秘密結社バリスタス第二部大西洋編第一話 回想・月色の姫君と夜闇の聖女

海上を粛々と、木に覆われ、中腹に一軒の洋館が建った山が進んでいく。
いや山ではない。島でもない。
これは秘密結社バリスタス大西洋方面支部「北洋水師」アジト・・・悪の博士怪人軍団が本拠を置く移動要塞「神を突き刺すバベルの塔」(略称・神刺塔)だ。
水陸両用、重武装重装甲。水面下を見れば、陸上を移動するための、まるで1960〜70年代に大地を闊歩した科学超越生命体・・・「怪獣」を思わせる巨大な脚が四本生えているのが分かるはずだ。
かつて電脳世界、この世界と異なる歴史をたどった並行次元において秘密結社ヘルバーチャ団と対アジム防衛機構Aフォースとの戦いにヘルバーチャ側に立って参戦した際かなり損傷したが、そこからの教訓をもって更なる強化・改造がなされている。
「発令所より「悪の博士怪人軍団」全改造人間へ。発令所より「悪の博士怪人軍団」全改造人間へ。本要塞は後二時間でイタリアに上陸し、かねてより予定されていたヴァチカン第十三課・イスカリオテ撃滅作戦を発動する。総員準備。総員準備。」
スピーカーに乗って要塞内部にイカンゴフの涼やかな声が流れる。それが開幕ベルのように、船内はあわただしくなり始めた。要塞内の持ち場に着く戦闘員達。
小隊ごとに集合し。突入の準備を始める蝗軍兵達。自分の持ち場と、作戦の確認をする怪人達。その作戦自体の最終確認を行う、戦術指揮官マシーネン・カーネル。
そんな喧騒のさなか、博士は一人、戦艦で言うところの艦橋に当たる洋館部の屋根の上に立っていた。美しい満月がかかっているが、雲も濃い。このぶんではあと一時間もたたないうちに、月は雲に呑に込まれてしまうだろう。
博士は、この「北洋水師」の支部長である。だが博士自身は戦略・作戦の立案が主で、(よほど奇抜な作戦でない限り)戦術的な指揮は自分よりその特性があると認めている戦術指揮官のマシーネン・カーネルに任せているため、出撃直前は案外暇となる。
一人静かに月の光を浴びる博士。と、金属的な仮面の中、妙に生物の生々しさを持って蠢く八つの目が、先客の存在を感知した。
灰白色の獣毛に覆われた腕。獣のように人間で言うところの爪先立ちのような関節配置になっている、独特の脚。その二本の脚の付け根から生えるふさふさの毛の生えた尻尾と、頭の天辺で影にアクセントをつけるピンととがった三角の耳。
悪の博士怪人軍団の中で最も強い筋力を持つ、フェンリルだ。彼女は厳密に言えば改造人間ではない。それどころか、生物学的な意味で言えば人間あったこともない。昔は独逸から東欧、露西亜に至るまで住んでいたという人狼、その最後かも知れない生き残りだ。人狼としての血は薄く、もともとは人間と大差ないほどの力しか持って居なかったが悪の博士の改造手術により本来の人狼としての力を発揮した、「改造人狼」である。
「む。どうした。」
「月を、夜空を見てた。」
短い言葉のやり取り。そして、二人で月を見上げる。月の光を見ながら、博士は思案するときによくする、顔の前に鉤爪のように曲げた指をかざす仕草をした。
「初めて博士に会った時を、思い出します。」
「・・・そうか。」
互いに口を閉じ、脳を働かす。バリスタス結成前、二人はこの欧州の深い森の中で出会った。そして、二人ともに別れを経験した。そのとき別れた友の癖だった仕草をしながら、博士は回想した。



あのころ我輩は独逸での研究の過程で偶然存在を知った、吸血鬼の隠れ里に住み、彼らと生活をともにしていた。
我輩自身は黄金の混沌期より人の身を不滅とするべく研究を重ね自身にその術を応用し、それなりに長い命を生きていたが彼らの寿命には遠く及ばない。そんな永遠の命を業苦と捉える彼女らを、最初は知りたく、そして知るにつれ救いたいと思うようになった。
当時我輩は正義の無謬性に一抹の懐疑を覚えその道から離れてはいたが、いまだ人の精神と未来の可能性を信じようと努力していた。
・・・愚かにも、と言うべきなのだろうか・・・我輩はいまだその結論を出せない・・・


