ウォッチメン対ワンダービット〜日米、ヒーロー、正義の味方相違考〜
ウォッチメン、という、アメコミの名作といわれる作品がある。最近映画にもなった。
所謂日本人がイメージするアメコミ、マッチョな正義のヒーローが悪漢をぶっ飛ばす勧善懲悪モノ・・・は
意外かもしれないが、漫画が子供に与える悪影響(そんなものはねぇ、といいたいが)を社会的に糾弾されたコミック会社が行った自主規制
「コミックコード」によって「健全な勧善懲悪しか書きません」と定められた時代に書かれたものだったのだが、ベトナム戦争以後の社会的な揺らぎによってそれが薄れた時期に
このウォッチメンというアメコミは書かれた。
「ヒーローが実際に居る世界の歴史をシミュレートし、その世界観を纏め上げ、その世界で起こったヒーロー殺人事件とその裏に隠された陰謀を追うストーリー」
であり、アメコミとして初のヒューゴー賞(SFの著名な賞)を受賞した作品である。
特徴として、所謂アメコミのヒーローというものを大いに皮肉げに転換した視点で捉え、その様々な矛盾などを指摘し、
その陰の面に光をあて、その存在を考察したストーリーであることが上げられる。
本物の超人が味方についたせいでアメリカがベトナム戦争に勝利し、追い詰められたソ連は核兵器を量産し、人類滅亡確実の最終戦争が明日にも起きそうな不安定な世界・・・
かっこよさを優先したコスチュームのせいで、マントがドアに挟まって身動きとれなくなったせいで強盗に殺されてしまうヒーロー・・・
国家の正義の為ならスパイ活動や戦争、他国の政変に介入することもいとわないヒーロー・・・
多数居るヒーロー同士の仲間割れ・・・
悪と戦う為には拷問も殺人も辞さない過激すぎるヒーローの出現・・・
ヒーローに対抗して犯罪者側にも次々危ない仮面の悪人が登場し激化する闘争による治安の悪化・・・
ソレによる一般市民のヒーローへの反発・警察官のストライキによる、「誰が見張り(犯罪者を見張り取り締まるという意味でのヒーロー)を見張るのか」という「ヒーロー禁止法案」の設定による取り締まり・・・
と、そんな展開の目白押し。
「ヒーロー禁止法案」などは、「ダークナイトリターンズ」「Mrインクレディブル」など、その後のアメコミやそのパロディネタなどではちょくちょく出てくる定番ネタになったりもしているくらい、
向こうのヒーロー世界にはコペルニクス的転回を与えた漫画だったりするわけだが。
そういう風に穿った視点からアメコミヒーローというものを抉っているため、逆説的に「アメリカ人のヒーローというものに対する観念」が見えてもくる、訳で。
これと似たような要素をもつ、島本和彦のSF短編集漫画「ワンダービット」内の正義の味方に関する短編集・・・以前、名台詞コーナーで紹介した・・・以下にその部分を引用する・・・
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「おやじの仇・・・母さんの仇・・・必ず討ってやるっ!!俺は燃える正義のバーニンガイ!!」
「待ちな!」
「誰だ。
「お前さん・・・個人の復讐をやるくせに正義を名乗るのはよしてくれないか!」
「何だこいつは!?」
「正義の名の下に戦いたいのならきちんと気持ちを落ち着けて動機を正すことだ・・・でなければ・・・いくらカッコつけてもお前さんは正義でも何でもない。」
「誰だ君はっ」
「俺か。俺は・・・正義の味方ジャングルJ!」
「ジャングルJ!」
「そう、正義は俺、俺=正義だ!!」
「・・・」
「・・・」
「バーニンガイとかいったな・・・復讐心を満足させて正義が立つか?復讐自体が争いを生むだけの見苦しい悪だっ!」
「しっ、しかし、復讐する相手は「悪の組織」なんだぞっ!」
「わかっちゃいねえなガイ・・・いいか。お前が両親の敵を討つために血を流して・・・両親は喜ぶか?」
「しっしかし、それじゃおれは・・・」
「フッフッフッ、復讐ではなく、お前自身の判断で悪を討ちまくればよい!」
「でも・・・おやじと母さんを殺した奴に復讐するのは筋が通るけれども、俺と何も関係ないところへいきなり討ちにいくのは」
「俺はやってるね。俺が悪いと思った者は根こそぎ討って討って討ちまくっているね!!」
「な・・・なんか・・・何かコイツは怖いぞ!もしもその、貴方の「悪」の判断が間違っていたら?」
「ふふふ、心配ない!俺は正義だ!!」
「こっ、こいつは、きてる!」
「フハハハハッハッハッハー!!」
「誰だっ」
「笑わせるぜジャングルJ!貴様の正義感はかなり歪んでいるという話だが」
「誰だお前は!」
「俺は正義の仕事人V!ミラクルVだ。」
「ミラクルV!!」
