第二節「赤い瞳に宿るもの」
瞬間、装甲トレーラー「暴帝」を跳躍でかわし、空中から襲い来る少女に、白き輪舞曲は目を奪われていた。
月光に照らされる、その姿。色素の薄い肌と髪がどこか非現実的で、まるで月の妖精の如く。
その印象を裏切り反逆し蹂躙する、真紅の瞳の凶暴な殺気。それは非人間的なまでの狂乱と強靭が矛盾なく同居する怪異な殺意であり、どこか資料映像で見たハウンドの長、一文字紫暮のそれをも思わせる。
いや、少し違う。有機物で構成されているくせに機械的な、蟲を思わせる紫暮のそれと、この少女の瞳は違う。冷たい鋼を帯びてはいるが、その本質は。
「獣・・・」
呟く。鋼の刃の下に隠れているのは、獣の爪。姿こそ華奢な少女だが、戦場におけるその本質は、獰猛な獣のそれ。
刃が、きらめく。月の光の乱反射。
「むぐっ!!」
「シィィッ!!」
咄嗟に重力剣・アビスキャリバーを抜き放った白き輪舞曲だが、その防御をかいくぐり、少女の両手にある二丁のナイフは、白き輪舞曲を襲った。
白き輪舞曲が彼女に見とれていたから?否。改造人間ではないとはいえ白き輪舞曲もバリスタス大幹部、その程度で隙を作ったりはしない。
少女の得物がナイフであり、両手剣であるアビスキャリバーより至近距離での扱いに優れるから?否。パワードスーツを纏う白き輪舞曲の剣速は、剣の重量の制約からは解き放たれている。
純粋にそれは、少女の速度によるものだ。そして、速度だけではない威力も、兼ね備える。
白い装甲を、血が塗り返す。
強化素材で作られているとはいえ、ナイフ程度では装甲を纏う白き輪舞曲を傷つけるのは難しい、はずだった。しかし少女の振るう刃は、一瞬で装甲の間接を捉えると、その部分の他より薄い装甲を明らかに人外の腕力でぶち貫いたのだ。
振り払うような白き輪舞曲の剣閃を宙返りで交わすと、剣が戻るのにあわせるように、ほとんど四つんばいに近い姿勢から着地直後の少女はすぐさま突進してくる。
(速い!)
剣を戻すのは間に合わない。そう判断した白き輪舞曲は、咄嗟にアビスキャリバーを放棄。慣性の法則に従いあさっての方角へすっ飛ぶアビスキャリバーを無視し、二挺拳銃ヒュプノス&タナトスを装甲服からポップアップ。
しかしそれでも尚、少女の攻撃のほうが白き輪舞曲の発砲よりも速い。
再び翻る刃。それに遅れて、何とか、といった感じの発砲音。
弾丸は少女を掠めて、衝撃波が服を破る。しかしそれによる僅かな裂傷以外に無傷のまま、少女は再び間合いを取る。
対して白き輪舞曲は、装甲の隙間にまた二撃受けていた。
再び、噴出す血。早くも致命傷一歩手前・・・否、恐らくバリスタスでも最高水準の強化装甲服であるこの白い鎧を着用していなければ、二撃二回、都合四回確実に死んでいただろう。
鎧の中にたまり外に噴出す出血で、一気に白き輪舞曲の視界が暗くなりかける。鎧の生命維持システムが全力で作動、着用者の急激に失われていく生命をつなぎとめる。
「くっ、この、技の冴え・・・その姿・・・」
懸命に装甲服のシステムを操作して確認しながら、白き輪舞曲は呟く。
彼女の存在は、データに記録されていた。HAの単独行動型エージェントの中では最強クラスの存在、HAがアメリカ本土を統一するときにその力を振るったという・・・
旧TDF特殊部隊Pフォースにかつて存在していた、「死神」と並び称される力の持ち主。
「「HAの死神」吉川ノエルか・・・!」
白き輪舞曲の呟きに、少女は無言。だが、間違いない。
北海道を襲撃していた錬金戦団は本土の危機に引き上げたが、日本領内におけるHAの隠密活動は続けられていた。
だが、まさか半ば伝説とされゴヤスレイ二号作戦にも出現せずにいた、切り札中の切り札まで投入されてくる、とは。否、あるいははなからこちらにきていたのか。その高い能力ゆえ、今まで出会った者全てが倒されていたが故に存在が確認されていなかっただけで。
答えぬまま少女・・・奇しくもこの国の総理大臣、バリスタスをして「太陽」と呼ばしめる好敵手と同じノエルの名を持つ少女は、走り出す。次の攻撃で、確実な結末として白き輪舞曲の死をもたらすために。
「ぐるぉああああああああ!!!!」」
「!!」
だが、それに待ったをかける、もう一匹の獣が現れた。
