最終節「そのとき」


「・・・と、そんなことがあったんですよ・・・」
「へえ、そうですかぁ。」
いよいよライブ本番前、ソネットは控え室でメイクアップしながら、マネージャーと今日のことについて雑談していた。
当初はソネットの歌手活動は、タロン側の企業によって展開される予定だったのだが。そこに陰謀の匂いを感じたバリスタス側があれこれと横槍を入れたりした結果、あるいはタロン側での幹部同士の主導権争いもあってか。
非タロン系の中立プロダクションからのデビューになったりしている。最も、それは逆に言えば、タロンの後押しが無くても、自力だけできちんと活動できるだけの才能をソネットが持っていたという証明でもあり、ひそかに彼女にとっては誇らしい要素だった。
「いいですね〜。確かに「楽しいと思う心」は、大事ですよ。歌を歌うときには。」
ゆったりとした口調で、年齢の割りに童顔なマネージャーはソネットと言葉を交わす。腰まで来る長い金髪が人目を引く女性で、均整の取れたスタイルの体に女物のスーツを纏っている。
「南風(なみかぜ)さんも、そう思うんですか。」
「ええ。マネージャーとしての経験からも、そうでない経験からも、ね。」
このマネージャーの穏やかさは、最初はソネットにとっては自分と違う普通の世界の匂いを感じさせて嫌なものだったのだが、深く知り合うにつれ今ではすっかり打ち解け、年齢の離れた姉のように慕っている。
彼女の名は、南風まろん。
秘密結社の闘争史に詳しい者と、アイドルに詳しい者がこの名を知れば、それぞれ別の意味であっと驚くだろう。
アイドルに詳しい者ならば、其の名を、極短い期間だけ活動しながらしかし僅かな数のその歌において圧倒的な売り上げをたたき出した、伝説にして幻のアイドルの一人として。
そして秘密結社関係者からしてみれば「黄金の混沌」と現在再激化したこの戦いの中間期。白き輪舞曲が滅ぼした組織エリュシオンなど秘密結社にすらその過激さから恐れられた組織「超剛金強盗団デモンシード」をただ二回の会戦で撃滅した正義のヒロイン・コードネーム「アッセンブルインサート」として、周知の人材だったのだ。
現役ヒロイン時の渾名は「怪力娘」。その名に恥じず、殆ど生身より少しまし程度の黎明期の警察製強化服(後に警察で主流になるレスキューポリス・G3システム系の装甲タイプではなく、戦隊ヒーローのそれに近いスーツタイプ)で、天性の膂力を武器に重量級強化装甲服を素手ひしゃげさせ吹き飛ばしなぎ倒した恐るべき少女。
それから現役引退した後一体どうしたのかと思っていたら、かつての自分のような立場の人間を主導すべく、マネージャーに転職していたらしい。あれからそれなりに年月を重ね、大人の余裕を往時の瑞々しい柔らかさに上乗せしていた。
戦闘と歌という二つのベクトルの異なる非日常と日常を生きた「先輩」として、そして自分には難しかった日常と非日常の折り合いをうまくつけられた人として、その過去を知ったソネットは尊敬している。
「それで、どうだった?今日は。」
「あ、はい・・・楽しかったです。」
そして、南風の問いに、ソネットは、微笑みと共に答えを返した。
「達也にそういわれたあとも、いろいろあって。ミスターBさんとか、仲間の皆もいろいろな出し物をしているし・・・その、敵ではあっても鷹乃羽やバリスタスの人たちまで、私たちを楽しませようとみんな一生懸命で・・・」
タロンには秘密だが、ソネットは己の背景のことを結構南風に話してしまっていた。南風もまたそれを受け止め、周囲にはしっかりと秘密にし、しかしそれを把握してソネットの相談に乗っている。
それも、ソネットが彼女に信頼を寄せる理由の一つだ。
「・・・だから、ね。」
「え?」
少々唐突な南風の言葉に、きょとんとなるソネット。
「今のソネットちゃん、すっごくいい雰囲気よ。きっと、新曲も歌いこなせる。」
「え、あ。」
そして、続けて言われた言葉に、また動揺。
自覚が無かったのだろう、と、南風は思う。
ソネットは、今の自分が、とても穏やかな幸せを感じている表情をしていることに。
いろいろと大変なことは合ったが、それでも愉快な仲間たちに囲まれ日々をがんばりぬくことが出来たかつての日々を南風は追憶し、そして思う。
(願わくば、神様。この子の周りにこれからも良き仲間を配されんことを。)