「フッ、奇跡の仕事人と呼ばれるミラクルVか・・・」
「Jよ・・・お前の勝手な判断でどれだけの人間が迷惑を被っているか知っているか?」
「悪に迷惑をかけて何が悪い!」
「何様だと思ってんだ貴様・・・!!いいかお前のやってることはいつもギリギリだ!!一歩外せば俺達の敵になる・・・お前の正義はお前にしか通用しない」
「ほう、じゃあ貴様の正義は正しいというのか。」
「俺に正義なんて無いさ・・・ただ権力をかざす人間に苦しめられ涙を流している人達の恨み辛みをはらしてやるだけよ・・・」
「フッ、そんなことをして何の解決になるっていうんだ?お前のやってることは復讐の肩代わり、つまりここにいるセイギノミカタの卵兄ちゃんと同じ事だ!」
「なにぃっ」
「ホホホホホホホホホ・・・」
「誰だ?」
「愛と正義の妖精・・・バーニンギャルよっ!!」
「お・・・俺と同じコンセプトだ。」
「いい加減な自分の判断や・・・既に起こってしまった事件の復讐ですって?笑わせないでよ。あんたたちそれでも男?」
「なにっ」
「・・・」
「あたしは世界の平和のために戦ってるわ!あたしの敵ハアースフラッシャー、世界制覇を企む人達よ!世界征服よ世界征服!!!レベルが違うと思わない?」
「・・・・・」
「そいつはどういう敵なんだ?」
「どういうってそりゃあ・・・世界を制覇・・・」
「それだけじゃわかるまい。世界をよくしようとして制覇を狙ってるなら話は別だぞ。」
「・・・・・・・・・そっ、それは・・・でっでも全世界にアジトがあって・・・エスパー戦士を各国に送って・・・ほら戦って出来た傷よこれほら。」
「そういう話をしているんじゃあないっ!!」
「全く国や世界を牛耳ろうとする者と戦えば正義だと思っているのか?」
「ちゃんと調べてから戦わないと駄目だぞっ」
「・・・・・・」
「ハハハハハハハハハハハハ」
「誰っ」
「誰だ!?」
「フフフフフフ、俺の名はアウトサンダー・・・俺は最初は悪に身をよせていたが・・・組織に裏切られ殺されそうになって目が覚めた男さ。・・・組織の奴らは絶対に許さん!みてろ・・・必ずこの俺の正義の怒りで貴様等を討ってやる。
「・・・」
「あんなやつあ言語道断だな・・・」
「正義の風上にもおけないわね。」
「ハッハッハッ」
「誰だっ?」
「何故か悪に狙われ・・・そのためにやむなく悪と戦う正義のヒーロー!ゴッドジャスティスだ。」
「だんだん出てくるのが情けない奴になってくるわね。」
「いいかお前ら悪と戦うから正義じゃないんだぞ!正義は正義そのものでなりたっているんだっわかるかっ!!」
「いやしかし・・・悪の組織に立ち向かうのも絶対条件の一つだ!」
「たいした悪でもないものを叩きのめして悦に入ってる男よりはましだね!!」
「ちょっと待ったそれは俺のことかっ?」
「そうだ」
「こっこいつっ何もわかっちゃいないくせに・・・」
「・・・・・・」
「俺は生まれた星を異星人に滅ぼされて地球に来た!この第二の故郷地球は奴らの手には絶対渡さん!俺の名はサンダーバトル!」
「これはかなり筋が通ってるわね。」
「全員が納得行く戦闘動機だ。」
「敵に故郷が滅ぼされた過去があっても復讐心で戦ってはいないってとこがポイントだな。」
「立派立派。」
「しかし宇宙的に地球が安全でもその地球上に住んで悪を行っている者がいるうちは・・・」
「そうだ叩かねばならんっ!!」
「それに正義の味方だってストレスがたまるんだし・・・」
「ちょっとそれを解消するために悪と戦うのはズレてるわよっ!!」
「・・・ええいめんどうくさい!!おれは俺のやり方でいくっ!!」
「「「「それがいかんというのだ!!!」
「こらっ変身ポーズの練習してる場合か!」
「お、おれは・・・おれはどうすればいいんだ!?」
〜中略〜
「どうやら俺達は・・・」
「そうだな・・・」
「それぞれの正義でそれぞれの悪と戦ってるのがいいのかもしれない・・・」
「だがもし君達の力を己自身の欲望のためだけに使うようなことがあったら・・・その時は命を懸けて俺が倒しに行くからな・・・!!」
「わかってる・・・俺も同じ事を言おうと思ってた。」
「おれもだ・・・!」
「あたしも・・・」
「じゃあ・・・また何時か会おう!」
「その時までみんな・・・」
「死ぬなよ!」
発言者 バーニンガイ ジャングルJ ミラクルV バーニンギャル アウトサンダー ゴッドジャスティス バトルサンダー
ワンダービット 著・島本和彦
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この長回しの台詞を観ればわかるように、こちらでは逆に「日本の正義の味方」に関して同じように突っ込んだ展開をしている為