虎をベースとした、いかにも強靭、精悍そうな改造人間。最強のUFOサイボーグ・タイガーロイドと類似しているが、遠近両用型のタイガーロイドと異なり突撃戦闘用に至近距離での武装でそろえたため、より俊敏で精悍な印象となっている。
新型改造人間、マイトタイガー。
突貫したその手に握られていたのは、鋭い、光子結晶体で出来た刃。刀自体の構造としては、いわゆるドスの類、か。光子操作能力を持つ改造人間・ゴールド公爵の能力覚醒により、ある程度の量の光物質生成が可能になったが故の、貫通力無双の装備。
猛虎の豪腕で突き出された、通常物質を無視する力を持つ刃。だがそれを、間一髪反応したノエルは身をひねり、脇に通すようにしてかわす。
「単純な攻撃を!」
同時に抱え込むようにしてマイトタイガーの両腕を捕獲。あいた反対側の手で、ナイフをマイトタイガーの延髄へと叩き込もうとする。
蛇よりしなやかで隼より速い、驚嘆の技量。
「てやんでぇい!!」
だがその技量の差を、マイトタイガーは純粋なパワーで覆す。
ノエルの、生身の人間の腕や喉くらいならへし折れただろうホールドを、あっと言う間に引き剥がす。
そしてドスを放り捨て、鋭い爪をむき出しにした両腕でさば折気味にノエルに組み付く。
「かはっ・・・!!」
初めて、ノエルの声が苦悶に震えた。
細い体が折れんばかりに締め上げられ、肺腑の空気が搾り出される。同時に、鋭い爪が背中の皮膚と筋肉を鉤裂きにする。
「悪いな嬢ちゃん、女に手ぇあげるなんざ本来男のするこっちゃねえが・・・いくさ場に出張ってるんだ、覚悟は決めてるだろうな!!」
凄みのある野太い声で、マイトタイガーは吼えると、道路の海と反対側のほう・・・コンクリートで固められた山際の絶壁へと突進する。
轟音とともに、コンクリート壁がクレーター状に凹む。ノエルの体を己の体とコンクリート壁で挟むようにして、マイトタイガーがタックルを決めたのだ。
「がぅうっ!?うぉあああああああああああ!!!!」
血反吐を吐き散らし叫ぶノエル。少女めいた華奢さと裏腹にかなりの、明らかに強化改造による強靭さを持つ体が軋み折れるような音すら立てる。
だが、その叫びに恐れは無い。むしろ、他者を恐れさせんとするほどの気力が込められている。
再び握りこまれた、両手のナイフが、目にも留まらぬ速さで密着状態のマイトタイガーを切り裂いていく。至近距離から振るう威力でも、十分のダメージを与えられるよう計算されつくした攻撃が、連続して。
たちまち鮮血に染まるマイトタイガー。だが、微塵も怯まず、揺るがず。
突撃戦特化型改造人間マイトタイガーとは、そういう男だ。
「面白ぇ!!嬢ちゃん中々タフだな・・・だったらこれでどうだ!!」
好戦的な笑みを、獣の口元に浮かべるマイトタイガー。
その意図に気づいた白き輪舞曲の顔が、強化装甲服の仮面の中で引きつる。
「ばっ、バカ!!お前また例の癖が・・・!」
だが、遅きに失した。
「いくぜぇぇぇぇっ!!!」
マイトタイガーの周囲の空間が歪む。大砲の代わりに彼に搭載された力・・・自動化された物質練成能力の発動だ。本来は武装錬金のような単一パターンではなくむしろ空想具現化や空中元素固定装置のように突撃戦闘に必要なあらゆる装備を生成できるはずなのだが。
直後、ノエルの表情が引きつる。
「爆薬!!?」
そう。
マイトタイガーはなぜか、爆薬ばかり出すのだ。それも爆発力と命中を最大優先で、自分ごと巻き込む程に。やるたびに被害甚大で迷惑なのだが、確かに威力があることもまた事実。
生来の特攻精神がどうしても収まらない。それが突撃怪人マイトタイガーの欠点でもあり利点でもあるのだが。
「ドおりゃあああああああああ!!!」
「っ!!?」
「ぬわっ!!!」
直後、爆発。
轟然、炎と衝撃の中に、マイトタイガーと吉川ノエルが飲まれていく。
「ちっ、やってしまったか・・・とはいえ、これならさすがの「HAの死神」といえど・・・」
炎の渦をにらみながら、白き輪舞曲は苦い顔をする。これのせいで、マイトタイガーは戦闘のたびに修繕が必要なのだ。そのために暴帝にスペアパーツを大量に積んだのだが、早くも消費するはめになるとは。
