」
「オォォォォ!」
雄叫びとともに、隊員たちの作業速度が上がる。先ほどまで涼花をこき使っていたと言うのに、現金なものだ。桜花は思わず眉をしかめた。
「すみません、わた……姉様」
ふと、涼花がおずおずと言う。
「私の手がこんなんじゃなければ、お手伝いできたのに……」
涼花の手はマジックハンド状だ。物を掴むことはできるし、殴ることもできる。だが、裁縫や料理をはじめとする、細かい作業を行うことはできない。そうした作業では、人間同様の五本指を持っている桜花に分があった。
「気にしないで」
桜花は涼花にほほえみ、彼女の肩をたたく。
「力作業とかだと、涼花の方がみんなの役に立っているんだから」
「ですが……」
涼花が俯く。彼女が、何を気に病んでいるのか、想像はつく。彼女は、桜花と同じ記憶を、思考を持っている。当然、手さえ同じ物なら、同じように料理を作ることができるはずだ。だが、より戦闘に適した、乱暴に使うことを前提とした戦闘用の体に押し込められたことで、それができない。桜花の時は食事当番をつとめることが、現代のパッパラ隊にとけ込む上で重要な役割を演じていたが、涼花が同じ事をすることはできない。ただ、違う体に押し込められたと言うだけで、だ。
「大丈夫、涼花。お互いの得意なところで、助け合っていこう」
笑顔を作り、桜花は励ます。今の桜花には、それしかできない。
「あ、飛行機だ」
隊員が呟く。
桜花は空を見上げる。
隊員の言葉どおり、飛行機が演習場の上空を移動していた。主翼と尾翼には航空会社のマークは無い。その代わり、アメリコの国旗が描かれている。
アメリコの政府高官専用機だ。
「そういえば、アメリコの国防長官がスットン共和国で何かの会議をするとか言っていたよな」
その間にも。桜花の心はざわめく。アメリコ。50年前、桜花が製造されたときの敵国。倒すべき存在として、機械の本能とでも言うべき制御系統に刻まれた存在。あれを倒すことこそ至上と、体に刻み込まれた存在。
その思いを、桜花は無理矢理おしこめる。今は、戦時中ではない。そのことは十分に、様々な人間から教えられたはずだ。
ふと、桜花は想い至る。現代に慣れた筈の自分ですら、アメリコへの攻撃欲求にかられている。では、目覚めたばかりの自分と大差ない……否、ほとんど同じ精神構造が持つ涼花はどうなるのか。
赤い光が周囲を照らした。
桜花は慌てて、涼花に向きおる。否、桜花だけではない。一純の、その他大勢の隊員の視線が涼花に注がれている。
熱線砲の軌跡が、涼花と政府要人機を結んでいた。
「やめろ涼花!」
一純が叫ぶ。
直後、熱線の光が、周囲を照らしていた赤い光が消え、
アメリコ機が爆発した。炎に包まれた破片があるものは弧を描き、あるものは勢いをつけて、地面に落ちていく。乗員が脱出した形跡は見受けられない。
その光景に一純は、パッパラ隊隊員たちは、そして、桜花すらも言葉を失う。
そんなパッパラ隊隊員に向けて、涼花が向きなおり
「やりました、皆さん!」
目覚めたばかりの桜花が出したであろう、明るい声で、そう宣言した。
その日の夕方。
一純とともに、桜花はパッパラ隊の隊長執務室を訪れた。窓から覗く空は黒い雲が立ちこめ、日の光が遮られている。
「廃棄、で、ありますか?」
「そうだ」
呻くように言った一純の言葉に、黒羽大佐の抑揚がない声が続く。
「涼花は本日中に破壊する」
桜花の表情が固まった。涼花が、自分の腹違いの姉妹とでも言うべき存在が、破壊される。黒羽大佐はそう言っている。何かの冗談だ。そう信じたい。
「待って下さい、そんな一方的な」
「一方的?」
一純の抗議に、黒羽大佐が眉をつり上げる。
「では水島大尉。我が国に、アメリコ機を撃墜する、どんな正当な理由があるというのだね?」
「それは……」
一純が口ごもる。
とっさに、桜花は身を乗り出して、彼が言うはずであった言葉を紡ぐ。