「・・・ふう・・・」
喧騒の中を駆け抜け、あれこれと指示を出し続けることしばし。
流石に疲労した様子で、天上ウテナ生徒会長は休憩室の椅子に腰を下ろした。
何しろ、生徒会長である。カーネルたちバリスタスの面々も水際立った仕事ぶりでサポートしてくれたとはいえ、こういったイベントでもって必然最も多忙となるのはやはり彼女。
事前の書類仕事にしても、今こうしての現場での調整にしても、やはり生徒会長としての仕事は多い。

「・・・んっ、結構、いい味出てる、な。」
休憩室に入る前に喫茶コーナーで買い込んだコーヒーを一口含み、ウテナは僅かに驚き目を見開いた後、味わいと香りに満足げに目を細め口元をほころばせる。
紙のカップをテーブルに置いて、満足そうに伸びを一つ。
多忙ではあったが。ウテナは、己の現状を存分に楽しんでいた。
「悪くない、そう、悪くないよ、ね。」
やりがいを。生きている実感を。瞬間瞬間にしっかりと噛み締められる。そういう意味で祭りを運営することは、祭りに参加することと同じくらい楽しい。
ただ。
「楽しいだけになあ・・・」
ふと想い。
そして、窓の外、中庭に視線を移す。
「影の生徒会」の一人、服部菜緒子が主催する、ニンジャ屋敷アスレチックアトラクションの施設がすえつけられ、参加者がわいわいと楽しげに騒いで、アスレチックに挑戦している。
よじ登ったりジャンプしたり落っこちたり、走ったりバランスとったり転んだり。

そこには、あの日の惨劇の残滓はもう無い。
「初音・・・君にもこの日を味わって欲しかった・・・」
溜息。嘆息。無理なことと知りつつ、無駄なことと分かりつつ、それでも願わずには、思わずには居られない。
最後まで自分のことを案じながら散っていった、変わった契機、不可思議な双方の立場のままに絆で結ばれた、友のことを。
今日ここに至るまでに、失ってきたものは数多ある。
それに対して時に想いが向くのは、必然。


だが。
かろり、と音を立てて、休憩室の扉が開いた。
「あ、生徒会長!」
「おや、ウテナ君。ここにいたのかね。」
現れたのは、鷹乃羽にかようフェンリル配下夜族の一人・弓塚さつきと、「影の生徒会」の長、林水斡信。
「やあ。どうしたんだい、また、何か?」
二人に向き直り、席から立とうとするウテナを、林水は手で制する。
「いや、君の助力が必要な事態、というわけじゃあない。」
「そう?」
それを聞いて、もう一度腰を下ろすウテナ。
「うん、まあ放送でもうじき告知されるんだけど、ちょっと休憩室とかで寝ちゃっている子が居たら場合によっては聞き逃すかなと思って寄ってみたんだよ。」
続くさつきの言葉に、ウテナはへえ、と、興味を感じたらしい表情になり、質問を返す。
「告知、っていうと?」
「ああ。例のライブだよ。そろそろ始まるからね。」
ウテナの質問に、変わって答えるのは林水だ。
短い説明だが、ウテナも伊達に運営に携わっては居ない。それだけで、何を言わんとしているかは理解できた。
軽く手首の腕時計に視線を移し、確認。
「確かに、もうじきだね。体育館だったか・・・お化け屋敷の撤去はもうそろそろ?」
「ああ。5分前に撤去撤収が開始されたよ。若干どたばたしているが、夕維君たちも手伝っていることだし、予定通りの時間には終わるだろう。」
「うん。美那さんたちも一緒だし。皆しっかりしてるから・・・私と違って。」
林水の微笑。さつきの苦笑。
形は違うけれど、さつきの苦笑も、断じて悪い意味ではない。あくまで冗談の一環としての苦笑だ。
柔らかく暖かい空気に、コーヒーの香りが流れる。

「・・・ありがとう。うっかりしていたら失念していきそびれたかもしれない。知らせてくれて助かったよ。」
だから、ウテナも笑顔で答えた。
「コーヒーを飲み終わったら、僕も行く。君たちは先に行っていてくれ。」
「ああ、そうさせてもらうよ。行こうか、弓塚君。」
「はーい!」
そして、林水とさつきは先に休憩室を後にした。
跡に一人残ったウテナは、もう一度改めて微笑むと、コーヒーを口に含んだ。


確かに、悲しみの過去はある。
けれども。
「初音・・・僕は今、幸せだよ。」
今ここにある現実は、悪くない。
そして。
最後まで自分の身を案じていた友の、きっとこれは望んだことであろうと。
そう、思う。