「ウォッチメン」と同じように、「日本人の正義の味方というものに対する観念」が見えてもくる、訳で。
その二つを比較することにより、「日米、ヒーローと正義の味方観の違い」を考えられるのではないか、というのが、本稿の試みである。
1.アメコミヒーローはギャングとも戦う、というかそれを主にする者も多い。日本の正義の味方は一部の例外を除いてそれぞれの特殊な敵と戦う
「ウォッチメン」に出てくるヒーロー達は、他のアメコミで言えば「バットマン」とかに近い。
特殊なコスチュームを纏った「覆面の自警活動者」であり、より大きな悪と戦うこともあるが、いわば日常業務として夜の街を徘徊し泥棒や強盗やギャングやマフィアを退治して回っている。
対して「ワンダービット」に出てくる正義の味方達は、「仮面ライダー」に近く、悪の組織から脱走した改造人間だったりとかして、その「自分が知る大きな悪を目論む組織」と、基本的に専従して戦っている。
基本的に、恐らく出会えば強盗や泥棒は勿論正義の味方として阻止するだろうが、「ウォッチメン」のヒーロー達の積極的な姿勢とは違い、あくまでそれをメインとすることはないだろう。
これは普通の日本の正義の味方も共通であり、一般的な犯罪者と戦う日本の正義の味方は、月光仮面や七色仮面といった初期の例の一部の回か(それでも月光仮面、七色仮面にも、「サタンの爪」など代表的な敵集団というものも存在する)
特殊な例外である快傑ズバット(それにしてもズバットの世界には「やくざなどの一般犯罪者を束ねる悪の組織であるダッカー」が存在する)くらいである。
これはかなり明確な差異であると言える。
・・・
いきなりわき道にそれて申し訳ないが、日本の正義の味方のこの状況の理念を説明する台詞は、「ワンダービット」ではなく「ブギーポップ」にあったりする。
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「夢が見られない、未来を想えない、そんな世界はそれ自体で間違っている。でもそのことと戦うのは、残念ながらぼくではない。君や宮下藤花自身なんだ」
発言者 ブギーポップ
ブギーポップは笑わない 著・上遠野浩平
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正義の味方は、「世界を脅かす悪から社会とそれを構成する人を守る」のであって、
「社会そのものの腐敗とその中にある日常的な悪」は、その社会を構成する一人一人の人間が社会を守っていかねばならない、それが社会を構成する人間の義務である、
そういう要素は実際の各番組などにしばしば挿入されるエピソードからも見ることが出来、日本の正義の味方もののかなりの部分はそう考えているのだと、この台詞の有する普遍性から推察できる。
2.アメコミヒーローは作中社会に認知される事が結構ある、日本のヒーローはそうならないことが多い
「鳥だ!飛行機だ!いや、スーパーマンだ!」という有名な文句の通り、スーパーマンは作中社会では(その正体までは一般には知られていないが)一般に認知されている有名な存在である。
バットマンもスパイダーマンも、それぞれホームタウンでは新聞のニュースに出たり警察が相談を持ちかけたり犯罪者に恐れられたりと、やはり正体以外は色々知られている。
ソレに対して日本の正義の味方は、確かに月光仮面のような古いものは「素顔は誰も知らないけれど、姿は皆が知っている」という風に周囲に認知されてはいたが
それ以外の者は少数の例外を除けば、例えば仮面ライダーはおやっさんや滝和也や少年ライダー隊といった「協力者」は居ても社会的にその存在が一般認知されてはいなかった。
それゆえに日本のヒーローは自分達だけの孤独な戦いをしているが、また同時に世間の目に煩わされることが少なかったわけで。
だからこそワンダービットの後半部において、「目先の正義を最優先する」正義の味方?(というか、その言動は実質、短絡的で近視眼的で独善的な暴走した市民団体をイメージしているように思える)の「メサキング&メサクィーン」が
「とりあえず今目の前で暴力を振るっているから」という理由で、悪と戦おうとするほか正義の味方のスーパーパワーを封印する攻撃を行う(対して悪の首領は「普段どんなに悪いことを企んでいそうな外見でも今は暴力に晒されている被害者ですから」といって見過ごす、また首領もメサキングの行動パターンを見て被害者を装い逃れる)
という異常事態に「これからは他人の目を気にしなきゃならないのか」と、正義の味方達が大いに悩むシーンが出てくるわけで。