だが、この程度の爆発では損傷こそすれマイトタイガーには致命傷にはならない。設計時の重装甲がものをいうのだ。対して、吉川ノエルは「HAの死神」と恐れられていてもあくまでスピードタイプ。戦車砲の直撃に耐え怪獣に踏み潰されても死ななかったという本物の「死神」ほどの桁外れの耐久力は持ち合わせてはいないはず。
であるなら、戦いはこちらの勝ち、あるいは完全に勝ちきれなくてもかなりの優位には立てた筈。
そう、白き輪舞曲が判断した時。
「ぶっはああ!!」
煙にむせるようにしながら、マイトタイガーが飛び出してきた。
それを確認し、ほっとする白き輪舞曲だが。
違う。
「げっふう・・・ちいい、やるじゃねえか・・・!!」
戦慄。
マイトタイガーの損傷は、爆発によるものだけではない。
何か、桁外れに巨大な獣の爪牙によるような攻撃で、ざっくりと胸から腕にかけてを切り裂かれている。
ヴルォオオオオオオオオオオオオオンンン!!!!
「ッ!!!!!」
黒煙の、向こう。
人ならざる叫び、比喩ならざる咆哮が響き渡った。
そう、それはまさに咆哮であった。白き輪舞曲が今まで一度も聞いたことがない、獣の咆哮。
獅子の雄叫びのようであった。虎、豹の唸りのようであった。熊の怒号のようであった。
そして、狼の遠吠えのようであった。
見える。黒い煙と、赤い残り火の向こう。
巨大な、獣の姿。最大級の北極熊ほど、か。四本の足。尻尾。鬣。ごく短い黒毛で覆われているごつごつした印象の体だが、同時にしなやかさと強靭さを秘めている。
脚部は、獅子や虎のような、太く逞しい印象だ。胴体は大きさこそ違え、獅子などよりさらに俊敏なチーターのように引き締まっているが、チーターの速さ以外の能力を削り取った力不足な印象は微塵も無い。むしろ、大きさと筋肉の付き具合は、強壮なイメージを強く与えてくる。
頭部・顔つきは狼のそれに近い。現存する最大の狼よるも遥かに大きいが。俊敏で、鋭く、力強く。同時に感覚能力や知性にも秀でていることが伺える。鋭い牙が、口元にずらりと覗いていた。
黒い体表を幾本か走る、黝いライン。機械の配線プリントを象った刺青のようなそれは、明らかに人工のもの。この獣は、自然のものではない。
そして。
その目。その鬣。
見よ。
瞳の色は、ノエルと同じ赤。
頭部から背骨の上を通り、尻尾まで繋がる長い鬣の色も、ノエルの髪と同じ色。
「・・・ノエル、か・・・?!」
本能的に理解する。あれが吉川ノエルであるということ。
そして、同時に、恐るべき強敵であるということ。マイトタイガーの腕力を振り払いなおかつダメージを与えたことから、相手は上級改造人間に匹敵する技術か、あるいは無理やりそれくらいの戦闘能力をたたき出す改造を施されているということが分かる。
それが獣の姿をとっているということ、それがまたまずいと白き輪舞曲は判断する。
およそ、未改造の一般軍隊の軍人が、素手で同じく未改造の一般軍隊用の調教を受けた軍用犬と戦った場合、勝つのは軍用犬のほうだという。
道具を使うことに優れた人間の体だが、直接戦闘という部類ではむしろ獣類のほうが優越しているのは理の当然。
人にして獣たる改造人間は故に人を自然上回る。
だが、相手は改造人間と同種の肉体構成と、人間の知能と、獣の身体構造を併せ持つ存在。
完全獣と半人半獣、どちらが勝るかは、バリスタスの研究においても結論の出ない問題だ。そのような「より獣に近い改造人間」の例としては、ゲドン・ガランダーの獣人というかたちがあるが、両組織の技術力並びに人材がそれほど高いレベルにあったというわけでもなく、また「より獣に近い」となるとそれだけ得意とする戦い方にばらつきが出て、自然一長一短となる。
故に、完全に上級改造人間と同レベルの完全獣化体が、その能力を最大限発揮できる状況にある場合の正確な力というのは、未知数なのだ。
戦場で何が怖いといえば、未知であること、情報が無いことほどの恐怖はない。
故に、全神経を集中し、全力を振り絞り、白き輪舞曲は再び立ち上がるとノエルに対峙。マイトタイガーも本能的にそれを察知したか、傷をものともせぬかのように毅然と相対する。
瞬間満ちる緊張。
が。
ごっ、
ごごっ、
ごッごごごごごごごごごご・・・・・!!
