よく似た三人〜平野さんちの赤毛三姉妹編〜
「戦え!イクサー1」そして続編「冒険!イクサー3」登場の「イクサー2」。
「魔法騎士レイアース2(アニメ版)」登場の原作には無いオリジナルキャラ「ノヴァ」。
「奇鋼仙女ロウラン」の「万華」。
この三人のキャラクターは、まことによく似ている。姿も、存在も。それもそのはず、これら三作品、監督が同じ人であり、また「ロウラン」は「イクサー」のリメイク的側面が強いという風に繋がりも深い。
だが、イクサー2に始まるこの「キャラクターの血統」とでも呼ぶべきものは、女性主人公に対する戦闘的ライバルキャラクターの興味深い一類型であり、そしてまたそれぞれに独特の味わいを示している。
そこにおける「何故違うのか」という点から、キャラクター作りにおけるポイントをつかんでいこうというのが、今回の研究である。
イクサー2、ノヴァ、万華の三人は、外見イメージがまずよく似ている(明らかな監督の故意であろうが)。赤い髪、しなやかな体をぴったりと覆うスーツ、戦闘的な印象を与える尖った肩アーマー。
だがそれよりなにより重要な、「このタイプのキャラクター」として呼称する際の要なのが、彼女たちの本質の類似である。
この三人において共通の特徴は、「姉妹」乃至「半身」たる存在であるということ。単体で存在するというよりは、主人公など特定の存在と対となり鏡となる存在である、ということだ。
イクサー2はイクサー1を倒すために造られた妹であり、ノヴァは獅堂光の後悔と悲しみと自己嫌悪が魔法世界セフィーロに焼きついて生まれた分身、そして万華は、イクサー2に似ているがより複雑な出自であり、ロウランと対になる存在としての万華の姿と別にもう一つの人格と義理の兄を持ち、実験によって生み出された存在であった。
さて、そこで、この三人の始祖とでも言うべき存在、イクサー2から考えてみよう。・・・OVA作品特有の説明の不足などがあり、なかなか実は難しいのだが、小説などの設定をとりいれひっくるめあれこれ考えると、こうなるのだ。
厳密に言えばイクサー1とイクサー2の関係は単純な姉妹ではない。イクサー2にとっては機械生命体ビッグゴールドが母であるが、イクサー1にとってビッグゴールドは己の半身、双子と言うべき存在。
だが同時に、イクサー2もまた、ビッグゴールドによって作られた妹ということになる。
何故そんなややこしいことになるかと言うと、これはビッグゴールド、イクサー1の出自が関係してくる。
銀河を漂流する自意識を持たぬ巨大機械が、放浪宇宙人クトゥルフの長サー・バイオレットの「いずこかの星をたとえ力づくででも手に入れたい」という「欲望」を吸収したのがビッグゴールドである。
そしてその際「そんなことをしてはならない」というサー・バイオレットの「理性」がクトゥルフ星人の造っていた人造人間に宿ったのがイクサー1、なのだ。
つまりビッグゴールドとイクサー1は、違う体と同じ魂を持つ姉妹。
そしてイクサー2は、イクサー1のボディの設計を改良した新型の人造人間として生まれ、ビッグゴールドに心を与えられた。
つまりイクサー2は心はビッグゴールドの娘であり、体はイクサー1の妹、ということになる。
そしてイクサー1とイクサー2のキャラクター性の対立をよりいっそうあおるのが、この複雑な出自からくる「魂のありよう」の違いである。
機械生命体ビッグゴールドは、ある意味で完全な存在である。機械の計算という理知と、人の欲望を併せ持ち、その欲望のままに思考し、行動するが故に。
しかし二つに分かたれた魂の内、「理性」を継承したイクサー1は、それ故に不完全である。機械の計算と、人間が己を律するための理性を持つイクサー1は、理性と計算を駆動し「結論」より先に来るべき「目的」を生み出す感情にかけているのだ。
実際、僅かな反射的反応を除けば、物語初期のイクサー1は感情に乏しい、という印象を強く受ける。感情、心に対して不器用なのだ。
それ故にイクサー1はごく普通の人間の少女をパートナーとして必要とした。自らに無い「感情」を学び取り、成長していくための大事な教師として。いや、あるいはそれは姉妹のようであり、母親のようでもあり、友のようでも、恋人のようでもあった。