思い出は、断片として次々蘇る。最初の戦い。

「馬鹿な、このネロが・・・!朽ちずうごめく吸血種の中において、なお不死身と称された混沌がっ・・・!」
「・・・たとえ貴方が六百六十六の命を持っていても、人間は今や六十億の数に達しようとしている。そして彼等が滅ぼした命の数は、六百六十六よりもはるかに大きい。種として、私達がかなう相手ではない・・・。案じることは無いわ、ネロ。イスカリオテの馬鹿たちとこの人は違う。滅ぼすのではなく、一定時間貴方の存在を隠すだけ。」
一つの戦いの決着がついた。古き城の跡で、体内に六百六十六の魔獣を飼う、現在最強クラスの力を持つ「吸血鬼」の一人・ネロ=カオスは、奇怪な光の壁の内側に閉じ込められている。
だが戦いのけりはついたというのに、勝者たる女は葬儀にでも参列したような沈鬱たる表情だ。柔らかい月の光に映える、微塵の翳りも無い白い肌にプラチナブロンドの髪、モデルさながらのスタイルと美貌も相まって月の女神アルテミスのごとき顔に翳りの浮かんだ様は、滅んだ文明の遺跡のような、深い時代がかもし出す物悲しさを思わせる。
その理由は表情を隠す、鉤爪のように曲げられて顔を覆う指の間、彼女の瞳を見れば分かった。紅玉のごとき透明感のある赤い瞳そして言葉をつむぐたびに柔らかな唇の端に見え隠れする、やはり肌と同じく象牙の如く白い牙。
彼女、アルクェイド=ブリュンスタットもまた、二十歳ほどの美貌と異なり数百の齢を重ねる「月色の姫君」の異名を持つ吸血鬼。はるか古代、下位次元とこの世界の間が自在に行き来できたころよりこの世界に住み、次元の道が閉じるときも尚この世界にとどまることを選択したイキモノ。下位次元族に近いが完全なそれではなく、人間でもない。人の血液を媒介とする生命エネルギーを食べ、対価として人に不死を与え種族を増やす。殺されない限り死ぬことの無い無尽蔵の寿命とそれに裏打ちされた膨大な知識、そして人間に数十倍する身体能力と、下位次元民族譲りの魔法と呼ばれる霊子を操る力まで併せ持つ。
こういうと無敵の存在に聞こえるだろう。事実人は彼らを恐れ、怪物と忌み嫌う。だが。彼らは日光や重金属や刺激物に極度のアレルギー反応を示し、人の信仰や神などが関与する魔法が使用する神聖霊子はその身を焼き、不滅と超絶ゆえの孤独と忌避に心を傷つけられる、悩めるこの世界の存在に過ぎない。
事実力をつけ数を増やし、そしてバケモノを異なる存在を許さない人間達に彼らは破られ追い詰められ、もはやその純潔を保つ種族は全世界でほんの数人、絶滅寸前と成り果てていた。
「屈従しようというのか、人間どもに!」
「・・・違う。吸血鬼と人がともに生きられる世界を作る、その馬鹿みたいな理想がひょっとしたら今出来るかもしれないんだ。あと少しの時をやり過ごすだけで。でも貴方はそれを待てない。昨日も人を襲ったろう?おかげで、またイスカリオテの吸血鬼ハンターたちが騒いでいる。今回は何とかごまかせそうだけど・・・だから、ほんの少しの間、人間を襲えないようにする、それだけだ。」
そんな少ない彼等がどうしてあい争わねばならないのか。その答えを呟いたのは、これは吸血鬼ではない、人間の青年だ。だが吸血によって僕になるでもなく、吸血鬼を忌み嫌い戦うでもなく、まるで友のように・・・いや事実友として、アルクェイドの傍らに立っている。
いささか奇矯な風体だ。鼻先に乗せた小さな丸眼鏡と眠そうな細い目、寝癖のように滅茶苦茶に跳ねた髪の毛の色と肌の具合からして東洋人。服装がまたかわっていて、灰色の白衣・灰衣とでも言うべき服、その裏地が青色になっていて折り返した袖や襟がまるで雲間に覗く空のよう。
今の姿とは随分違う、これが当時・・・今から六年ほど前の悪の博士の姿だった。当時はまだ、「悪の博士」という名前ではなく、別の名を持ちまだ悪を名乗っては居なかった。
昔のままに放埓に人を食うネロの行動は、騒ぎを起こすという点で他の吸血鬼には危険だった。しかし、殺したくない。その結果がこれ、博士が研究していた人と吸血鬼の強制の手段のうちの一つ、吸血鬼の属性を押さえ込む術の実験的使用だった。
「明日が来るかもしれないんだ、あたし達に・・・父殺しが言えた義理じゃないけどね。」
城壁と月光が作り出す鋭い陰影の中に隠れるような、黒い服を着た少女が続けた。外見の年齢が二十歳ほどのアルクェイドよりも若く、せいぜい十五、六歳ほどか。
尼僧服を思わせる黒く飾り気の無い、片方の袖が取れた長袖のワンピース。動きやすくするためか随分短いスカートの代わりに、これまた黒のロングソックスが生硬な感じのある足をぴたりと覆っている。短い髪の毛も黒く、少年のような凛々しさを持つ顔とあっている。大きな割に鋭さのある目は赤くアルクェイドやネロと同じ吸血鬼のように見えるが、それにしては銃弾を受けたか何かでひしゃげているとはいえ吸血鬼が忌み嫌う十字架が、大型犬の首輪のような首を巻くごつい革ベルトにぶら下げられている。
彼女の名はキリエ。ダンピールと呼ばれる、吸血鬼が吸血に寄らずに人と混血して生まれたハーフだ。人でもなく吸血鬼でもなく、吸血鬼の弱点を持つが人よりは強いもののその体の強靭さは吸血鬼に劣り、人の理性と吸血鬼の衝動に揺れ動く、ただでさえ不完全な吸血鬼よりもさらに不安定な存在。
そして南北戦争直後のアメリカで猛威を振るった「黒衣の者」、彼女の父の吸血鬼を倒し彼のまいた狂血病に苦しむ人を救い、そしてその血を継ぐが故に救われること無く歴史の闇に消えた少女。人と吸血鬼の戦いの狭間で、苦い苦い血を味わい尽くした、夜闇の聖女。
「・・・・・・」
光の壁の中でネロは暫く逡巡し、そして押し殺すように呟いた。
「ふん。どの道ここまで追い詰められては、もとより従う以外道は無い。確かに我が力が一時的に封じられているようだ。だが、明日、か・・・神祖の姫・・・信じているのか・・・?」
信じているのか。
信じて、いいのか。
「・・・そう。私は、信じている。」
アルクェイドが呟く。呟きが、夜に溶ける。
「そうか、分からんな。。異端は孤立するが故に異端だ。群から外れているからといって、異端同士が分かり合える道理はない」
「別に・・・分かってもらえたことなんて、無いことに慣れているから。でも今は、ちょっと痛いかな?」