「涼花は大戦中に製造された決戦兵器です。だから、当時の敵国を攻撃するように……」
「現在かの国とは同盟国だ」
黒羽大佐が冷たい声で言う。
「終戦直後からずっと、な」
黒羽大佐が言うことは事実だ。冷戦時、スットン共和国は西側陣営に所属していた。冷戦終結後も、各種国際貢献やそのほかの発言権を確保する都合などから、継続してアメリコとの同盟を結び続けている。
「ですが……」
「では、桜花に改めて聞こう。我が隊、我が国が同盟国の機体を無警告で撃墜する正当な理由は何か?」
「涼花ちゃんはは現代に適応している最中でした。その間、いくつかのトラブルは……」
「自分が現代に適応する間に他の国の人間が命を落とすのは当然だ。そう、主張するのかね?」
黒羽大佐の言葉に、桜花は思わず押し黙る。
その隙に、大佐が続ける。
「友好国の政府高官を無警告で撃墜することは、些細な事だと、そう言いたいのかね」
桜花はうつむき、答えない。彼の言が正しいことは理解できる。桜花が話しているのは、どこまでも自分の都合だ。そんなもので、友好国の政府高官機を無警告で撃墜、乗組員を殺害して良いとする国は、50年前にも存在しない。
「仮に君たちの量産が間に合い、アメリコへの逆転勝利がなされたとしてもだ、同じ事を行えばやはり、問題になり、君たちは処分されるだろうね」
「……私は許されました」
消え入りそうな声で、桜花は言う。
「私がこの基地を攻撃して、基地に一緒に泊まっていたアメリコ兵を攻撃したときは、皆さん、許してくださいました」
「当時、我が軍、いや、西側陣営諸国は東側陣営に対抗する上で君の力は有効だと判断した。だから、かの国もあえて抗議を行わずに、特別扱いが許された。強大な敵が倒れた今、彼女の存在理由は一切、無い」
桜花は思わず、手を強く握る。同じ事をした筈の、同じ心を持つ二体のロボット。そのうち片方は助かり、もう片方はその日のうちに処分が申し渡される。
「涼花は……いえ、私たちは何なんです?」
震える声で、桜花は言う。
黒羽大佐は言葉を発さない。顔色一つ変えずに、桜花を見つめ返している。
「お国のために作られた筈なのに、お国の都合で生まれた目的も、植え付けられた心も全部否定されて、お国の都合で生かすか殺すかを決められて……私は、私たちは……」
桜花は顔をゆがめる。人間なら、涙がでているような顔で、黒羽に抗議をする。
その黒羽の顔色は変わらない。人間であるはずなのに、彫像のような顔で、眉一つ動かさずに桜花を見ている。
「何にせよ、彼女は我が軍、いや、我が政府の統制を離れて同盟国に無断で攻撃を行った危険な存在だ。故意であれ過失であれ、許すわけにはいかない」
そう言ってから、黒羽は書類を差し出す。
命令書だった。
「水島大尉。涼花と命名した鋼鉄重装女子学生「桜花」の量産タイプを破壊せよ。万が一の事態に備え、ふきんの部隊に応援は要請している。隙に使え。君が秘書として使用しているロボット、『桜花』をしようしてもかまわん」
桜花は思わず一純を見る。
一純は目を閉じ、何かを考えている。きっと、自分のことを、自分と同じロボットのことを考えているはずだ。悪いようにはしないはずだ。
一純が目を開き、ゆっくりと言う。
「ようは、彼女を無力化すればよろしいのですね?」
桜花は目を見開く。
黒羽大佐が合いも変わらず、彫像の様な面もちで頷いた。
「了解しました。水島大尉。命令を受領いたします」
一純がそう言った瞬間、桜花は執務室を飛び出した。遙か彼方で、一純が何かを叫んでいたが、耳に入らなかった。
気づけば、天気は曇りから雨に変わっていた。天から激しく水滴が降り注ぎ、水煙で周囲を白く染め挙げている。
その水煙の中、パッパラ隊の備品庫は城塞の様に、その存在感を主張していた。
備品庫の扉の前には、野戦服を着用し、突撃銃を構えた兵士が二人たっている。