これは、「最初から割と他人の目に晒されてきた」ウォッチメンのヒーロー達と被ってくるわけだが・・・
「ウォッチメン」のヒーロー達が、ヒーロー禁止法で規制されるようになった後、二名が政府の手先となり(一人は戦い続けたいからという理由で、もう一人は能力が強力すぎるからという理由で保護された)一名が地下に潜って非合法に活動するようになり、他は全員隠退したのに対し。
「ワンダービット」の正義の味方達は、最初にメサキング&メサクィーンによって力を封じられたジャングルJはその結果負けることとなっても戦うことを選んで玉砕し。
他のヒーロー達も、依頼を受けて動くタイプであったミラクルVが「これからは正義も悪に妥協しろと言うのであれば、そうするのが正しいんじゃないか?」といった以外は、全員が「どう規制されようと活動を続ける」と決意する、と随分違った割合での決断を下しているのである。
(ちなみにそのミラクルV、腰抜けというか敗北主義的だと見られ、怒ったほかの正義の味方に攻撃されてしまうのだが・・・このときミラクルVを攻撃したのが前段階の「これが正義だ」で、衆目の一致する特に真っ当な行動原理を持つとされていたサンダーバトルだったりするのがまたややこしい。宇宙から来て美しい地球を守ると誓ったサンダーバトルと、依頼を受ける仕事人であるミラクルVでは正義の方向性が違いすぎたということだろうか)
この決断の違いは、つまり「アメコミヒーローは社会に見られていて、社会の目を割りと気にする」のに対し、日本の正義の味方は「基本的に社会に見られては居ない。見られることになっても、その視線に対して易々と屈しはしない」ということで。
詰まり、煎じ詰めれば次の第三の両者の相違点に繋がっていくわけである。
3.アメコミヒーローの正義はアメリカ社会の正義とイコールであるかあろうとすることが多い(稀に反逆する)が、日本のヒーローの正義は日本社会の正義とイコールするわけではない事も多い。
ウォッチメンでは、国に否定され禁止されたヒーローの葛藤や、それでも活動を続けるヒーロー、或は逆に国家に従属する立場を選んだヒーロー・・・という
「国家の正義とヒーローの正義が合致しづらくなった状況」が描かれているが、それは逆に言えば
「普段は往々にして国家の正義とヒーローの正義がイコールであった」か「そこまでいかなくても国家の正義に属するヒーローが多かった」という前提があるということ。
実際、別の、いわばスーパーアメコミ大戦とでも言うべき「ダークナイトリターンズ」や「キングダム・カム」では往々にして
「スーパーマンに代表されるアメリカンジャスティスに忠実なヒーロー」
と
「バットマンに代表される個人主義的なヒーロー」
のニ集団にアメコミヒーロー達が纏まって対立しあったりすることが多い。
(スポーンとかのダークヒーロー、パニッシャーのような仕置き人系ヒーローも独立独歩であるが後者に近いともえいる)
つまり、半数くらいはアメリカという国家の正義に忠実なヒーロー、というわけだ。
実際第二次大戦の頃のコミックなどでは、ヒーローが出征して枢軸国と戦う話もあったとかいうし、
ウォッチメンでもコメディアンとDrマンハッタンという二人のヒーローがベトナム戦争に参戦し、その結果アメリカがベトナム戦争に勝ってしまい、追い詰められたソ連が核開発を増強するという状況に陥っていた。
X−MENなんかでも、ミュータントが国家にどう受け入れられるかとか、政府とどう付き合っていくかが描かれている為、X−MEN自体は国家に忠実とも反抗的ともいえないが「政治的にうまくやっていこうとしている」集団として描写されている。
それに対して日本の正義の味方は、マスコミとの関係と同じく、寧ろ一般社会、国家権力とは隔絶した存在であり続けている。
ワンダービットの正義の味方に関係する話でも、せいぜい「正義の味方と悪の手先、何れも恋愛や結婚で悩んでいる彼ら彼女等のお見合いを政府が支援する」という
「フィーリングカップル100×100(日頃忙しくて恋愛の暇が無い正義の味方と悪の手先100人づつの合同お見合い大会!)」エピソードで顔をだす程度であるし、そこにおいて政府は正義に対しても悪に対しても、ある意味平等に振舞っている。
(正義の味方が結婚を機会に悪に寝返らないかとかあれこれと脇で気を揉んでいたが)
「宿無し仮面」なんて仇名をファンに賜られてしまったシルバー仮面やしばしば逆に警察に追われてしまうタイガーセブン等の特に顕著な例を挙げなくても、殆ど全部の仮面ライダー、キカイダーなどの人造人間の存在が、自分達の戦いを警察や社会に知らせる事無く、少数の協力者と共に(滝和也など、警察組織の出自をもつ「協力者」も居るが、それが一般の警察にどうこう、という展開は殆ど無かった)戦っていた。