そして、体育館。

「おお、マッシュ!」
「あ、JUNNKIか。」
巨大お化け屋敷の幾重にも張り巡らされた迷路壁が撤去され、本来の広さを取り戻した体育館。
ライブを鑑賞しようと集まった、かなりの多量な生徒たち。其の中で、マッシュとJUNNKIはそれぞれ一緒に巡っていた一団と共に合流した。
「そっちの調子はどうだったんだ?」
質問するマッシュ。
それにJUNNKIは、何というかいろいろ悟りきった表情で答えた。
「ああ、万全だったよ・・・俺の財布の中身以外は・・・」
「そ、そうか・・・」
遠くからとはいえ、一応見えていたわけで。
穏やかな笑みを浮かべるJUNNKIに対して、マッシュはただもう引きつりながらも笑みを返すしか出来なかったわけで。
「そっちの様子は、どうだった?」
「ん、まあ・・・」
と、同じ内容を問い返すJUNNKI、問い返されるマッシュ。
「ま、まあ、問題なかったぜ!!」
で、胸を張りそう答えるマッシュなのだが。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
後ろで気まずそうにしている舞、ひよの、歩の姿が何かを暗示しているような気がしないでもなく。
「あー、まあ・・・そう、しておくか。」
「た、頼まぁ。」
だからもう、こうやりとするしかなくて。
(・・・へーぇ・・・・)
まあへぼいやりとりといえば確かにそうなのだが、少し後ろに陣取っていたホルスはそれでもちょっとした要素に気づいていた。
(昔のマッシュだったら「しておくかって何だよ!」とか言っちゃってもうちょっと騒ぎになったろうけど)
大して誇るべき変化と言うほどでもないが。
(それでも皆、少しづつでも変わっていくもんなんだねえ)
古代からよみがえった少年にとっては、その些細な変化も眩しくて。
「今日は本当に、いろいろありがとう、だよ。」
ふ、と、普段の子供っぽい様子とは違う印象を重ねて、あゆがJUNNKIにそうささやいた。
「困っていた僕たちのこと拾い上げてくれて、こんな、失ったはずの日常をくれて、それに、それに・・・」
胸の内、いっぱいに詰め込まれていた想い。それがついにあふれ出したのだろう。あゆは、一生懸命といった様子で言葉をつむいでいた。
そんな彼女の様子に、JUNNKIは若干照れながら答える。
「ん、まあ、戦闘とかでいろいろ手伝ってもらってる、しな。それに・・・」
「それに?」
と、つい口が滑ったといった様子の表情を浮かべるJUNNKIと、それに反応して問いかけるあゆ。
暫く口ごもり、何事か考えている様子のJUNNKIだったが。
「・・・嫌いじゃ、ないしな。」
ようやく、言葉を搾り出す。精一杯の照れ隠しと、それでも伝えたいことを何とか伝えようとした言葉。
「・・・うんっ!ありがとう、JUNNKI!」
それだけで、あゆは嬉しかったらしく。
満面の笑顔とともに、頷いた。

「・・・・・・」
「・・・・・・」
そして、その傍では、いつしかマッシュと舞が、無言で並んでいた。
マッシュは兎も角、舞は元々それほど口数が多いほうではない。だから、黙っているのはある意味自然なのだが。
だが、そうして二人が、沈黙を共有しているのが。
そして、その沈黙の共有において、二人が共に、柔らかな雰囲気と、のどかな気配を纏い、其の状況に適応し、満足している様子が。
・・・幸せを作り出していた。


見れば向こうに、達也たち一行の姿も見える。
なにやら会話しているようだ。ここからでは、少し遠くて、会話の内容までは分からないが。
みーちぇが笑い。達也も釣り込まれるように陽気な表情で。
そんな二人に挟まれて、紫暮が少々戸惑い気味に、だけど普段の険の取れた、普通の同年代少女と同じような物腰でやりとりしている。
姉弟たちの様子を、すぐ近くで見つめるまはと「刀」は、穏やかに、満足げに、そんな様子を見守っている。
そして、小松崎蘭も。
自分の力にコンプレックスを抱いていつも他者と距離を取りがちだったのだが、今では達也の隣、三人姉弟の中に積極的に入り込もうとしている。
これから舞台の上に上がるソネットとも、幾度か激突した仲だが。
今は静かに、歌という新しい道を見出したソネットを祝福するように、開幕を待ち望んでいる。


そして、舞台の幕が開いた。
舞台衣装を身に纏い、「満月」のコードネームの印象をさらに上回る、輝くばかりの印象を与え。
ソネットは、歌い始めた。

歌えなかったはずの、明るい想いの歌。泣き伏せるのを止め、顔を上げて笑顔と共に明日へと歩む歌。

そして、戦い合ってきた、そしていずれ決着をつけねばならないはずの者たちが、今は相集い、共に同じ歌を聞いている。

それは、まるで。
これから先の怒涛の未来に立ち向かう心の力の糧とするために、運命が与えたような。

奇跡のような、輝きの日々。



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