初めて、フェンリルに会ったとき。

「君、名前は何と?」
「ボク?ボクはファータ・・・ファータ=ゾル=フェルディナンド。でもこの名字は言っちゃ駄目だってお母さんが・・・あ!言っちゃったどうしよ!!」
目をぱちぱちして慌てる少女。だが、もっと慌てたのは聞いていた博士だ。
ゾル=フェルディナントの姓はまさしく、組織「衝撃を与えるもの」大幹部の一人、フランツ=ゾル=フェルディナント・・・ゾル大佐の子であることの証明に他ならない。
黒い森の中、少女はたった一人で古びた炭焼き小屋に住んでいた。炭を焼いたりキノコや野苺・ウサギなどを取ったりしてそれを売り、一人で生計を立てていた。まだ十二歳ほどの、小さな女の子だというのに。
小さな女の子が一人でそんな暮らしをしていれば、普通は人情のある誰かが引き取るなり何なり世話をしてくれるはずだろう。だが、彼女は一人暮らしていた。
彼女はヴェアウォルフ=人狼だという噂が立ったからだ。狼に化ける吸血鬼。この近辺で行方不明者が出ているとか、彼女が狼に化けるのを見たとか、そんな噂が立っていた。それを聞いた博士は真偽を確かめるため、来たのだ。
彼女の腕をとり採血し、検査する。
結果は、彼女は確かに人狼の血を引いているがそれはごくごく僅かで、人狼の力を発現させ変身することなど不可能、ということだった。
人間の差別心と恐怖が生んだ、下らない噂。

暗澹たる現実に顔を暗くする博士。その顔を覗き込むようにして、ファータは無邪気に聞いた。
「どーしたの?苦しそうだ、大丈夫?」
その僅かに金色を帯びた、無邪気な瞳。疑わず、恐れず、媚びず。
「・・・」
「ねえ〜、どうしたの?」
「・・・君・・・ファータちゃん、だったね。来ないか?私と一緒に。仲間が沢山居るところに。」

即断で博士は、彼女を連れ帰ることに決めた。その時住んでいた、吸血鬼の隠れ里に。


平穏な日常。

かちゃかちゃと、机で何かをいじる悪の博士。それは目玉模様を八つと鮫か何かの顎の骨をつなげて造った飾りのようで、それぞれのパーツが何かコードのようなものでつながりごちゃごちゃと機械がついている。
そこにアルクェイドが猫のようなしなやかな仕草で覗き込んできた。今は昼日中だがアルクェイドのような相当の齢を重ねた吸血鬼は、ある程度なら日光に耐性を持つ。
「?・・・な〜にしてるの?今度は、どんな研究?」
「ん?ああ、これかアルク。」
それに気づいた博士は一端手を止めると、アルクェイドの横顔を眺めて呟いた。
「人間は、意志の存在だ。本能を凌駕しようとする友情や信念、それこそが人間の本質だと私は思っている。吸血鬼も魔族も宇宙人も、その定義なら同じ人だ。だけど人の心は肉体の制限でよく挫折する。痛い、苦しい、疲れた、とか・・・」
「ん・・・と。よく分からないけど健全な肉体に健全な精神は宿る、ってヤツ?」
人も吸血鬼も同じといわれ少し嬉しかったのか、思考にあわせきょときょとと赤い瞳をめぐらせながらも、微笑を浮かべてアルクェイドは答えた。彼女の傍らの男の言葉はいつも長くまどろっこしいが、それは彼なりに筋道立てて分かりやすくしようとしているのだと知っているからだ。
「似ているけど違うな。健全な精神のための強靭な器、その実験体ってところ、この心理外骨格は。心の強さが、そのまま体の強さとなる鎧。ってのを目指したんだけど・・・」
「何かまずかったの?」
といいながらも、アルクェイドは心配している様子は無い。それは気に留めていないのではなく、信じているのだ。自分達吸血鬼を全く恐れないこの奇妙な人間は、いつも夢を見ているような目をしている。凹むことなく、潰えることなく。