見張りだ。
「あ、桜花ちゃん」
桜花の姿を見るなり、兵士が手を振る。決して、知らない顔ではない。毎日、食堂で顔を合わせている。
「どうしたの?こんなところで」
「ごめんなさい」
桜花は俯いたまま言う。
見張りの兵士が怪訝そうな顔をする。
その鳩尾に、桜花は拳をたたき込む。むろん、人間と同程度の力しか出さないよう、手加減はしている。
仲間の兵士が目を見開く。
驚愕しているのだろう。
冷静にならないうちに、再び拳をたたき込む。
大の男二人が、水煙の中に沈んだ。
「ごめんなさい」
男二人に改めて詫び、桜花は備品庫の扉に向き直る。重々しい、人間が単独の力であけることは困難な扉。この中に、涼花は囚われている。事件を起こした後、ここにはいるようその場で命令が下された。
桜花は扉に手をかける。
少し力を入れると、扉がひしゃげ、鉄筋コンクリートで作られているはずの倉庫本体から引き離された。
中には涼花が鎖で拘束され、天井からぶら下げられている。
「涼花!」
「姉様!」
涼花が気色ばむ。彼女の力なら、あの程度の鎖を引きちぎることなど造作もないはずだ。それをあえてはずさないのは、一純たち、この時代の人間への義理立てだろう。
桜花は、涼花を縛る鎖に向け、熱線を発射する。
赤い、一筋の光が桜花の額と涼花を縛る鎖とを結ぶ。
鎖が赤熱し、液体となって床に落ちる。
同時に、拘束から解き放たれた涼花の体も落下を始めた。
涼花は難なく着地。
その涼花の元に、桜花は駆け寄る。
「涼花、こっちに来て。私と一緒に、基地をでよう」
「でも、博士たちからここを出ちゃいけないって……」
「いいから!」
強引に涼花の言葉を遮り、桜花は彼女の手を引いて走り出す。
並の車より速い速度で疾走。
ゲートの前に、パッパラ隊の隊員が進入者や脱走者を見張っている。
跳躍。
涼花とともにゲートを飛び出し、ひたすらに走る。
(とっさに飛び出したけど、どこに行こう?)
ゲートを出た後、桜花は考える。イーストシティに紛れ込むことも考える。が、その選択肢をすぐに消す。イーストシティには外国人の観光客も多い。かつての桜花がそうだったように、涼花は彼らに発砲、あるいはその未遂事件を起こし、必ず、騒ぎになる。
では、他のところは?
自分が思いついた場所を、片端から思い浮かべる。だが、無事な場所はほとんどない。軍隊はインフラが確保できない地域でも活動できる。少し、進入が困難な地域に隠れたところで、必ず、見つけだされる。
自分たちに、行き場はない。
その事実に気づかされ、桜花は愕然とする。
だが、足を止めない。もはや、とめる訳にもいかない。
「ねぇ、姉様」
涼花が不思議そうな声を出す。
「どうして、基地から逃げないといけないんです?」
「聞いて涼花。このままだと、あなたは壊されちゃう」
足を止めずに、桜花は答える。
「壊される?私が」
先と変わらない調子で、涼花が疑問の声を挙げる。
「何か、悪いことをしたんでしょうか?」
桜花は答えない。無言で走り続ける。先ほどより強く、乱暴に地面を蹴る。その力が、桜花の体を加速させたような気がした。
「まさか、コメ国機を撃墜したのが原因で」
桜花は答えない。
「そんな、私は、お国のために当然のことをしただけなのに」
桜花は思わず目を伏せる。彼女が言うように、自分たちが作られた時代、それは掛け値なしに賞賛されることだった。だが、それは自分たちが製造された時期……仮に、スットン共和国が勝利しても数年間の間しか賞賛されないような事だ。決戦のために有効とされた思考が、決戦兵器としての本能が、この時代、否、製造された前後数年をのぞいた時期で邪魔になっていた。
桜花の聴覚センサーがローターの音をとらえる。
足を止めずに、後方を向く。涼花もまた、ドーム状のアイカメラと熱線砲が一体となったユニットを回転させ、同じ方向を見ている。