では、今回の研究の主題であるイクサー2はどうだろうか。イクサー1と違い欲望と計算とで堅固かつ冷徹に構成されたビッグゴールドの娘であるイクサー2は、果たして完璧な存在であったか。
確かに当初はそうであった。高い戦闘能力と己の存在意義に忠実でありたいという欲望、そして冷徹さに導かれた徹底的な容赦の無さで、常にイクサー1より強い存在として、圧倒し、追い詰めていくイクサー2。
だが、イクサー2には存在しなかったパートナー、加納渚・・・理性と感情を共に持ち合わせる普通の人間のせいで敗れてからの彼女はその「力(実際にはそれはイクサー2が思っていたような物理的な力ではなかったのだが)」に興味を抱き、欲するようになる。
それは「より強くなろう」という行動ではあったが、皮肉にもそれはイクサー2自らが己の「完全」を否定することでもあった。
結果、「欲望と計算」という生物としての最小単位での強固な完成を見せていたイクサー2は、理性と感情の共存から来るより多くの要素を体得した姉・イクサー1に敗れることになる。
それはイクサー1にとっては己と極限まで類似しながら決定的なところで違う合わせ鏡を超えることであり、イクサー2にとっては、己の知りえなかったこと、そして「私も渚のようなパートナーが欲しかった」と断末魔に言ったように、知っていれば欲した、得ていれば変わったかもしれない要素による敗北であった。
すなわち原型としてのイクサー2は、オリジナルであるイクサー1にはない要素(欲望と計算の直結による単純な強さ)を持つ存在として登場し、そしてイクサー1が成長することでイクサー2にない要素(感情から来る力、感情を理性で制御することにより生まれる力、心を持つ存在同士の間で結ばれる絆の力)を得ることでイクサー1に敗れた。
二つの可能性・・・力に生きる者と心に生きる者の対決、そして心に生きる者の勝利。そういう構図である。
そして、その前提においてこれら三人のキャラクターの残り二人、ノヴァと万華の「違い」を検証してみると、また興味深い事実が浮かび上がってくる。
ノヴァは、光の心の闇である。闇であるが同時に、それは確かに光の心の一部でもあるのだ。強い倫理観、生真面目な正義である光が自ら押さえ込んでいた心の一側面。
故に、ノヴァは光が自らを省みない、自己憐憫をしない分だけ光を愛し、光が他者を守ろうとすればするほど、その生真面目な義務、口さがない者に言わせれば「守らねばならぬ」という建前を嫌い、打破し、光が守ろうと思ったものを殺そうと暴れ狂う。
それは寧ろイクサー1とイクサー2ではなく、もう一つの分身・ビッグゴールドの戦いにも似る。本来人の内面で行われる葛藤の戦いが、二つの形をとって外在した姿。
だが、光とノヴァの戦いは、イクサー1とビッグゴールド・・・心(理性+感情)と本能(感情+計算)の戦いほど単純なものではない。
なぜなら、光の内にもまたノヴァの源であった心があり、ノヴァの行動原理のその根本はあくまで光という、そこから生まれた存在であるとはいえ誰かのためという面が存在する。
光と闇の戦いではない、どちらが欠けても(他者のことだけしか考えないわけにはいかない、自分のことだけ気にするわけにもいかない、そして他者のことだけ考えているように見えてもその中に自分を考えての行動が混じり、自分を考えてだけのはずの行動の中にも他社のための行動が混じりうる)良き結末とは言えない戦い。
故にこそ最後、光とノヴァは片方が片方を倒して終わるとか、「冒険!イクサー3」での再登場したイクサー1とイクサー2のように別個の存在として生きていくことではなく、ノヴァの存在を光が受け入れ、二人が一つになる、という結末となった。
そして「奇鋼仙女ロウラン」における万華とロウラン、そしてロウランの友の一人であり、また同時に万華が執着する少年・ヤマトの関係は、より複雑なものとなる。