何度も彼は語ったものだ。すべての人の体を、もっと強いものにすればいいんだ。そうすれば人種差別も、特別な力を持つものへの恐れも無くなる。皆それぞれに違う、それぞれの強さを持つようになれば・・・と。
「これだと、方向性に関わらずより強い感情・・・つまり怒りとか憎しみとか・・・それがまず一面に出ちゃうんだ。戦闘用にはもってこいかもしれないんだけど、企画としての「人の新しい体」にはちょっと違うっていうか。第一その起動に必要な怒りや憎しみによって集められる霊子の量も、到底人間の精神が受容できる量じゃない・・早い話が動かないんだ。」
「それが、人の本質だからじゃないの?怒りと憎しみこそが。」
ぼそり、とキリエが呟いた。日光に特に弱い体質のキリエは、昼間はトレードマークともいえるライフル銃を仕込んだ蝙蝠傘を欠かさない。今日もその日陰の下から、ぼそりと憎まれ口を叩いている。
「本質と真実は別だよ、キリエ。丁度君が憎まれ口ばっか叩いて怖い顔してても実際は優しいみたいにさ。」
「なっ、ば、馬鹿!?そういうウザイ口の聞き方やめなよ!」
傘を取り落としそうになるほど慌てながら、キリエは牙をむいて威嚇するような仕草をした。本来大きく丸っこい目も無理に鋭く細めているが、雪のように白い肌に赤みがさしていてはあまり迫力は無い。
「お世辞言って!私は半端な吸血鬼、餓えて、牙をむいて、血をむさぼる、友達と思った相手もお母さんも、殺して殺して生き延びてきた!そんなヤツを優しいなんて言える!?」
「覚えているし引き合いに出すならば、優しいがどういうことか知っているのだろう。私は世辞は言わない、そういう人格を虚飾する儀礼の類は大嫌いでね。人との間に必要なのは本当の意味での尊敬と友情、それだけでいいじゃないか」
「そうそう、キリエ君。ここは吸血鬼も人もダンピールも、皆が仲良く暮らすところだ。傷つけられるのを恐れて硬くなる必要は無いよ。」
と、壮年の紳士の姿をした吸血鬼が、ひょいと現れた。白いひだつきのシャツに黒ズボンと襟のついた裏地の赤い黒マント、本人がちょび髭の似合う糸目の善人面でなかったら、実にそれらしい吸血鬼スタイルだ。
吸血鬼たちの歴史についての執筆でキリエと一緒に協力してもらったゆえ、博士の顔もその姿を見てほころぶ。
「おお・・・あなたもそう思うよね。」
「ウムそのとお・・・あひゃーっ!」
と、窓から差し込む光を浴びたその吸血鬼は間抜けな悲鳴を浴びてさらさらと灰になってしまう。
「あ。」
「あ〜〜〜っ!またやりやがったなオヤジ!」
ぽかんと口を開ける博士。と、その吸血鬼の子供でキリエと同じダンピールの少年が・・・正確に言えば彼の父が他の祖母が人狼族で、吸血鬼としての血も人狼としての血もクォーター程度の濃さだから、吸血鬼としての力は殆んど発現していない・・・走ってきた。
手早く灰を直射日光の当たらないところにかき集めると、そこに輸血パックに入った血を一滴たらす、すると。
「ぷは〜っ!」
ぽん、と軽い音を立ててあっさり父親は蘇生した。
吸血鬼にはそれぞれ特殊な能力がある。戦ったネロやイギリスに居るというアーカードのように体内に使い魔として魔獣を飼うもの、魔法を使うもの、獣への変化能力を持つものを特に人狼族というが、彼の能力はすぐ灰になるけどあっという間に蘇生し、ダメージを受け流すというものだ。
「・・・ん、もぉ!ウザい!ばたばたしないで!とっとと地下室に入ってろ!」
気をそがれたのか、キリエは咳払いし二、三言叫ぶと彼に傘を貸してやった。日中光に弱い吸血鬼がすむ地下室まで送ってやる。
「すいませんねぇ、家のが迷惑かけて・・・」
奥さんの夫への呆れが半分混じった感じの声。それにキリエは何かまた言い返そうとしたようだが、そのまま家族のほのぼのしたムードにひきずられつついってしまう。