回転翼機が2機、桜花達を追ってきていた。翼のように突き出たハードポイントに誘導弾が装着されている。間違いなく、自分達を攻撃するつもりだ。
「アメリコの回転翼機!」
「待って涼花!」
桜花が制止するまもなく、涼花と回転翼機とを結ぶ光が発生する。
光の発生から一秒とたたないうちに、回転翼機が爆発。周囲に破片がまき散らされる。
ハードポイントを、キャノピーを、スキッドを、そして、回転翼を構成していた部品が回転し、炎に包まれながら、地上へと落ちていく。消し炭となった人間もまた、数多の破片となり、部品とともに落下する。
その部品の一点に桜花の瞳が吸い寄せられた。
尾翼であった部分に描かれた国籍標。
スットン共和国のマークだ。
「味方を、撃っちゃった」
涼花が呻く。現在、スットン共和国の軍隊はアメリコと一部装備を共用している。目覚めてから一週間とたたない涼花に、瞬時でアメリコが使用する装備とスットン共和国軍が使用する装備を峻別しろと言うのは難しい話だった。マーキングがパッパラ隊所属では無い事を示していたが、そんな事は、涼花の救いにはなるまい。
「私が、アメリコの軍隊を攻撃するように作られた私が、この時代に居る意味って……」
「大丈夫」
桜花は強い調子で言う。足を止めずに、涼花をまっすぐに見て言う。
「私も、この時代になれることができた。はじめは、今のあなたみたいに苦労したけど、乗り越えることができた。だからあなたも……」
ふと、達の進行方向の向こうから、光が照らした。エンジンの音が響いている。
慌てて、桜花は足を止める。
バイクに乗った兵士が、否、士官がこちらを見ていた。
士官の顔はよく知っている。
「博士……」
呆然とした様子で、桜花はその人物の名前を呼ぶ。
水島一純。桜花が博士と呼ぶ、スットン共和国の軍人。
「どうして、ここに?」
「おまえがいけそうな場所は少ない」
バイクから降りつつ、一純が静かな声で言う。
「おまえ達が通るであろう道はここくらいしかなかった」
それを見越して、バイクで先回りしたのだろう。
一純が静かな目で、桜花と涼花を見つめている。
「博士、行かせて下さい」
桜花は懇願する。
「この娘にも、チャンスを下さい」
「ここを動くんじゃない」
一純が静かな声で言う。
「もうすぐ、妻の……後光院財閥のヘリが迎えにくる。それに乗って、ここから離れろ」
桜花は目を瞬かせる。
「後光院財閥の?」
一純が無言で頷く。
「涼花」
言いつつ、一純が涼花に向き直る。
「君がしたことはこの時代では許されないことだ。私でも庇いきれない。だから、せめて、誰も来ないところでゆっくりとこの時代になれるんだ。そうして、無闇に人を撃たないようになってから、表に出てくればいい。そのころには、きっと、ほとぼりも冷めている」
桜花は一純が話した内容を、思考装置の中でリピートする。ランコの実家に隠れて、ほとぼりが冷めることを待つ。ランコの実家は、スットン共和国の黒幕と呼ばれるほどの影響力と常識をはずれた敷地などを持っている。持ち主も、桜花について無理解というわけではない。ほとぼりが冷めるまで隠れることは、決して、不可能なことでは無い。
「博士!」
桜花の顔に、満面の笑みが浮かんだ。
「隊長は、無力化できれば大丈夫だと答えていたからな」
一純が苦笑する。
「最終的に、驚異にならなければ大丈夫の筈だ」
「大丈夫なんですか?」
涼花が不安げな声を出す。
「そんな屁理屈を言って」
「私のことは、心配要らない」
一純が涼花の肩に手をおく。
「君は、自分がこの時代に適応することだけを考えるんだ」
「博士……」
涼花が感極まった声を出す。
「このご恩は、一生忘れません」
「おいおい、大げさだな」
一純が苦笑する。
あたりに回転翼の音が響く。