ここにおける万華とヤマトの関係はイクサー2と渚のような、「後から出会った関係」ではない。万華のもう一つの人格であるまほろはヤマトの義理の妹であり、ヤマトとロウランはそれを知らぬまま万華と接していたのだ。
かといってロウランもまたヤマトだけに依存しているわけではなく、ヤマトもまたロウランにも、そして万華にもそれぞれの理由での思い入れが存在する。それは既に、実に複雑な「人間関係」となっている。
それ故に、ロウランの最後の戦いはかなりの煩雑さと連続性を持って進行し、
つまり、「もう一つの可能性との取捨選択」であったイクサー2に対し、ノヴァは、「どちらかを切り捨てると言えぬ理屈の融合」を、万華は「複数対複数の関係の中での行動選択」を、それぞれ問いかけてくるである。
より複雑化していく問い。無論複雑化すればいいというわけではなく、それぞれの魅力と価値があるわけなのだが。
その「問いかけ」の形が、類似した立ち居地と設定の存在を同一としない。つまりそれ以外の要素を類似させることで、問いかけの違いが逆に際立つ。
すなわち既に無数のパターンの先駆が存在することが当然である「キャラクターを作成する」行為において、キャラクターの差分を造る真の重大要素はその主題にある。
そういう結論、そして教訓を、この三人のキャラクターの分析から得ることが出来るわけだ。
これは物語を、キャラクターを造るときの、良き参考になる、と筆者(我輩)は思うところである。以上。
オマケ・あまり関係の無い追記
余談というか、独立したコーナーを設けるほどではないのでここに記載しておく事柄。
イクサー2の姉・イクサー1は、「戦え!イクサー1」において、パートナーの少女・加納渚に服を造って与えることになったとき、妙にスカートの短いぴっちりした服を送ったシーンに関する考察なのだが。
(作画における商業的意図はおいておくとして)イクサー1側に特に悪気や明確な意図が無かったであろうことから、あの服にいかなる理由があったのかを考えてみると、意外にもちゃんとした理由が見つかるのだ。
それは、イクサー1の出身である、放浪宇宙人クトゥルフの文化にその原因を見ることが出来る。
クトゥルフは種族的に衰退した、クローニングで人口を辛うじて保つ女性だけの種族である。厳密にはイクサー1はクトゥルフ星人ではなく、クトゥルフ星人に造られた戦闘用人造人間であるが、それでも「よってたつ文化」はクトゥルフのものだ。
で、そのクトゥルフ星人の服飾文化なのであるが。
基本的に劇中確認されるクトゥルフ星人の服は、体のラインをすっぽりと多い肩から(下手すれば頭から)下のボディラインを完全に覆い隠すローブか、逆に全身にぴたりとフィットし隙なく肌を覆うボディスーツのどっちかしかないのである。
地球の服飾文化とは随分違うわけだ。
で、そんな服装しか知らないイクサー1が、渚に彼女が着用していたセーラー服の変わりに服を合成して造ってあげようとしたわけだ。
そこから考えると。
多分イクサー1は、渚の着ていた服の内、腰の周りについているひらひらした布すなわちスカートの役割を正確に理解していなかったのではないかと思うのだ。
すっぽりかぴったりかという違いがあるにせよ、とにかく「体を覆っていればいい」ようなクトゥルフの服しか知らぬイクサー1にとって、その下が布で覆われている(パンツで)のにそれをさらに上からかぶさっているローブにしては位置も長さも中途半端な長さの布切れ(イクサー1の視点から見たであろうスカート)というのは、どういう意味合いがあるのか分からなかったのではなかろうかと。
つまり、パンツはスカートによって隠されていなければ恥ずかしいという人類服飾文化を知らぬイクサー1が「飾り布みたいなものだろう」と解釈して申し訳程度の長さの布しかつけなかった可能性が大きい、それがあの服装の理由である、と言える。
まあ、ごくごくくだらない言葉遊びではあるが、そんなことがあったのではないかなと考えてみるのは、そこそこ面白いと思うのだがどうだろうか。
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