「・・・ほら、優しいじゃんキリエ。」
その様子を見たアルクェイドはくすくすと笑った。顔を覆う手は苛立ったとき悲しいときのように鉤爪のように指を曲げてはおらず、失礼にならないように笑う唇を隠そうとしているのだがうまくいっていない。
「ぅむん〜?どうしたのアルクおねえちゃん?何当たり前のこと言ってるの?」
博士が腰掛けているいすの横、床にじかに寝転がって昼寝していたフェンリルが、起きたての目をこすりながら首をかしげる。
「あはは、当たり前か。それはいい!」
タイミングの絶妙なファータの言葉に、博士は手を叩いて笑った。
おかげで戻ってくるキリエの足運びは、行き場の無い力がこもりまくったものになる。
がしゃ、ずん。がしゃ、ずん。がしゃ、ずん。
「うっざい!生暖かい視線注ぐな、気持ち悪い!」
ゴン、と鈍い音を立てて博士の頭をはたくキリエ。先ほどの足音もそうだが、仕草の割りに随分と音が重い。
「お!?つ、つ、つ、つ、つ!!痛っ!キリエ、少しは考えて加減してくれ〜!」
頭を抑え、背を丸め震える博士。その理由は、キリエの右手と左足にあった。ロングソックスと手袋一体型の、左手と違いとれれてない長袖に覆われているせいで分かりにくいが、彼女の右手と左足は無骨な金属の義手・義足となっている。
彼女がかつてその父と繰り広げた戦い、父「黒衣の者」、かつてキリストとも呼ばれたこともある吸血鬼は、狂血の病をもって殺戮と血の凶気の中で真に気高い魂を持ち続けられるのか、人の心を試すために。
その娘キリエは父が母に伝えそして母が彼女に教えた、地に満ちる狂血病の治療法、「黒衣の者」の心臓の血を、母と、失った幾人もの友たちとの約束、苦しむ人の明日のため求めて。
その戦いのさなか剣で切り落とされたものだ。博士が吸血鬼に関連する裏面歴史の研究のため、キリエに直接聞いた話。知的好奇心の旺盛な彼ですら、話すキリエの辛さを慮って聞くのをやめようとした凄絶な戦い。
「うん?」
不意に博士は首をかしげると、彼女の義手を手に取った。
「な、何?」
「ん〜・・・少し、いやだいぶ痛んできてるなぁ、この義手。多分足音からして義足のほうもそうだろ、キリエ無頓着だから・・・。ちょっと貸してみ、直すから。」
そう博士が言うと同時にアルクェイドが手早く病院で診察患者を座らせるような丸い小さな椅子を運んできて、キリエの膝裏を払うと据わらせた。絶妙のコンビネーションだ。
「わとっ!?」
「ふーん・・・・素材は青銅を基調にして色々と面白い金属を混ぜ込んでるみたいだな、合金の比率も材質の厚みも、場所によって変えて・・・こりゃ面白い。超科学とまでいかなくでも、十二分に凄い。これ造ったヤツは相当腕のたつ技師だな」
急な推移に慌てるキリエと、至ってマイペースに義足を手に取り、調べる博士。
そんな男を見つめるキリエの目が、ふと郷愁に彩られた。彼女にこの義手と義足を作った人間、百年以上も前のことだった故もうとっくに死んでいる友の一人・ラーラマリアのやはり小さな丸眼鏡をかけた顔を思い出す。騙されたりけんかしたり共闘したり助けられたり、色々あった友達。
博士の昼間から夢を見ているような眠そうな目は、ダンピールにしても女性であるキリエにも別段性的な意識を感じていないようなので、女性であったラーラマリアを思い出したのだろうか。純粋な魂同士の交流を重んじるゆえか、晩熟なのか、子供っぽいだけか、そういった感情は少ないらしい。
「しかしまぁ、私の研究もここに着てからはいろいろ順調に進んでいるよ。もうじき実を結ぶよ、完全な心の入れ物は。人間のように虚弱じゃない、吸血鬼のように持ち主を苦しめない、完全な体・・・」
手は寸法やらデータを取り博士意外には読めないミミズがのたうつような下手な日本語でノートに書き込んでいくが、口と頭はてんで別のことをしている。
そして博士の心にも、不意に郷愁が生まれた。久々にいじったメカニックに、かつて彼が関与したある人体改造計画が頭をよぎったからだ。人体改造技術を学んでいたころ、秘密結社「新たなる衝撃を与えるもの」から来た依頼。最初は断りかけたが、被験者「カーネルクリーチャー」の数奇な運命とその現状を聞き及び、術式設計書を提出した。
正義への懐疑がその心を蝕んだゆえか、それ以外の何かか。ただ彼女が死んだとき、涙が己の頬を伝ったこと、それくらいしか博士には確たることは分からない。人は、ときに自分の心すら分からなくなるときがある。そんな時に彼はここに来て、居心地のよさに今までを過ごしてきた。
眼鏡のずれを直して汚れを拭くふりをしながら、一旦心を落ち着ける。そして、また何食わぬ口調で話し始めた。
「さしあたって暫定的な吸血鬼体質改善薬も、試作品は出来た。動物実験は終わったし、後で呑んでみて欲しいんだけど。・・・それと、これは少し未来の話なんだけどさ。」
「なあに?」
さっきから興味深げに博士の仕事を見ていたアルクェイドが、ひょいと首をかしげた。博士の口調の僅かな変化を感じてか、その瞳に複雑な輝きが生まれている。
「この薬が完成したら・・・皆でさ、日本に行かないか?」
「ニ、ポン?どこ?」
聞きなれい国の名前を口の中で転がすようにしながら、ファータが目をぱちぱちさせる。
「私のふるさと。ここからずーっとずーっと東にある島国だ。最近会っていないが、私の弟も居る。」
吸血鬼は、どういうわけか一部の特殊な奴を除き海を越えることが出来ない。だが彼の開発した吸血鬼体質改善薬が成功すれば、そんな弱点も無くなる。
「・・・どんな国?わざわざ皆で行こうって・・・」
キリエもつりこまれたのか、すこし身を乗り出した。故郷を思い出すように上を見上げ、博士は夢見るように呟く。
「いいところだ、とっても。ここ半世紀戦争も無く、住んでる人間は少し平和ボケで目立つことを嫌うけど温和だし、欧州と違って吸血鬼狩りもないし宗教戦争もない。あの島に入った宗教も主義も、皆いつの間にか変化して穏かなものへと変わる。それに宇宙人やら改造人間やら変なのもいるんで、何吸血鬼がいったって怪しがられることもないだろう」
暫く故郷に帰っていない博士の心理を通して、それは少し美化されていたかもしれない。だがそれでも博士はうそ偽り無く語り、幼いファータは目をきらきらさせてそれを聞いていた。
「四季がはっきりしていて夏は海で泳げて冬はスキーが出来る。秋はおいしい食べ物が沢山出回るし、春は花が咲き誇る。難点といえばうまいベーコンやソーセージが手に入りにくいところくらいかな。」
「ほへ〜・・・・・・」
目と口を大きく開き、まるで目の前に異国があるように驚きの仕草を力いっぱい示すファータ。
「そうか・・・面白そう、吸血鬼は海外旅行できなかったから。いつか、行きたいね。行こうね・・・」
いささかしんみりした様子で、日本まで見通そうとするかのように遠くを見るアルクェイド。
キリエは無言だった。ただ、戸惑いの表情を浮かべている。
「?、どうしたキリエ?嫌か?」
「ん?、いや、別に・・・何でも。」
素っ気なく答えそっぽを向くキリエ。そして、周りに聞こえないように小さく小さく呟く。
「慣れてないだけよ、明日の予定を楽しく考えるなんて・・・」
割と耳のいい博士は、しっかりその小声を聞いて、それをばらさないため微笑を抑えるのに苦労した・・・