空を見上げると、回転翼を二基装備した輸送機が、こちらに向けてゆっくりと降りてきていた。
尾翼にかかれているのはスットン共和国の国籍標ではない。
一純の妻の実家、後光院家の家紋だ。
「ハ〜イ! あなた、来てあげたわよ」
輸送機の操縦席から、一純の妻、ランコが顔を出す。
黄金の髪が、折からの強風と回転翼が生み出す風にあおられ、たなびいている。
桜花は笑顔で、ランコを見上げる。今日ほど、彼女を頼もしく思ったことはない。出会ったときは、敵国人と誤認し、熱線砲を撃ったこともあったが……
「金髪……」
涼花が、暗い声を出す。
「涼花!」
「待て、涼花!」
桜花が、一純が口々に制止する。
だが、涼花の様子は変わらない。冷たいまなざしで、ランコが乗るヘリを見据えている。
「敵国人、死ね!」
直後、周囲を赤い光が照らす。発射された熱線砲の光が乱反射し、雨を、周囲を、桜花を、一純を、そして、ヘリに乗ったランコを赤く照らす。
ランコが乗ったヘリが爆発した。同時に、爆発の音が辺りに響く。
燃料が燃え、爆ぜる音が辺りに響く。
炎に包まれた残骸が、雨とともに降り注ぎ、地面に突き刺さる。
発火した燃料は豪雨でも消えることなく、周囲を赤々と染めあげている。
一純が、その残骸を呆然と見つめている。
「博士?」
涼花が怪訝そうな声を出した。罪悪感は感じられない。当然といえば、当然だ。生物で言うところの本能に従い、そして、製造当時の倫理感に従い、敵の特徴を持っている物を討った。彼女の認識では、その程度のことの筈だ。
ふと、桜花は目を見開く。
一純が拳を握っていた。
一純が振り向き、涼花に殴りかかる。桜花が制止する間など、無い。
「博士!?」
驚きながらも、涼花が一純の拳を紙一重で回避する。
直後、涼花が延びきった右腕を握り、力任せに投げ飛ばす。
一純の体が半円を描き、地面に激突する。雨でぬかるんだ地面が飛沫をあげ、波打つ。
間髪入れず(おそらくは本能的に)、涼花が左の拳を一純の頭部めがけて振りかぶり、
桜花は熱線を発射する。
一純の隣で、泥濘が盛大にまき散らされる。
涼花の下半身だけが、一純を見下ろすようにたたずんでいる。
その一純の脇には、腹部で分断された涼花の上半身が転がっていた。
腹部に搭載されていた動力炉は、無い。桜花が熱線で焼き払った。
涼花は死んだ。
桜花が殺した。
雨の中、桜花は立ち尽くす。涼花を止めるには、胴体をねらうのがもっとも迅速で、確実な手段だった。その確実な手段を、もう一人の自分とでも言うべき妹に行った。
「あー、びっくりした」
茂みの中から、のんきな声が響く。
声が聞こえた方を見ると、ランコが体を引きずって現れた。
純白のブラウスが所々破れ素肌が露わになり、ランコ自身の血液で大きな赤い染みが描かれている。
「ランコ、大丈夫か?」
力無く、一純が立ち上がる。
「まーねー」
ランコがウィンクで答える。激痛にさいなまれているはずだが、なかなかに図太い女だ。
「それで、私が運ぶはずのロボットはどこ?」
一純の返事はない。
桜花も、答えたくはなかった。
ふと、ランコの視線が地面に止まる。
「そっか」
力無く、ランコが言う。
「悪かったわね、うっかりしていたわ」
言いつつ、ランコが金髪を撫でる。桜花と涼花の思考回路は金髪の人間を敵国人とみなし、攻撃するように設計されている。それ故の結末だった。
雨と風が激しくなる。
無数の水滴が桜花の顔面にぶつかり、目尻や頬を伝って、流れ落ちていく。
雨粒を顔中に受けながら、桜花は慟哭した。
数時間後。
桜花は一純とともに、黒羽大差の執務室に呼び出された。一純の妻、ランコはパッパラ隊基地敷地内にある病院へと収容されている。回収のための車両を呼んでから今まで、一純と桜花の間に、会話は一切無かった。
窓の外から雨音が響く中、一純が執務室の扉をたたく。
「入り給え」