明確に国家権力の援護を受けている正義の味方は・・・ロボット刑事やレスキューポリスシリーズなどのそもそも警察系のヒーロー、アイアンキング他、あと戦隊ヒーローに幾つかあるくらい、それだって公的機関ではあっても国際機関であることのほうが多い、くらいではなかろうか。
(他少数という割に結構あるが、これはヒーローの総量が多いので致し方ないことなのだ)
そう考えるに、アメコミのヒーローは社会の中で生きているが、日本の正義の味方は俗世社会とは最初から袂を判っている、アメコミのヒーローが国家帰属半分独立独歩半分なら、日本の正義の味方は八割くらいは独立独歩型、ということか。
漫画版ゼブラーマン作者・山田玲司が映画ゼブラーマンのパンフレットに寄せた文で指摘したように
「デビルマンも仮面ライダーも反逆者である、彼らは戦後日本人が国家としても国家に対する人間としても正義を問う事を止めて繁栄することに没頭していった事に反逆する、最後まで戦いを止めない日本人の姿であったのではないか」
という意見もある。
月光仮面に代表される古典的存在、ウルトラマンなどのその後のムーブメントとなった超越的な存在の後。
日本創作世界において、正義の味方の新しいスタンダードであった仮面ライダーが示したように、正義の味方が世間への反逆者である事は、ある意味「割と当たり前のこと」であった、ともいえるのではないだろうか。
そしてワンダービットの正義の味方たちは、フォークバンド「アリス」のファイナルライブの台詞「自分達でやりたいからやるのであって、誰かの評価を期待するわけではない。それでも、判ってくれると思う(大意)」を引用する形で、戦い続ける事を誓い。そんな中、世間一般と価値観が違う正義の味方(のコスプレをした常人)シュー一号なんかも現れたりするわけだが(常人なのでメサキング&メサクィーンのスーパーパワー封印能力が効かない)が現れ、メサキングたちを独特の美学で煙に巻きにやりと笑って去っていく、メサキング呆然、となったりもして、混沌とした状況下で物語は結末?へと向かっていくのだが・・・。
ウォッチメンではこれと類似する「一般社会に立ち向かう」ヒーローであるロールシャッハは、「ヒーローとしての仮面に頭を食い荒らされたような狂人であるが、それでも独特の格好よさのあるダークヒーロー」として描かれている。
しかし、果たして同じスタンスを取ったワンダービットの正義の味方たちは、果たして狂人であろうか。
サンダーバトルが日和ったミラクルVにいきなり必殺技をぶっ放したのは確かにかなり乱暴であったが、その後その件について他のヒーローと問答し思考してもいたし、思考停止していないという意味で、狂気的であるとは、あまりいえないように見える。
(ウォッチメンが皮肉の利いたシリアス作品で、ワンダービットが皮肉の利いたギャグ作品であるという違いはあれども。ロールシャッハが「死んでも妥協はしない!」と言い切ったのと同じように、ワンダービットの正義の味方たちも自分を貫いているが、その「扱い」が違う、というわけだ。)
この違いは、一般人、一般社会が「善である」か否かにおいて、日米に差異が発生している、ともいえるのではなかろうか。
ウォッチメンのヒーローが民間人の意向であっさり規制されちゃったりするとか、
「パニッシャー」の番外編なんかでヒーローとヴィランの戦いに巻き込まれて死んだ民間人がヒーローに怒った結果
アメリカ現代版必殺仕事人であるパニッシャーがヒーローを殺して回るとか、そういう展開の根源には
(おめえパニッシャー、例えば一人のヒーローが100人殺そうとしている10人のヴィランを倒してその過程で一人巻き添え事故で民間人を死なせたとして
そのヒーローは「100人救った」のか「11人殺した」のか「89人救った」のか「100人救ったが11人殺した」のか「1人殺した」のか、
そこら辺の道義的問題をどう捉えるのか、ヒーローを排除してもヴィランによる犠牲者が増えるという事に関してはどう考えるのかね?まあ、ヴィランも纏めてブッ殺す!という方法でそこは解決図ってるけど)
(それと関係して、似たような展開がライトノベル「HyparHybridOrganaization」にもあるといえばあるのだけれど
あれは正義の味方の必殺キックの誤爆・・・正確にはキックで吹っ飛んだ怪人がぶつかった・・・で恋人を殺された男が「復讐のため悪の組織に入る」話であって、