「なんでい?」
「・・・しまった!!」
マイトタイガーが首をひねり、白き輪舞曲が青ざめる。
・・・マイトタイガーの先刻の自爆により、コンクリート壁が部分的に崩壊。
結果。
ごおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!
土砂崩れ。
土砂が噴出し、ノエルと白き輪舞曲たちの間に壁を作る。
「ちっ、下がるぞ!!」
「が、合点!!」
すばやく後退する白き輪舞曲、マイトタイガー。
暴帝の回収は後回しだ。あれの装甲をもってすればこの程度の土砂崩れなど問題ではない。むしろ回収しようとしたところをノエルに襲われてはひとたまりもない。
しかし、その心配は無用だったようだ。
「・・・・・・」
無言で、身を翻す、ノエルという名の獣。恐らくああまで形態が変化してしまっていては、変身後は人間の言葉を話すことは出来ないのだろう。
ただ。
赤い瞳が語っていた。
恐れ慄け。次は、殺す。
赤い瞳が、語りかけてくる。
獅堂光は、そう思った。
敵は倒す。邪魔はさせない。弱者に、何が出来る。
邪魔をするな。
失せろ。
さもなくば。
一文字紫暮の赤い瞳が、そう言っていると。
「うぎゃああああああああっ!!!」
「ひぃぃぃぃぃっ!!!」
響く悲鳴。絶叫。泣き叫ぶ声。
それまでも、苦戦だったため、呻きや苦悶の声が上がることはあった。
だが、今この空気を震わせるのは、そんな生易しいものではない。
心のそこからの痛みと恐怖と絶望と。
そういうものがないと出てこない声。
それはもう、戦いなどと呼べるものではなかった。先刻までに受けていたダメージがかすり傷としか思えない無慈悲な打撃。引きちぎれる筋肉繊維と破られる皮膚と圧し折られる骨とつぶされる内臓と。
全て、光の仲間たちのもの。返り血を浴びる一文字紫暮は、毛筋ほどのダメージも受けてはいない。
それはもう、ただただ只管、圧倒的な、虐殺。
「っ・・・!っ・・・・!」
目を見開き、自分の歯がおもちゃみたいにかちかちと音を鳴らすのを聞きながら、獅堂光は震えていた。
これほどまでか。
これほどまでに強いのか。
獅子堂戌子が言っていた、至強者とは、こういう存在なのだろうか。実際、彼女は戌子が執心の、HAの戦力を事実上たった一人で磨り潰した村正宗を部下として従えているのだという。
戌子は自分たちもそれと戦いうる最強者の領域には到達しうる、しているのだと言っていたが。
冗談ではない。そんなはずがあるものか。
けたが違いすぎる。この海豚海岸に来る前に、鷹乃羽のバリスタスを攻めるといって本隊を率いていった最強の上級エヴァンジェリスト「絢爛舞踏」御剣冥夜だって、これほどまでではなかった。
手足の動く速度とか、技の熟達とか、そんな問題ではない。
圧倒的なまでの意思の力が暴虐の威力でもって対峙する相手の魂を蹂躙していく、戦う以前に決着がついてしまうほどの強さだ。
「・・・弱い。弱すぎる。」
「っ、あ・・・!!」
気づけば、いつしか紫暮が光の目の前にまで来ていた。光の赤い鎧よりも暗く恐ろしい、真っ赤な返り血に染まった姿で。
「この程度の、借り物の力で、お前たちは何を成すつもりだった。何を守るつもりだった。何を討つつもりだった。何のために戦うつもりだった。」
刻むような、うがつような、縛るような、呪うような問いかけ。
紫暮のほうが長身のため、上から降ってくるような声となる。
何を、って。
私は。
ただ、普通の人の幸せを。
海ちゃんや風ちゃんや。
友達を。
一緒に戦ってくれる人を。
守りたくて。
声になっていたか。
答えになっていたか。
かすれる光の喉。こわばる唇。
恐怖に見開かれる、涙交じりの瞳。
「未熟。無謀。浅慮。相応しい無様さで死ぬがいい。」