黒羽大佐の、抑揚のない声が扉の向こう側から開く。
「入ります」
そう言って、扉を開け、一純が執務室に入室。桜花も、それに続く。
「二人ともよくやってくれた」
「いえ……」
一純が黒羽から視線を逸らす。
「水島大尉には特別俸給、ようするにボーナスがでる。それと、勲章も授与される。明日の〇九〇〇に、叙勲式が行われる予定だ」
「申し訳ありません、隊長」
一純の眉がつり上がる。
「そんなもの、受け取れません」
「何故かね?」
眉一つ動かさずに、黒羽が問う。
「君は桜花とともに危険な任務を果たした。組織として、その働きには報いなければならない」
「私が、いえ、桜花が破壊したのは、彼女の妹です」
「それが何か?」
一純の眉の角度が険しくなる。
「桜花の妹は、私にとっても妹です」
険しい声と表情で、一純は改めて言う。
だが、黒羽の表情が変わることはない。
「破壊した者の出自が何であれ、現政府の統制を離れて強大な武力を古い、同盟国に甚大な被害を及ぼした危険な物であったことに変わりはない。あれを処罰するのは、軍としての正当な行いだ」
「しかし……」
「博士」
静かな声で、桜花は一純の言葉を遮る。
一純が桜花に顔を向けた。
「受け取って下さい」
桜花の言葉に、一純が目を丸くする。
「博士が誉められるの、とても嬉しいです。私達のことは、気にしなくて結構ですから」
一純が押し黙る。
「叙勲式は作戦会議室で行われる。忘れずにくるように。以上だ。退室してよし」
一純は敬礼をして、隊長執務室を辞す。桜花もそれに続く。
「すまない」
廊下にでるなり、一純が呟いた。
「私の考えが甘かった」
「いえ、いいんです」
桜花は目を閉じ、頭を振る。一純は、最善を尽くした。少なくとも、桜花はそう信じている。
「博士。奥様の元に行ってあげて下さい」
「しかし……」
「しばらく、一人でいたいんです」
「そうか」
力無く呟くと、一純が基地敷地内の病院へと歩き出す。普段の一純とはかけ離れた、弱々しい足取りだった。
桜花は彼と正反対の方向に歩き出す。窓には無数の水滴がこびりつき、ゆっくりと窓を伝って垂れている。
雨の中、傘も差さずに敷地内を横断し、宿舎にある一純の部屋にたどり着く。
体にまとわりついた水滴を拭く気力はない。むしろ、顔を伝う水滴が心地よかった。
桜花はテレビをつける。
テレビには、ノーベル火消し賞の候補になると言う二人の妹たちが映し出されていた。
彼女たちが人助けに邁進し、平和の中に生きているというのに、自分は戦いの他に生きる術を見つけることもできず、今また、自分の分身ともいえる妹を殺した。
無言で、桜花はテレビのスイッチを切る。妹たちの晴れ姿をみるのが、今は何故か辛かった。
「でも、私はまだ恵まれている」
桜花は呟く。
「慣れるまで、時間をもらえた」
桜花は考える。涼花は桜花の量産型だ。だとすれば、このスットン共和国に、他にも、彼女の仲間が、桜花の双子の妹とでも言うべき物達が埋まっていても不思議ではない。冷戦が終わった今、彼女たちは今日、涼花がそうなったように、現代に適応できずに処分されていくことだろう。
自分という一人が居る下に、何人もの涼花が居る。
ふと、桜花の目に、一冊の本が入ってきた。
白鳥沢が送った、少女マンガの単行本だ。収録された話は、一本につき、およそ40ページ。その40ページのために
900ページ以上の没のマンガがある。その900ページは、読者の、それどころか、担当編集者の記憶に残ることすらなく、埋もれていくのだろう。
「まるで、涼花と私達みたいだな」
つぶやきながら、桜花は白鳥沢からもらった単行本を抱きしめる。
せめて、自分は忘れない。
自分や菊花、梅花という鋼鉄重装女子学生が現代で暮らすその陰に、数多の涼花が居るであろう事を。
「私だけは、絶対に忘れない」
白鳥沢の単行本を抱きしめて、桜花は誓った。
戻る