正義側とも悪側とも違う民間人の仕置き人として振舞うのとは違うし。「ヒーローも屑だ、だから殺す!」ってのと「ヒーローが戦う上でそういう犠牲が出るのは仕方が無い。仕方は無いが許せない以上俺は悪になるしかないしなって構わない」とでは
方向性がまるで違うわけだしな)
「一般人・一般社会が普通=正常で、ヒーローもヴィランもそこから外れた存在」と見るか、そう見ないか、というところに差異があるというべきか。
全部が全部そうではなかろうが、「ウォッチメン」やその影響を受けたアメコミ作品においては、これを表面上「見る」とするところが多いのではなかろうか。
実際にはそういう価値観からあえて背を向けるロールシャッハなどを主役として描く事により、そういう価値観に疑問を呈したりするのがテーマの一つであろうが。
つまり逆に日本の正義の味方モノの場合、言うなればそういうロールシャッハ的な反逆が「前提」として描かれているのではないか、ということだ。
「一般人・一般社会=俗」であり、その俗を間に挟んで対極するものとして正義と悪がある、という。
それは、ある意味では「一般人・一般社会=俗」は「正義ではない」といっていることになるわけだが。
事実、ワンダービットではメサキング&メサクィーンに擬人化された「無理解な一般大衆からの迫害」は、日本においてはしばしば正義の味方に付きまとう試練として描かれている。
俗の一般社会は一人正義のために戦う者を愚か者・迷惑・邪魔者扱いし、悪の脅威に晒されて初めて怯えそれまで唾棄していた正義の味方に縋り、そんな連中を守るのかと悪に問われながらも正義は俗なる彼らを守り、それでもって俗なる一般社会は己の恥を知る、という形式にその場合往々としてなるわけだ。
(暗い作風の場合は俗は諾々と悪に屈して俗の中の弱者を切り捨てることで生き延びては尚正義を迫害し、正義が悪を倒しても厚顔無恥として恥じること無し、となることもある)
そして正義と悪それぞれについては、ワンダービットの「フィーリングカップル100VS100(正義の味方100人と悪の怪人100人の大お見合い大会)」において、結果をやきもきしながら見守る政府関係者が
「正義には正義の信念があるし、悪のは悪の美学があるし」といってもいる。
そしてその中で悪の女王が正義の少年に言い寄るヒトコマがあるのだが、その時彼女は「やってることは違うけれど、考えてる事は私達は同じよ。より良い人類の未来。でしょ?だから一緒になれるわよ」といっていて。
ここにおいて正義は、犠牲と暴力で世界を変革することは良い未来を齎さないとするもの、悪は、力ずくででも理想を実現させようとするものとして捉えらえているわけで。
これはアメコミでいえばX−MEN等が近いといえば近い気がする(ミュータント差別問題を解決したいという考えは同じでも手段が違う、穏便に社会と融和しようとするX−MENとミュータントによる人類支配を理想とするマグニートーらとの対立)が、
X−MENが社会に融和しようとしているのとは、また違う。
誤解を恐れず言えば、マグニートらは社会と対立していて、X−MENはその社会に「擦寄って」マグニートらと対立している。どっちかというと、善行を積めばいつか人間になれる(人間として扱われる)と信じる妖怪人間ベム・ベロ・ベラに近い気がする。
(あくまで極端なたとえであり、ある意味X−MENに対してもベム・ベロ・ベラに対しても失礼な話ではあるが)
仮面ライダーなども、確かに改造人間である自分が人間の側で生きていくには悪の改造人間と戦うしか・・・というようなところはあるが、
同じように「一般社会に片思いしている」にしても、どちらかといえば「忍び恋」であって、擦寄らずただ尽くし、戦い終われば一人去り、罵られども弁解せずされど倦み弛んで止まることなく・・・と、一種「葉隠」的。
言うなれば、「一般社会に受け入れられるという理想を持っている」のと、「一般社会とは違う者になったと覚悟して戦う」のの違い、というべきか。
実際にはそこまで明確に分かれているわけではなく、部分的に入り混じっている「X−MENの中の仮面ライダー的部分」「仮面ライダーの中のX−MEN的部分」も、あることはあるのだろうが、それでも全体的な方向性としては考慮しておくべきだろう。
そんな「正義」と「悪」であるが、ワンダービットで、それぞれ別の悪の首領を倒した正義の味方二人がどっちも相手の首領に「人間に悪心ある限り蘇る」「私は人間の悪い心から生まれたのだ」と言われて(これは実際に正義の味方モノの悪の長が良く口にする言葉である)
二人で、どうしたもんかと困惑するシーンが、ラスト間際に描かれている。
以下が、そのあたりのやり取り。