そして、最後の夜。

燃える。炎が、輝くというには毒々しく赤いナパームの炎が森を焼く。
巨大な目のような、照らすのではなく吸血鬼を焼くため日光と同じ特性を持たされた太陽探照灯と陽光照明弾がいくつも光で周囲を見張る。
ぜいぜいと咽喉を鳴らしながら、博士はその森を走っていた。必死で走っているのだが、虚弱な肉体は意識の要求にこたえきれない。顔一面の汗と煤で、眼鏡が滑り落ちかける。
魔女・異端・吸血鬼を殲滅する組織、ヴァチカン第十三課イスカリオテ。
その攻撃。
信じられなかった。吸血鬼が最大の力を発揮する夜を逆手に取り、その夜を昼に変えて攻める。いやそんなことではない。この場所が発見される。それが。
吸血鬼の皆が人からじかに吸血しないために飲む輸血用血液も、自分の研究用の薬品や金属も、相応の用心の元に購入した。足がつくはずは・・・それもどうでもいい。今は一刻も早く。速くたどり着いて・・・

ようやっと、彼が望んで望まなかった場所に着いた。轟々と音立てて燃える家。皆で暮らしていた家。
家の前に、寝ている人が三人。いや・・・死体が三つ。
親子だ。母親は単純に眉間に銃弾一発、後頭部から盛大に脳漿を噴出している以外、今にも起き上がって「どうしたんですか?またうちの主人が何か?」などと言いそうだ。
子供は、全身ずたずたになっていた。棘や鋸のようなぎざぎざしたもので強引に引き裂かれたように見える。元気に走り回っていた足も、子供らしい遊びに興じていた手も、笑った顔も咽喉も。
そして、いつものんびりとした笑みを浮かべていた父親の顔は、どこにも無い。首から上がなくなっている。そして胸部も心臓部をすっかり抉り出されてがらんどうだ。脳と心臓、妄執すら感じるほど徹底的に殺してある。彼はすぐ灰になって蘇生しダメージを軽減する術を持っていたが、イスカリオテで開発されたという意味論兵器「第七聖典」は、転生を封印否定するという、恐らくそれを使われた上で、さらに。

へたり込むことすら思いつかず、博士は立ち尽くしていた。そしてようやくすべての事実を認識し、それに感情が反応して。
その時博士は気づいた。燃えて崩れた家の瓦礫から、細く白い少女の手が伸びている。ファータのものだ。無我夢中で駆け寄り、大した腕力もない手で必死に瓦礫をどかす。ずたずたに破れた掌で何とか抱きしめたファータは、火傷と傷に肌を蝕まれていたが何とか呼吸だけはしていた。


ダダダッ!

三点バースト射撃が、博士の背中を叩いた。灰衣は防弾になっているから貫通しなかったが、対吸血鬼用の強装浄銀弾は容赦なく博士の体に衝撃を伝える。骨は二、三本折れたかどうだか。
「げぁっ・・・っ!!」
痛覚より怒気が勝った。顔を懸命に怒りに引きつらせ、撃ってきた方向を睨みつける。
ぞろぞろと、三角頭巾にローブというナザレイノ(殉難者)の姿をしたイスカリオテの兵達。
そしてそれを指揮する、拷問係としか思えないやっとこや鋸のような奇怪な形の武器を持った黒革の覆面男達を従えた、妙にのっぺりした四角い顔の神父。イスカリオテ最高幹部「七会士」の一人、「血の教典」のモズクズ。
そして腐った卵のようなでろりとした目付きの、仕込み銃を満載したトランクを持った、イスカリオテには珍しくメイドのような服装の女。「七会士」の一人、「フローレンシアの猟犬」ロザリタ=チスネロス。後で知った名だ、彼らは殺す相手に名乗るような戦士ではない。

何だ、まだ生きていたのか。

そう言わんばかりの事務的な仕草で、ひょいとロザリタはトランクの仕込み銃を博士に向けた。
対して博士は、ファータを必死に防弾の灰衣でかばい抱きしめ、痛む肋骨と咽喉から搾り出した言葉を放つ。
「何故・・・!何故そっとしておいてやれなかったのだ!誰にも迷惑をかけないように必死に努力しながら、それでもささやかな幸せを求め掴もうとしていた者たちだった!!そんな小さな幸せすら、何故潰す!何故奪う!何故殺す!!何故、何故、何故ッ!!」
問う博士。
「何故?吸血鬼と、それに馴れ合うものを殺すのは、当然のこと。」
「彼らはバケモノ。悪魔サタンの眷属。我等の絶対なる主の教徒以外、この世に生きていい存在は無い。それが神の正義だ。」
答えるヴァチカンの神の僕。
「エイメン!!」
そして放たれる銃弾。
踊りこんだ黒い影がそれをとめ、白い影が鋭い爪を生やした手を振るってナザレイノどもを本当に難にあわせる。
「キリエ!アルク!」
博士が叫ぶ。喜んでいいのか戸惑いながら。
今となっては旧式となったライフル銃を仕込んだ防弾傘を楯にして銃弾を弾いたキリエ、普段は綺麗な桜色の爪を長く鋭く伸ばし、イスカリオテの兵を切り裂いたアルクェイド。
そんなアルクェイドが、泣きそうな顔で博士に言う。生きていたことと死んでいたことに。
「ああ・・・二人、無事で・・・!でも・・・!」
キリエが押し殺したような低い声で唸る。牙をむき出し目を爛々と輝かせた、自分で醜いと思った顔を敵に向けながら。
「これから私はあいつらと戦う。アンタは居てもウザイだけだからファータつれてとっとと逃げなさい。・・・なあ・・・明日は、あるんだろ・・・?」
再びの銃撃。言葉は半端にちぎられ、キリエは叫び声とともに銃を乱射しながら突進した。
銃弾に当たって倒れながら、一向数を減じないナザレイノどもは撃ち返す。何発も弾丸を当てられて防弾傘も破れ、いくつもの弾丸がキリエの細い体に食い込む。吸血鬼に致命的な傷と苦痛を与える浄銀弾が。
「おあああああああああああああっ!!」
ずたずたの傘を閉じて槍のように突き刺し、爪先の仕込みナイフで蹴り飛ばし。
「この痴れ者がぁぁぁ!大人しく神罰受けてくたばれえええ!!」
人間の咽喉が発したとは思えない大絶叫とともに、モズクズののっぺりした顔が一変した。マスクメロンのように血管を浮かせ、激怒の相を作る。
力任せに振るった、金属製の巨大な聖書が、キリエの体を両断せんばかりの勢いで叩きつけられた。空中で体をくの字に折り曲げられたキリエに、さらにロザリタが連続で銃を叩き込む。
二重の反動にキリエは弾き飛ばされ、炎の大波うねる森に消えた。
「おいおい、皆殺しにされるにしてももう少し抵抗しろ。この前の吸血鬼は、どういうわけか力が無くてな。狩るにしても少々物足りなかった・・・今度はもう少し楽しませてくれるとおもったのになぁ、ゲハハハハハハハハ!!」
その様を見て、新たに現れたイスカリオテの者が笑った。短く髪を刈った無精髭の、ロングコートの男。博士と同じような丸眼鏡の奥に、手に持った血脂まみれのバヨネット(銃剣)と同じ、ぎらぎら光る目つき。やはり七会士の一人、「聖堂騎士」アンデルセンだ。
どうやらアルクェイドが人を襲わないようにさせたネロまで殺してきたらしい。そして、それを、楽しんで。
笑いながら、アンデルセンは他の七会士同様霊的強化を施された体の力で、手にした銃剣を一度に八本ずつ次々コートの裏地から出して投げつけた。