断罪の言葉とともに、振り上げられる紫暮の腕。
鉤爪のように曲げられた指は、先ほど鎧ごと上級エヴァンジェリストの体を引き裂いていた。
そして、紫暮の真紅の瞳は。
「・・・え・・・?」
紫暮の瞳を見た光は、呆然と、驚きの声を漏らした。
何故なら。
(なんでそんな・・・)
光は思う。
これほどまでに圧倒的な力を持っているのに。
立ちはだかる何もかもをなぎ倒し踏み越える力を持っているのに。
「何で貴方は、そんなに・・・」
そんなに怖がってるんだ?
光の呟きに、一瞬、時が止まったように紫暮は凍りついた。
ありえるはずもない。
だが確かに光には見えたのだ。
紫暮の紅の瞳の奥底に住まう、恐怖に。
「貴様ァッ!!!」
刹那の後、振り下ろされる紫暮の腕。
普段の彼女らしからぬ、力任せの一撃。
「光っ!!!」
飛び込んできた、青い鎧。光と一緒に戦ってきた上級エヴァンジェリスト、龍崎海だ。
無論、力任せとはいえ紫暮の一撃を受け止められるわけはない。咄嗟に光にタックルするようにして、攻撃の軌道から彼女の体をはずしたのだ。
紫暮の攻撃が今回に限って単純だったからこそ、出来たことだが。
「戒めのっ、風ーーーーっ!!!」
直後、同じく仲間の、鳳凰寺風が能力を発動させる。小型の竜巻のような風の輪で相手を包み込み、その動きを束縛する術。
「カァッ!!」
紫暮はそれを一瞬で跳ね除けるが、それも承知の上のこと。
その隙に海と光は紫暮の間合から逃れている。
「逃がすか!」
だが、手足の届く範囲など、紫暮にとっては無意味なこと。四肢の動作と霊子の駆動のみで、彼女は真空断裂だろうが炎だろうが稲妻だろうが生み出すことが出来るのだ。
それを予期し、咄嗟に防御能力「守りの風」を発動しようとする風だが、その程度で防げる攻撃力ではないのは目に見えている。
しかし、このタイミングを待っていた男がいた。
「パピ!ヨン!!」
妙な掛け声とともに、月を背負うような位置に飛び上がる人影。
異形であった。公達という言葉が似合いそうな純和風の美青年なのだが、その顔を蝶を象ったアイマスクが覆っている。体には上級エヴァンジェリスト特有の鎧が、白を基調色としたトリコロールカラーの滑らかな曲面を描いているのだが、その下に来ているのは紫色した革製の奇怪なボンテージスーツ。
加えて背中には、瑠璃色に輝く巨大な蝶の羽が生えていた。
「何!?」
何と突っ込んでいいのやら分からぬ奇天烈な相手に、さしもの紫暮も度肝を抜かれたらしい。さらには、光たち三人を相手にしていたため、この奇襲への対応が一瞬遅れる。
「御首級、蝶戴!!!」
蝶々仮面の叫びとともに、背中の蝶の羽が広がって襲い掛かる。輝くその羽は幻影のように形をかえながら、紫暮の首目掛け伸びる。
「嘗めるな変態がッ!!」
それでも尚、紫暮はその攻撃に反応した。手刀を振りおろす先を即座に変更し、羽を迎撃。
しかし。
「誰が変態だ。俺の名はパピ♪ヨン♪、もっと愛を込めて!」
パピヨンの羽の攻撃は、紫暮の迎撃を受け付けなかった。まるで霧か煙のように、渦を巻いて紫暮の手刀を素通りさせる。
「ッ・・・!」
「俺の月光蝶は全てを分解するナノマシンの集合体・・・我ながら、強いよこれは。」
それでいて、羽自体は断頭台の刃の如く鋭く、紫暮の首に迫っていた。
迎撃は不可能、されど同時に、当たれば対象を分解し、範囲を広げれば表面全体にダメージ、絞れば一瞬で一部分を侵食寸断。成る程言うだけのことはある。
驚愕に目を見開く紫暮。武に長けているからこそ分かる、絶体絶命。月光蝶の羽はパピヨンの意思で自由自在に展開できるらしく、長さも恐らく自由自在であるならば、この体勢からでは避けられない。
(し、まっ・・・!)