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「悪を倒すとはどういうことなのだろう・・・」
「結局人の心の中に悪の芽があるかぎりきりがないって事ね・・・」
「大体こんなテーマは何十年も昔のヒーローものから扱っていることじゃないのか!?」
「そーいえば昔の悪もそんなこと言ってたわね。」
「なのにいまだに人の心によって悪の首領か!!へっ酒でも飲まなきゃやってらんねーや!」
「落ち着いてバーニンガイ!」
「人の心の中まで俺達は責任もてない、あとはみんな自分でやってくれってことだ!!」
「君は悪の理想をうち崩したヒーローだろ。悪のそれ以上の理想があるはず。その理想で世界を動かしたらどうだ。」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「まさかそれもできんくせに・・・一個人の感情で一つの組織を壊滅させたんじゃないだろうな!まさか・・・後のことまで考えずにやったのか!?感情的に許せないだけでやったのか!?それが君の正義か!?」
「だってヒーローってみんなそーいうものじゃないの?」
「その通り・・・確かに今まではそう言うものだった・・・だがそろそろヒーローも新たなる一歩を踏み出してもいい頃じゃないのか!?勝ち逃げじゃなくってやりっぱなしじゃなくって倒すだけ倒してはいさよならじゃあなくって!!なあ!バーニンガイ君とやら」
「オ、オレは・・・わからん、俺は「悪は許せん」ことはできるが・・・「許せない悪を倒す」事もできるが・・・そのあと何をどうすべきかなんて考えたこともない!」
「それよ!それだからまた人の心から悪の首領が目覚めるんだわ!」
「・・・・・・・そう考えると・・・「やつら」のほうがもしくは人類規模の見地に立って物事を考えていたのかもしれんな・・・」
発言者 バーニンガイ バーニンギャル ビッグラバー
ワンダービット 著・島本和彦
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これは、先に述べたように「社会そのものには干渉しない」日本の正義の味方のジレンマではあるのだが、「社会の中の悪」にも攻撃を仕掛けるアメコミヒーローも、この課題は案外解決できているとは言いがたい面もあるわけで。
ウォッチメンでは、街のギャングを倒すヒーローではあるが、社会全体の荒廃や政治の退廃、核戦争の危機をとめることは出来なくて・・・という暗い世界観で、上記のワンダービットのやりとりとはまた違う切り口で人間の心から悪が消えないことを抉り出している。
そういう意味では上のやり取りでバーニンガイが悟ったように「社会は守るが社会に干渉しない正義の味方」と「社会を攻撃するが社会を変革しようとする悪」は、ある意味で対になると健全に機能する存在、という気がする。
その点ウォッチメンでは「社会に干渉、変革しようとする悪」を(ネタバレ防止のため名を伏す)が努めていたわけだけど、そういう「悪」を最初からもてなかったのが、ウォッチメン世界の不幸なのだろう。
そして同じ方向性の話として、ウォッチメンの課題であった「誰が見張りを見張るのか」という課題について、ワンダービットでは一番最初に引用した台詞の結論の通り「見張り同士が見張りあう」と結論を出していた。
(これに対しては新機動戦記ガンダムWの外伝で「俺達の暴走は俺達が互いに止める」という類似した台詞があった)
なまじウォッチメン世界では一度ヒーロー同士がチームを組んでしまった為、互いに見張りあうことが出来なかった・・・ある意味これは、一般社会からの糾弾でヒーロー禁止が決まってしまったのと、あるいみで根は同じ、という気がする。
社会から距離をとっていないから社会に潰される、ヒーロー同士距離を取ってないから互いを見張れない、と。
また、「美学をもつ悪」が「美学の無い小さな悪」を潰すという展開も(例として秘密結社が普通の犯罪者を改造人間の材料に、とか、より良き人類社会のために社会の毒虫どもは排除抹殺、とか)、日米で発生の頻度が違うように思える。
・・・正義の味方とは関係ない作品なのだが、小説「天切り松闇語り」で、右に倣えで他の政治家と同じく賄賂を貰った政治家に対し主人公が「ものの善悪まで数の多寡で決まるはずがあるめぇ」と啖呵を切るシーンがある。
皆が賄賂を取ってるからって賄賂を取ることが悪で無くなるはずは無い、皆が取っているからといって賄賂を受けたお前はやはり悪党なのだ、と。
このへんの感覚の違いは、民主主義を国是・正義とするアメリカと、集団主義的であるがゆえに逆に潜在的にその集団から突き抜けて集団の腐敗を糾弾しうる存在を時として求める日本の違い、か?