アルクェイドは自分に向かって飛んできたそれをかわし、ファータと博士に当たるコースの其れを受けた。

肉を裂く音が、連続する。

「アルクーーーーーーーッ!!」
叫び。
滂沱と涙を流す博士。だくだくと血を流し、白いセーターが真っ赤になるアルクェイド。目を閉じ、苦しげに呼吸するフェンリル。
血とともに、アルクは、言葉を。
「よかった・・・」
「い、いいわけあるか・・・こんな・・・!私は、約束したのに、明日を・・・!それがっ!」
涙とともに博士は言葉を。
そして、アルクェイドは笑う。
「わたしはここで死ぬけど、皆と、貴方と過ごした時間はすごく楽しかった。それに、私は今明日を守ったんだ。貴方と、貴方の腕の中のファータ。だからね、わたしは幸せだよ。ちゃんとわたしは幸せな明日を貰ったんだから」
微笑みのまま。
アルクェイドは光になり消えた。彼女を拒絶する炎と太陽ではない、柔らかく、冷たさがあるが故に優しい、月の光に。

博士は泣き、呪い、狂い、憎しみ、怒り。
「く・・・は・・・」
それゆえに、笑った。
「くぁーーーーっはっはっはっはっはっはっはっはっはぁあああああっ!!!!!!!!!!」
人の精神の力では起動しない、失敗作の心理外骨格。
それが、蠢いた。
博士の顔に絡みつき、締め上げ。激痛とともに増殖融合奇形化し、その体を変えていく。
めきめきと肉を突き破り変形する骨。その骨を潰れながら突き破る、新たな眼球。でたらめな配置で、七個と目の無い虚ろな眼窩が一つ。
左右で長さも向きも違う、ねじくれた角。額の角は半端に伸びかけたところで、千切れかけた皮膚を引っ掛けて折れぶら下がる。
部分部分その下の、人間の物ではない筋肉繊維をむき出しにした、金属的な装甲。
その痛みが嬉しくて、博士は笑う。笑い続ける。
そこまで憎い相手を、思う存分殺せる喜悦。
「くはははは、は、ははは!わた・・・いや、我輩は殺す!貴様ら糞豚雑草どもを殺す!徹底的にいたぶりつくして、見るも無残に殺してやる!正義もなく倫理を捨て感情と勝手な信条の赴くままに!悪としてなあああああああ!!!!!」
咆え、奔る。

人垣を鉤爪のように曲げた指でまとめて引き裂く。たっぷり返り血を浴びて、顔についたそれを爬虫類みたいな長い舌で舐めとり、引きちぎった首からどくどくあふれる血を嚥下する。
「さあ・・・吸血したぞ、我輩をどうする?ええ・・・殺ってみろぉ!!」
拷問係どもが、それぞれ奇怪な武器を小器用に操って立ちはだかる。
その武器を一つ一つ叩き潰し、逃げようとするのを捕まえてから装甲に覆われた手で捻り潰す。
なにやら喚き散らすモズクズを、頭の天辺に手をかけて力任せに押し潰す。手指の間を迸る脳と、顔面経由してさらに押し下げて感じる臓物の感覚・・・!!
遠くから撃ちまくってくるロザリタ。捕まえようとすると後退しながら撃ち、手の届く範囲に来ない。苛立ったまま手を伸ばすと、そのままの勢いで手が丸ごと槍になって長く伸びた。
ロザリタを突き刺し、昆虫採集のように木にピン止めする。
「どうだ・・・嬉しかろう?崇拝対照と同じ磔だ。」
想いのままに操れる心理外骨格を蠢かせ、ゆっくり両断してやった。恐怖と痛みの、薄っぺらな狂信の剥げた悲鳴の、ああなんと心地よいことだろう。
そこからはもう、手当たり次第。
殺して、殺して、殺して、殺して、もっと殺して、もっともっと殺して。
ファータの身の安全は辛うじて頭にあり、それを優先したが故にアンデルセンとあと一人、似たような短剣の類を持った尼僧兵を殺しそこなった以外は、たっぷりと殺した。