このままでは間違いなく首を切り落とされる。戦慄する紫暮。
「紫暮様!」
「紫暮お姉ちゃんッ!?」
悲鳴が上がる。ゆまと、まはか。
そして、月光蝶が直撃する、と見えた刹那。
ナノマシンの集合で出来た、構造としては霧に近い羽が。
切 り 落 と さ れ た。
それは、物理的にありえない現象。概念の切断。
それは、秘密結社バリスタスが生み出した奇跡、神殺しの力。
それは、霊子と光子を凝集させて作られた結晶の刃。
それは、御影村正宗。紫暮の「刀」。
「あ・・・」
いるはずの無い男の登場に、紫暮は呆然と呟いた。彼は今、タロンの幹部たちの調査を受けている筈なのだから。
だが、確かに今彼はここにいて、片手をまるで紫暮をかばうように、抱きとめるように彼女の体に回すと同時に、自分は体をその前に出すようにしてもう片手で霊光刀を構え、パピヨンの攻撃を防いでいる。
「・・・?」
そんな紫暮の表情を、まるで「何で当然のことに対して驚いているんだ?」とでも言わんばかりの、きょとんとした表情で「刀」は見つめ返し、小首をかしげる。
無表情のままなのだが、なんだかそれが変にかわいらしいようなそうでないような。地顔はどちらかというと鋭い目つきが特長なのに。
ちなみに良く見れば、体のあちこちに検査用の機械の残骸らしいものがくっついている・・・どうも主の窮地を察した途端、何もかもぶっちぎって駆けつけたらしい。
「ほぉう・・・?がさつな女ばかりかと思っていたが・・・中々エレガントな奴もいるじゃあないか。」
攻撃失敗にもかかわらず、むしろ面白そうにパピヨンは笑うと、滞空したまま悠然と「刀」を観察するように見下ろす。
対して村正宗は無言のまま、油断無くそれに対峙。
最前線に突出していた紫暮の、さらに前に立ちはだかるその姿は、あたかもハウンドの面々の全てを守ろうとしているかのようにも見える。
同時に、紫暮に仕える忠実な従者のようであり、そしてまた、その手に絶対断絶の力を持ちながら、今は攻めようとせず静かに佇んでいる様子から、あたかも敵対者の身すら案じているかのようにも見えた。
「あれが・・・」
我知らず、光は呟いていた。
矛盾した、されど同時にあまりにも高貴な印象を持つ少年。
直接面識があるわけでも、写真などで確認したことがあるわけでもない。あるのは、あくまで伝聞による情報のみだった。
だけど、はっきり理解できる。
あれこそが現在は「刀」として栄光学院に所属する、バリスタス刀将、最強の改造人間、御影村正宗なのだと。
「・・・フン、引くぞガロード、光。勝機を逸した。」
「あっ、ああ!」
光が我に返ったのは、つまらなそうな、その癖どこか笑みを含んだパピヨンの言葉によってだった。
ガロードが即座に頷いたのも、成る程当然。パピヨンのこの読みはまさしく真実であった。これ以上戦っても、光たちに勝ち目はあるまい。
「待て!逃げられると・・・」
「逃げるんじゃない。「退いてやる」んだよ。感謝して敬え。」
逃がさじと追いすがろうとする高坂に対して、悠然と、傲然とパピヨンは言い放つ。
直後、彼の異能「月光蝶」が再びその猛威を見せ付けた。ナノマシンの嵐が吹き荒れ、周囲の樹木や土壌を手当たりしだいに分解しては巻き上げ、奔流の障壁を生み出したのだ。
「危ないぞ、高坂。」
ぬっ、と「刀」が腕を突き出して制止する。それが無ければ、高坂は今頃その奔流に巻き込まれていたかもしれない。
「逸るな、高坂。」
「っ・・・分かってるわよ。」
部下の「刀」と同じく淡々とした口調で紫暮がたしなめるのを、苦い表情で高坂は聞いていた。