(前出X−MENのマグニートも、ユダヤ系でナチス被害者であるミュータントのマグニートが、ミュータントの事を慮り人類の汚さに絶望するあまりミュータント支配というナチス的優越種思想に陥るという点で悪役として扱われている感があるし)
ある意味、そのせいで、
4.付帯事項として、アメコミのヒーローは殺人を厭う傾向があるが、日本の正義の味方は容赦しない場合が割と多い
この差異も生まれているのかもしれない。
「ウォッチメン」で、ロールシャッハとコメディアンというヒーロー二人がヒーローの中で「特に過激」と見なされる理由として
時として殺人も厭わないことがあげられ、ロールシャッハは「正当防衛で何人か殺していて、正当防衛以外でも何人も殺している容疑がかかっている」とされていた。
実際、パニッシャーなどのような少数例外を除けば、アメコミヒーローは(同じ悪役を再登場させるという目的と、冒頭において語られた「コミックコード」の影響で)
基本的に「とっ捕まえてム所にぶち込む」が行動パターンである。
対して日本の正義の味方は、月光仮面は殺さずをモットーとし、ズバットはぶちのめして締め上げた後罪状カードと一緒に警察に晒すという行動をとってはいたが、
ワンダービットのバーニンガイが第一話で自分を襲った改造人間ホウカマキリを逆に焼き殺しているように、「敵は倒す=しっかり殺す」ことが多い。
相手が改造人間であるとはいえ仮面ライダーなど1号2号の二人で怪人だけで合計100人くらいは蹴り殺しているし、戦闘員なんかバタバタ薙ぎ倒し、仮に一話10人だったとしても1000人はヤってる計算になる。
(最初自省回路の効果で、相手がロボなどではなく人間である場合殺さなかったメタルダーもいるが、メタルダーは途中から人間相手でもド悪党なら容赦しないようになったし)
日本の正義の味方は、そういう点ではある意味アメコミのヒーローよりキハードなのかも。
容赦が無く、理想主義的という意味で。いや、むしろアメコミのヒーローが、生々しく現実的、というべきか。
ウォッチメンでは(ネタバレを防ぐ為に詳細を秘すが)混乱を巻き起こしかねない真実を秘匿するか否かで、
「混乱を巻き起こすくらいなら」と、「絶対に妥協しない」ロールシャッハを覗いてそれをあえて秘密にする決断をヒーローたちがするシーンがあるが、
あのシーン、日本では
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「俺、本当のこと話しますよ。夢をなくしても、また新しい夢を持てる、そんな子供になって欲しいから」
発言者 アバレッド
爆竜戦隊アバレンジャー
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この、キツい真実でもあえて伝えなければならないとする方向にいって、その上で改めて解決を・・・とする可能性が、大であろうし。
それと、そもそもの定義からして
正義の味方=月光仮面の原作者、川内康範が神仏に対する脇侍仏(月光仮面が薬師如来の脇侍仏・月光菩薩から名をとったように)の如く「正義」そのものというわけではないが正義に仕える者、という意味で作った言葉
ヒーロー=英雄=文武の才に特に優れた人物。実力が優越し、非凡な事業を成し遂げる人。
なので、
正義の味方は正義を目指す(悪と戦う事で)者だから社会から独立独歩、ヒーローは優秀で業績(悪を成敗するという)を成し遂げている人間、だから、後者のほうがよく言えば臨機応変悪く言えば目的意識不足で社会的状況変化に反応してしまう・・・
と、なるのかもしれぬ。
とりあえず、以上がウォッチメンとワンダービットを対比させた上で見出せるヒーローと正義の味方の差、といったところか。
この分析が、正義の味方あるいはヒーローの登場する作品を考察・作成する際の、発想の手がかりとなることを願いつつ、ここでひとまずの終わりとするものである。
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