そこで、回想は途切れた。

回想は胸のうちを嵐のように駆け巡り、そして一瞬で終わった。もう何度も繰り返してきたこと。だが、博士にはあえて今一度必要だった。心理外骨格の力の源となる狂わんばかりの憎悪と殺意、その火に燃料と酸素を与え、怨敵を灰も残さず焼き尽くすために。
内面で炎を燃やしながら、今は傍らの狼に語りかける博士。
「・・・大丈夫か。」
単純な、それだけに深い、博士の問い。
「うん。」
単純な、それだけにいくつもの思いがこめられた、フェンリルの答え。
(強うなった、か。)
一人で歩けるようになった童を見る親がごとく、博士はいとおしげに目を細め、フェンリルの頭ととがった耳をなでた。
初めて戦場に連れて行った、Aフォースとの戦い。そのさなかでは戦うことがどういうことかをあまり理解しておらず、敵に捕らえられ恐怖から悪の博士を裏切ったことまであったが・・・最終的に、自分の力と意志で戻ってきたフェンリルは、一回り以上成長したといえる。
そんな感慨を、唐突に鳴り響くサイレンが遮った。同時に艦内移動空間媒介式伝声管から蛇姫の声が自体を告げる。
「博士、ちとまずいことになった。HAの部隊が、こっちに向かってきてる。ミュータント部隊の「X−MEN」「SPECTRAM」を中心とした編成で、数は大体三個戦隊(9〜15〜18人)!」
HA(ヒューマンアライアメント=人類同盟)。旧HUMA北米支部が風見新長官の戦力縮小命令を不服とし、国連・米政府・世界保健機構と共同で作り上げた新組織だ。ミュータントから宇宙人まで質はともかく所属ヒーロー数は旧HUMA極東本部に次ぐ量を誇り、軍と半ば一体化しそのバックアップを受けている分ある意味こちらのほうがたちが悪い。
続いて氷のように冷静な、カーネルの声が流れる。
「どうやら大西洋に入るときトゥアハー・デ・ダナンと交戦したときに気づかれたみたいですね。博士、いかがいたしましょう?」
紛争鎮圧傭兵組織「ミスリル」の強襲揚陸潜水艦である。一般世界の住人から見れば正体の知れない組織だが、バリスタスのような真の「秘密結社」を夜の闇にたとえるなら、夕方の薄暗がりに過ぎない。適当にあしらうつもりで「神刺塔」の新兵器・赤式放射熱線砲を試射した所暴発してしまい、海底岩盤をぶち抜いてマグマが噴出、水蒸気爆発が起きるわ新兵器が爆発するわブレーカーが落ちるわ動力炉が過熱するわ大騒ぎになってしまい、取り逃がしてしまった。
混乱していて詳しいことは分からなかったが、その後偵察に出た鞍馬鴉から、南アフリカ沿岸に大破漂着したと聞いてほうっておいたのだが、それが仇になった。
「ナザレの大工イエスが生まれてから1870年。北米大陸で猛威を振るった吸血鬼「黒衣の者」、それを利用しようとして大陸支配を目論んだ「防疫修道会」、阿鼻叫喚の無法の荒野。そんな地獄のさなか、己の血の宿命を乗り越え、何度も失敗を繰り返し、時に己の手足すら失いながら、「黒衣の者」を追い詰め倒し、その友胞をすくった少女が居たと言う。」
だが博士は、そんなこと気にも留めていないように超然と昔語りをはじめた。その横顔を仰ぎ見るフェンリル。
「その者、夜闇を纏う血塗られし聖女、吸血鬼と人の間に生まれた「半分」の子、「黒衣の者」の娘キリエ。吸血の欲望に苛まれ、人間達に蔑まれ利用され、それでも尚人を信じ、人の道を貫いた、人よりも人間らしい「夜の住人」だ。」
こくりと、フェンリルは頷く。彼女の記憶の中に、その人は居る。当時は、そんな人だとは知らなかった。
「アルクェイド=ブリュンスタット、月色の姫君。吸血鬼という存在をよりよくするため、彼らを律し、人と和し、恐れ無き世界を作ろうとした・・・わが無二の友・・・」
これも、だ。あの時どうなったのか、フェンリルは良く知らない。博士も、あまり語ろうとしない。だが互いに言わずとも、理解して、そして考えている。
言い終えると、意味ありげにフェンリルに目配せする。そして手にした杖をするりとあげると何通りもの使い方を持つその杖の一つの機能・・・笛型の超音波通信機としての機能を発揮させる。
ひゅらら〜、ひゃらりぃらら〜、るぅら〜〜〜りぃららぃら〜
司令音波の可聴領域が、妙なる調べとして夜風に乗る。同時に、博士の命令が全員の脳に伝わった。
---作戦は一部変更。ヴァチカン攻撃は悪の博士自らと、三貴子フェンリルが行う。後衛として鞍馬鴉と、蝗軍兵二個小隊。残りは神刺塔において、HUMA北米支部部隊を迎撃せよ--
「えぇっ!?」
仰天するフェンリル。いきなりの大役だ。だが博士は、にやりと笑う。
「大丈夫だ。お前は、強くなった。」

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