これで、敵には確実に逃げられてしまう。戦闘が継続するとなると、紫暮がさらに消耗してしまう可能性がある。
ただでさえ上の動きが怪しいのだ・・・
「厄介なことになりそうね・・・」
本当に苦々しげな声音と表情で、高坂はただそう吐き捨てるしかなかった。
そして、その「厄介」の前兆は、この直後から近隣各所で続々と発生することになる。
土砂崩れの発生した道路で。
「・・・旦那。」
「何だ?」
マイトタイガーが、白き輪舞曲に問いかける。
「どうしたもんですかね、この娘。」
「・・・」
いつの間にか土砂崩れに巻き込まれていたらしい娘を前にして。
吉川ノエルではない。オレンジ色を基調とした郵便配達のような格好をして麦藁帽子をかぶった小柄で肉付きの薄い少女だ。
黄色いスクーターと一緒にひっくり返って気を失っている。腰には、スタン効果を持つ電気弾を発射する特殊拳銃。
かたぎでは無いっぽいのだが、さして修羅場なれした印象でもない。顔立ちも、割と子供っぽいし。
「・・・どうしたもんかなあ・・・」
合流地点に予定の時間までに到達していないことに気づいたのだろう、暴帝を捜索してやってきたらしいモチャ=ディック改のサーチライトに照らされながら、白き輪舞曲は呆然と呟いた。
光たちが一時撤退先として選んだ、植物園で。
「君は・・・」
光は、出会った赤い瞳の少女に思わず話しかけていた。
たった今見たのと良く似た、しかしそれとは決定的にどこかが違う赤い瞳をした少女に。
色素の薄い肌。色素の薄い髪。しなやかに引き締まった体。
傷だらけの体。
「・・・貴方、は。」
少女、吉川ノエルは、HAの死神は、問い返す。
赤い鎧を纏い、赤い血に濡れた・・・
その癖、光り輝く瞳をしている少女、獅堂光に。
そして、栄光学院海豚海岸分校で。
「ふうむ、何とも興味深い、いやはやなんとも面白いことになっているじゃあないかね。」
紫暮たちの戦いを、興味深げに見つめていた男が一人。三つ揃いのスーツにマント、細身のステッキ。立派な顎鬚が風格をかもし出す壮年の紳士といった風情なのだが、その実どこかその表情は怪しげで、口元に浮かべた笑みは下卑た印象を感じさせる。
「いやあ、上級エヴァンジェリストもものともしないかね。タロン最強の戦士、そしてバリスタス最強の改造人間・・・実に、いや実に凄いものだ。だがしかし、ああ、惜しいかな、いずれも枷が外れかけているといった印象を受けてしまうな。ああ、いかんな、遺憾だなこれは。」
何度も繰り返す、酷く怪しげで、胡散臭い口調。瞳は窓の外、眼下で戦いを繰り広げた少年少女たちを、値踏みするように、嘗め回すようにねっとりとにらみつけている。
「その辺の再確認、箍の締めなおしはきちんと行わなければならないな。予定された星辰の日までは、最低限もたせなければならぬからな。ああ、そうとも。その時までもってくれればいい。いや、反逆さえしなければ、別にもたなくてもどうでもよい、のだったかな?」
悠然と顎鬚を撫しながら、男はタロン上級幹部にしか知りえぬタイムスケジュールに思いをはせる。
「ともあれ、実際に彼らで実験が出来るのは好都合、そうとも、千載一遇の好機というものだな。ああ、ああ、そうだとも。オリジナルとコピーを比較し、オリジナルのデータを再分析できる、またとない好機ではないか。はっはっはっはっは・・・」
どこか芝居めいた笑いを漏らす男の名前は、ウェスパシアヌスという。この栄光学院海豚海岸分校を預かる、タロンの大幹部である。
闇が、蠢きだそうとしていた。
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